「ロイ?」
ぐいっと身体を引き上げて、瞳を真正面から覗き込む。
焦点はあっている。
狂気では、ない。
再度確認しても俺が大好きなロイの真っ黒い瞳の中には、くっきりと歪んだ表情を晒す俺が、
鮮明に映っていた。
「だぁれ?」
まるで、随分と小さな子供のように。
や。
きっとロイは、幼かった頃でもこんなに無防備な体は晒さなかったはずだ。
不幸な幼少時代の話を、あまり多くは無いが聞き出している。
だとしたら、今のロイの状態は一体ナンなんだ?
幼児退行でもなさそうだ。
記憶の回路が、いかれたのだろうか。
「俺は、エドワード・エルリックだよ」
「……鋼の?」
「そうだ。鋼の錬金術師だよ」
「……ああ、良かったね。腕も、足も戻ったんだ?アルフォンス君は、当然元気なんだろう?」
何時の、話をしているのだろう。
「身体が元に戻ったんだったらば、もう、君を鋼のと呼ばない方がいいのかなぁ。君、軍部に
尻尾振るの大嫌いだったものね。エルリックじゃ、弟君と被るから。エドワードと呼ぶ方がい
いかい」
アルの身体は戻ったけれど。
その代償がなんであったのか、ロイは知っているはず。
俺があれほど、やめたがっていた軍部に残ったのは、アンタ野望を手助けする為。
残った俺に。
馬鹿だなぁって、笑って。
でも、助かるよ。
君が側に、居てくれてって。
言ったじゃん?
忘れたのかよ。
「それとも、エドって、呼ぼうか?」
「ロイっつ!」
俺は、何かが凄まじい勢いで滑り落ちてゆく恐怖に追い立てられながら、ロイの身体をシーツ
に縫い止めた。
握り締めた手首が、ぎち、と嫌な音を立てる。
「……痛いよ」
「だってっつ、アンタ!逃げるだろう!」
記憶の混濁?
ならば、手の打ちようもある。
が、これはそんな単純な状態じゃない。
「逃げないよ……逃げようもないじゃないか」
ふぅ、とちらっと目線を外して、溜息をつく。
その、仕草。
俺の知る、ロイ・マスタングと何一つ変わっていないというのに。
「何度も言っているだろう?私にはもう君しかいないのだと……君が嫉妬するマース・ヒューズ
は、とおの昔に死んでしまったのだよ」
ロイは、あんなにも大変な事をしでかしてまでも生き返らせた、その、事実をすっかり忘れ去っ
ているのだ。
つい、数分前までの事を。
「そのっつ!死んだ人を、アンタ生き返らせたんだろうがっつ」
「……また、ナニを馬鹿な。私が奴を、生き返らせる、なんて。するはずもない。出来る訳がな
いだろう?」
その癖、指摘すれば不安に怯え出す。
完全に忘れ去っている訳ではないのだろう。
でも、普通に覚えていられる事を、ちゃんと覚えていられる訳でもないようだ。
記憶を管理する回路が、突然途切れて、全く違う別の回路と繋がってしまう。
それが、何度もシャッフルされた上で、繰り返される。
そんな感じだろうか?
一体、どうしろってんだ?
唇を噛み締める俺の前で、またしても、ロイは中佐を練成した事を思い出したらしい。
「……ひゅー、ず。練成したよな?先刻まで、隣で寝ていたよな……何で、側にいない?どうし
て、ヒューズが側に、いないんだ。どぉして!」
俺ではない、唯一の存在を求めて叫ぶ悲痛な声音。
でもな。
苦しいのは、アンタだけじゃない。
俺も、苦しいんだぜ?
「中佐は、アンタのモノじゃないだろう?」
「っつ!」
「誰のモノだ?本当は、わかっているんだよなぁ」
「……グレイシアとエリシアのものだ」
「だろう。だから、二人の下へ帰したよ」
これは、嘘じゃない。
彼女らが中佐を受け容れるかどうかは別として。
もしかしたら、ここしか戻る場所がなくなってしまうかもしれないけれど。
今は、行かせてある。
彼が戻るとしても、ロイが俺のものになっているのなら、側に置いてやってもいい。
親友としてならば、いい人なのは良く、知っているから。
「なぁ、ロイ。いい加減気がつけよ。中佐はちゃんと生き返った。アンタの人体練成は完璧
だったぜ。あんな成功例を俺は見た事がない」
「本当に?」
僅かな喜色。
それは、中佐の安否を保障されて喜んでいるのも有。
俺と言う、錬金術の天才に認められて嬉しいのも有。
そんな顔を見れば、思わず微笑が浮かんでしまう馬鹿な俺だったけれど。
心を鬼にする。
「が。中佐は生きている以上アンタのモノには絶対にならない。ましてや壊れたアンタが中佐を
抱えて生きていけるとは思えない」
術式を編み上げた側に、トンでもない損傷が出たとはいえ、完全な人体練成だ。
もし、中佐の存在がばれたら、軍は間違いなく中佐をモルモットにするだろう。
彼一人なら、上手く逃げ遂せるだろうけれど。
ロイがいたら。
壊れたロイが居たら無理だ。
足手まといになるだけ。
「中佐のこの先の人生に、アンタという存在は足手まといになるだけだ」
ロイがどれほど、中佐を大事にしていたかを骨身に染みて知っている。
今も尚、その深い執着を知らされ続けている。