メニューに戻るホームに戻る




  思い知れ



 「……アーサーちゃん? ちょっと大丈夫」
 「……」
 隣で腐れ縁の男が何やら囁いている。
 聞き慣れた声だけに、無視しやすいから気にしないことにした。
 それより、なにより、俺にはやることがあるんだ!
 世界会議も無事とは言いがたいまでも、どうにか終わりを迎えて、今は全体的にまったり
した雰囲気が漂っている。
 「おーい。いっくらお前さんが、菊たんラブでも、その目線はマズイってばさぁ」
 と言われても、見る以外にどうしろとい言うんだ?
 乗り込んで行ったら、背中から羽交い絞めにする癖に、好きにほざきやがって。
 「……」
 引き続き、無視を続行しながら俺はボヌフォワが表現するよりは、物静かなはずの眼差しで、
二人を見詰める。
 大切な大切な本田と、その肩を馴れ馴れしく抱いて笑うカリエドの姿を。
 「あんねぇ、アーサー。お前は知らんかもしれんけど。トーニョはこと恋愛になると、別人に
  なるんだってばさ。ラテンの血をなめたら駄目なんだったら」
 「……別に、あんな奴どうでも良い。昔はさて置き、今は何もできねぇだろうが」
 随分と昔、沈まない太陽を自称する彼の国から、制海権を奪った。
 力亡き者は、それだけで罪だった時代。
 菊は、今も俺を恨んでいる心が狭いカリエドの、一体どこがそんなに気に入っているのだろう
か?
 やはり、俺と良く似た緑色の瞳が気に入っているのかもしれない。
 ペリドットとエメラルドではだいぶ違うが、菊にはまぁ。
 色がついていれば、見惚れてしまうという可愛らしい悪癖がある。
 俺の目に見惚れる分には構わないのだが、カリエドやボヌフォワ、ましてやブラギンスキの目
にまで入れ込むのはマズイだろう。
 「そんな事ないってば。本当に、駄目なんだよ。トーニョに取って菊たんは、聖域だから。
  ロヴィ君とは違う意味で溺愛してるんだって、もぉ!」
 「溺愛なら、俺の方がしてるぞ、ばーか!」
 同盟を組んだ時、初めて身体を繋げた。
 あの、吸い付くような肌の感触は今でもリアルに思い出せる。
 国の事情で袂を別った時ですら、菊は俺に甘かった。
 無論。
 今でも甘い。
 少々他人行儀の気もしないでもないが、それは菊の性分だと重々承知している。
 その証拠に、菊は何時だって俺がプレゼントした薔薇の花を長く飾ってくれ、枯れた後も
ドライフラワーやポプリなどにして楽しんでくれるのだ。
 嫌いな相手から貰った物を、そんなふうに大切にはしないだろう?
 だから、俺はせっせと菊に貢いでいる。
 薔薇は勿論、紅茶、ジャム、陶器、チーズ、菓子だって世界に広く知られているメーカーの
物を定期的に。
 お返しだって、凄い。
 綺麗な筆致で風情ある四季折々の押し花をあしらったお礼状は必ず。
 それにやっぱり四季を考えた日本国の名物さまざま。
 きっと、俺ほど菊から個人的に物を貰っている化身はいないと自負もしていた。
 「溺愛だって、されてんだぞ! お前にはわかんねーかもしれねぇがな?」
 「……まーね。アーサーが誤解するのは無理ないと思うけど」
 「誤解じゃねぇって!」
 「いい加減、冷静になりなよ。今のアーサーにほら。菊のあんな笑顔はどんな手ぇ使った
  って引きずり出せないだろう?」
 言われて、目を細める。
 菊はカリエドの腕の中。
 薔薇の蕾が綻ぶように笑っていた。
 
