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  哀歌(elegy)



 「焦がれても 焦がれても 戻らぬは 遠い日々」
 今日もまた、愛しいあの人の、悲しい声が。
 今は亡き母国へと届くように、切ない旋律で以って響き渡る。
 「懐かしく 愛しくも 悲しくも 忘られぬ 想い出よ……」
 外は雪。
 母国では、北の果てでも降らなかったであろう、大雪。
 その中で、彼の人は。
 長襦袢と呼ばれる薄い着物一枚で立っている。
 後から後から降りしきる天空に、その目線を真っ直ぐに向けながら。
 「……菊さん。風邪を引きますよ」
 ヴァイナマイネンは、慣れた手付きで彼の後ろから、足元まで隠れる大きなコートを着せ掛け
た。
 「ああ、ティノ君。どうしたんです? そんな悲しい顔をして」
 「菊さんが、無茶をするからです。何度言っても、僕の言葉を聞き入れてはくれないからです」
 「……すみません。でもこれは残された私の勤めですから。ただ一つの、生きる理由ですか
  ら」
 見るものを切なくさせるだけの、優しい微笑に。
 ヴァイナマイネンは、言葉を詰まらせる。
 
 日本国が、海の底に沈んで、もうどれぐらいの時が経っただろう。
 不運にも日本国は、その国土の狭さには過酷な四枚の地震プレートの上にあった。
 静岡県という、そう、日本の象徴でもあった富士山という日本一高い山があったその周辺には、
驚くべき事にその四枚のプレートが重なり合う場所があったのだ。
 世界各国を探しても、そんな危険な場所は、そこだけしかなかった。
 今まで、小さい地震だけで済んだのは僥倖だったのだと、後に他国の地震研究家達が口々
に言った。
 その、四枚のプレートが一時に跳ね上がったのだ。
 数千年に一度の大惨事と言われている、その地震のせいで。
 日本国は海に沈んだ。
 逃げ出せた国民は、特権階級の僅か数千人。
 他は全て。
 国土と共に海の底。
 余りにも、凄まじい早さだったのだ。

 ちょうど世界会議の真っ最中。
 絶叫を上げて昏倒した本田の介抱をしている最中に、飛び込んできた凶報。
 中国を含む亜細亜勢が救いの手を伸ばそうにも、地震による津波で船は出せなかった。
 空からの援助もまた、強風と粉塵によって叶わなかった。
 数時間後。
 虚ろな目をした本田が意識を取り戻した時には、日本国土は北海道から沖縄までが綺麗に
深海へと沈んでいた。
 本来なら、本田も死んでしまう痛手だったのではないかと思われたのだが、僅かとはいえ、
日本国民が生きていたからか。
 それとも、海神の加護も厚い日本だっかたらなのか。
 理由は定かではないが、本田が死ぬ事はなかった。
 精神を狂わせる事もなく。
 残酷なほどに、正常なままで。

 僅かな国民は、現在。
 ジョーンズが一手に引き受けている。
 一緒に本田もそこに住めばいいと、かなり強引に迫ったのだが。
 本田は、ジョーンズに従順な彼らしくもなく、頑として首を振らなかった。

 私が居ると、最後の国民まで、殺してしまうかもしれませんから。
 淡々とした声音は、絶望に満ち溢れていて。
 さすがのジョーンズも、それ以上は迫れなかったようだ。
 そんな本田を、ぜひ自分の国に、と誘った方々はたくさん居たが。
 彼は、ヴァイナマイネンの国。
 フィンランドを住まう場所にと決めた。

 どうして、僕の国にしてくださったんです?
 と、尋ねれば。
 サンタクロースがいらっしゃるからです。
 と、想像もしない答えが返ってきた。
 目を見開くヴァイナマイネンに、本田は静かに微笑して、更に言葉を重ねてくれた。
 自分は、もう。
 誰にも何も与えられないから。
 何処の国の子供にも万遍なく夢を与えられる方の側に、居たかったのです、と。
 涙を堪えるのは難しく、ふえーと泣き出してしまったヴァイナマイネンの眦を、本田の手ぬぐい
がそっと拭ってくれたものだ。

 だから、ヴァイナマイネンは。
 クリスマスの時期に、サンタクロースにもなるヴァイナマイネンは言ったのだ。
 ここは、不思議の国ですから。
 貴方の声も、逝った国民の皆さんに届くかもしれませんよ、と。
 その時は、単純に。
 本田に前を向いて生きて欲しいと思ったのだけれど。

