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  狂気



 それは、許されない恋だったのだ。
 
 「あーさーさん?」
 昔、王を哥哥と呼んでいた頃と同じ風な拙い声で、何より誰より愛しい彼は、王ではない男を
呼ぶ。
 「どこ、ですか? あーさーさん。お茶の、時間ですよ。紅茶を、淹れて下さい。私、スコーン
  を作ったんですよ」
 ふらふらと歩く本田の手には、銀色のトレイが乗せられている。
 その上には、真っ白い皿が一枚。
 スコーンなど、乗ってはいない。
 「あーさーさん? どこぉ?」
 「……菊」
 そっと背中に声をかければ、弾かれたように本田が振り返った。
 「アーサーさんっつ!」
 満面の笑みを浮かべた本田は、持っていた盆を放り投げて王の胸の中へと飛び込んできた。
 がしゃーんと、皿の割れる音が響き渡ったが、本田がその音に気付いた様子は全くない。
 「どこへ、行ってたんですか。呼んでも、返事がないから。心配、したんですよ?」
 「……悪かったある。仕事をしていたあるよ」
 「あーさーさんは、お仕事熱心だから。菊は、心配です。ちゃんと、お休みを取らないと、駄目
  ですよ?」
 「ああ。わかっているあるよ。だから、菊とお茶をしにきた」
 「嬉しい、です! じゃあ、早速。用意、しますね」
 にっこりと笑って、本田は静かにテーブルに座る。
 そう、心が壊れてしまった本田では、お茶の用意などできやしないのだ。
 にこにこと笑顔を浮かべる本田に、深い溜息をつくと、王はお茶の用意を始めた。

 不意に、先程まで話していたジョーンズの声が頭の中に甦る。

 『ねぇ? 菊の様子はどうなんだい?』
 『相変わらずあるよ。 美国の方は?』
 『……酷くなる一方だ。三日前は本気で切りつけられたよ』
 『っつ!』
 弟と袂を別った時ですら、本気になれなかった奴は、狂気の果て。
 ついに、そこまで踏み込んでしまったのか。
 『本当に、アーサーは。菊を愛しているんだなぁって、しみじみさせられるね』
 らしくもない、心底落ち込んだジョーンズに同情する日が来るとはまさか、思いもしなかった。

 本田とカークランドは、深く愛し合っていた。
 しかし二人を祝福する国は皆無に等しく、思い余った二人は国である事を捨ててまでも、二人
でいる事を望んでしまったのだ。
 それにいち早く気がついたのは、ジョーンズと王。
 ジョーンズはカークランドに反発しながらも、兄として大切に思っていたし、王は過去には諍い
もあったが現在は溺愛している弟分の本田に、実に良く眼を配っていたからだ。
 ひしと抱き合い決して離れまいとする二人を、強引に引き離した。
 あーさーさん! きくっつ! とお互いに、その名前だけを呼び続ける声は悲痛だった。
 引き離されるくらいなら死んだ方が良いと、伝わってくる必死さがあったけれど。
 ジョーンズにも、王にも。
 カークランドを、本田を、失うつもりはなかった。
 どうしたらいいかと考えて。
 考え抜いて。

