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  幻想花



 「Beautiful! 素晴らしいです。菊兄!」
 「……気に入って頂けたようで何よりですよ。香」
 はんなりと言う表現にぴったりの風情で、菊は優しく笑んでくれる。
 幼い頃から今に至るまで、自分に向けられるのは何時だって笑顔ばかり。
 悪戯をして、怒られる時にも彼の口元に浮んでいるのは微苦笑なのだ。
 「これ! これが素敵です」
 満開の牡丹園。
 開花時期毎に植えられているので、今二人が居る場所は色とりどりの牡丹が咲き乱れて
いる。
 紅、濃紅紫色、淡紅紫色、紫色、黒色、白色、黄色、絞り系。
 そんな中で、香の目を引いたのは一際紅色の強い、大輪の牡丹。
 「これですか。これはね。芳紀と言います」
 「ほうき?」
 「ええ。年頃の女性の年齢を現わす表現なんですけれど……個人的には、もう少し
  やわらかい色見の方が合っていると思うのですよ」
 「兄様の好みではないですか」
 「いいえ! この鮮やかな紅色は大好きです。ただ、妙齢の女性を現わすのには、
  ちょっと相応しくないのかもしれないと思っただけで。花自体は大変好みです」
 「……良かった」

 ここの所、菊の気分が優れないあるよ。
 お前が近くに侍って、気分転換してやるよろし。
 
 菊とは折り合いの悪い耀兄に、密かに頼まれて、自分から強請る形で連れ出したのだ。
 極力、菊には心穏やかに過ごして欲しい。

 「でも、そうですね。一番好きな花は、ここにはないですね」
 「そうなんですか」
 「ええ。絶滅してしまった種なんです。緋恋、と言ってね。見た瞬間に心を奪われるような
  鮮やかな紅色の牡丹でしたよ」
 菊の目が、不意に遠くを見た。
 過去を見る目だ。
 こういう眼差しの時、大体彼は王を思い出している。
 
 菊と王は長い間、恋人同士だった。
 物心ついた頃には、既に夫婦状態で。
 亜細亜勢は、彼等夫婦に慈しまれて育った者も多い。
 香もそうだった。
 だから、彼等が別れるなんて思ってもいなかったが、自分を含めて彼等も国の象徴。
 個ではどれ程思い合っていても、連れ添う事を許されない状況もあるのだ。
 そんな中。
 菊は王に刀を向けた。
 躊躇いもなく、しかし正面切っては挑めなかったのだろう、背中に切り付けられた刀傷は、
今でも季節の代わりに王を切ない気分にさせている。
 国の情勢も整い、国交も正常化した今。
 二人が元通りの関係になるのに、何ら問題はないとも思うのだが。
 菊は、それを良しとしなかった。
 大概的には、兄として立ててもいる。
 しかし、そこに。
 昔見慣れた、甘さがなかった。
 不意に二人で見詰めあう時の、微かに視線が絡む中で時折。
 見出す事ができるから、想いが消えた訳ではないのだろうけれど。

 菊は真面目な子あるからね。
 我を傷つけたのが、未だに。
 許せないのあるよ。

 「……緋恋は、ね。昔。王さんが私にと作って下さった花なんです」
 「そうなんですか!」
 そう言われて不意に、香の頭に浮ぶ牡丹があった。
 目の覚めるような紅色の牡丹は、王の巨大な牡丹園の片隅。
 そこだけが完璧な空調が設定された小さな温室の中。
 一年中咲いている。
  
 何故、この牡丹だけ隔離してあるのですか?

 と言う質問に、王は静かな微笑をくれただけだったけれど。
 そうか。
 あれが、菊兄の為だけに咲き誇っている花なのか。
 「……名前が、ね。不吉だと思ったんですけれど。王さんには終ぞ。言い出せませんでした
  ねぇ」
 「It of where? え? 素敵な名前ではありませんか」
 「ふふふ。日本語ではね。ひれん、と言うと普通は、緋恋ではなく、悲恋と書くのですよ。悲しい
  恋と書くのです」
 まさしく、現状は悲恋なのかもしれない。
 菊は、その花が、まだ。
 王の手元で一番慈しまれているのを知らない。
 香が言ってもいいのかもしれないが、やはりこれは王が言うべき言葉なのだろう。
 
 まだ、変わらずに愛しているのだと。
 変わらずに、愛して欲しいのだと。

 「それでも、恋は恋。しないよりは良かったと思いますよ……だから、香。貴方がそんな顔を
  する事はありません」
 余程、険しい顔をしていたのだろうか。
 菊の少し冷たい、けれどどこまでも優しい掌が、そっと香の頬を包み込む。
 「貴方に、そーゆー顔は似合いませんよ。私の大切な小弟」
 額に届く口付けは、親愛のそれ。
 決して。
 嘗て王に向けた、情熱的な口付けがなされる事はない。
 そして、香も。
 「……はい。菊兄」
 菊の頬に鬱陶しくない程度、頬を擦り寄せた。
 「さぁ、まだまだ素敵な牡丹がありますからね。のんびりと見て回りましょう」
 「Yes  Elder brother」
 まるで幼い子供にでもするように、香の手を引く菊の良いようにさせながら、香は菊に悟られ
ぬよう内心で大きな溜息をついた。
 
 香は、もうどれぐらいになるかわからないほどに、菊に焦がれていた。
 会う都度に、今回こそ思いの丈を告げようと思いつつも、成せないでいる。
 弟として慈しまれて久しい身だ。
 告白してしまえば、その穏やかで優しい関係が崩れてしまうかもしれないリスクと脳内で
天秤にかけて後。
 結局。
 怖くなってしまうのだ。
 王と菊の関係を見ているからこそ。
 お互いがどれほどに愛し合っていても、崩れるしかない関係を見てしまったので。

 王が菊の為に作った花は、今だ健在で密かに咲き続けている。
 菊は、その花が今はないと思い込んでいるが、花を実際は見た事があるし、彼の知らない所
で花は咲き誇っている。
 しかし。
 香が菊を思って咲かせる花は、所詮幻想の中でしか咲きはしないのだ。
 まずは、現実で。
 菊を思う花を咲かせたのならば、彼に。
 告白する勇気が生まれるのだろうか。

 次々に新しい牡丹を目にしながら、菊の手から伝わる温もりに縋りつきながら、ぼんやりと
胸の内。
 小さな牡丹をイメージする。
 これだけ菊を愛しく、大切に思っているはずなのに。
 牡丹の色はどす黒く、どうしても鮮やかな真紅にはなりはしなかった。
 


    
                                                     END



 *中さんとか英とかは、日の知らない所で、日を思ってこっそり愛でるっていう
  のが得意な気がします。
  英は、薔薇で。中は、牡丹。
  under the rose。
  秘密は薔薇の下。
  思いは牡丹の下。
  そんな感じで。
  米英で中日で、英中もしくは中英だと上記設定が生きるよね!
  とか思いました。                                     2009/11/12





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