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 悲しい唄を歌う


 
遠くで、泣き声がする。
 
 「パパっつ!パパぁ?」
 「……エリシア良い子だから、泣かないで……泣かないでエリシア」
 少女と女性が二人、深い悲しみに沈んでいるのを見逃せる私ではない。
 ましてやそれが、亡くなった親友の愛妻と愛娘ならば、尚の事。
 「エリシア、どうした?ママが泣いてるよ」
 こんこんとノックをして返事を待たずに、ドアを開ける。
 「ロイ!ロイっつ!パパがね。帰ってきてくれないの……エリシアね……良い子にして、ずっ
  と待ってるのに。ずうっと待ってるのに!!」
 グレイシアのやわらかな抱擁から抜け出して、私の膝頭に必死にしがみついてくるエリシア
の身体を抱き抱えた。
 「パパは……とても遠い所に言ってしまったからね。帰っては、これないんだよ」
 私の言葉を聞いて、グレイシアが口元を抑えて嗚咽を漏らす。
 「エリシア。パパに会いたい?」
 「うん。会いたい!パパに会いたいよぅ」
 真っ赤に泣きはらした目は、一人を淋しがる子兎のようだ。
 「そうか。じゃあね。私がお歌を唄ってあげよう。ちゃんと全部聞いたら、パパに会えるよ」
 「本当に!」
 「私が嘘を言った事があったかな?」
 「……ない」
 「じゃあ、お布団に入って……グレイシア少しだけ詰めていただけますか?」
 こくんと頷いて、ベッドの縁私が座れるだけのスペースが空けられた。
 エリシアが、グレイシアの側横になったのを見計らって、幼い肌に優しい毛布を襟元まで引
き上げる。
 「エリシアが最後までお歌を聞けたらね。パパがぎゅって抱っこしにきてくれるから。目を
  瞑って、聞いていなさい?」
 「はあい」

 従順に閉じられた瞼の上に、私は触れるだけの口付けを落とす。
 ヒューズが私によくしてくれた、欲の欠片も見出せない。
 ただ、愛しい者へ捧げる慈しみのそれ。
 私は、軽く息を吸って、歌を唄い始める。
 本来のリズムよりもずっとずっとスローなテンポで。
 言い聞かせるように。
 「きよき岸辺に やがて着きて 天(あま)つみくにに ついに昇らん」
 賛美歌 488番 永生 天国
 ヒューズは勿論。
 グレイシアもエリシアもきっと行けるだろう。
 死んだ先に存在するという争いの無い国に。
 私だけは絶対に行けないだろう。
 神の愛は、信じる者に等しく降り注がれるというが。
 そうでもない。
 私は『神』という存在を信じられないから、強く否定もできないのだけれど。
 信心深いというほどでもないが、ヒューズはよく、神に祈っていた。
 愛しい妻や娘やその他諸々の。
 そして、私もの幸せを。
 祈っていたのに。
 誰よりも早く召されてしまっただろう?
 自分の幸せを祈らなかったせいかもしれない。
 何時だって、お前が幸せならそれでいいと。
 心の底から言って、笑えるお前だったから。
 そんな所が、神に愛されて、連れて行かれてしまったのかもしれない。
 「その日数えて 玉のみかどに 友もうからも 我を待つらん」
 独特の表現。
 人を魅了する旋律。
 繰り返し紡がれる神への賛歌を、誰より愛しい人への思いに摩り替えて、歌う。
 エリシアの頭をゆっくりと撫ぜ、時折やわらかな頬に触れて。
 きっとヒューズがしたように、ただ甘やかす色だけを声に乗せて。
 囁くように。
 「やがて会いなん 愛(め)でしものと やがてあいなん」
 君ならば、きっと会えるよ。
 エリシア。
 まだ純粋な心しか持たない君は、私の言葉を信じて。
 夢の中。
 天の国に、きっと近い場所で。
 パパはきっと大喜びで、君を抱き締めてくれる。
 君もお髭でじょりじょりされて『痛いよ!』って言いながら、それでもパパの腕の中で喜びに
満ち溢れた微笑を浮かべるだろう。
 「やがて会いなん 愛(め)でしものと やがてあいなん」
 娘である君と妻であるグレイシアに許された、特権。
 ヒューズの腕の中。
 ゆるく、ゆるく抱き締められて微笑むことができるのは。

