ラテン語の話

第1回 《Amen》はアーメンか?
第2回 《Sanctus》と《Sancta》は別の言葉?
第3回 ラテン語の発音はどれが正しいか?
第4回 IESVS CHRISTVSとは誰のこと?
第5回 "Credo"...誰が「信じる」のか?
第6回 アントニーがクレオパトラを愛する・・・それとも?
第7回 いつも乗っている市バス、語源はラテン語です
第8回 MissaのCredo(信仰宣言)の構造
第9回 ラテン語のアクセント
第10回 ラテン語の母音と子音

第1回 《Amen》はアーメンか?
 先般定期演奏会の反省会のとき、ラテン語の発音の事が話題になりました。少しずつ考えてみましょう。
 今回は《Amen》です。《Amen》の語尾がはっきりしない。(アーメー)になっている。なぜでしょう?これはカタカナで歌っているからです。
 日本語の《ん》は同じ文字で書かれていてもその発音は5種類に区別されます。これはどこの国の言葉でもあることですが、同じ文字、たとえばdとかgとか書かれていても その文字のおかれている環境、つまりすぐ前の音とかすぐ後の音とかに影響されて少しずつ異なった発音がなされています。 これは意識してそう発音しているというのではなく、自然にそうなっているのです。日本語でも同じで特に《ん》はそのすぐ後の音に引っ張られて5種類の発音になります。自然にそうなるのです。

 ちょっと実験してみましょう。《三》という文字はいろんな言葉につきますね。次の言葉をゆっくり発音してみてください。《サン》の《ン》をいうとき、舌や唇はどうなっていますか?
1)三枚 三匹 三筆(さんぴつ)
2)三太(人名) 三台 三途(さんずの川) 山王(さんのう) 三流
3)三如来(さんにょらい)
4)三回 三界(さんがい)
5)三世(さんせい) 三不動(さんふどう) 三役 三和(銀行) 三愛 三(語尾)

1)は《ん》で唇が閉じられている
2)は舌の先が上の前歯または前歯と歯茎の境目あたりにあたっている
3)から5)までは舌の位置がだんだん後ろへ行っている、ということが自分で感じれる筈です。これはすぐ後ろに続く音に引っ張られてそうなっているのです。 特に語尾の《ん》を含む 5)のグループの《ん》は、ほとんど喉の奥の方に引っ掛かりがなく軽い感じですね。私たちがカタカナで《Amen》を歌うと。この 「ほとんど引っ掛かりのない」《ン》でアーメ(ン)と歌っているのだと思います。アーメーと聞こえます。
 だから、Amenは(アーメー)でもなく(アーメヌ)でもなくA-menと歌いましょう。この語尾の《n》はラテン語の《n》の筈ですが、先程の日本語の《ん》の5分類でいうと 2)に一番近いと思われます。

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第2回 《Sanctus》と《Sancta》は別の言葉?
  1. Sanctusは[saηktus]と発音しているのにSancta Maria(Ave Maria の後半)やcum Sancto Spiritu(ミサのGloriaの最後の所)は[k]の発音を飛ばしてサンタマリアとかクムサントとか歌っていませんか?  sanctaはsanctusの女性形で全く同じ意味の言葉です。発音も同様に[k]をいれてsaηkta]が正しい。sanctoも[saηkto]です。
     なぜサンタマリアなのか。おそらくこの言葉がポルトガル語から入って来て、そのまま外来語として日本語になってしまったからでしょう。(ラテン語のsanctus, sanctaは、イタリア語・スペイン語・ポルトガル語になるとcが落ちてsanto, santaに変化しています。 サンタルチアはイタリア語です)「ミサ」や「Ave Maria」、「Sancta Maria, Mater Dei」などのCDをよく聞けば[k]の音が入っています。ただし、決してサンタではありません。あえて変な表記法を使えば[サンkタ]でしょうか。