 こうして、己の身体を省みず歌い続ける本田を見ると、浅はかであったのかもしれないと、
後悔を覚える。
 「菊さぁ!!」
 しかし、本田の歌声が聞こえなるくらいの叫びに、滅多に止まらない彼の歌声が止まった。
 「なんしゃ、しとる!」
 「ベールさん……」
 ただでさえ迫力のあるベールヴァルドの、鬼気迫る形相に、さすがの本田も肩を落とす。
 「顔さぁ、真っ白どぉ」
 手袋に包まれた手で本田の顔を包み込めば、本田は諦めたように目を伏せた。
 「ちょ! ベールさんっつ。離して下さいっつ」
 そんな本田に眉根を寄せたベールヴァルドは、いきなり姫抱っこをした。無言の実行力は
さすがだ。
 ばたばた暴れる、本田の額にこつんと、自分の額をあてて。
 「わがんね!」
 きっぱりと拒否すると、更に強くその身体を抱き締める。
 そして、ヴァイナマイネンを振り返った。
 「ティノも、こぅ」
 半泣きのヴァイナマイネンの手首をしっかりと掴んで、足早に歩き始める。
 さして離れてはいない、家に入った途端。
 ベッドの上にそっと本田の身体を寝かせたベールヴァルドは、キッチンへ篭ってしまった。
 本田とヴァイナマイネンの為。
 何か暖かい物を持って来てくれるつもりだろう。
 「菊さん……」
 「また、ベールさんを怒らせて仕舞いましたね」
 コートを脱いで、ヴァイナマイネンに手渡しながら本田は、悪戯が見つかった子供のように
肩を竦めた。
 ベールヴァルドの手にかかると、本田は達観した年上の風情を引っ込めて、見た目通りの
幼い雰囲気を纏う。
 ベールヴァルドの包容力のなせる業だろう。
 ちょっとだけ、寂しい。
 「でも、ね。ティノさんには悪いと思っているんですけど。歌が届くかもしれないって、言って
  くれて。私の無茶を、受け入れてくれて。本当に、嬉しくも思っているんですよ?」
 「僕だって、後少し。もうちょっとでも身体を大切にしてくださったなら、無言で、見守ります」
 「そう、ですね。頭では、わかっているんですけど。身体がね。言う事を利いてくれないんです。
 責める声ではないのですが、焦らせる声が聞こえるんです。もっと、もっと、とね」
 日本国民は、総じて穏やかな気質の持ち主だった。
 また、昔ほどではないしろ、他国よりも潔い。
 生に執着しない性質でもあった。
 そんな、国民が。
 本田を責めるような、焦らせるような訴えをするだろうか。
 恐らくは、しないだろう。

 本田を追い詰めているのは、間違いなく本田自身だ。

 「ティノ、菊」
 呼ばれて振り返れば、ベールヴァルドが湯気の立つマグカップを三個トレイの上に乗せて
立っていた。
 「ありがとうございます」
 カップを受け取れば、中身は練りココアだった。
 ヴァイナマイネンも大好きだが、本田も好む飲み物だ。
 「すみません」
 本田の言葉に、ベールヴァルドが首を振る。
 謝る事ではないと言っているのだが、本田の習慣はなかなか抜けない。
 それでも。
 「ありがとうございます」
 言い直せば、僅かに目を細めたベールヴァルドが愛しそうに、彼の頭を撫ぜた。
 「うげわりぐなるまで、歌ぁ謳うな? ……やっしゃねぇ」
 「そう、ですね。少しは、控えます。歌う事は、止めませんが」
 「ん」
 本田らしい物言いに、ベールヴァルドは満足したようだった。
 胸が切ないだけの旋律を聞くのは、辛いのだが。
 それでも。
 本田が歌いたいと言うのならば、ヴァイナマイネンもベールヴァルドも大人しく聞き入るだろう。
 何時か。
 なるべくなら、少しでも早い内に。
 歌う事で彼の罪悪感が、幾らかでも薄れる事を信じながら。
 



                                                     END




 *日本沈没ネタ。
  何時か書きたいと思っていたのですが、まさかこのジャンルで書こうとは。
  一緒に朽ち果てていく版も、どこかで書くと思います。
  ティノさんと言えばベールさんですが、相変わらず口調に梃子摺ってます。
  無口というのが、せめてもの救いですね。
  方言は、相馬弁を参考にさせて頂いております。
                                                 2009/04/17
 



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