まだまだ、写真を撮り続けていたかった。旅館をとらないこのスタンスは、50近い親父には誠にスマートじゃない旅の形態ではあるが、最近感じる老いに対しての抵抗もあった。「自分の限界を見極めておきたい。」肉体はともかく、まだ、若かりし自分とそれほど変わらない情熱であることを感じていたい。必死のあがきだった。
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笠岡には早朝着いた。井笠鉄道に急に会いたくなった。古めかしい渡船の建物、この魅力に気づいてカメラを向けるまで、自分は何年もかかっている。「僕の目は節穴」。だから不安でしょうがない。何でもとりあえずシャッターを切る。なくなった後から、しこたま後悔することのないように。
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バスケットカーのホジ7。この鉄道の現役に立ち会えなかったことの後悔が、海外にまでその面影を追い求める原動力となっている。
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車内も再びきれいに補修されていた。10時までに岡山まで着けばいい。そう思ったら井笠鉄道をもっと見たくなった。
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当時の雰囲気の良く残った構内。せつなくて、やるせなくて、それでも何度も来てしまう場所。
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昔駅だったところ、駅舎とホームの跡が残っていた。いつまでこの風景は残るだろう。1971(昭和46)年廃止。もう40年近く残ることの奇跡。この奇跡は、何かの使命を帯びているのだろうか。 |
更に車を走らすと、1号蒸気機関車が居た。まだ開館してないので、柵越しに撮る。ドイツ製の憧れの機関車。
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井笠鉄道を離れ、山陽本線貨物を撮りたくなった。しかし上下線間にロープが張られて撮影は難しい。
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無理矢理、望遠で撮ってみたが、全然ダメ。せっかく初期型のEF66100番台だというのに。
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岡山天満屋の屋上にモノレールがあるというので言ったのだが、とっくに廃線になっていると言われていたのを見事に忘れていた。 橋桁だけ残った屋上を眺めて、苦笑して車に戻る。「何やってんだか・・・。」瀬戸大橋を抜けて高松を目指す。高速では目の前で事故が起きて危うく巻き込まれるところであった。アホとしか言いようのない脇見運転だった。
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友人から教えてもらった名車を撮りにゆく。一度現役を撮影してみたいオバQバスだ。
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いよいよラストの目的地。バスヘスティバル会場。屋外展示はきれいに撮れるので、お目当てのバスに期待して探すと屋内だという。
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ボンネットバスといい、メインは全部屋内展示で人だかりで撮影は困難の様相。落胆は隠しきれない。
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以前、車庫に撮りに行ったが、すでに車籍抹消後で光線状態も悪く、満足いく撮影が出来ないでいた。
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この見事なカラーリングは、是非ともちゃんと撮っておきたかった。「まぁ、前回のものよりは全然ましだからいいかぁ〜。」ということで今回の撮影終了。レンタカーを空港で返却し、高松空港から羽田へ、今回の旅は無事終了した。
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