日本粘土鉱業

 

 機関車が新しいからと、油断していてなくなってしまうという最悪のパターンがここでありました。アクセスが非常に悪かったこともありますが、「機関車を新しくするくらいだから、当面安泰。」と読みを過ったのが運の尽き。思えば、三井三池の三川鉱の北陸重機のDLもそうでした。

 小坂鉄道の4重連が撮りたくなって、悩んだ末に東北行を決めたのですが、そうなると、かねてより行きそびれていた日本粘土の北陸重機のDLが、妙に撮りたくなってきました。現状を調べようと電話帳で会社名を探しますが、記載がありません。嫌な予感がします。こうなるとB型としましては白黒つけなくては気が済まず、岩泉町役場の方に問い合わせることにしました。結果は日本粘土は操業を停止し、石見鉱山が引き継いでいるとのこと。「お〜っ、だめかと思ったが、社名が変わっていたのか・・・。な〜んだ。」もう心は北陸重機の尻を追っかけ回している自分が走り回っております。

 

 

 「いや〜、もう軌道は使っていないんだよね・・・。」が〜〜〜ん。

後日、念のため運転の確認をしてみると、無情にも最悪の回答が帰ってきました。おまけに樹木がすごく、近づけないだろうと言うことでした。

 こうなると、この目で見ないと気のおさまらない自分。B型の熱き血潮が岩泉へと体を動かします。途中スピード違反でつかまって、警察と1時間ほどもめましたが、なんとかたどり着くことが出来ました。

 

 

 

 軌道跡はこんな感じで、思いのほか樹木が生い茂り、軌道が見えないくらいなのです。もうがっかり・・・。とにかく北陸重機のDLを探します。

 

 

 

 ありました。一応屋根の下にいるので状態はよさそうですが、豪雪地帯のこと、この崩れそうな建物はどれくらいもってくれることでしょう。それにしても小さくて愛らしい。譲り受けて家で保存したいけれど、輸送料はどれくらいになるものなのでしょう。鉱車はほとんど放置されておりますが、樹木が邪魔して写真になりません。車庫跡をのぞくと、予備であったDLもそのままになっておりました。こうなってしまうと撮影のしようもなく、一通り足早にスナップして岩泉を後にしました。残ったものはスピード違反の青色切符と後悔のみ。ただ、この時の悔しさが、1カ月後の屋久島行の原動力となるのでありますから、まんざら無駄ではなかったのではありますが・・・。

 

 

 

 

 

(終)

 

 

 現役時代の写真は、RYOさんのHPをご覧下さい。

 門扉のレールにも振り向いた頃

 

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