 「んな事ねぇよ! 二人きりになれば、何時だって……」
 何時だって、アレに見せた笑顔と同じ物を見せてくれる! と言いかけて、ふと我に返った。
 以前は確かに見ていたはずの、花が綻ぶ笑顔をそういえば、もう。
 どれぐらい見ていないだろう。
 確かに、縁の薄い化身には見せない穏やかな笑顔を見せてはくれる。
 アルカイックスマイルなんて、敵対していた頃ですら見せられた事はなかった。
 無論、今でも。
 だが。
 ボヌフォワが指摘するように、今。
 菊がカリエドに惜しげもなく晒している笑顔を、自分に見せてくれているかと言えば。
 否。
 愕然とするカークランドの背中を、ボヌフォワがぽんぽんと奴らしくない加減した……それは、
遥か昔。 まだカークランドが誰かの庇護を必要としていた時分に彼がしてくれた所作と変わ
らぬ……手つきで叩いた。
 「な? わかったろ。お前は菊の特別だ。でも、な。アーサー。唯一じゃあ、なくなったんだよ」
 今度は頭をくしゃりと撫ぜられて、反射的に奴の優しい手を、ぱん! と叩く。
 思いの外。
 大きな音がした。
 会話の声とは音域が違うためか、幾人かがその音に反応した。
 菊がそうだった。
 カリエドもそうだった。
 菊が心配そうな顔をして、こちらへ近寄ってこようとする。
 ジョーンズとカークランドの言い争いにも、ボヌフォワとカークランドの殴り合いにも、様子を
見て間に入るのは菊ぐらいなもの。
 しかし、今回はカリエドが菊の顔を覗き込むように……カークランドの目線から隠すように……
何かを言い含め、代わりに奴がこちらへ向かってくる。
 げ! と心底嫌そうな声を出したカークランドと違い、ボヌフォワは気楽なものだ。
 カリエドとバイルシュミットの三人は、悪友と括られるくらいには気の置けない間柄だからだろ
う。
 「どーしたんだよ、トーニョ?」
 ひらひらと手を振って歓迎している。
 「んんー。フランが苛められてるかもしらんから、様子見に行ったってぇ? ってな」
 「は! 菊がそんな事言うわけねーだろ。ばーか」
 「……るさいわぁ、変態ヤンキーが!」
 「ロリショタペド野郎に言われたかねぇよ」
 「はいはい。そっち方面は二人とも似たような変態なんだから、少しは仲良く……」
 火花を散らす二人の間に入ったハボヌフォワは。
 「お前に言われたかぁ、ねーよ」
 「フランにだけは、言われたくないわぁ」
 こんな時ばかりは、さすがに息の合う返しに撃退されて、菊ちゃーん、二人とも酷いんだよぉ! 
と菊の方へ逃げて行ってしまった。
 そんな二人の側に、素早く近寄ってきたのはイタリア兄弟。
 フェリシアーノは、菊に抱きついて、ヴぇーヴぇーと奇声を発し始め、ロヴィーノの方は、カリ
エドとカークランドに向かって。
 『vaffanculo! (くそったれ!)』
 と口ぱくしてきやがった。
 「あんの、くそがきゃあ!」
 菊の側に居るから強気になっているのだろう。
 怒鳴りつけてやろうと大きく口を開けば、カリエドが、おい、と低い声をかけてカークランドの
気勢を殺いだ。
 「邪魔すんな、くそが!」

