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 涙の幻


 「まぁす……まぁす……どこ? どこ?」
 愛しい恋人の、他の男を呼ぶ声に目覚める。
 「……ねぇ? どこに行ったの、まぁす」
 すぐさま揺さぶって起こしてやろうと思っていたけど。
 必死に中佐を呼ぶその幼い声と、今にも泣き出しそうな表情を見たらできなかった。
 「まーすが、かくれんぼ。上手なのは知ってるけど……何で、今。そんなことするの? 
  ぼく。こんなに、けがしてるのに」
 そう言えば、以前中佐が言っていた。
 ロイと中佐は、幼馴染なんだって。
 生まれた頃からお隣同士で、何をするにも一緒だったんだぜ! って、何だか自慢する
風に胸を張られた。
 「ねぇ。まーす。血が、とまらないんだ。どくどく、いっぱいでるんだ。どうしよう。どう、したら
  いいだろう」
 しかし、幼い頃のロイは、こんなにも中佐に依存していたのだろうか。
 確かに中佐が生きていてら、ロイが指切った程度の怪我でも大騒ぎして、何処に居ても
すっ飛んできて怪我の手当てをしそうな印象はあったけれど。
 少なくとも大人のロイは、そうやって自分を甘やかす中佐に対して冷ややかだったように思う。
 「まぁす。どこっつ。たすけて……たすけて、まぁす」
 へくへくとしゃくり上げる声。
 「まぁすっつ」
 ぼろぼろと、涙が零れ落ちた。
 ロイでも泣くのだと、馬鹿な認識を改める。
 それでも目の端から涙を零して、中佐に助けを求めるロイを何時までも放置はしておけない。
 可哀相だし、それ以上に嫉妬で肺腑が焼き切れそうだ。
 「おい。ロイ、起きろ」
 「まーすぅ?」
 「ちげーよ。俺はエドワード・エルリック。アンタの恋人ですよ」
 「えど? エドワード?」
 「そ」
 す、と瞳に正気が戻った。
 ロイは基本的に俺に甘えない。
 存分に甘やかしはくれるけど。
 ぶっちゃけ兄属性の俺は甘え下手で。
 これでも甘やかす方が得意なんだと言っても。
 甘え慣れているはずのロイは、俺に決して。
 俺が望むようには。
 甘えてくれない。
 「どうしたんだい。変な顔してるよ。怖い夢でも見たのか」
 「それは、ロイの方だってーの」
 「私?」
 「すんげぇ、魘されてたぜ。怪我したんだ。痛いよ。助けて……まぁす、って」
 「……ああ、それは悪い事をしたね。きっと昔の夢でも見ていたんだろう。あいつをマースと
  呼んでいたのは、随分と昔の話だ」
 そう言って、いまだ濡れている瞳を数度瞬かせて穏やかに微笑むロイは、中佐の死を想い出
に変えてしまったようにも見える。
 だが、俺を含めてロイの側近連中は皆。
 それが擬態に過ぎないと悲しいくらい解かっていた。
 「昔の話?」
 「ああ、そうだよ。奴と私は幼馴染だったんだ。聞いた事はなかったかな?」
 「た。中佐が何度か教えてくれたよ。自慢気だった」
 「自慢?」
 「そう、自慢気。アンタにすっげぇ懐かれてたんだ、とか。小さい頃のロイは無茶無茶可愛かっ
  たとか、言われてさ。何で俺はアンタと同じ年に生まれなかったんかって、思った」
 「おやおや」
 「俺が、もし。アンタと同じ年だったらさ。甘えてくれた?」
 「……今でも十分甘えているよ」
 「全然足りてねーよ!」
 「そんな事はない。私は恋人には甘える性質だからね……おや。私は随分と泣いていたん
  だね。目がしぱしぱするよ」
 話を誤魔化す為か、それともやっと気がついたのか、子供のようにパジャマの袖口で目元
を擦ろうとするのを、手首を掴んで止めさせる。
 「擦るんじゃねーよ。後で痛くなるぜ」
 代わりに、ロイの眦に唇を寄せて残っていた涙を吸い上げた。
 眼を閉じて、どちらも同じようにするのを黙って受け止めていたロイが、ゆっくりと眼を開けて、
してやったり! という風に笑んだ。
 「ほら。甘やかして貰っているだろう?」
 「っつ!」
 
