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 どちらかといえば、マナーに厳しい私の目から見ても何の問題もない。
 まあ、精神的なものだと思っているので、無理強いはしないのだけれど、こんな場面では
都合が悪かった。
 「いやいや。俺はこれで十分っす。気使ってくれてありがとな」
 ごゆごきゅっと残りのブランデーを飲み干す少尉を見て。
 「……ごめんなさい」
 アルフォンス君は小さく謝る。
 滅多口にできない高級酒を、あっという間に飲み干したのは、早々にこの場を去るためだ
と、わかったからだ。
 「お前さんが謝ることはないっしょ。ホント生真面目なとこは全然変わらんよなあ、君は」
 くくっと、喉で小さく笑い目を細めた少尉は、アルフォンス君の頭をぽんぽんと軽く叩く。

 「んじゃ、大佐。明日は午後出勤の遅番ですから、忘れずに。迎えに来た方がいいっすか?」
 「私はそんなに、信用がないのか?午後からなら寝坊もせん」
 「……って言ってるけど。いけるかー、アル君」
 「ええ。大丈夫です。これ以上遅刻すると色々と問題があるでしょう。僕が送り届けます」
 「なら、安心だ。よろしくな」
 もう一度、真っ直ぐにアルフォンス君を見たハボックは屈託無く笑った。
 アルフォンス君も釣られたように、微苦笑を浮かべる。
 ハボックの底抜けな明るさには、こんな時本当に救われる。
 「ハボっつ!」
 私は買い物袋に入っていた中から、包みを取り出してハボックに投げつけた。
 「っと。いきなり投げンで下さい!……何時の間に買ってたんです?気付かなかったっすわ」
 ジューシーなビフカツサンドとハム、チーズ、レタス、キュウリにトマトが入ったミックスサンド。
 夕飯には足りないが、寝る前の夜食にはいい分量だろう。
 「荷物持ちの礼だ」
 「あんた、そーゆーとこ。結構マメっすよね」
 私の手を恭しく取ったハボックが、手の甲に唇をあてる。
 恋情の欠片もない敬愛の口付けでも、アルフォンス君の嫉妬は怖い。
 「では、明日。司令部でお会いしましょう」
 私の無言の拳骨を軽々とかわしたハボックは、おざなりな敬礼を残して部屋を出て行った。
 「全く、あいつは人を何だと思ってるんだ!」
 「特別な、上官でしょう」
 ドアを睨みつけてふーふーと鼻息も荒かった私の背中に、冷静極まりないアルフォンス君の
声が届く。
 背中越し、きつく抱き締められる。
 鎧の腕ではない、成熟した男の腕は、激しいくらいのぬくもりを伝えて寄越した。
 「貴方は、愛されている自覚が、本当に薄くて心配です」
 「そんな事はない」
 「……敬愛も、立派な愛ですよ。さ、食事にしましょうね?結局朝ご飯だけなんでしょう?」
 抱擁が解けて、代わりに手が握られる。
 そのまま、テーブルへと誘われた。
 
 「忙しいのはわかりますけど、食事はちゃんとしないと駄目ですよ」
 大人しくテーブルについた私の前に、ことっとミネストローネがたっぷりよそられたスープ皿が
置かれる。
 どんなに疲れていても、食欲が無くとも、つい口にしてしまうトマトの濃厚な香り。
 特に好きな食材ではなかったはずだし、店で出されるものにはソソラレない。
 アルフォンス君が作るミネストローネがツボらしい。
 「食前酒は、そのスープを飲んでからですよ?」
 「それは、食前酒と言わないよ」
 「……そうですね。ま、身体によくないので、今日は諦めてください」
 「二杯目に挑戦できたら、飲んでも良いかな」
 習慣になっているので、酒を飲まないと、どうにも一日が終わった気になれず、すっきりしな
い。
 「パンもちゃんと食べてくれるのならば。ロイの好きなお店で買ってきましたから。黒パン」
 「わかった……では、いただきます」
 「いただきます」
 口にした途端、とろっとトマトがとろける。
 今日のミネストローネの出来も完璧だ。
 一日の大半を錬金術の勉強で過ごす彼だったが、家事もそつなくこなす。
 部屋の中はいつでも綺麗だし、休みの日は三食手料理が饗される。
 珍しく何かねだられると思えば、だいたいは少々高価な食品や家事に使う道具といった風で。
 これで床上手だったりもするので、愛人としては文句なし。
 むしろもっと甘えてくれてもいいのに、と思う。
 「……どうかしました?ワイン注ぎましょうか?」
 「ん。今日のミネストローネも旨いなと思ったんだ。ワインは少しでいいよ。寝る前に暖かいの
  を飲むから」
 「お風呂は沸いてますから、ご飯食べ終わったら、ちゃっちゃと入って温まってくださいね。
  今日は寝る前の読書も駄目です」
 「えー!」
 「……そんなに駄々こねても許しません。絶対熱出ますよ」
 空になった更にもう一杯のスープがよそられた。
 「パンは?」
 「んー。バターを少しだけ」
 わざわざ、食べやすいサイズに切った上で、バターまで塗り手渡される。
 甘やかしたいと、常々思っているのだが、どうにも甘やかされているような気がしてならない。
 「今日はどんな感じの一日でした?」
 「そうだね……東部からハクロ将軍が来て、うるさかったかなあ」
 「あいかわらず、大佐に絡んでくるんですか」
 「東部のトップは私を可愛がってくれたからね。何かにつけて『ロイ君は……』と比べるらし
  い」
 あいつ、頭固いんだもんなーと苦笑していた老将軍の顔が浮かぶ。
 今でも何かと連絡をくれたりする上に、ハクロ将軍のダメップリまでも愚痴って寄越す。
 「ハクロ将軍もご家族思いの方ではあるんだがね」
 

 「それだけなんですね?」
 「んー」
 後は、そう。
 上官への胡麻擂りは私の比ではなく上手だ。
 うわ!見習いたくない!あれだけは!というくらいのプライドのなさ。
 おべっかつかいの試験があったら、彼はきっとかなり優秀な成績を収めるに違いない。
 「出の良い人だからね。叩き上げの苦労がわからないのだろう」
 人のツテとコネだけで、生きている人だ。
 「大佐も純粋な叩き上げじゃないですよね」
 「国家錬金術師は、確かに色々な意味で特別扱いだからね。若くして仕官になったけれど
  ……まぁ叩き上げには、変わりないよ」
 実力だけで、伸し上ってきた。
 誰がなんと言おうとも、それだけは自負している。
 「……僕も、側で一緒に働きたいなぁ…」
 不意にアルフォンス君が溜息をつく。
 「大総統になるには、まだまだやらねばならない事はありますよね。国家錬金術師の資格を
  取って。貴方の下で、働きたい」
 「……優秀な君の事だ。国家錬金術師の資格を取るのは難しくないだろうね」
 最年少国家錬金術師を兄に持ち、人体錬成に造詣の深い光のホーエンハイムを父に持つ。
 錬金術のサラブレットみたい存在だ。
 ましてや鋼ののように、暴走する気質もなく。
 穏やかにこつこつと勉強をして、上の者には従順な敬意を払う。
 部下にしたら、それは重宝するだろうと、思う。
 思う、けれど。




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