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 デスクワーク


 定時を二時間ほど、回った時刻。
 珍しく、全員がデスクワークに勤しんでいる。
 大佐は、溜まりに溜まった書類を机の上に二山ほど乗せたまま。
 それでも今日だけで、倍にあたる四山を、定刻にあたる時間から始めて消化していた。
 やればできる上官という表現は、この人の固有名詞にしたい。
 今日のペースで書類を片付ければ、少なくとも中尉の冷たい雷が落ちる事も無いだろうに。
 それができないから、大佐の大佐たる所以なのだろうが。

 そんな大佐を時折鋭い目で監視して。

 ほにゃーと視線を漂わせ始める大佐を、無言の視線で以って、再び真面目に書類に取り
組ませる鷹の目の中尉は、大佐の決済が必要でない書類の処理をしている。
 本当は、大佐の目まで通さなくてはいけない類のものばかりなのだが。
 大佐の我儘と、中尉が飛び抜けて処理能力が高いということもあって。
 何より、大佐が書類を溜め込むのに泣かされ続けている末端の関連部署が、中尉の決済
権を広げるように直訴してきたのだ。
 大佐は自分の仕事が減るのが嬉しく、喜々として中尉の決済権を大幅に広げ、部下達は
幾らかスムーズになった書類処理に胸を撫ぜ下ろした。
 中尉だけが貧乏籤を引いたのだが、その割には、穏やかな表情をしている。
 書類が円滑に処理されるのは、何より喜ばしい事だし。
 実際度を越して忙しい大佐を少しでも助けられるのが、何よりも嬉しいのだ。
 近くにいないと、わからないが。
 中尉は、本当に大佐が大事なのだ。
 直属の部下はそれぞれ、大佐を大切に思っているが、その中でも付き合いの長さもあって、
 中尉の感情は格別だろう。
 
 『ここだけの話にしとけよ?大きい声じゃ言えないがな。中尉に取って大佐は白馬の王子様と
  同じなんだよ』
 三ヶ月と十二日前。
 酔っ払ったヒューズ中佐が言っていた。
 『イシュヴァールで。ロイが中尉をあー当時の少尉を、私の大切な人だから……なんつって
  な。自分のテントに寝かせてなきゃあ。公衆便所になって戦争が終わる前に精神と身体
  を壊して、強制退去だったろうよ?』
 さらりと物凄い事を言われて思わず絶句してしまった私の様子に、気がつく風もなく、言葉は
続けられた。
 『でもって、んな風に囲っておいてさ。一度も抱かなかったんだ、ロイの奴』
 何でご存知なんですか?……問うまでもなく返答があった。
 『虐殺の血に塗れた手で、大切な女性を抱き締める訳にはいかないだろう……ってさ。お前だ
  けは本当を知っていてくれとよ……教えて、くれた』
 たぶんきっと、それは大佐の優しさもあり、己を保つ為の全てでもあったのだろう。
 大切な女性を側に置いて、彼女を護り汚さない事で、虐殺に身を投じるしかない己の精神の
均衡を保っていたと。
 そういうことなのだ。
 『中尉は、中尉でな。夜毎魘されるロイの奴を抱き抱えて、寝かしつけながら思ったんだって。
  この人は、自分が側にいないと壊れてしまう人だろう……護ってあげないと!とよ。まー姫に
  護られちゃう王子様ってーのも笑えるが、ロイと中尉なら有りだろう?』
 嬉しそうに。 
 本当に嬉しそうに、中佐は話してくれた。
 だから、私も返したのだ。
 『ありがとうございます』
 と。
 絶対口外しませんからの、誓いの代わりに。
 男女間に肉体関係を持ち込まなくとも。
 や、持ち込まないからこそ。
 この二人は、お互いを思い合えるのかもしれない。
  
 「なーブレさん?これこれ、どしたらいいと思う?」
 二十七分前から、腕組みをして書類を睨みつけ、六本の煙草を消費した挙句。
 自分の手には負えないと判断したのかハボック少尉は、ブレダ少尉を呼んだ。