  2. Sabaoth(ミサのSanctusの頭、Sanctus Dominus Deus Sabaoth)これはヘブライ語で万軍とか天軍とかいう意味ですが、語尾のthは[t]の発音です。英語の[θ]ではありません。 いま、なんとなく曖昧に歌っていませんか? あるいは全く発音していないのではありませんか? 語尾に軽く[t]を入れると大変きれいに聞こえますよ。

  3. ラテン語は英語やドイツ語とは異なり語尾が母音で終わる言葉が多い言語です。かといって、日本語のようにすべて母音で終わるわけではありません。 子音で終わる言葉はきっちりと子音を発音しましょう。また子音で終わる言葉の後に勝手に母音を付け加えたりしないように。
     似たような言葉でも、母音の有無で意味の異なる場合があります。  たとえば、「est」と「esto」。今まで歌った例で見てみましょう。
     Hodie Christus natus est. 今日キリストが生まれた。
     Esto nobis praegustatum. 我々のために糧(かて)となってください。
    「est」も「esto」もesse動詞(である、英語のbe動詞に相当)の変化形ですが、estoは未来命令形で将来の期待や願望を表しています。いずれにせよ、曲はそのラテン語に合うように作曲されていますから楽譜に忠実に歌えばよいわけです。
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第3回 ラテン語の発音はどれが正しいか?
  1. ラテン語は現在一般の言語生活では使われていない言葉です。ラテン語で書いた小説や漫画もあり、フィンランドからはラテン語の短波放送が聞こえてくるそうですが、まず普通には使われていません。したがって、現在生きて使われている言語のようにこれが絶対正しい発音だと決めることはできません。いろいろ研究がなされ、宗教音楽を歌うにはこれが良かろうといわれているものを採用して我々は歌っています。しかしそれとは異なった発音もあります。CDで聞いてもいろいろあるし、カトリック式だから外人の神父様の発音が良かろうといっても神父様の母国語によって若干差があるともいわれているようです。

  2. 「Ave Regina caelorum」(めでたし、天の元后−J.Rheinbergar作曲)が1999年度合唱コンクールの課題曲に取りあげられました。この曲名をどう発音したらよいでしょう。
    (1)アヴェ レジナ チェロールム
    (2)アヴェ レギナ ツェロールム
    (3)アヴェ レギナ カエロールム
     土曜会が歌うとすれば(1)ですが、全日本合唱連盟の会報Harmonyの課題曲解説には次のように書いてあります。
     「ラインベルガーがドイツ語圏の作曲家であることを考えると(2)がふさわしいと考えられる。しかしドイツ語式に伴う微妙な母音の変化まで徹底が難しいのであれば(1)でもかまわない」と。
    (3)は古典式発音です。

  3.  どれも正しいのです。とはいっても合唱団としては統一した発音をしなければまとまりがつきません。だから最初に書いたように宗教音楽を歌うのにこれが良かろうという発音を土曜会では採用しています。主として《小泉 功著:宗教音楽におけるラテン語の読み方》に拠っています。この本は絶版で類似のものも見当たりません。どなたかこれに代わる良い本をご存じありませんか。
     今回言いたかったのは、どの発音が絶対正しいということはない、だからCDや他の合唱団の演奏を聞いて土曜会の発音と違うところがあってもそれは間違いとは言い切れない、ということです。その国の、あるいはその合唱団のやりかたで発音しているのだと思って聞き、どこがどう違うか聞き分ければ良いと思うのです。
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第4回 IESVS CHRISTVSとは誰のこと?
  1.  CREDO IN VNVM DEVM DOMINVM IESVM CHRISTVM ....
     ヨーロッパ旅行のとき教会や記念碑、墓などでラテン語をたくさん見かけましたが大文字ばかりで、またVやIが多く出てきて、一体何の言葉かしらんと思ったのではありませんか? 今回はラテン語の書き表し方です。
     ラテン語の文字は元来23文字(Kは使われる場合がごく少なかったので実質22文字)でした。英語のアルファベットは26文字ですから3字少ないのです。無かった字は、J,U,Wです。元来Vは母音の[u]にも子音(半母音)の[w]にも使われていましたが、後にUが導入され、Uは母音にVは子音に使い分けられるようになりました。またIは母音[i]にも子音(半母音)の[j]にも使われていましたが後にJの文字が作られ、Iは母音にJは子音に使い分けられるようになりました。ですからIとJ、UとVの使用法については現在でも揺れがあり、混用されています。とくにJのところにIを使うのは楽譜でもよく見かけます。また、Wはラテン語では用いられません。

