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3年H組の方は

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迷惑メールが多いので暫くの間送信出来ません。


別人28号さん
Sat, 30 Jun 2007 23:27:15
東芝音楽工業って聞いて、ア〜懐かしい、という人は50代以上
ご無沙汰。

今日、新聞広告で東芝EMIが「EMIミュージック・ジャパン」に
社名が変更されたという告知を見て東芝という文字がついに外れたとシミジミ…
今年になって東芝がグループ会社の東芝EMIを売却するという記事を見て
少し驚いたもんだった。これも時代の流れっていうもんか…
われわれの世代にはなんと言っても『東芝レコード=東芝音楽工業』名のほうが
よりピッタリくる。中学・高校時代に買ったレコードは東芝レコードのレーベルが
7割位を占めていたような気がする。
ビートルズ、ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、ベンチャーズ、
み〜んな東芝レコードだったもんネ。
レーベルもオデオン、キャピタル、リバティなんてのが今でもすぐにも思いうかぶ。

ところでポールの"64歳になったから"リリースした新譜聴きましたか?
オッサン連中にはなかなか評判いいみたいだネ。
前作よりすっきりしているように思えていいと思っている。
返信:中学生の頃、たしか日曜日の夕方にラジオで東芝ヒット・パレードという番組やってたよね。前田武彦の。コロンビアやビクターもあったのかもしれないが東芝ヒット・パレードだけは聴いていた。あと、9500万人のヒット・パレードも。小島正雄はもう亡くなったけどあの声は印象に残っている。僕は東芝レーベルが9割かもしれない。だいたい、レコードという言葉がもう死語になりつつあり、オープンテープもカセットテープも死語。CDの売り上げも悪いらしく、音楽を聴くのはパソコンからの時代になるのかも。時代の変化が早すぎ。ポールの新譜はまだ聴いてないのでCDでも買って聴いてみますか。

別人28号さん
Fri, 13 Apr 2007 00:22:20
読んだ二冊と読めない二冊
久しぶり!
毎年のことながら学生相手の仕事をメシのたねにしているオイラにとっては
受験が始まる頃から入学までの時期は稼ぎ時。
最近になり、やっと一息ついている。
忙中閑ありって言うわけではないけれども最近立て続けに読んで
おもしろかった二冊の音楽本の感想を。

『リッスン(ジャズとロックと青春の日々)』中山康樹〜講談社文庫
1952年生まれの著者は雑誌「スイングジャーナル」の元編集長だった人物。
1952年生まれ。そうです、同年代のビートルズに始まる音楽体験から後にジャズにのめりこみ
スイングジャーナル編集長を辞めるまでの30年近くの音楽体験記のような文庫本です。
中学時代のビートルズとビーチボーイズへのノメリコミぶりが「そうだった、そうだった!」
と同年代にしか感じない空気感をあらわして秀逸。もちろん著者とは生まれ育った場所も環境もちがいはあっても、1950年生まれとも1954年生まれとも違う1952年生まれだけの空気感ってこれだったと納得の一冊。(もちろんこんな感覚はどの年代でもあるのはあたり前ではあるが)

『僕の音盤青春記(1971-1976)』牧野良幸〜CDジャーナルムック
1958年生まれ、6歳年下の著者の中2から高3までのイラスト満載の音楽体験記。
へたうまなイラストが笑わせてくれ、最初に紹介した「リッスン」よりも笑えるのはこちらのほう。その昔、セイウチ君の弟さんが中学生の頃ビートルズにのめりこんでいたという話しを聞いた時のことを思い出し、考えてみたらセイウチくんの弟さん位の世代の音楽体験記だと思う。本の帯には佐野元春の推薦文が書かれている。特に「TEACのオープンリール・デッキ」と「SCOTCHとSONYのオープンリール・テープ」のページには懐かしくもあって大笑い!