 痛みには慣れている彼らを、快楽で屈服させようと考えたのだ。

 ジョーンズは本田の目の前でカークランドを犯して、王はカークランドが貪られている最中に、
本田の体を暴いた。
 最初に壊れたのは、カークランドだった。
 本田を抱く側だった、というせいもあるのかもしれない。
 大切にしていた弟にレイプされた、というのもあったのかもしれない。
 勿論、本田の前でというのが一番の理由ではあっただろう。
 王や本田に比べれば年若くはあったが、それでも老大国と呼ばれた彼だ、それ相応の辛酸
を舐めてきたはずだとは思うのだが。
 本田を大切にし過ぎていたと言うのか、もしかしたら依存のし過ぎだったのかもしれない。
 ジョーンズに犯されながら、ぶつぶつと呟き始めたのだ。
 どこだ? 菊。どこにいる? 俺は、ここだ。ここにいるぞ。菊。
 ジョーンズの傲慢な掌が、彷徨う瞳を強引に固めて、空を掻く手首を必須間でシーツを縫い
止めても。
 泣くな、菊。すぐに、行くから。助けに、行くから。俺を、信じて。待っていろ。
 声は止まらなかった。
 犯される呼気の荒さもなく、ただ、ただ。
 カークランドは、本田に語りかけていた。
 王に犯される本田にではなく、彼の脳内に巣食っている幻の本田に。
 『あーさーっつ!』
 本田の悲鳴じみた呼びかけも届かず、菊、菊、とその名前を呼び続けるカークランドに、絶望
したのか。
 今度は、本田が一気に狂気の淵に滑り落ちて行った。
 『……あーさーさん? 大好きですよ』
 そう言って、本田の性器にむしゃぶりついていた王の髪の毛を撫ぜ始めたのだ。
 『私も、したいです』
 蕩け切った、しかし焦点の合わぬ目は、王を、カークランドだと思い込んでいるようだった。
 ゆったりと身体を起こして、頓着なく王の着物を捲り上げて股間に顔を埋めた本田は、ぴちゃ
ぴちゃと猛り始めていた王の性器を舐め始めた。
 『菊?』
 『なんですか? あーさーさん』
 もたりと持ち上がった顔には、絶望の先に辿り着いた漆黒の狂気が宿っていた。

 『……なぁ、王。俺達は間違ったのかな? 二人の仲を認めれば良かったのかな』
 『今更泣き言あるか』
 『だって、俺のアーサーは。俺を殺して菊の所へ行こうとするよ? 君の菊は、君をアーサー
  と思い込んで愛してくれるから、いいかもしれないけれど。 毎日毎日、大好きな相手に殺
  したい強さで憎まれるのはきついんだぞ……』
 『は! 我が一番憎む、あへんと、勘違いされているあるよ? 菊が愛しているのは我ではな
  い! あへんあるっつ!』
 『……どっちも、どっち。か』
 深い溜息と共に、唐突な電話は、やはり唐突に切られた。
 どちらが不幸だなんて、比べられやしないが、どちらも不幸なのは間違いないだろう。
 
 「あーさーさん? 疲れましたか。もぉ、寝ますか」
 茶を入れて、菓子をセットして後。
 沈んでいた思考が本田の声で浮上する。
 彼の持つ杯の中身は既に空で、お菓子の包みも幾つか開いていた。
 満腹になって、王の……カークランドの様子が気になった、という所か。
 「や。もう少し、お茶を飲むあるよ。菊はお代わりは」
 「……一杯、頂きます」
 くっと、冷たくなった自分の杯を飲み干してから、本田と自分の杯にたっぷりのお茶を注ぐ。
 ふーふーと熱いお茶に息を吹きかける本田の姿を見ているうちに、涙が浮んだ。
 狂気に沈んでも、幼い頃から大きくなっても変わらなかった、僅かな所作が、王を居た堪れ
ない気分へと追いやるのだ。
 「あーさーさん? 何が、悲しいの? 菊が、いますよ? ずっと、いますよ? だから、ね
  ……泣かないで」
 椅子から立ち上がって、王の側に立ち、椅子に体を乗り上げるようにして、王の眦から滑り
落ちる涙を丁寧に舐め、啜る。
 「……ねぇ。大好き、です。愛して、います。どうか……泣かないで」
 瞼に、頬に、唇に、接吻が繰り返された。
 「アーサーさん、泣かないで……」

 『王さん、泣かないで』

 『耀、泣かないで』

 『哥哥! 泣いちゃ、駄目っつ!』

 頭の中。
 どんどん自分に都合良く変換される言葉に。
 王は自分もそろそろ、狂気の世界へと足を踏み入れ始めている事を、自覚しないではいら
れなかった。




                                                     END




 *米英サイドも書きたい気もするのですが。
  やっぱり菊が出ていないと楽しくないので、書かないでしょう。
  好きな人の喪失に耐え切れなくて、他人をその人だと思い込む……
  と、いう事例は現実にもあるそうです。
  でもきっと、自分自身には一生縁がない感情だと思います。
                                                 2009/04/06
 



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