  2.  また、ラテン語はもともとは大文字ばかりで小文字はありませんでした。後に筆写や読むのに便利なように小文字が生まれました。現在では固有名詞およびその派生語、文あるいは段落の最初の語のみ大文字を使うのが慣例となっています。

  3.  以上でおわかりのように、この文の表題はJesus Christusイエス・キリストです。
    1.の始めの文は“Credo in unum Deum Dominum Jesum Christum”です。表記の揺れは楽譜によっていろいろ見かけられますし、また同じ楽譜でも譜面の所と巻末の歌詞ページで表記が異なったりしています。以下はいずれも今まで歌った曲にあった例です。どちらの表記も正しいのです。発音も同じです。日本語でも《胡瓜/きうり/きゅうり》はどれも同じものを指していて、発音も同じですね。
    cujus/cuius(..ところの人の、誰の)ejus/eius(彼の、その)
    Jesus/Iesus/IESVS(イエス)eja/eia(さあさあ、いざ)
    justitia/iustitia(公正、法)judex/iudex(裁判官)
    jubilatio/iubilatio(歓呼)jubilo/iubilo(歓呼する)


  4. このほかにも表記の揺れはいろいろ見られます。実際に出てきた例です。
    caelum/coelum(天、空)caelestis/coelestis(天の、空の、神の)
    exsilio/exilio(逃げる、飛び出る)exsilium/exilium(追放、亡命)
    tamquam/tanquam(あたかも...のように)Allelujah/Hallelujah
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第5回 “Credo”...誰が「信じる」のか?
  1. Credo in unum Deum. “Credo”の歌い始めです。「私は唯一の神を信じます」
     unum 唯一の、Deum 神を、Credo 私は信ずる....credo は credere「信じる」という動詞の一つの変化形ですが「私は」は一体どこにあるのでしょう?
     そうです、Credoという一語の中に「私は・信じる」の両方の意味が含まれているのです。これは英語(必ず主語を必要とする)とは随分違う点です。
     ラテン語の動詞はその語尾変化によって人称(一人称、二人称、三人称)、数(単数、複数)、時称(現在、過去、未来など6種類)、その他文法上のいろいろな働きを表すのです。その変化の総数はあまりに多くてちょっといくつか解らないくらいです。これを全部覚えるなんて大変なことですが。今回は「ラテン語では動詞の変化形のに中に人称代名詞の主語が含まれている、そして余程主語を強調したいとき以外は主語を省略する」ことを覚えましょう。

  2. “Sancta Maria, Mater Dei, ego omnia tibi debeo.”これは「私は」を強調するためあえて《ego 私は》を入れている例です。こういう例はめったに見かけません。
     “Credo”の終わりの所にExpecto resurrectionem mortuorum.「私は死者のよみがえりを待ち望む」とありますが、ここでも「私は」はexpectoという動詞の中に含まれていて、《ego 私は》という主語は省かれています。

  3. “Gloria”の初めの所に Laudamus te, benedicimus te, adoramus te, glorificamus te. と《te あなた(主)を》褒めたたえる言葉が連続しています。
     たたえているのは誰でしょう。「私たち」です(一人称複数)。これが「私が」ならば Laudo te, benedico te,... となるところです。laudamus なら「私たちがたたえる」、laudo なら「私がたたえる」。この語尾変化に注目。語尾には一定の法則があります。僅かな例外を除いて次のようになっています。
     単   数 複   数
    一人称私は-o または -m私たちは-mus
    二人称あなたは-sあなたたちは-tis
    三人称彼/彼女/それは-t彼ら/彼女ら/それらは-nt


