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 正気と狂気は紙一重なのだと、こんな彼を見ていると思い知らされた。
 自分がその傷をつけたのだという自覚もないままに、ゆっくりと舌が這う。
 猫が傷を嘗めて癒すように、丹念に。
 必死の形相で。
 「とまらない、よ。レイ」

 「もう時機止まるよ。大した傷ではない」
 「嘘だ。止まらない!どうしてっつ!私には治癒の錬金術の技など、ないというのに。誰か!
  助けてっつ!少尉っつ!ハボック少尉っつ」
 ……今度は、そうきてしまったか。
 私の姉、ラストに胸を貫かれた結果。
 下半身付随になってしまった、ハボック少尉が倒れた場面がフラッシュバックしているのだ
ろう。
 彼も、ロイの中にいた大切な存在の一人。
 「やあ!ハボっつ!はぼぉ……どうして……どうして、皆私を置いて逝くんだぁ」
 ぼろぼろぼろぼろと涙腺が壊れたように、透明な雫を零し続ける虚ろな瞳はまた、私を映さ
なくなった。
 彼の瞳には、血塗れになったハボック少尉しか見えていない。
 「逝かないで……私を、置いて……逝かないでぇ」
 えっくえっくと喉を詰まらせて子供のように泣き喚くロイの身体を深く穿ち揺さ振り上げながら、
顔中に口付けを降らせる。
 「ロイ?私はここに、いるよ?置いて逝かないから。私は君を置いて逝かないから。ほら、
  私を見なさい」
 「ふああ……ああっつんん…や!やああ…駄目…イかない……いかないで」
 「私は逝けないんだ。君より先には絶対」
 人工生命体である私の身体は、年をとるように作られてはいても、死ぬようにはできていな
い。
 父が、由とするまでは。
 老いさらばえた身体を引き摺っていつまでも、生き続けなければならないのだ。
 永遠を。
 兄、姉達と共に。
 「だから、安心なさい」
 ヒューズ准将を死に至らしめ、ハボック少尉を退役にさせて、彼を極限まで追い込めば、
禁域へ踏み込むと思ったのだが。
 彼は、人体錬成ができる知識と技術を持ちえていながらも、実行する前に、壊れてしまっ
た。
 残念ながら、人柱にはならなかったが。
 今は大人しく、私の腕の中従順に眠る猫になった。
 兄姉達は眉を顰めたけれど、私は昔から私より弱い者が欲しかったのでちょうどいい。
 例えばそれは、弟とか妹とか。
 本当は、そういったものが近いのだろうけれど。
 私だけを見て、私だけに懐く存在ならば、何でもいいのだ。
 傍から見て、どんなにか壊れた関係だとしても。
 「死なない?れいは、ろいを置いて逝かない?」
 「君が望むのならば、一緒に連れて行ってあげるから」
 「うん」
 お気に入りの玩具を与えられた幼子じみて無防備に微笑む、彼の瞳が再び私を認識す
る。
 「良かった……一緒に、イこうね」
 「そうだな。一緒にいこう」
 それはきっと叶わぬ夢。
 精神を病んでしまった君が、私と同じ長い時を生きられるとは思えない。
 「れい」
 「何だね?」
 「……っと、して」
 「ん?続きかね」
 「そう。たくさん、して」
 「……そうだね。いっぱいしよう。もう、先にイっては駄目だよ?」
 「一緒、ね?頑張る」
 ん、と不意に真面目な顔をして、私の首にしがみついてくる。
 かたくななくらいに生真面目だった昔の面影がこんな時に顔を出して苦笑を誘われた。
 「私も頑張るよ」
 額に唇を寄せて、そのまま唇を塞ぐ。
 甘い悲鳴は、口内に溢れて留まる。
 『れい、れいっつ』
 と必死に呼ぶのが、振動でわかった。
 舌を絡めながら、ロイ、と囁けば。
 眦がやわらかく緩む。
 
 胸の内で、甘いような、暖かいような、やわらかなような。
 おおよそ私に似つかわしくはない感情が膨れ上がる。
 彼を抱き締めている僅かな時間に、胸を覆い尽くしてしまう激しくも穏やかな感情を。

 愛と、呼んでもいいのだろうか?




                                                     END



                          
 *ブラドレイ×ロイ
  この二人の場合、どうにもほのぼのには遠い。
  ロイが壊れてれば、なんとなしに幸せになれる気もしないでもないのですが。
  今の所続編は書くつもりはないですけど、最後の最後で完全に正気に返ったロイ
  にブラッドレイを否定する言葉を言わせてみたい。そして絶命したロイを抱えて初
  めて、涙を流すブラッドレイ……書きたくなってきたぞ!(苦笑)

                                 
                                         

                 
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