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 昔語り


 「約束を守ったぞ、ヒューズ」
 お前を失ってから、胸に埋めようもない空虚を抱えながら、何とか果たした誓い。
 私、ロイ・マスタングは、本日付で大総統閣下と呼ばれる身分になった。

 未亡人となって久しいグレイシアに、本日のためだけに貰ってあったお前の写真を、フォトフ
レームに飾る。
 写真の前には、お前が大好きだった、ウオッカの入ったグラスを。
 私の手元にも同じモノを用意して、かちん、と。グラスをあてる。
 溶け崩れた氷が、かららんと酒に塗れて空回るのを眺めて、私はグラスの半分ほどを一息
で飲み干す。
 もし、お前が生きていたのならば、写真のように笑顔で私を見つめ、きつく抱き締めて、走り
続けた私を、労ってくれただろうか。
 「……もう、疲れたなあ」
 大総統になるのが、己の夢で、ヒューズとの約束だった。
 が、元々は罪の無い人間を、上層部の尺度で殺さねばならない軍部のシステムが嫌で。
 理不尽な殺しを強いられるのが、耐え切れず。
 どんな命令にも従って、己の誇りを自ら踏みにじるしかできない、そんな自分が許せなかっ
たのだ。
 大将という地位を得た時点で、軍紀を徹底的に叩き直した。
 元帥になった時には、法律にも手を出した。
 大総統と呼ばれた本日。
 軍組織を解体した。
 もう、私がいなくとも、皆等しく平和な生活が送れるだろう、治安は保っている。
 飛び抜けた天才か狂人でもでない限り、軍が国を動かすことはもう、ないだろう。
 国の象徴でしかなくなった大総統という地位は世襲制でもなく、指名制でもなく。

 私が何時死んでもいいように、国民の投票で選ぶように法を整えてシステムを組んだ。
 しかも総投票数の内半数以上を獲得できなければ、空位も有。
 民も馬鹿ではない。
 己の理想に相応しい象徴を、選択するだろう。

 「ここまで、やれば。もう、いいよな」
 支えてくれる部下は何人もいた。
 その中には、一生を共にしようと告白して寄越した相手すらあった。
 一人でなく、何人も。
 こんな、私に。
 血塗れでも、いいと。
 お前を忘れられなくても、いいと。
 そんな風にまで言って貰ったけど。
 私は頷けなかった。

 「やっぱり、私はお前じゃなければ、駄目なんだ。マース」
 ひよこの刷り込みにも似て。
 一番最初に、私は私のままで構わないと言ってくれたお前がいい。
 最初は、人体錬成を試みようかと思ったけれど、あまりにもリスクが多すぎて断念した。
 万が一成功したとしても、結局お前は奥さんとお子さんの元へ帰ってしまうのも、わかってい
たから。
 自分が、行く事にした。
 死んでもお前には会えないだろう。
 死後の世界を信じるわけではないが、皆に愛されていたお前と数多の人を殺してきた私では、
魂の価値が違う。
 それでも。
 もう、お前のいない世界で生きているのがつらかった。
 耐えられなかった。
 目標があった今までは、それを達成する為に生きてこれた。
 でも、目標がなくなってしまった今、生きている必要もないだろう。
 グラスに並々とウオッカを継ぎ足して、睡眠薬を取り出した。
 眠れないのだと偽って、貰い続けた睡眠薬は、十分致死量を越えている量溜まっているのだ。
 それでもまあ、睡眠薬で死ぬのは難しいというのが定番。
 致死量を飲んだ後で、首を掻っ切るつもりだ。
 人体の急所なんて知り尽くしている。
 己の体を焼き尽くす、というのも考えたのだが。
 最後の最後まで錬金術に頼るのも、何だか間抜けな気がして止めた。
 睡眠薬の入った袋を切っては中身を空けて、グラスに入れ、粉が溶けきるまで掻き回す作業
を繰り返す。
 以外に簡単に、底に粉が溜まってしまう量を溶かすことができた。
 致死量は越えていると思うが、私にとってこれは、死ぬ為というよりも起きない為に、暴れな
い為に飲んでおく薬。
 無味無臭のウオッカも、これだけの量を溶かし込めば、何となく薬臭い気がするのは気のせ
いだろうか。
 半分ほどを飲んで、準備しておいた風呂の温度を確認しにいく。
 風呂は私の平熱に近い、36度を保っている温め。
 体温に近ければ近いほど、血は止まりにくいのだ。
 再び居間に戻って、タンスの引出しを開ける。
 そこには、白い布に包まれたタガーがあった。
 私が貰った、ヒューズの形見。
 奴が死の間際まで使っていたタガーだ。
 ヒューズほど上手くは扱えないが、首を掻き切るぐらいは容易い。
 グラスとタガーを手にして、風呂場へ向かおうと思い、肝心の遺書を出していなかったのに気
が付いて、慌ててユータン。
 もう、薬が頭に回ってきているのかもしれない。
 即効性ではないのだが、酒と併用して効果があがっているのかもしれない。