とまぁ、最近おもしろかった二冊の本でした。

今手元にありながらなかなか読めない二冊の本。
「グレート・ギャッビー」・「ロング・グッドバイ」。村上春樹の新訳で話題の二冊。
なぜだかどうも今ひとつ読むぞ!という気持ちがのらない。
二冊とも20代に一度(いや、数回)読んだというのがあると思う。
それと映画化もされ、当時に観ていてもいる。
映画タイトルは「華麗なるギャッビー」だったかナ?
「偉大なギャッビー」(当時の本のタイトルはこんなのだったような記憶が…)、映画はR.レッドフォードとM.ファローだったと思うけどあまりおもしろかった記憶にない。衣装担当のラルフ・ローレンが後にあれほどのブランドになるとは思いもしなかったのが唯一の印象。
早川文庫の「長いお別れ」は「ザ・ロング・グッドバイ」(ザはなかったか?)のタイトルで
E.グールド主演での映画だったはず。これも期待はずれだったと思う。
猫を飼っているマーローなんて、なんだかナ〜と思った記憶がある。
村上春樹がネットで質問に答える本に出てくる<猫マーロウ>さんは
きっとあの映画のパロディだと勝手に思っている。
やはりフリィップ・マーロウは多分誰が演じても賛否両論のはず。
ハンフリー・ボガートのマーロウでさえ好き嫌いは分かれるもネ。
あの時代のE.グールドは「カプリコーン1」のほうがよほどましで面白い映画だった。

というわけで、いったい何時になったら読むやら。
返信:そうそう「中山康樹」って同じ歳なんだ。ビートルズの大ファンだけど、小野洋子のことを批判的に書いたりしてなかなか文も面白い。中高生の頃の2年違いは結構感覚が違うんだよね。ファッションも含めて。僕らの少し上はビートルズよりプレスリーの世代で、ビートルズが出てきた時はプレスリーの方が凄いんだぞ、なんて言ってた。

『僕の音盤青春記(1971-1976)』牧野良幸〜CDジャーナルムック   この本面白そう。TEACのオープンリール・デッキ、懐かしいな。屋根裏にまだ2台置いてある。もう全然使っていないけど。2トラ・サンパチ。当時、30万以上したかも。10号リールが1本3000円くらいで、7号リールが1000円くらい。今、CD1枚30円くらいだろう。オープンリールとカセットテープは全部処分した。ビデオもDVDに代わって処分したし。時代の変化が激しい。

「ロング・グッドバイ」は先週ヨリが読み終えて読もうと思っているが何時になるやら。村上春樹の本の中によくグレート・ギャッビーやロング・グッドバイが出てくるので、読んでみたけどそんなに面白くない。村上春樹自身の本の方が面白く止まらなくなってしまう。で、村上春樹の訳したグレート・ギャッビーは面白いか、といってもこれまた夢中にならない。なんか違うだよね。


別人28号さん
Thu, 15 Feb 2007 23:38:55
Dream Girls〜「おすぎ」は★★★★★だそうで…
今週末からロードショー(死語?)が始まる「シュープリームス」をモデルにした
ブロードウェイ・ミュージカルの映画版『ドリームガールズ』。
久々にオイラのアンテナに引っかかった音楽映画。
おもしろい映画だったらいいなと少し期待している。
1962年から始まる「シュープリームス」の栄光と挫折の物語を当時の音楽(もちろんここでは
モータウン・サウンド)と風俗をからめながら描いていてナカナカとの評判の映画らしい。
ディスティニー・チャイルドのビョンセがダイアナ・ロスの役になるようだネ。

モータウンがL.Aではなくデトロイトにあった時代の一番ソウルしてた黄金時代の物語。
でもよく考えると、60年代のモータウンって当時日本ではほとんど認知されていないはず。
特にビートルズに代表されるイギリス勢の対抗としてかろうじてシュープリームスあたりが
やっと知られたグループぐらいのはずでFENあたりを好んで聴いていた数少ないブラック・
ミュージック好きがあの当時日本にはいったい何人いたものか…
60年代のブラック・ミュージックがきちんとした形で紹介され始めたのは70年代以降のはず。
高校生くらいのオイラが60年代のモータウンシンガーで知っていたっていえば、「シュープリ
ームス」以外にはせいぜい「テンプテーションズ」、「フォートップス」くらいのはずだもんね。