  4. 実例です。数字は人称を、単複は単数/複数を示す。(競馬の単/複じゃないよ)
    Gloriaから: gratias agimus tibi(1複)  sedes ad dexteram Patris(2単)
    Credoから: descendit de caelis(3単)  resurrexit tertia die(3単)
    Poulencクリスマスモテットから: obtulerunt Domino aurum, thus et myrrham.(3複)
          quem vidistis, pastores(2複)  natum vidimus(1複)
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第6回 アントニーがクレオパトラを愛する...それとも?
  1.  歴史や文学で名高いアントニーとクレオパトラの大恋愛、Antony loves Cleopatra.
     英語では必ずこの語順でなければなりません。語順を変えると意味が変わったり文意が成り立たなくなったりします。ところがラテン語では Antonius, Cleopatram, amat という3語があるとして、それらをどんな順序で並べても、つまり次のどれでも、
     Antonius Cleopatram amat
     Cleopatram Antonius amat
     Amat Cleopatram Antonius  (この他にも3通りの組み合わせがある)
     どこを強調するかというニュアンスの違いを除けば「アントニウスはクレオパトラを愛している」という文法上の基本的意味は変わりません。なぜでしょう?
     それはラテン語の名詞には意味関係を示す印が一語一語に組み込まれているからです(名詞以外に代名詞、数詞の一部、形容詞も同様です)。だから語順は非常に自由な訳です。
     「クレオパトラはアントニウスを愛している」ならば Cleopatra Antonium amat ... etc となります。さっきと語尾が違いますね。

  2.  私たちが歌っていて、Dominus《主》という言葉がしょっちゅう出てきますが、その語尾は色々変化していますね。これを整理してみましょう。
     dominus という語はもともと主人、支配者、所有者などという意味でそれには単数、複数がありますが、大文字となって《主》の意味となれば単数しかありません。文法上の用語はちょっと聞き慣れないものですが辛抱してください。
    >主よ
    主格 Dominus主はDominus tecum. 主はあなたと共に(ある)
    属格 Domini主のBenedictus qui venit in nomine Domini. 
    ほむべきかな、主の名によりて来るもの。
    与格 Domino主にobtulerunt Domino aurum. 彼らは主に黄金を捧げた。
    対格 Dominum主をCredo in unum Dominum. 私は唯一の主を信じる。
    奪格 Domino主によって、
    〜において、〜から
    a Domino. 主によって。 cum Domino. 主とともに
    呼格 DomineDomine Deus. 神なる主よ


      ◇ Dominus では、与格と奪格が同型だが語によってはそれぞれ異なっている。
      ◇ 呼格は多くの語で主格と同型だが、Dominus では別の形(Domine)である。

  3.  前回お話しした動詞の特徴と相俟ってラテン語は現代語に比し簡潔で、また厳格な語順の規則がないのに明確に文法的意味関係を示し得るという優れた特色を持っています。
     私たちが歌った歌の中にも同じ歌詞を作曲者によって語順を変えて作曲しているのがあります。探してみてください。
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第7回 いつも乗っている市バス、語源はラテン語です。
  1. 皆さんがラファエル幼稚園へ三宮から乗ってくる市バス、《バス》というのはもともとラテン語からきた言葉です。
  2. ラテン語にomnisという形容詞があります。「すべての」という意味です。この言葉の与格複数形(この連載第6回参照)がomnibusです。つまり「すべての人々のために」です。もともと馬車は貴族、上流階級のものだったのがフランスでみんなが乗れる「乗合馬車」が生まれ、これがvoiture omnibus(万人のための乗り物)と呼ばれました。この後半部が英語に借用され、動力が馬からエンジンに変わって「乗合自動車」となり、言葉は変化語尾だけが独立してbusとなりました。英語でtaxicab→taxi, photograph→photoのように前半が、あるいはinfluenza→fluのように中間部が残るケースがほとんどなのに、busは末尾の部分が残ったのです。読み方はラテン語の《ブス》が英語で《バス》となりました。

