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  麻酔



 「ぷーさん」
 「ぷーさん、言うのよせって」
 「じゃあ、ばいるしゅみっとさん」
 「お前なぁ。俺は恋人だろ?」
 「ぎゆべゆと」
 「そんなに、俺を怒らせたいのか!」
 思わず握り締めていた手首に、ぐいと余計な力が入ってしまう。
 「だって、もぉ。注射嫌なんです」
 「……仕方ねぇだろう。我慢しとけ」
 「だってねぇ? これをすると、ギルとのキスが美味しくないんです」
 「おい」
 「SEXだって、全然感じない。痛みがないのはいいかもしれなけれど、快楽もないんですもん。
  たまには、薬打たなくたっていいじゃないですか」
 「きーく?」
 握り締めていた手首を離して、代わりにベッドに半身を起こした細すぎる身体を抱き締めて、
その額に己の額をこつんと、あてた。
 「俺は、麻酔が切れて痛みにのた打ち回るお前を、見たくない」
 「……」
 「菊が快楽を得られないのは、俺も寂しいけど。それ以上に、痛い思いをさせたくないんだ。
  頼む。わかれ」
 「ふふふ。ぷーさんが、頼む、ですって」
 楽しそうに笑った本田は。
 「おい!」
 「どうぞ。してもいいですよ。注射」
 いきなり腕を差し出してきた。
 はい、と何もかもを諦めた眼差しのままで。
 健康的なバター色の肌は、透き通る青白さになって久しい。
 注射針の跡だらけの腕も痛々しいばかりだ。
 それでも、バイルイシュミットは新しい場所を探して、針を突き刺す。
 数え切れないほどやってきた事だ。
 一発で綺麗に血管に入れて、薬液を注入する。
 押し切った所で、針を抜いた。 
 「よし。いい子だ。眠気がやってきたら、ちゃんと眠るんだぞ」
 「……ぷーさんが、良い子良い子してくれたら、眠れると思うんです」
 「っち! 仕方ねぇな」
 バイルシュミットは、舌打ちをしながらも、本田の体を横たわらせてから、その髪の毛をゆっ
くり撫ぜてやる。
 「ああーん。ぷーさんたら、優しいぃ」
 「……気持ち悪りぃから、慣れんこと言うな」
 「じゃあ。私の恋人は、本当に優しいですねぇ」
 「馬鹿!」
 「照れ屋さんな、所も。大好きです」
 「ほざいてろ!」
 間を置かずに与えている麻酔のせいか、会話は実にスムーズだった。
 痛みを堪える時、特有の。
 困ったような笑顔を見ないだけでも、嬉しいバイルシュミットだ。
 「ぎる? ぎるべるとぉ?」
 「んだ」
 「ねむく、なって、きちゃいました」
 「おう、寝ろ寝ろ」
 「そばに」
 「いる」
 「ずっと」
 「居るから、信じろって」
 「やく、そく」
 「いくらでもしてやるから……早く。楽な所へ行け」
 本当は眠らせたくはない。
 次は目覚めないんじゃないかと、今度こそ、置いて逝かれるのではないかと思うから。
 「でも、わたし。ぎるの、そばが。いちばん、ら……く……」
 すーすーと、寝息が聞こえ始めたので、バイルシュミットは本田の額にキスを贈り、そっと
頭を撫ぜる手を止めた。
 止めた手は、震えていた。
 「ちっくしょ……情けねぇ……」
 バイルシュミットは、震える己の手をぎゅうと握り締める。

