思い入れのある風景

 

 

「中野富士見町車庫」 

 

 

 中学生まで、私はこの車庫の近くに住んでいた。方南通りに面したこの車庫は、道路に面した壁の一部から車庫がのぞけるようになっており、車で出かける折りは、そのわずかな隙間から見える電車を見るのが、毎回の楽しみであった。

 

 

  

 

 

 

 

 いつもいつも、この車庫が近くなると会話が止まった。一瞬の光景に視線を集中する。当時は真っ赤な300・500系が大半の車庫であったが、検査の関係で銀座線の黄色い車両が居ることもあった。赤と黄色のコントラストは強烈で、何だかとても得した気分になったものだ。今回何十年ぶりかにあの通りの前に来た。昔と変わらず、サービススポットのような金網のビューポイントは残っていた。

 

 

 

 

 

 

 電車はシルバーで少々味気ないものの、電車が居並ぶ光景はあの頃のまま感動する光景だ。ちょっと前なら電柱がかかるとかいって1枚も撮らなかったシーンも、デジカメのおかげで気楽に撮れるようになった。あの赤い電車が居並ぶ光景は、確か撮ってはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 最近期せずしてこの車庫の近くの事業所に移動になった。まるで里帰りしたような懐かしい気分。今日はアントが電車の入れ替えをしていた。ちゃんと撮って見たい光景だ。30年以上も前の話。ここには100形という骨董的な車両が入れ替え用として残っており、それがどうしても撮りたくて、意を決して撮影をお願いしたことがあった。第3軌条で高電圧の電気が足下を這っているこの場所は、うっかりすると大事故につながる場所であるから、当然無理かと恐る恐る訪問すると、熱意が通じたのか撮影を許されたことがあった。後にも先にも一回だけ、「電気に触れたら、黒こげだからな!」厳しい口調でヘルメットを渡してくれた職員の方に、今も感謝している。知らぬ間に私は良い社会勉強をさせてもらっていたようだ。頭であきらめず、誠意を持った交渉。知らぬ間に身に付いたものが、今の営業に役立っている。ちょうど上の写真の4番線あたりに118号が、左脇の建物あたりに129号が身を隠すように停まっていた。ほとんど貴重な車両を撮り逃した自分であったが、この100形については、奇跡的に撮影が出来た。今も事業用の見慣れない車両が車庫奥に見受けられる。昔ほどのときめきはないものの、気になる車両だ。

 

 

 

 

 今日は天気がいい。思い出に浸りながら永福町まで歩いてみることにした。昔の同級生の家を横目に見ながら、変わりゆく町並みを確認しつつ歩を進めた。神田川沿いに歩き、昔の家のあった路地に思い切って入っていった。当時の家は建て直され跡形もなくアパートになっていた。向かいの習字の先生宅は変わらず健在だったが、手みやげもなく、ひっそりとしていたのでベルを押せないまま後にした。ガキの頃のイメージとは大きく違い、とても幅の狭い道路・箱庭のようなこじんまりとした街に驚き、ここを飛び回っていたはなたれ小僧の頃の、懐かしい光景を探して歩いた。熊野神社にある懐かしい幼稚園は、驚いたことに昔のイメージのままで変わらないことに言葉を失う。その脇には同級生の家があり、彼はどうしているだろうかと思う、結婚して家を出ただろうか、表札の名前は彼のものではなかった。

 思い出は遠く彼方で輝いている。この街ではいろいろなことがあった。思い出は受け入れてくれるが、街の風の中で私は常に孤独を感じていた。勝手な思いこみなのか、かつて住んだ町はとてもよそよそしく、あきらかに私の心の中にある故郷とは違っていた。

 

 (2009年4月2日記)

 

 

 

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