  3. オムニバスは、数編の独立した作品を一括して一編の映画にした《オムニバス映画》として日本語にもなって使われています。また、一人の作家または数名の作家の同類の作品を集めた一冊本の著作集(普通は廉価版)の意味にも使われます。

  4. omnis(すべての)は我々が歌う曲によく出てきます。
    Exaudi orationem meam, ad te omnis caro veniet.(Requiem:Introitus)
    すべての肉体の向かうべき主よ、わたしの祈りを聞いて下さい。
    Absolve Domine, animas omnium fidelium defunctorum ab omni vinculo delictorum.
    (Requiem:Tractus)主よ、死んだすべての信者の霊魂をすべての罪の鎖から解放して下さい。
    Ex Patre natum ante omnia saecula.(Missa:Credo)すべての世のまえに父から生まれた。

  5. -busのつく言葉は、歌った中にいろいろありますね。 Benedicta tu in mulieribus.(Ave Maria)あなたはおんなたちの中で祝せられたお方。
    Ora pro nobis peccatoribus.(Ave Maria)祈りたまえ、われら罪びとたちのために。
    In terra pax hominibus bonae voluntatis.(Missa:Gloria)地には善意の人々に平和あれ。
    -busは名詞および形容詞の非常に多くの言葉を含むグループの与格と奪格の複数形につく語尾です(連載第6回参照)。与格と奪格とでは用法や意味が異なりますが、いずれにせよ必ず複数形に用いられます。-busが出てきたらとにかく複数−たくさん乗れる乗合バスを思い出してください。

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第8回 MissaのCredo(信仰宣言)の構造
北村先生のご説明をまとめてみました。演奏会プログラムのミサ対訳も参照のこと。
  1. Credoの中でego(私)がするのは(1)credo(私は信じる)、(2)confiteor(私は承認する)、(3)expecto(私は待ち望む)の三つの行為です。いずれも主語であるegoは省略されています。(連載第5回参照)
    このうちでconfiteorは語尾の形が他の二つの動詞と異なっています。普通こういう形の語尾は受動形を示します。(amo私は愛する←→amor私は愛される、amat彼は愛する←→amatur彼は愛される)ところがラテン語には受動の形でありながら意味は受動でなく能動を表す言葉がかなり多くあります。ミサやレクイエムにも出てきます。
    confiteorは「私は承認される」ではなく「私は承認する」です。

  2. さてCredoの構造、三つの動詞があります。(数字はドミニクスミサ楽譜のページ)
    【1】 *(ego)credo私は信じる、その対象は次の[1]〜[4]です。  

    [1] in unum Deum,(ここから楽譜p.49)
    唯一の神を
    Patrem
    父を
    omnipotentem,
    全能の
    factorem
    造り主を

    ------caeli
    et
    terrae, visibilium
    地の 見えるもの
    et
    invisibilium
    見えないもの

    *一番初めのCredo in unum Deumは神父様の言葉で楽譜には書いてない。
    演奏では団員の一人が歌う。楽譜にこの句を記入しておく事。

    [2] (p.50)in unum Dominum,
    唯一の主を
    Jesum Christum,
    イエスキリストを
    Filium
    子を
    Dei unigenitum
    神の独り子に生まれた

    《pp.52〜76 イエスの生誕、受難、復活が述べられている》

    [3] (p.77ソロ)in Spritum Sanctum,
    精霊を
    Dominum
    主を
    vivificantem
    生命を与える人を

    《p.77-198小節〜p.79 精霊について述べられている》

    [4] (p.80)in unam
    唯一の
    sanctam
    (聖なる
    cathoricam
    公教の
    et apostoricam
    使徒伝承の)
    Ecclesiam
    教会を


    【2】 (p.81)(ego)confiteor 私は承認する
    unum
    唯一の
    baptisma
    洗礼を
    in remissionem
    許しのための
    peccatorum
    諸々の罪の


    [1]resurrectionem
    復活を
    mortuorum
    死者たちの
     
    [2]  vitam  
    生命を
    venturi
    来るべき
    saeculi
    世の(来世の生命を)
    【3】 (p.81-260小節)expecto 私は期待する   

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