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  痛み(Pain)



 「いらっしゃい、菊」
 自分の隣、不機嫌な顔を崩さないルートヴィッヒの代わり。
 ドイツ宅を訪れた本田を、ソファから腰を上げて歓迎するエーデルシュタインに、本田は真っ
黒い瞳を大きく瞬かせる。
 「……こんにちは。ローデリヒさん。ご無沙汰してます」
 右手にトランクを左手に風呂敷包みを持つ、彼の手から両方を奪うようにして受け取った。
 「あの! ローデリヒさん! 重いですから、トランク!」
 「気になさらず。ヴィッヒ? 菊の荷物は客間で良いのですね」
 「……ああ」
 本当は自分の部屋に入れさせるつもりだったのを知っている。
 何かと本田を構いたがるバイルシュミットを、カリエドに頼み込んでボヌフォワと二人で
がっつりと拘束して貰い。
 本田が滞在している間は、二人きりの時間を作ろうと、珍しく暗躍していたのも、承知して
いる。
 エーデルシュタインの事も酷く警戒して、色々と画策していたのが無駄になったのは、
エリザベータを選んだルートヴィッヒに認識の甘さがある。
 めっきり腐女子と言われるカテゴリに属するようになった彼女は、私、菊をヴィッヒから、
奪う事にしましたから! と宣言した言葉に目を輝かせながら、私に出来る事なら何でも
しますね! と約束してくれたのだ。
 お陰で今。
 エーデルシュタインは、ルートヴィッヒが拗ねている間に、本田を迎え入れる事ができた。
 少しだけ、二人きりの時間を上げるのは。
 武士の情け。
 せいぜい菊の機嫌を損ねぬよう、上手く宥めてみせれば良い。
 ……不器用な貴方には、できっこないでしょうけどね?

 少々手に余るトランクを、二階の客間まで運び。
 ゆっくりと帰ってくれば、二人の間には案の定。
 微妙な空気が漂っている。
 「……菊? 紅茶にしますか。それともコーヒーに?」
 「……お構いなく」
 おやおや。
 ヴィッヒは、どんな間抜けなフォローをしたのだか。
 エーデルシュタインにまで、冷ややかな対応をする本田は珍しい。
 「そうもいきませんよ。貴方は私の大事なお客様ですもの。家主が接待しないのなら、私が
  しないとなりません」
 「ローデリヒっつ!」
 「困った人ですね。やっと長旅を終えて疲れている菊を前にして、大声なんか出さないで
  下さい」
 「ローデリヒさん、あの。本当に、お構いなく」
 「貴方と私の仲で、そんな遠慮をされても困ります。せっかく、貴方の為にザルツブルガー
  ノッケルンとシュツゥルーデルを焼きましたのに」
 ザルツブルガーノッケルンとは、ザルツブルグから見えるアルプス山脈を模したスフレ菓子
だ。
 今回は酸味がある赤すぐりのソースで食べて貰うつもりで、たっぷりと作ってある。
 シュツゥルーデルの方は、バターが主体の生地を薄く伸ばし、リンゴなどを巻いて焼き上げ
る菓子。
 トルコから伝わってたので、日本でも馴染み深いのだが、今日は中身をリンゴではなく、
チーズにしてあるので、一風変わった味を楽しんで貰えるだろう。
 「シュツゥルーデルは、クリームチーズを入れました。ツヴィンクリが、貴方が来た時に食べ
  させれば良いと、わざわざ私の所に持って来た物を使用しましたよ?」
 「バッシュさんが、私の為に?」
 沈んだ表情に、ぱっと光が差す。
 本田はツヴィンクリを、何故か尊敬している。
 そして付き合いの長い偏屈な幼馴染もまた、妹同様に本田を可愛がっていた。
 近く、本田が遊びに来る事を告げたなら、次の日に。
 これを使って菓子でも焼くがいい! と持って来た。
 