 国の象徴である存在が、不治の病に掛かり出したのは、数年前の事だ。
 原因不明。
 治療法不明。
 既に、王とムハンマドが逝っている。
 長く生きている者ほどかかりやすい病なのではないかと言われているのは、続いてかかった
のがアドナンと本田だったからだ。
 アドナンは既に、もう意識のない状態だ。
 国は、滅ばない。
 ただ、その象徴だけが滅ぶ。
 故に、上司に当たる国民達は治療法の解明に、熱心ではなかった。
 新しく生まれた象徴は、幼く、すれていないので、御しやすいという目論みもあるかもしれな
い。
 吐き気のする話だ。
 「……兄さん」
 「馬鹿! 入ってくるな。ヴェスト!」
 ノックもなしに入ってきたのは、ルートヴィッヒだった。
 「うつるかもしんねぇんだぞ!」
 「でも、それでも俺だって……菊が心配なんだ。容態は?」
 「今は麻酔が聞いて眠ってる。研究の方はどうなんだ?」
 「各国最先端の技術を総動員して頑張っているけれど、先を引き伸ばす麻酔の精度が上
  がったくらい……」
 申し訳なさそうに、肩を落とすルートヴィッヒの頭をよしよしと撫ぜてやる。
 何でも生真面目に考えてしまう弟なのだ。
 そして、本田を家族のように大切に思っている。
 その、落ち込み具合は胸に痛い。
 「何でか知らねーが、俺等国の象徴は、人型を取ってるだろう?」
 「……ああ、そうだな」
 いきなり話を飛ばされて、僅かにきょとんとした表情を見せたルートヴィッヒだったが、
バイルシュミットの言動が突拍子もないのには慣れている。
 すぐさま、見慣れた生真面目な表情に戻った。
 「だからな。俺等はたぶん。長く生きてきた奴ほど人に近い死に方で死ぬんだって、思って
  たんだ」
 「兄さん……」
 「菊が、俺なんかの恋人になってくれた時。覚悟は決めた。俺、運ねーだろ? 菊が俺の
  側に居てくれるのは奇跡だと今でも思ってる。菊は……随分長く生きてるから、何時か。
  何時かは、俺を置いて人みたく、な。先に逝っちまうだろうって、覚悟。決めた……つもり
  だったんだが……」
 唇を噛み締めたバイルシュミットの、真紅の瞳からぼろぼろぼろっと涙が転がった。
 「まさか、こんな、早く。こんな風に、苦しんだ挙句に……なんて思ってもみなかっつ」
 訴えは嗚咽に掻き消された。
 ルートヴィッヒが、ぎゅうと抱き締めてくれる。
 ルートさんの、むきむきは、本当に暖かかったんですけど。
 ギルのむきむきは、安心しますねぇ。
 不意に本田の言葉が浮んだ。
 あの時は、俺の弟に変な抱っこなんかされてるんじゃねぇ! お前は俺の腕の中で大人
しくしてればいいんだ! って怒鳴ってやったっけな。
 「少しでも、長く生きて欲しいって。こんなにも苦しんでるのに。生を長引かせていいのかって。
  この間、静かに眠るだけのアドナンを見て、思った」
 苦手どころか、嫌いだったな奴だったが。
 アドナンも本田を大切に思う一人だったから。
 幾度か見舞いに行った。
 てめぇが、見舞いなんあざぁ、焼きが回ったんじゃねぇのかい?
 なんていう、憎まれ口も、すぐに聞けなくなって。
 会いに行っても寝ている時間が増えて。
 今はただ、鎮痛剤と睡眠薬だけを投与され、覚めない眠りについている。
 仲が悪く、けれど。
 一番長く近くに居た、カルプシの判断だった。
 「俺も、同じように、してやるべきなんか? 麻酔じゃなくて。もっと強い薬で、眠ったまま。
 菊を逝かせてやった方が、いいじゃねぇのか?」
 医者にも幾度か薦められているそれを、頑なに拒絶しているのは、ぎりぎりまで、生きている
本田を感じていたいバイルシュミットの我侭だった。
 「……菊は、強いから。きっと……兄さんが一番良いと思う方法を取るのが、幸せなんだと思
  う」
 「ヴェスト……」
 「あの、菊が。兄さんの事を話す時は、本当に嬉しそうに、楽しそうに笑ってたから。兄さんが、
 良いようにするのが、菊に取っては……」
 「こいつが、死ぬのに、俺一人幸せになんか、なれっこねぇだろう!」
 ルートヴィッヒにあたるのは、間違っているとわかっていても、言葉が止まらなかった。
 「……る……ぎる」
 「っつ!」
 声に振り返れば、薬で寝入っているはずの本田が目を開いていた。
 「どぉして、泣いているんです? あれ? ルートさん?」
 初めにバイルシュミットを見て、その隣に立つルートヴィッヒにも気がついたようだ。
 「……久しぶりだ」
 本田の頬にそっと手の甲をあてる親しげな所作に、本田は目を細め口の端を上げる事で答
えている。
 「ルートさんも、いらっしゃるのに。駄目ですよ。お兄さんが、弟の前で泣くようなコト。しちゃ」
 「菊……」
 「にーに……王さんは、最後まで笑って逝かれました」
 逝かないで、私より先に逝かないで下さい、哥哥!
 昔は、そう呼んでいたのだという不可思議な呼び名で、王を呼んだ本田の髪の毛を愛しそう
に撫ぜた王は、その手が滑り落ちる瞬間まで、確かに。
 笑んだままだった。
 本当に長く、亜細亜連中の兄をやってきた奴なんだな、と。
 泣き崩れる本田の背中を抱きながら思ったものだ。
 「俺をあんな、妖怪と一緒にすんな。そこまで達観なんざぁできねーよ」
 「ふふふ。仕方ない、人。こんなに、目。赤くなるまで泣くなんて」
 「この色は、生まれつきだ。ばーか」
 「……駄目っ子さんな、お兄さんを持つと。苦労しますね、ルートさん」
 「全くだ」
 まるで、白さが目に焼きつくばかりの病院などではなくて。
 ルートヴィッヒとバイルシュミットが住まう家。
 遊びに来た本田とソファの上で語らっている時のような、穏やかさだった。
 一瞬、そんな風に錯覚してしまうほど。
 当たり前に過ごせていた時間が恋しかった。
 「ぎる、を。ギルベルトを。御願いしますね? ルートさん」
 「菊!」
 「この人、私が逝ったら。後追いかねませんから。止めて、下さいね」
 国の象徴ではなくなったが、その生命は人間にはなれない。
 本田と一緒に死のうと思ったら、それはもう無茶をしなければならないが。
 バイルシュミットは密かに、確実に死ぬ為の準備を行っていたのだ。
 「それぐらい、好きにさせろ!」
 「ぎる!」「兄さん!」
 「ヴェストが居ても。他に、誰が居てくれても! お前がいないこの世に、俺は生きていたく
  なんかねぇんだよ!」
 大切な恋人だ。
 ただ、一人の。
 情欲を覚える、愛しい存在だ。
 二度とは得られない存在だと知っている。
 置いて、逝かれるくらいなら、絶対。
 一緒に逝く。
 「それでも。それでも。ギルベルト。私は、貴方に生きて欲しいんです。そうして。私が生きら
 れなかった時間を、大切に、生きて貰いたい」
 「できねぇよっつ!」
 「私の、最後のお願いだと言ってもですか?」
 「最後とか! 言うな、ばかやろっつ」
 「だから、ほら……泣かないで?」
 静かに伸ばされた、注射針の跡だらけの白い腕。
 大人しく腕の中に埋もれれば、力の入らない腕がどこまでも優しくバイルシュミットを包み
込む。
 「ねぇ……ぎるべると。私は、最後の最後の、その先の果てでも。貴方を愛していますから
  ……そんなに、泣かないで」
 「お前が! 馬鹿なことばかり、言うから! 仕方ねぇだろっつ」
 「はいはい。私が悪者で、いいですから。ねぇ? ぎる。どうか、泣かないで。私は……貴方に、
  泣かれると……本当に……どうして、いいか。わからなく、なるんです……しんぱい、なん
  です、よ。だから……ぎる」