 私は思考の小道から降りて、二人の遣り取りを見やる。

 「あー何だよ。俺だって忙しいんだぜっつ!……ってお前……まだこんな書類溜め込んでい
  たんかよ!」
 この書類の提出期限て、一ヶ月前くらいだったよなぁ確か。
 一段と声を潜めて囁いた言葉も、近い席の私には届いてしまった。
 正確には、四十二日前ですと、教えた方がいいのだろうか?
 「んなのわあってるよ。やろうとは思ってたんだけどさー。忙しさにかまけて、ついずるずる
  と……」
 「先送りにしちまった訳ね。ホント士官学校時代から、変わらんよな、お前」
 首席こそ逃した物の成績上位者として士官学校を卒業したブレダ少尉と、全ての教科で赤
点を取りながらも、上官のお情けでどうにかこうにか卒業できたハボック少尉。
 普通成績の差があればあるほど、ぶつかり合うか、成績上位者が馬鹿にして相手をしない
かで、仲が悪いのが普通なのだ。
 しかし。
 大佐と中佐という、何とも派手な親友がいるだけに霞んでしまうこの二人は、違え様のない
親友同士だった。
 「結果報告なんて、簡単だろう!あった事をそのまま書けばいいんだから!」

 「それが、できないから困ってるんじゃんさぁ」
 文章を書くのに慣れていないと、きっとそんな感じなのだと思う。
 私自身デスクワークが中心で、だいたいの書類に見本があるから苦労しないものの。
 「って言うけどんさぁ。俺、お前に何枚見本作ってやったよ!この書類だったら見本使えば
  楽勝だろうがっつ!」
 「怒らない?ブレさん」
 ハボック少尉がおずおずと尋ねた途端。
 ぼくっと鈍い音が響く。
 「いーたーい」
 勿論ブレダ少尉が、ハボック少尉を殴りつけた音だ。
 「どうせ、無くしたとか言うんだろうが!」
 「へへ……その通り。凄いね、ブレさん!」
 「すごかねーや!誰だってわかるだろうが、んな展開。パターンになるくらい経験してっから
  なぁ!もう、知らん。見本なくすような奴は知らん。勝手に怒られろ」
 「そんなぁー」
 助けてくださいよぅ、ブレさあん、と情けない猫なで声に、無視を決め込むようだ。

 「本当に、見ていて飽きませんよね。皆さん」
 くすくすと小さく声を立てて笑うフュリー曹長に、私は軽く肩を竦めて応える。
 「全く、ですよね」
 私と同様に生真面目な達の曹長は、どんなに忙しくとも書類の期日はきっちりと守るし、字の
汚さや内容の粗末さから再提出を喰らう事は少ない。
 東方で大佐に拾われるまでは、仲の悪い上官同士の派閥争いに巻き込まれて、その情報収
集に長けた能力を私利私欲に使われ捲くっていた。
 大人しい外見同様、争いごとを好まない曹長はデスクワークに向くのだろうが、それだけにし
か使おうとしない上官の元ではやる気もなくすだろう。
 曹長の能力を理解した上でのデスクワークだからこそ、彼も喜々として書類を片付けてゆく
のだ。
 どんな作業でもやはり、認められたいもの。
 派手な業績にしか興味のない上官には、一生わからないかもしれないだろうが。
 だいたい大抵の上官は、自分が下士官であった頃を忘れてしまうのだから不思議なものだと、
しみじみする。
 故意に下士官を苛める上官は論外として。
 物事を忘れられない私は、理解に苦しむ。

 「ファルマン准尉?」
 「何でしょう」
 中尉の視線攻撃を書類でガードしながら、大佐が立ち上がる。
 すたすたと私の机の側までやってきて。
 『三日前に来た北方司令部長官からの書類内容、覚えてるか?』
 こそこそと聞いてくる。
 『まさか……無くしたんですか』
 『し−!しっつ中尉に聞こえるだろう?』
 あ、中尉の瞼が引き攣ってる。
 無駄だったみたいですよ、その小声。
 『東方に転任してきた医務官に関する追加資料ですよ。目に余る特記事項はありませんで
  した』
 『そうか。良かった。礼だけで問題ないな』
 『ええ』
 ありがとうな、ファルマン、とぺこっと頭を下げた大佐は、何故か忍び足で自分の机に向かっ
て、ペンを握って白紙を置いている。
 北方司令部長官に、手馴れた美辞麗句を連ねて読んでもいない書類への謝辞を重ねるの
だろう。
 多種多様な書類が宛名関係無しに一番最初に私の手元に届くのは、こんな理由からだ。
 褒められたものではないが、私は一度目を通した内容は一切忘れない。
 万が一のミスを避けられるのならば、それでいいが。
 こんなにも頻繁に使われるのもどうかと思う。
 日々の激務と大佐の人となりを知らなければ、飛ばされてもご免被るお役目だが。
 
 今の状況に不満はない。


                           
                                                    END




 *ファルマン視点軍部中心。
  日常的な話も楽しいですねー。
  もそっと緊迫感溢れる東方司令部、珍しく将軍も参戦!
  なんて話とか、すっごくくだらない社内行事とかも挑戦したい。




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