 急がねば。
 あらかじめ認めておいた部下達にあてた、遺書をテーブルの上に置く。
 宛名は、一番長く私の側に居てくれたホークアイ大総統補佐官。
 彼女の名前を汚すようで、いささか抵抗があったのだけれど。
 やっぱり彼女に一番、わかって欲しかったから、そうした。
 足元が空を踏んでいるようになった。
 脱いだ服はちゃんと畳んで置こう、などと思っていたけれど。
 何だか妙に身体が火照るので、風呂場へ行く前にシャツからズボンから、下着から脱ぎ捨て
てしまった。
 風呂に手をかけて、身体を沈めようとして、足が滑る。
 「……溺死!……溺死は駄目だ」
 がほがほと、飲み込んでしまった少量のお湯を吐き出す。
 体温に誓いお湯は、肌にぬるくまとわりついた。
 湯船に沈んだ衝撃に、幾らか頭がすっきりしたのを幸いと、グラスの中に残っていた酒を一
息に飲み干した。
 かっと喉をすり抜ける焼け爛れるような感覚。
 さすがはウオッカといったところだが、薬のせいで妙に知覚が過敏になっているともいえる。
 お湯が皮膚の穴という穴から、入り込んでくるような気がして、軽く身震いをした。
 「ヒューズ?今、ゆく、ぞ」
 首にあてたタガーの刃は、まるでヒューズの指先が触れているように生暖かかった。
 「まあ、す」
 愛してる。
 例え、死んだ先で会えなかったとしても。
 お前だけを。
 「愛して、るよ」
 項から首の真正面。
 顎のラインが交わるその位置まで。
 ためらいもなく刃を回す。
 血が、ぶしゅううううと吹き出る音が耳に届く。
 お湯は見る間に、赤く染まっていった。
 何時か、血に塗れない日がくるだろうと思っていたけれど。
 最後の最後まで、私は血塗れだ。
 らしいと、いえば。
 これ以上の、ロイ・マスタングらしさはないのだろう。

 己の流した血の海に溺れて死ねるなんて。

 ま、人の血に溺れて死ぬよりは、まし、さ。

 そうだろう。

 なあ、ま、あす?

 全身から力が抜けて、私の身体はずるずると血の海に沈んでゆく。

 こぽこぽと、口から鼻から出る小さな空気の泡が、出なくなるまでを。

 私の瞳は見続けていた。

 人間意外と最後まで、意識があるもんだな、と。

 思ったのがたぶん。

 私の最後だった。





                                                      END




 *あ、後味悪っつ!(自分で書いておいでアレですが)
   約束を果たした途端、後を追うってどうですか。
   そこまで相手に執着しつづけられるってことのが、怖いです。
   失ったものはどうどん崇高になってゆくので、ありえるのかもしれませんが。
   ロイたんはトップまで上り詰めて、軍解体して、リザたんと結婚してさくさく子供を作って、
   孫にまで見守られて老衰で死亡して欲しいです。

  



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