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 火酒(ウォッカ)


 からん、と。
 静かでなければ聞こえなかっただろう響きは。
 氷がグラスの中で崩れる音。
 「……大佐?」
 眠い眼を擦りながら、音のする方向を見やる。
 仄暗い月明かりの下、窓辺に腰をかけて、ぼんやりと空を見つめる大佐の手の中。
 グラスが、鈍く月の光を反射した。
 「ん?ああ、起こしたか。悪い、な」
 抱かれた後特有の、色艶をまといながら羽織ったシャツは俺のパジャマの上着。
 ボタンはヒトツも止められておらず、露な肌には俺がつけたキスマークが幾つも見える。
 ナニが勃起しそうな、萌シチュエーションて奴だけども。
 なかなかどうして。
 俺を思っての酒じゃないのを、知ってるから。
 下半身はおとなしい。
 素っ裸で二三歩の距離を縮めて後ろから、ぎゅっと抱き締める。
 顔を埋めた肩口からは、煙草の香り。
 俺からの移り香。
 髪の毛を指で掬って、無防備な項に唇をあてながら、掌が握るグラスを取り上げる。
 「飲むな、とはいいませんがね?こんな夜中にすきっ腹で、飲むなと。何度も言ってるでしょうが。しかも
  ロックときた日には、胃も肝臓もおかしくしちまいますぜ」
 ロシアを代表するアルコール度数40パーセントの無色の蒸留酒。
 火酒。
 ウォッカ。
 焔の錬金術師という二つ名を持つ大佐には、相応しい酒といえるだろう。
 「……大丈夫だろう、この程度」

俺の手からグラスを取ろうとするので、そのままグラスを大佐の手の届かないテーブルの上に置く。
 「自分の酒量をご存知ですか?そんなに強くないんだって。自覚してくれないと困りますよ」
 上司とのお付き合いでも、部下へのねぎらいでも。
 それなりに量をこなして見せるのは一重にそのプライド故。
 付き合いが悪いと、言われたくないからだ。
 実際のところ、ビールをグラスに二、三杯が楽しく飲める量の人間にウォッカのロックはきつすぎだ。
 ましてやこんな時間に、飲むには条件も悪い。
 「好き、なんだけどな」
 強いアルコールの香りを好んだのは、今は亡き中佐。
 『これを飲まないと酒を飲んだ気にならないんだよなー』
 と。
 俺と同じ程度。
 つまりはザルを言われる酒量を楽しめる中佐が、何時だったか言っていたことがあった。
 付き合いのビールをジョッキで重ねた後に、つらつらと顔色も変えずに飲んでいたのは、まだ記憶に鮮
明だ。
 「好きでも。得意じゃないんですから……眠れないなら、子守唄でも唄ったげます」
 「音痴のセリフじゃないだろう」
 「だー!!そりゃあ、時々音は外しますけどね。音痴までは言われたくないっす」
 「剥きになるな……」
 俺の首に絡まった指先に釣られて、頬を寄せれば首を曲げられて、口付けが届く。
 濃厚に香る、好きな酒と、それより大好きで、大切な人のやわらかなしっとりとした唇は、すぐさま俺を夢
中にさせる。
 「……んんっつ」

 
鼻にかかった声は、甘えられているようで嬉しい。
 「本当、飲みすぎです」
 ちゅっと舌を噛んで唇を離す。
 抱き締めた身体は微熱を帯びて、心臓がとくとくと早鐘のリズムで鳴っている。
 「これ以上酔いたいというなら、酒じゃなくって。俺にしてください」
 ウォッカの香り程度で酔いはしないが、大佐には酔う。
 いつでもめろめろだ。
 こっ恥ずかしいセリフも、二人きりの時なら、つるっと口から滑って出るってもんだ。
 「それも、悪くないがな……身体が、なあ」
 しみじみと腰を摩る辺りは何とも年寄り臭くて笑えるが、酒と俺のセリフの馬鹿馬鹿しさに幾分か、
気分が浮上しているのがわかった。
 「じゃあ、横抱きで。ロイが寝付くまで、よしよしモードにしましょ」
 抱え込めばちょうど腕の中、すっぽりと収まるベストサイズ。
 背中を丸めて、俺の胸元縋りつく大佐の背中を幾度も幾度も撫ぜる。
 魘されて飛び起きた大佐をあやして、寝かしつけるのはお手の物。
 俺の掌で癒されるのに慣れた大佐は、結構荒んだ心境にあってでも、何時の間にか寝息を立て
始めるのだ。
 「わかった。寝ると、しようか」
 よろっと足元の覚束ない大佐の体を支えるようにして、ベッドまで連れて行く。
 片づけをしようと離れた俺より一足先に、毛布の下に潜った大佐は俺が先ほどまで寝ていた場
所に身体を落ち着けて、一人、ん、と頷いた。
 ボトルをサイドボードに入れて、アイスボックスとグラスは流しに置く。
 ベッドを見やれば、大佐が毛布を持ち上げて、ぱんぱんとシーツを叩いている。
 寒いから、早くこい!ってお誘い。
 にやける口元を顎を摩る仕種でごまかして、俺ようにと空けられた場所に、横になった。

 広げた腕の中、胸の辺りを大佐の髪の毛がくすぐる。
 腰を拾って引き上げれば、ウオッカ味の口付けがふわっと、届く。
 そのまま、もう一戦!と気合の入ってしまった息子に溜息をつきながら、ゆっくりと大佐の背中
を撫ぜてやれば。
 「んう?」
 可愛らしいとしか表現し様がない、鼻にかかった声が俺の口元で解けてゆく。
 時折とんとんと、叩くリズムを混ぜながら、繰り返し繰り返し背中を擦った。
 「……ハボ……」
 俺の名を嬉しそうに呼んだ大佐の身体から、すうっと力が抜けた。
 「ロイ?」
 すうすうとやわらかな寝息が、口の端から零れ始めれば、もう大丈夫。
 俺の至福を煽ってくれる、穏やかな寝顔。
 「酒なんか飲まなくても、いつでも俺が寝かせてあげるんですよ?」
 ヒューズ中佐を思い出して眠れなくなったから、更にその想い出に浸ろうとしたのだろうけれど。
 「貴方の側にいるのは、俺なんだから」
 やっぱり想い出よりも、今を見て欲しいと思う。
 まだ、昔に浸るには早すぎるのだから。
 「ウオッカの香りで、ヒューズ中佐じゃなくて、俺を思い起こすようになってくださいね」
 貴方の野望が叶ったならば二人。
 酒を酌み交わしながら、ヒューズ中佐思う。
 そんな風になれればいい。
 「……大好きです」
 告白に、大佐が微かに笑んだような気がしたのは気のせいだろうか。
 俺は自分が何時の間にか寝入ってしまうまでずっと、大佐の背中を擦り続けた。




                                        END
                        



 *ハボック×ロイ
  蓋を開けてみれば、甘ったるい話になってしまいました。
  ロイ視点で書くともそっとヒューズ思慕が強い話になったかもしれません。
  しかし、自分ベッドの中がラストって多いよなあ(苦笑)





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