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 灰色


 「……ここまでで、いいぞ。少尉」
 死にかけていたドクター・マルコーの最後の医術によって全開した少尉は、合いも変わらず公
私の運転手を買って出ている。
 軍用車の後ろに山と積まれた食材の紙袋を、軽々と抱えた腕から、紙袋を奪い取とろうと苦心
するが。
 「部屋まで送りますよ。あんたじゃ、一遍には無理です」
 額を指先で押されてままならない。
 「でも……」
 「……アルフォンスが妬くって?妬かせておきなさい。私生活のあんたを独占しているんだから」
 軍にいる時は、司令部の皆の大佐ですけど。
 部屋に戻ったら、僕だけのロイでいてくださいね?
 私を悠々と見下ろしながら、額に口付けてそんな約束事を取り付けたがる、アルフォンス君は、
まだまだ幼い。
 「私が、そうしたいんだ!」
 「知ってます。じゃなきゃあ。大将と一緒になって、引き離しにかかってますよ」
 ふう、と肩で息をした少尉の唇が、額に軽く触れてくる。
 「よせっつ!ハボ」
 「あんだけ大将に責められて。俺にお預け食わせて……アルフォンス君を不安にさせて……
  それでも、彼がいいなんて、終わってますね。まあ、俺も?終わってるあんたが、好きでしょ
  うもない困った人間ですがね」
 「……仕事をする、私を知らない人間なら、誰でも。いいんだ」
 血塗れで、悪臭がする私を知らなければ、それで。
 「誰でも、いいわけないじゃないです。あんた、ホント。素直じゃない」
 傘だけを私に差し出して、自分は濡れながら玄関に走りこみドアに手をかけると。
 きいっ。
 内側から扉が開いた。
 「いつもご苦労様です。ハボック少尉」

深々と頭を下げながら荷物を受け取ろうと両腕を差し出す。
 「いんや。好きでやってることさ。そう、ご苦労でもねーって。中まで入れるぜ?」
 「これぐらいの荷物、大丈夫ですよ?」
 両手首に二つづつひっかけて、脇に抱え込むようにして持っているどでかい紙袋の、きっちり
半分を渡して、少尉は首を振る。
 「これの片付けと、大佐のお守りは同時にできんだろう」
 「誰のお守りだ!」
 片足で、だんだんと石畳を叩く。
 ぽたっと額から雨の雫が伝い落ちる。
 「そうですね……申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
 「どうして、君までっつ!」
 掴もうとした腕はするりと交わされて、代わりに頭をさらっと撫ぜられた。
 「濡れてますよ、髪の毛。風邪をひきますから。それにハボック少尉にねぎらいのお茶くらい
  お出ししないと、失礼でしょう?」
 「う……」
 「本当、どっちが年下だかわかりませんねぇ」
 肩を竦めて見せる少尉に。
 「うるさいっつ!」
 と噛み付けば。
 頭から滑らせた指先で、私の首筋を軽々と拘束して、抱き寄せてたアルは。
 「先に部屋に入って、髪の毛を拭いてください」
 そのまま先へ行けと促す。
 
 ……もしかしたら、先ほどの額への口付けを見られたのかもしれない。
 私に接する態度が、普段の数割増冷たい。
 不可抗力とはいえ、キスをされたのは事実。逃げ切れなかった私に否はある。
 大人しく玄関をくぐった私は、用意周到に玄関マットの隣りに置かれたバスタオルを手に
とった。

 「少尉は、何を飲まれますか?コーヒーでよければすぐに。ブランデーとか、お酒も用意でき
  ますけど」
 真新しいバスタオルを少尉に差し出しながら、アルフォンス君が尋ねている。
 「え!飲んでいいんすか?」
 が、確認は私に向けられた。
 大きな尻尾をぶんぶん振ってご褒美を待つ犬に良く似た、伺い振りをされてしまうと邪険には
できない。
 「好きにしろ。雨も酷いようだしな。帰るのが面倒臭いようなら泊まっていってもかまわんぞ?」
 「やー。そこまではさすがに。お邪魔っしょ?ゆっくり一杯頂いたら帰りますよ」
 がしがしと頭を乱暴に拭くので、水滴がテーブルの上に飛ぶ。
 それを見た微か、アルフォンス君の表情が曇った。
 コーヒーに水が入ると不衛生とか考えているんだろうな、きっと。
 その証拠に、私のマグカップが飛沫の届かない場所まですっと動かされた。
 「どうぞ」
 ブランデーグラスに少量が注がれて、少尉の手の位置にぴたりと置かれる。
 「ども」
 高級酒は飲みなれないんですよねーと、笑いながら、手馴れた仕種でゆっくりとグラスをく
ゆらせる。
 鼻をくすぐるやわらかな芳香が、ふわりと立ち上った。
 「大佐も飲まれますか?」
 思わず目を細めれば、ブランデーグラスがもう一つテーブルの上に置かれる。
 「いや。私はコーヒーがあるから」
 「あ、飲ませない方がいいと思う。飯食ってないっすよね?確か」
 「ハボっつ!」
 どうして、こいつはこう、余計なことを!


 「そうなんですか?じゃあ、スープの方がいいですね。具だくさんのミネストローネ。好きで
  しょう。これなら飲めますね」
 ことことと長時間煮込んだミネストローネは、口の中に入れると野菜の塊がほろほろと崩れ
てトマトの酸味が強い。
 その酸味が食欲をそそり、ついつい食べ過ぎてしまう逸品だ。
 身体も温まるので、今頂くのは一石二鳥なのだけれど。
 「君は、夕食はすませたのかな?」
 「いえ、まだです」
 こちらが、約束があるので食事はいらないと連絡するまで、絶対に食べず、帰宅が深夜を
回っても待っているのだ。
 聞くまでもなかった。
 「……じゃあ、君も一緒に……」
 「少尉も召し上がりますか?あーでもお酒のつまみにはちょっと向きませんね」
 ……無視されてしまった。
 アルフォンス君は、私以外の人前で食事をするのを好まない。
 鎧で過ごした時間が長いので、自分のテーブルマナーに自信がないというのだが。

                         

   

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