 「ええ。それもヴァシュラン・モン・ドールです。ですから、今日はデザートに合うワインも用意
  させましたよ」
 崩れやすく、扱いにくいチーズの美味さを本田は、よく知っているようだった。
 「わぁ……凄い……」
 菊の機嫌を浮上させるんだったら、美味しいスイーツ一つで大丈夫だってば! とルートヴィ
ッヒに対して口癖のように言ってみせるフェリシアーノは正しい。
 ルートヴィッヒとて、菓子作りの腕前はエーデルシュタイン以上なのだが、何しろ勧め下手。
 饗する前の雰囲気作りが苦手なのだ。
 テーブルセッティングも紅茶の淹れ方も、かのカークランド卿に学んでまで頑張っているの
だが。
 ルートヴィッヒは、彼に嫌われなくない一心になのだろうが、本田の気持ちを汲みすぎる。
 特に相手が本田であれば、お互い遠慮遠慮で話が進まない。
 彼には少し、強引なくらい態度がちょうど良いのだ。
 ツヴィンクリの鬼教官的な態度同様、エーデルシュタインの貴族的な上から目線に本田は
弱かった。
 「ふふふ。少しは機嫌が治りましたか、お馬鹿さん」
 伸ばした爪の先で、ちょんと鼻の天辺を突付けば。
 くしゃん、と表情を崩して情けなくも愛らしく笑った本田は。
 「すみません、ローデさん。ありがとうございます」
 鼻先から滑らせ差し伸べた手を、大人しく取って椅子に座る。
 怒りの余り拳を握り締め、無言で震えるルートヴィッヒをちらりと気にした本田は、しかし、
目を伏せてそれを無視すると、ワインを手に取った。
 「それでは、不肖。ワインは私がつがせて頂きますね? フランシスさんに教えて頂いて、
  少しは上手くなったんですよ」
 「貴方は私と違って器用ですからねぇ。何でもすぐに自分の物にしてしまえる。本当、羨ま
  しい限りですよ」
 「いえいえ! 私なんかまだまだ。フランさん。本当にワインを淹れるの上手なんですよ!
  ああ、あの方の場合それだけじゃないですけど」
 苦笑する本田に、派手な外見と大袈裟なくらいの態度の中に潜む、ボヌフォワの純情に
同情する。
 相手がルートヴィッヒであれば、勝てると踏んでいるのだろう。
 本田に本気らしいボヌフォワは、今だその爪を隠しつつ、まずは良い友人の位置をキープ
したらしい。
 彼らしいと思うが、本田相手にはストレートに話を持っていった方が良いと思う。
 まぁ、ボヌフォワの場合は普段の行いが行いなので、そうした態度を取らざる得なかったと
いうのが真実なのだろうが。
 「趣味のお仲間でも、食道楽友達でも構いませんけど。彼は恋愛上手です。お気をつけ
  なさい」
 「ふふ。フランさんにも言われました。ローデリヒには気をつけろよ? と」
 「おや。彼が私を? 誰と一緒にされても彼と一緒にされたくない……ボヌフォワは、そんな
  化身の一人ですよ」
 「あいつ、本気になると半端ねぇ色気で迫ってくるぞ。何せ、政略結婚の達人だからな、
  ですって」
 「また、古い話を持ち出して……ご自分の艶を棚に上げてよく言えたものです……ヴィッヒ! 
  貴方も何時までそんな所で立ってるんです? いい加減お座りなさい」
 どの口が! と睨み付けてきた目が、それを言葉にしなかったのは、偏に本田の存在故
だろう。
 苛々と椅子を引き、しかし、静かに本田の隣に座る。
 一瞬だけ走ったぴりりとした緊張感はすぐに霧散するが、この二人。
 付け入る隙があり過ぎて困ったものだ。
 本田のこちらとは違う、しかし洗練された所作で淹れられるワインを眺めながら微笑を
浮かべ、ゆっくりと策略を巡らせる。
 
