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  いんへるの


 
  神なんて、どこにもいない。

 燃え上がった礼拝堂。
 ただ、神を信じただけで罪人とされた。
 火達磨になって転がり出てきた信者達が、笑いながら待ち構えていた侍達に切り殺されてゆく
様を。
 己の血だまりに顔を押し付けられて見ることを、強要された。
 『神父様―!御神槌様―っつ!!』
 私に手を伸ばしながら走り寄って、ぐずぐずに焼け爛れた身体を、袈裟懸けに切られた少年は
まだ、十の年も数えてはいなかった。
 血の惨劇を見せられた後は、いつまで続くのかと、いっそ殺してくれと思った拷問。
 苦しみを長く引き伸ばす為に、一日の内何刻かだけ徹底的に責められる。
 転べ、捨てろと。
 銅版に浮き彫りにされた主・イエス・キリストの御姿を踏み躙れと。
 言われ続けた。
 ぎりぎりの生命を紡ぐ生活を断ち切ることが出来たのは、酔狂にも私を肉欲の対象に見た人間
がいたせいだ。
 一度楽しませてくれれば、逃がしてやってもいい、と。
 嘲笑った。
 自ら死を選ぶのも禁忌ならだ、同性と交わるのも禁忌。
 禁忌に、重さは存在しなかったはずだけれど、私は後者を取った。
 肉体を壊されるよりも、精神を挫かれる行為は、拷問より酷いものだったかもしれない。
 私に、主を、崇める事も許されぬ烙印を押したのだから。
 散々私を慰み物にした殿方は、それでも約束を守った。
 新しい神父の服一式と、僅かではあったが金子も与えて寄越したのは、僥倖だったのだろうか
と、今にしてみれば思う。

 御屋形様に拾われて復讐を誓った私は、日々復讐の為の爪と牙を研ぎながら、村の人々に教
えを説いている。
 説いては、いるのだが。

 神を信じてもいない神父の教えが、どれほどのものだというのだろう。

 日がな一日懺悔した所で、新たに生み出される罪は贖いようもない。
 自覚しながら罪を生む、今の生活はまるで聖書で謳われた地獄のようだった。
 自決が最大の禁忌であるキリシタンの教えでは、自ら命を捨てる事も許されない。
 罪を生み、そして贖いながら、命尽き果てるまで生き長らえるのが、私に課せられた最高の
罰だというのならば。
 救いが、どこにもない、ならば。

 神以外の何かに、縋るのもまた。
 人の性(さが)なのだと、思い知らされる。

 「御神槌、殿?これは阿片、ではないのですか?」
 礼拝堂の中に設えてある、小さな告悔室。
 左が神父である私がいる場所。
 小さな窓を隔てた壁の向こう。右が悩める子羊が罪を告白する場所。
 今は、窓が閉められて、左側の狭い空間に、阿片に限りなく近い催淫成分を多分に含んだ
香をたっぷりとくゆらせてある。
 ドアの向こうには自室が広がっているのだが、薬を浸透させるのにはこちらの部屋の方が
便利だ。
 既に霜葉の声からは、普段の切れが殺ぎ落とされている。
 「いえ。阿片ではありませんよ。貴方の気分を解放させる薬です」
 「そう、ですか?何だか、ぼうっとします、ね」
 椅子の上に座らせてある霜葉を見上げるようにして、私は彼の足元に座っている。
 対拷問用の薬物には強い霜葉だったが、こちらの薬の耐性は低いようだ。
 首から上がゆらっと、大きく揺れている。
 私を見下ろす瞳にも、靄がかかったように覚束ない。
 そろそろ、頃合だろう。
 私は、頑ななまでに新撰組にいた頃の服装に拘る彼の足から、袴を抜き取ろうと、壁にぶつ
からないように立ち上がって、腰紐に手を伸ばした。
 「御神槌、殿。何、を?」
 