 「……邪魔してるんは、お前の方やろ? いい加減自覚しぃや」
 「んだとぉ!」
 自覚したばかりというタイミングの悪さで傷を抉られて、反射的に手が出た。
 何時もどおり綺麗に避けるだろうと懇親の拳は、しかし。
 カリエドの頬に減り込んだ。
 「なっつ!」
 「……自分で喧嘩売っといて腰引けるって、どないなん?」
 「るせ! 誰が腰なんて!」
 「引けてるやろ? まぁ、ええよ。そないな事はどうでもええねん。わいを殴らせてやったんわ
  なぁ。もぉ、菊ちゃんに無駄なちょっかい出させへんためや」
 口調は穏やかなのに、目が笑っていない。
 こいつがこういう面をする時は、正真正銘本気の時だといがみ合った過去から学んでいる。
 「菊ちゃんに取ってお前は確かに特別やろ。なんでかなぁ? って思うけど。それは菊ちゃん
  の感情だからな。わいは否定せぇへん。だけど、お前の勘違いには正直辟易してるのも見
  えるんや。だから、な。この殴った一発でお前……菊のこと諦めぇ」
 諦めろ、と言われたことよりも、辟易していると言われたのが堪えた。
 自分の執着の歪んだ凄まじさを重々承知している。
 だから菊に対するスタンスは、くれぐれも度を越さぬよう慎重に距離を測っていたというのに。
 「お前は、過去の男や。今、側に居るのは親分や。俺は菊の側に立つ権利をもう二度と誰に
  も渡すつもりはあらへん」
 「……てめぇは、そうかもしんねーけど。実際どうなっかは、わかんねーだろ!」
 「一度、あの小さな可愛い手を手離して地獄を見た。だからお互いの意思でなく引き離される
  時が来たら、菊を殺してわいも死ぬって決めとる」
 「そんなんできる訳!」
 「できへんて、思うんか。馬鹿にせんといてや。わいがお前より、どれだけ長く生きとるか知っ
  てるやろ? そして菊ちゃんは、もっと長く生きてきた……国の化身が個として死ぬ方法な
  んて……幾らでもあるねん」
 菊があの幼い外見と裏腹に、王に告ぐ長生きなのを今更カリエドに指摘されるまでもない、
が。
 「まさか、その、方法って……」
 「そやで。菊ちゃんが教えてくれてん『仕方ない人ですね。トニョさん。貴方がそこまでおっしゃ
  るのならば、私も覚悟を決めましょう』って言うてな、教えてくれたん」
 他の誰が化身としての立場を捨てても、菊だけはしないと思っていた。
 変に依怙地なところがあったから、化身として生きた己をどれほど追い詰められようと全うす
るだろうと、信じて疑わなかったというのに。
 「だからな……お前も大概にしい。ってぇか、な?」
 す、とカークランドの拳で赤く腫らした頬をまるで擦り付けるように近寄ってきて。
 「この先永遠にお友達でしかおれない、自分の立場を……思い知れ」
 気の弱い者ならば卒倒しそうな憎悪を孕んだ声音で囁かれた。
 「トーニョ! その辺にしとけって」
 「……邪魔せんといてや、ギル」
 「菊に止めてくれって、言われたんだよ」
 バイルシュミットはカリエドとカークランドの間に立って、カリエドを威嚇しながらカークランド
の頭を乱暴に撫ぜた。
 先ほどボヌフォワに同じことをされた時は、間髪入れずにその手を跳ね除けたというのに。
 今度はバイルシュミットの、今だ訓練を怠っていないらしいタコだらけの掌を弾けなかった。
 どころか、涙まで滲んできて唇を噛み締める。
 俯く目の前、行けよ! とバイルシュミットの手がひらついた。
 ここで涙を晒す醜態だけはするまいと、硬く拳を握り締めたカークランドは素早く踵を返す。
 一瞬だけ交わった菊と目線。
 心配げなその瞳の中。
 特異な友情だけしか見出せなかった絶望のまま、カークランドの涙腺は扉を閉めた途端に
決壊し。
 何時治るともわからぬほど、涙が止まらなかった。
 悔しいという涙でなく。
 悲しいという涙なのが、唯一の救いだったのかもしれない。




                                                     END




 *この時のアーサーさんは、うわうわ泣きます。
  そりゃもぅ子供のように。
  慰め役はやっぱりアルかなぁ。
  パラレルで船上の上で、
  菊たんを取り合ってがちんこバトルな二人とかも書きたいです。
                                 2011/01/28
                                       メニューに戻る
                                             
                                       ホームに戻る