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 粉雪

                                              
 何時までも続けられる関係ではないとわかっていて、もう何年この人と抱き合っているのだろ
うか。

 「どうしたんだい、ロイ君。そんな格好で窓辺にいると風邪を引くよ。今東部は忙しいと聞いて
  いる。倒れている時間なんて、ないのだろう?」
 先刻まで穏やかな寝息をたてていたというのに、起こしてしまったのだろうか?
 「そういう、貴方こそ。風邪をひきますよ」
 鋼のとは似ても似つかない、がっしりとした体躯。
 軍属でもないのに、鍛えぬかれた身体は、一体何の為か。
 考えたくもない。
 「話しただろう?私の身体は風邪をひくようにはできていない」
 首筋に、冷気に晒された私の身体よりなおも冷たい唇が届く。
 「死ぬようにも、殺されるようにも、できていない?」
 「ああ、そうだよ。君は、その身を以って知っているだろう?」
 返事の代わりに、私は瞳を伏せた。

 ホーエンハイムがホムンクルスだと知ったのは、ヒューズが死んですぐ。
 本人に、自分はホムンクルス達を総べる父親のようなものだと、告げられた。
 こんなにも近くに、ヒューズの敵がいたのかと、目の裏が怒りで真っ赤に染まったのを覚え
ている。
 私は、誰よりこの錬金術師を尊敬していたから、憎しみは、己でも制御できる生ぬるいもの
ではなかった。
 ポケットに入れていた発火布を今だ嘗てない素早さで装着し、すぐさま指を擦り合わせた。
 数秒の早業だったはず。
 ホーエンハイムの身体は、全身炎に包まれた。
 普通の人間だったのならば、瞬きの間もなく煤すら残らないというのに、ホーエンハイムの
身体には、火傷の跡一つなかった。

 『この程度で、私が殺せると思ったのかね?』
 穏やかに微笑みながら、私に近付いてきて、そのまま抱きすくめられた。
 微かに、何かが焦げた匂いが鼻をつく。
 『だったら、幾度でも、貴方が死ぬまで殺して差し上げますよ』
 私とて国家錬金術師だ。
 不死の可能性をきっと誰よりも信じて疑わない職業についている。
 目の前の人が、ホムンクルスが。
 もしかしたら、死なない存在なのかもしれないと、思わないでもない。
 だからといって、殺す以外に、どうやって自分の感情と折り合いをつければいいというのだ?
 直接手を下すより、もっと性質の悪いやり方で、私からヒューズを奪っていた相手に、私は
……抱かれたのだ。
 『そうでなければ、私は生きていられない』
 ヒューズのように大切だったわけじゃないけれど、敬愛したいたのだ、心の底から。
 鋼のとアルフォンス君の父親だと、知っていながらも抱かれるくらいに。
 『どうして、今、貴方が教えてくれるのか、わからない』
 何故私を抱く前に言ってくれなかったのか。
 親友の仇を討つどころか、手なずけられる様が、滑稽だったせいなのか。
 『……隠しているのが、嫌になったんだよ』
 発火布に唇が寄せられると、信じられないことに、発火布から錬成陣が綺麗さっぱり消え
失せた。
 水に強い特殊なインクを使っている、そう簡単に消せるはずはないはずなのに。
 私は、抵抗する手段を奪われて、愕然とホーエンハイムを見上げれば、優しい唇が、私
の額に触れてくる。
 『思いがけもせず、君がイトオシクなってしまって……』
 大きな掌で頬が包み込まれた。
 『許される、はずもないのに……愛して、しまったから』
 唇が、塞がれる。


 それだけなのに、私は、完全に抵抗する手段を奪われてしまった。
 自分も同じ感情を擁いている事に、遠の昔に気がついていたから。

 「君を失って、一人永遠を生なければならないのが、私への罰だ。それがどの程のモノか、実
  感できなくとも、想像はつくだろう?」
 窓辺に長く立っていた私の身体よりも、尚冷たい腕と身体が私を強く抱き締めてくれる。
 私の熱を伝えることでしか、暖まれない、その身体。
 触れ合った個所だけが、じんわりと暖かいのは、私の僅かな身体熱が伝わったが故の錯覚。
 その、熱を分け与える私の身体がなくなってしまったら、この人は永遠に凍えることになるの
だろう。
 長く生きてきて、私が、初めて見つけた慈しめる人間だったのだと、穏やかに微笑んだ、
ホーエンハイム。
 『鋼のとアルフォンス君の母親であるトリシャさんは慈しめなかったのですか?』 
 と、聞いたら。
 『彼女は共犯者のようなものだったから。慈しめはしなかったね』
 と、返ってきた。
 人でない体が、人を孕ます事ができるかの、実験だったそうだ。
 トリシャさんは、不治の病を患っていて、子供を孕む代わりにその病を治して、共に永くを生
きる約束をしていたということで。
 『約束を果たせなかったのは無念だったよ』
 と、鋼のやアルフォンス君には決して教えられない、多分本当の闇を包み隠さず教えてくれた。
 一度、熱を覚えてしまった身体は、そうそう忘れられない。
 そしてきっと、失ってしまった熱だけを思って焦がれるのだ。
 狂うほど。
 「ヒューズ准将の仇を果たせない君への罰は、敵である私を殺せずに愛してしまった事。
  その罪悪感は、死ぬまで君を縛るだろう?」
 「……そうですね」
 頭を抱え込むようにしていた腕が、すっと私の腰のラインを滑った。
 それだけの仕種で、身体の中から新たなる熱が掘り起こされてゆく。
 「お互いの罪は確定している。罪を孕んだままで生きてゆくぐらいは、できるさ……二人で居
  るならば」
 「ええ」
 唇が、項をちゅっと吸い上げる。
 それだけで下肢にはダイレクトに熱が篭もって、我ながら浅ましい身体に溜息が零れた。
 私は、もう。
 この人を手放せない。
 すまん、ヒューズ。
 仇も討てない親友で。
 敵に抱かれて喘ぐ、無様な人間で。
 せめて、愛しい相手の息子であるブラッドレイ大総統は殺すから。
 私が生きてある間。
 ホムンクルスの野望は阻止して見せるから。
 この人と、好きでいることだけは……許して欲しい。
 
                               


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