 エーデルシュタイン一人で、二人の関係を崩しにかかっても壊せるだろうが、誰かの協力
を得た方が早いのは確かだ。

 ちょうど、ボヌフォワの話が出た所で、彼と手を組むことを考えた。
 恋人の趣味仲間と言う特殊な地位を獲得しつつあるボヌフォワとの距離を、ルートヴィッヒは掴みかねている。
最終的に本田を共用する旨を伝えればボヌフォワは、ルートヴィッヒを押し倒すことも躊躇わないだろう。
彼は自分が一度抱え込んだものに対しては、案外と甘く、歪んだ執着を持つ。
カークランドに対する態度を見れば、それは一目瞭然という物。
ルートヴィッヒを苦手だと公言しながらも、その瞳は良からぬものを孕んで怪しく輝いている。
敵に回すと面倒なタイプだが、共闘するには適した相手だとも言えた。
ワイングラスをくゆらしているだけだったのだが、短からぬ時間を共に過ごしてきたルートヴィッヒは、エーデルシュタインが何か良からぬ思い付きをしたのに気がついたようだ。
「何を、考えているんだ。ローデリヒ」
低い声で威嚇した後は、胡乱げな眼差しでエーデルシュタインの様子を伺っている。
あまりにも露骨な態度に、気が付いた本田が仲介を買って出ようとするのを抑える為に、ワイングラスを置いた。
 「今日の夕食の事ですよ。貴方が色々と準備しているのは知ってますけど。せっかくだから、菊にも何か作って貰って。皆で食事をするのも楽しそうだ、と思ったのです。菊。エリザに会うのは久しぶりでしょう?」
 「……っつえぇ! そうですね。はい、久しぶりにお会いしたいです」
 エリザベータが、趣味のイベントを楽しむため頻繁に日本を訪れているのは知っている。
 が。
 彼女は、本田に。
 自分の趣味が恥ずかしいから、エーデルシュタインには内緒にしてくれと、言っているのだ。
 案の定、その手の嘘を吐くのに慣れない本田は、可愛らしい動揺を見せる。
 そんな愛らしい本田の様子に、ルートヴィッヒの理性の音が切れてしまったらしい。
 「……いい加減にしろ! これ以上、俺と菊の邪魔をするな」
 「え! はいぃっつ! ルトさっつ。ルートさんっつ!」
 なんと、ルートヴィッヒは本田の手首をぎゅうと掴んで、足音も荒々しく部屋を出て行ってしまう。
 「全く、若いですねぇ、ヴィッヒ」
 エーデルシュタインは、くすくすと気分良く笑いながら本田が淹れてくれたワインを飲み干す。
 貴族にとってワインは、水のようなもの。
 幾らでも、美味しく頂ける。
 もしてや、用意されたのはルートヴィッヒが、本田の為にと用意したのはドイツでは珍しい赤ワイン。
 ディーンハイマー シュロス。
 値段こそ安価だが、口当たりが良く渋みが少ない。
 甘みが強くフルーティーな味は、本田の好みにもぴたりとあっている。
 ルートヴィッヒは、本田を溺愛していることもあって、彼を喜ばせる努力は日々惜しまない。
 微妙に、本田に通じていないところは、お互いが生真面目すぎる正確なのと、恋愛に不得手な性質だからだろう。
 「本当に、付け込む隙がありますよ? お馬鹿さん達」
 政略結婚を繰り返し、生きながらえてきたエーデルシュタインにとって、恋愛とは。
愛のない結婚を、心穏やかに過ごすためのアイテムでしかなかった。
 「ああ、そうだ。どうせなら、トーニョにも噛んで貰いましょうか。あの方は、生粋のペドですし。菊はお気に入りでしたものね」
 どうせなら、恋愛せーへん? 
 短く終わっても、痛みより甘さを覚えてたいやろ。
 笑ってそう言ったカリエドの言葉が、ここまで己を呪縛すると思わなかったが別に、後悔はない。
 お陰で、結婚離婚を繰り返しても、心の負担は少なかったのだから。
 「トーニョもフランシスも恋愛に長けた床上手ですから、菊を身体で陥落できるでしょうし」
 それは、恐らくエーデルシュタインにはできない事。
 「そうして陥落した菊の、私は心を貰いましょう」
 だから、エーデルシュタインは自分で、できる事を、する。
 「さぁ。ワインは飲み干して、ケーキは仕舞っておきましょう」
 そうして、頃合を見計らって、ルートヴィッヒが本田を連れ込んでいる部屋をノックすれば良い。
 「菊は、出てきてくれますかねぇ」
 涙を浮かべているかもしれない。
 蕩けた瞳をしているかもしれない。
 混乱を極めているのは、間違いないはずだ。
 「出てきてくれたなら、菊。私は、貴方を絡めとりますよ?」
 ルートヴィッヒから、もし。
 本田を完全に奪えたその時は、少しだけ。
 エーデルシュタインの胸が、痛むのかもしれない。

 

                   
                                                  
END
                    



 *真っ黒い墺さんは、楽しいです。
  ゲルマンサンドに、この人を増加したい今日この頃。
  悪友トリオに混ぜても美味しい……。
  パスタサンドに入れてもいいなぁ。
  や、単独でもいいんですけどね。
  その中でも最強のキャラで居て欲しいと思います。2010/05/04





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