神戸土曜会合唱団50年のあゆみ
人々の心に潤いを
コーラスブーム
充実した演奏活動
ヨーロッパ演奏旅行
阪神・淡路大震災
創立50周年

神戸土曜会合唱団が産声を上げてから50年の歳月が流れました。この間、団員が百名を超える時期から、 練習時にあるパートがひとり、ふたりというような時期など、いくつかの波を越えて今日を迎えることができたのです。
人々の心に潤いを
昭和21年2月17日、神戸土曜会合唱団はドイツ民謡「夕べの鐘」の練習をもってスタートしました。 今日の演奏会で最初に歌う「うぐいす」も同じ日の練習曲でした。

終戦から6カ月しかたっていないその頃、空襲で焼け野が原になった神戸の町の中にポツンと残ったレンガ造りの教会の高い塔がひときわ目を引いていました。 この栄光教会の斉藤宗治牧師が荒廃した世相を憂い、荒んだ人々の心を音楽によって和ませることが出来れば、と北村信雄に指揮を依頼し、合唱団を設立されたのです。 牧師館1階の応接室に、斉藤牧師の二人の令嬢を含めて10名足らずのメンバーが集まり、関西において戦後初めての合唱の響きが流れました。

この日は戦後の経済史に特筆される預金封鎖政策が発表された日でもありました。1カ月の生活費をひとり5百円に決められたので、その中から出す月3円の会費は貴重なものでした。 楽譜は栄光教会で礼拝を行っていたアメリカ軍の使い古したプログラムやレターペーパーを貰ってガリ版刷りをしていました。 そんな苦労を重ねましたが、集まったメンバーは毎週日曜日の午後、礼拝の終わった後の練習に喜びをもって歌っていました。

同じ年の3月、神戸音楽同好会が結成され、著名音楽家の演奏が栄光教会で月例会として行われる事になりました。当合唱団もその音楽活動の一環を担う事になり、教会にちなんで神戸栄光合唱団と命名、同好会の第1回例会の時に一般より団員募集を行い、30名くらいの合唱団となりました。 5月21日には特別例会として栄光教会で第1回発表会を開きました。合唱曲は4曲、団員のピアノ演奏を含めての演奏会でした。

次第にメンバーも増えて、26年には相生市への演奏旅行なども行い、11月には創立5周年記念のリサイタルを、当時としては唯一の大ホールであった旧商工会議所のホールで開催しました。 演奏曲はモーツァルト「12番ミサ」全曲と小曲を数曲歌いましたが、ミサの本格的全曲演奏は珍しく、旧神戸商工会議所ホール満席の聴衆からわれんばかりの拍手を頂き、団員一同感激したものです。 神戸土曜会合唱団ではこの演奏会を第1回リサイタルとしています。この時団員は71名となっていました。

上に戻る
コーラスブーム
昭和30年代、コーラスブームといわれる時代で、土曜会でもピーク時には150名の団員を擁していました。 この勢いは、ひとつの転機をもたらしました。若手男性のファイトに引っ張られ、楽しむことに加えて進歩のある合唱団にしたい、高い芸術性を求めたい、という意欲を持つようになったのです。 そのひとつの結果としてコンクールでの入賞があり、また新聞会館大劇場での10周年記念演奏会の成功があるといえるでしょう。

昭和31年、創立10周年を迎えて開いた第3回リサイタルではモーツァルトの「戴冠ミサ」を演奏しました。 以後、10年毎の記念演奏会では同曲が演奏されることになりました。

20周年リサイタルでは、初めてオーケストラ伴奏で独唱者もプロの方にお願いしました。 オーケストラとの共演による大曲の演奏は、その魅力とともにオリジナルの形による演奏としての満足感がありました。 その後、44年の第15回リサイタルからは、オーケストラ伴奏書かれた曲はすべてオーケストラと共演するようになりました。

昭和38年より兵庫県芸術祭「ベートーベン第9交響曲の夕べ」に毎年出演、合唱パートの中心団体となりました。 毎年末の「第9」出演は今も継続しています。

充実した演奏活動
昭和38年代9回リサイタルに林雄一郎氏を客演指揮者に迎えたのを初めとして、39年代10回リサイタルにはラーソン氏、42年代13回リサイタルには森正氏、46年25周年記念第17回リサイタルには渡辺暁雄氏を迎えてご指導をいただき多くを学ぶことができました。