 「何だと、言って欲しいですか。貴方の望むお答えを用意いたしますよ」
 しゅるっと布ずれの音がして腰紐は安易に解ける。
 着脱の簡素さに重きを置いていたのだろうか、皆さんが使っているものよりも滑りがいいように感じられた。
 「それは……貴方の、望む……答えではないのでしょう?」
 「……私が望む答えは、もう、どこにもないのですよ」
 神に、裏切られたあの日から。
 神を、裏切ったあの日から。
 「しいて申し上げるのならば。共に、はらいそ、へ。行けると良いですねぇ」
 汝、姦淫する事無かれ。
 汝、同性と交わる事無かれ。
 霜葉殿との交わりは神が定めた禁忌を二つも破ることになるのだ。
 今更なのだけども。
 「はらいそ……ああ、人殺しの俺には遠い、場所だな」
 新撰組に、まさかキリシタンはいなかっただろうが、弱い人間に優しい霜葉殿の事。
例えば私の説教を受けた幼子や、もしかしたらほのか殿辺りから、その意味を聞いていたのかもしれない。
 「俺に相応しいのは、むしろ。いんへるの?だろうなぁ」
 遠い目は何故だか、悦びすら孕んでいて驚かされる。
 恐らくは、己が死んだ後も地獄で、自分が殺めた命を贖おうと思っているのだろう。
 私のように、許されたいとか、そんな浅ましいことなど、露とも思わず。
 だ粛々と。
 あらゆる理由の果て、己に手をかけてしまった者達へのいたわりのままに。
 「いんへるの、には私こそ相応しい……」
 「まさか、神父である、貴方、が?」
 「人を殺める神父なぞ、ありはしませんよ」
 「それでも、貴方は人を救うではありませんか。何人もの方が、貴方の説教に癒されているの
  です。何をそこまで」
 罪悪に、感じると言うのですか?
 掠れた声は、耳から耳へと抜けて、心に残りはしない。

誰にでも、優しい。
 貴方の、慈しみに満ち溢れた声なぞ。
 誰が。
 心に止め置くものか。
 薬のせいか常にはないだらしなさで、開かれた唇を、ねっとりと舌先で嘗め上げる。
 健康的に押し返してくる弾力が心地良い。
 「……御神、どの…?何故…俺、なんだ」
 「私が知る中で、一番綺麗な人だから」
 人殺しをしても、鮮やかなまま。
 何時でも、全てを捨てられる潔さにこそ、惹かれてやまない。
 「綺麗な、方なら、幾らでも、ここには、おられる……みか…どの、に。好意を…寄せている、
  女性も……おろうに」
 「……貴方が、いいんです。私が一番イトオシイ、人」
 「俺の……気持ちは?」
 どうでもいいのか、と告げる瞳の色は、悲しそうに歪む。
 「貴方の気持ちを待っていたら。私に向くのを待っていたら。今生では、無理でしょう?こうし
  て、触れることでさえも」
 何よりあの、師父が大切にして心を置く唯一の人。
 私が霜葉殿にこんな無体を強いていると明らかになった日には、私は師父に殺されてしまう
かもしれない。
 「…私は…綺麗、ではない……貴方が……汚れて、しまう…から」
 止めた方が良い、と。
 完全に薬が回ったはずの身体で、やんわりと私の身体を押し返して、弱弱しいくらいの抵抗
を試みる。
 「汚すのは、私ですよ」
 部屋に充満する香りが、とうとう、私の思考をも侵蝕しだす。
 「貴方を犯して……身体だけでも、せめて。自分のものに」
 「……どの……」
 震える指先が、ぎこちなく私の目元に触れてくる。
 伝う涙を拭ってくれたのだと気が付いて、新たな涙が浮かぶ。
 ああ、こんなにも優しい人に。
 私は、どんな所業を強い様というのか。

 霜葉殿を抱き締める先にあるのは、肉のぱらいそ。
 そして。
 精神の、いんへるの。

 ついに、薬が回ったのか、気を失ってしまった霜葉殿の身体を、私は丹念に暴き始めた。

 不思議と、後悔がないのは、薬のせいだったのだろうか?



                      
                      END




 *御神槌×霜葉
   あれぇ?神父さんによる、めくるめく濃厚エロス!
   そんな話を書くつもりだったのに、呆気なく終わった……何故だろう。
   神様の思し召しだと納得する事にしました。
   どっとはらい。




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