 私は、駄目だ。
 私だけは、駄目だ。
 君達二人を謀って、ずっとヒューズに抱かれていた。
 これは咎なのかもしれない。

 涙が頬を伝う。
 声は掠れたりしなかった。
 嗚咽を零すわけにはいかない。
 せっかく寝付いたエリシアを、起こしてしまうから。
 すうすうと穏やかな寝顔を晒す、いたいけな少女はきっと。
 大好きなパパに会えただろう。

 夢の、中で。

 「……ごめんなさい。ロイ」
 繊細で優しい、ヒューズが何よりも慈しんだ指先が私の涙を掬う。
 「私なんかより、ずっと……貴方の方が辛いのに…」
 貴方に縋って、ごめんなさい。
 と、囁いてゆっくりと上げられた瞳は、真っ直ぐに私を見詰めてくる。
 同じように涙を零しているグレイシアの目は、真っ赤に濡れていた。
 悲しい赤は、私の中に禁忌を思い起こさせて、困る。
 「妻である、君の方が辛いよ」
 そっと背中に掌をあてれば、そのまま倒れ込んできた額が、とすっつと肩口に埋められた。
 「まだ幼いエリシアを育てなければいけないのだから」
 常日頃は、エリシアを悲しませないように、努めて明るく振舞っているだろう、華奢な身体は
小刻みに震えている。
 頼りがいのある夫を失った、グレイシアはどれほど心細い思いをしているのかなんて、想像
がつきすぎた。
 「……貴女も、寝なさい?唄を……歌って上げるから。グレイシア。貴女もきっと、マースに
  会えるはずだ…」
 縋る抱擁が一線を越えない内に、グレイシアを蒲団の中へ促す。
 まるでエリシアのように、幼い風情でこくんと頷いた彼女は、それでも母親らしくエリシアを
起こさないように、その隣にそっと身を横たえた。
 短くて、やわらかな髪の毛をそっと撫ぜながら。
 私は同じ賛美歌を繰り返す。
 ゆっくりと、涙を落ちるにまかせたままで。
 三度同じフレーズを唄い切った頃に。
 グレイシアの寝息も、穏やかになった。

 夢で、久しぶりにヒューズの腕の温もりを、感じているだろう。
 きっと。
 私は二人の眠りを妨げないように、身体を起こした。
 椅子の上に掛けてある上着を着てしまえば、すぐに帰れる状態だ。
 近くには行きつけのホテルもある。
 今夜はそこへ行こう。
 ヒューズの夢を見て起きた二人が、少しでも長く夢の世界に浸っていられるように。
 間違いなくヒューズの死を思い起こさせる私は、姿を消していた方がいい。

 寝室の扉を閉めて、階段を降りて玄関から出る寸前に。
 ずっと賛美歌を口ずさんでいた事に気が付いた。
 何度唄っても、私だけは夢の中。
 ヒューズに会えるはずはないというのに。

 無意識に、唄っていた。

 自分にとっては、ただ……悲しいだけの、唄を。




                                               END




 *はたして讃美歌集を買ってまで、賛美歌を使う必要があったのかどうかは、さておき。
  悲しい唄=賛美歌のイメージを使いたかったので、本人は満足です。
  生きていても二人はヒューズに会えますが、ロイは死なないと会えない。
  それが、二人を裏切っていたロイへの罰……ってな事を書きたかったんですが(苦笑)
  だとすると、ヒューズの罰は死。
  浮気ぐらいで、死が罰則なんて重過ぎる気もします。さすがに。





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