 愛しているから、泣かないで。

 そう言う本田の透き通った穏やかな瞳から、光が消えてゆく。
 「おい、菊! 菊っつ」
 「なか、ない、で?」
 バイルシュミットを抱き締めていた腕が、力なくシーツの上に落ちた。
 「おいおいおいおい! 菊っつ」
 「落ち着け! 寝ただけだ! また……眠っただけだから。兄さん。落ち着いて」
 「あ……」
 見れば、本田の身体に繋がれている機械は、眠った時特有の波形を表示していた。
 思わず零れた安堵の吐息は、飽きれるほどに大きかった。
 「あんまり、兄さんが泣くから心配で。薬の力を振り切って一瞬だけ起きたんだろう。兄さん
  を宥める為に」
 「……菊……」
 何でだろう。
 どうして、こんな優しい存在が消えてゆかねばならないんだろう。
 人が祈る神は、バイルシュミットの願いを聞き届けてはくれないのか。
 「俺も、菊と同じ薬打とうかぁ?」
 「兄さん!」
 「そうすれば、菊と同じ夢が見れるかもしれねーし」
 「頼むから、そんな事を言わないでくれっつ!」

 ルートヴィッヒの必死な懇願も、恐慌状態に陥っているバイルシュミットの耳には届かない。
 
 本田に打つ為の注射を、今度は自分為にと握り締めて。
 それを、何度もルートヴィッヒに弾かれながらも、握り直したバイルシュミットは。
 本田の薬が切れて、彼が再びバイルシュミットを見詰めて微笑むまでの間、ずっと。
 その手の中に、致死量の麻酔薬が入った注射器を持ち続けていた。



                                        END



 *すみません。
  書いてる最中に泣きました。
  ははは。
  感情移入のし過ぎか、病み気味なのかは微妙です。
  ご本家様の素敵すぎるぷーさんに、釣られて、ぷーさん更新です。
  本当に、彼は不幸が似合うと思いますが、こんな不幸は嫌だなぁと思います。





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