この時期には、コンクールへの参加をやめ、かわりにオラトリオ・シリーズと銘打ったコンサートを始めました。

昭和41年10月の創立20周年記念リサイタルに続き、20周年記念事業の一環として昭和42年2月東京演奏会を開催しました。 開通間もない新幹線で上京、東京厚生年金会館で「戴冠ミサ」を中心に宗教曲ばかりという土曜会独特のプログラムを組み、絶賛を博しました。 また、目白の東京カテドラル大聖堂での夕方のミサに奉仕させていただきました。

それまでに相生市、西脇市、豊岡氏など県下諸都市で演奏会を持ち、地方都市での合唱音楽の普及振興に微力を尽くしてきたこと、兵庫県芸術祭恒例のべーとーべん「第九」の演奏とあわせて、 県下の音楽文化振興に貢献ありとして昭和42年兵庫県文化賞を受賞しました。また、昭和50年には神戸市文化賞を受賞しました。

上に戻る
ヨーロッパ演奏旅行
昭和50年、オランダのハーグで隔年開催される「世界合唱フェスティバル」に招聘されたのを機会に、兵庫県および神戸市の文化使節として渡欧、最初の海外演奏旅行を行いました。 ヨーロッパの音楽を肌で感じ、本場で演奏してみたいというのは音楽愛好家の最高の望みでしょう。6月18日大阪国際空港を飛び立った一行は、途中、コペンハーゲンのグランドビック教会とストックホルムの聖ヤコブ教会で単独演奏会を行い、 ウィーン・チューリッヒを回ってオランダ入りしました。6月26日の世界合唱フェスティバル前夜祭に引き続き、27日には19カ国50団体が参加したコンテストに出場し「上位団体に入賞」との審査員評を受けました。 その後、パリを観光して7月2日に帰国しました。 この海外演奏旅行によって、国際交流を深め、世界の合唱音楽を存分に見聞することができました。 中でも、各合唱団がそれぞれすばらしい個性・特徴を持ち、十分に生かしていることを発見したことは最大の収穫でした。 この経験から、土曜会も確固たる信念と個性を持たねばならないと考え、「宗教曲を歌わせれば土曜会」という定評を土台に、さらに宗教音楽への研鑚を続けることにしました。

これを具体化したものがチャペルコンサートです。昭和52年6月、第23回定期演奏会が六甲カトリック教会で行われました。 この演奏会を第1回チャペルコンサートとして、以後は定期演奏会とは別に毎年11月に行っています。

また、昭和57年夏には、兵庫県と中国・広東省との友好提携調印に際して文化使節団に参加し、広州と上海での交歓会において演奏を行いました。

昭和61年、40周年を迎えて記念演奏会が催され、OB・OG会(ひかり会)も結成されました。ヨーロッパへの演奏旅行は、平成元年、平成6年と今日までに3回を数え、それぞれに各地の教会やホールでの演奏会、 地元合唱団との交流などが行われました。

上に戻る
阪神大震災
平成7年1月17日、マグニチュード7.2の直下型大地震が阪神地区・淡路島北部を襲いました。震度7という激震により多くの家屋やビルが倒壊し、交通網は寸断され、電気・ガス・水道が止まりました。 土曜会の団員も被災者となり、或いは家を失い、或いは一時避難を余儀なくされ、不自由な生活を強いられることとなりました。しかし、団員に死傷者のなかったことは何より幸いなことでした。

結局、3月までの練習は中止となりましたが、4月以降“歌いたい”という団員の熱意に、月4回・土曜日と日曜日の午後に練習をする事となり、6月からは毎土曜日の夜の練習に戻りました。 残念ながら6月のリサイタルは開催できませんでしたが、練習曲を震災で亡くなられた方々のご冥福を祈りレクイエム(シューマン作曲)に変更して11月の第18回チャペルコンサートを目指すこととしました。

ところが、コンサート前日に指揮者北村信雄が体調を崩し、急遽代理の指揮者を立てての演奏会となり、新築成った六甲カトリック教会の会堂では緊張感に満ちた演奏が行われました。

創立50周年
波乱に満ちた平成7年が過ぎ、神戸土曜会合唱団創立50周年の記念すべき年がやってまいりました。 予定していた2月の神戸栄光教会でのコンサートは、教会が全壊したため開催が危ぶまれましたが、同教会のご好意によりテントの仮会堂で開催する事ができました。 会場ではOB・OGの皆様、ご指導いただいた指揮者・独唱者・伴奏者の方々、その他様々なご助力をいただいた方々。半世紀という長い年月活動を続けることは、これら多くの方々のご支援なくしてはできませんでした。 その支えと団員の“歌いたい“という熱意を糧に土曜会はこれからも歩み続けます。
終わり
上に戻る
このあとの最新情報は神戸土曜会合唱団ホームページをご覧ください。