 「……なぁ。エド。私は君が好きだ」
 「んだよ、いきなり!」
 「嬉しくないのかい?」
 「嬉しいけど! なんか、こう。誤魔化されねぇぞ、俺は! って気分」
 「ふふふ。君は本当に警戒心が強いよねぇ」
 そういうところも、好きだよ?
 と言いながら体を反転させて、器用に俺の体を組み敷いた。
 「君が勘ぐっている通り、私はマースが好きだよ。大好きだ。彼が死んだ今でも、心から愛し
  ている」
 蕩けるような眼差しは、俺ではなく中佐を見ているんじゃないかと勘ぐりたくなる。
 それぐらい、甘い声で中佐の名前を紡ぐ。
 「窮地に陥ったら、まだ私は奴の名前を呼んでしまうだろう」
 「そっかよ!」
 「怒らないで、鋼の……エド。最後まで、ちゃんと私の話を聞いてくれ」
 キスが額に届く。
 俺がよくしてやる。
 ロイが許してくれる宥めのキスと同じ物は、けれど。
 肉の匂いが全くしない。
 そこだけが、違うキス。
 俺等恋人同士だろうが? 
 と、一瞬むかっ腹が立ったが、年がら年中盛っていても仕方ない。
 もっと一緒にいられたならきっと。
 こういう血の繋がった家族にするような、優しいだけのキスもするだろうと、一人胸の内に納得
する。
 「今は、まだ。私は奴の名前を呼ぶだろう。でもきっと……これから先。君は私と一緒に居てく
  れるんだろう? 奴よりも長く。ずっと。どちらかが死ぬまでは」
 「お望みなら死んでも居てやるぜ?」
 「ははは。そこまでは望まないよ。死は全てからの解放だ。例外があってはならない。それは、
  君もよく知っているだろうに」
 「ああ、知ってる。アンタよりも身を持って知ってる。だけど、俺はアンタの望みを叶えてやり
  てぇんだよ……それが、例えどんな望みであっても、な」
 死んでから、側に居て守るのは容易い。
 中佐を生き返らせてくれと言われるよりは余程。
 それすらも叶える心積もりがある俺は、自分でも狂気を自覚するほどロイに溺れている。
 「私の望みは、私より先に死なない事。この一点に尽きる。大総統になって、国が落ち着い
  たら隠居するんだ。その時も、君は一番近くに居てくれるね?」
 「無論」
 「だったら、間違いなく。私は何時か。そう遠くはない未来。マースではなく、君に助けを求め
  るようになるだろうね」
 「それまで、待ってってか」
 「君が辛抱強い性格のなのは、良く知ってる」
 「っち! 仕方ねぇな……今は、これで我慢してやっか!」
 まだ、言いたい事はあったが、これ以上の譲歩は難しい。
 引き際が肝心なのは、恋愛の定石。
 頑固なのはお互い様だが、ここは弱っているロイに合わせて引いておく。
 「そんかわし!」
 「おわ!」
 俺は、ロイの腕を崩して自分の胸に凭れかけさせて、眦にキスをした。
 「俺抱っこで、寝つけよ?」
 「ははは! 了解です、大将」
 「ハボック少尉じゃないんだから、その呼び方はよせって」
 首筋に頬を摺り寄せてくるロイの頭を抱え込む。
 髪の毛からは、ロイには良く似合う微細な花の香りがした。
 「俺抱っこなら、夢は見ねーだろ」
 「悪夢は見ないよ。君の抱っこは温かい」
 寒さが過ぎるとよく悪夢を見るロイのため、俺は何時だってロイの体を抱えて眠るのだ。
 ロイが、温みに怯えて逃げない限りは何時も。
 「……おやすみ、鋼の」
 「おやすみ、ロイ。今度は俺の夢を見ろよ」
 「はいはい。努力するよ」
 軽く背中を摩ってやれば程なく、すやすやと寝息を立て始めた。
 眠れる時にきっちりと眠るという生活が身についているロイの寝つきは、大体の場合スムーズだ。
 「良い子だよな。ロイは」
 俺は幼い子供のような寝顔を晒すロイの体を、起こさないように注意を払いつつ、抱き締めた。
 「俺、知ってんだぜ。馬鹿じゃねぇから」
 腕の中の温もりが酷く切ないのは、俺が気付いているからだ。
 
 ロイの言うとおり、遠くはない未来に、自分を呼ぶようになるだろう。
 でも。
 「俺の前で、泣く事はねぇんだよな?」
 その甘えは、中佐だけのもの。
 きっと、中佐にもしない愛らしい甘えをこれから先に幾つも見せてはくれるだろうけれど。
 先刻のように無心に泣く姿は見ることが出来ないだろう。
 「それが、俺はむしょーに悔しくて、寂しい」
 仕方ないのだと、わかってはいても。
 ロイの何もかもを愛しているから、どうしても。
 見たいと思ってしまうのだ。
 自分には絶対に見せない涙を。




                                                      END




 *何だか最近、年下攻めに萌えます。
  しかも、年下の癖に甘えさせ上手なのが好みです。
  相手が知らぬところで甘い明かすのが大好きなのですが、
  今回はそれができなかったので、何時か何処かで書きますとも。

                                  2010/09/17




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