話しは変わって頼子オクサマへのインフォメーション。
今週17日(土)のNHK BS2で午後8時からGS特集をやるのは知っていましたか?
もし気がついていなかったら要チェックですぜ。
期待はずれになるかもしれないけれども、
前回みたく記憶の底から浮かび上がった「アリゲータ・ブガルー」みたいな
意外な曲がかかるかなんて少しは期待もしているんだけれどネ。
返信:シュープリームスといえば「ひとりぼっちのシンフォニー」が好きになったきっかけだね。このシンフォニー(交響曲)とはモーツァルトのシンフォニーのことらしいけど。その他にも「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラブ」、「恋はあせらず」、などいい曲がいっぱいあった。たぶん中学生の頃だったよね。ダイアナ・ロス以外のふたりは全然顔を覚えていなく、ダイアナ・ロスが独立した時は、やっぱりそうなちゃうんだなあ、って感じた。映画版の『ドリームガールズ』を観たらその辺の経緯がわかって面白いかもね。

今日のGS特集、知ってまっせ!昔の歌はすぐいっしょに歌えるから楽しそう。だけど、みんな40年経っているのでおじいちゃんになっているだろうけど、観ている方もおじいちゃんとおばあちゃんだから、マ、いっか。

U2の「Window in the skies」という曲がヒットしてるけど、MTVのビデオを観たら50年代、60年代のシンガーが沢山出てくるんだ。2秒位ずつ。顔は知っているけど名前が出てこないんだよな。いやになっちゃうよ。


別人28号
Sun, 4 Feb 2007 13:33:40
RYDEEN 79/07(ユルサがたまりません…)
前回に引き続きキリンビールCM曲の話題。

一昨夜の夜中にNHKの「ポップジャム」を見たら(もちろん偶然)オープニングの映像に
YMOが出ていたので若者向け番組にオジサン連中?…
往年の名曲(?)『ライディーン』が新アレンジでメーキング画像と共に流れていた。
で、昨日の朝日の朝刊に前面15段ぶち抜きで『RYDEEN 79/07』の広告があった。
これはビールの広告ではなく曲の広告で、しかもネット配信のみの発売という
いかにもYMOらしい販売戦略だった。
昨夜あたりからキリンのCM曲でも流れ出し現代のメディアミックス完了という感じの
『ライディーン』。ネット配信のみの販売っていうのはいかにも今風。
新アレンジの『ライディーン』を聴いて感じたのは一言で「ユルサ」かな。
テクノ(オォ〜なつかしい、死語か…)全盛時のとんがった感じがまるでなく
メンバーが50代ということを考えればこれも時のなせる業か、なんて思ってしまった。
今回のユル〜イ感じの『ライディーン』もマッ、イイカなんて思うのも年とったせいか?
でも個人的にはオイラ「テクノ」って好きじゃないんだよネ。
ちょっとカンベンのジャンルの一つが「テクノ」。
YMOメンバー個々の音楽にはわりと興味はあるんだけれども、
YMOの音楽はあまり興味がないのは昔も今も変わらない。

オイラ的にはYMOといえば「スネークマン・ショー」。
「スネークマン・ショー」といえばYMO、という連想になる。
そっちはまた別の機会に。
返信:キリンのCM曲はまだ聴いてないので知らないが、『ライディーン』は流行ったね。70年代中頃かな。YMOのレコードは買ったことはないけど、いい曲だと思っていた。その頃に流行っていたヘアースタイルに「テクノカット」があった。YMOが元祖なんだろうけど、ロングヘアー全盛期にテクノカットはもみあげをを極端に短くするなかなか斬新なスタイル。60年代、僕らが中学の頃には先生に「もみあげはもっと短くしろ!」と怒られていたけど、70年代の中高校生は先生に「もみあげはもっと長くしろ!」って怒られていたらしい。当時の高校生に聞いた本当の話。おもしろいね。

別人28号
Wed, 24 Jan 2007 00:43:08
日本のおじさんロックもたまにはイイモンだ
今年一発目のメール。

ちょっと以前の話題だけれども、
昨年の夏から秋くらいに放映していたキリンビールのテレビCM憶えているかい?
チューリップ、寺尾聰、サディスティック・ミカ・バンド、まだあったっけ?
往年のヒット曲を流してキリン・クラシック・ラガーをPRするというやつです。
40・50代のオジサン・オバサン対象にもっとキリンビールを飲ませようと魂胆ありあり
なんだけれどもそれでも思わず「オッ」と聞き入ってしまった。
でもって去年秋から冬にかけて寺尾聰、サディスティック・ミカ・バンドのCDを聴いて
みての感想なぞをすこし書いてみる。

チューリップはちょっと興味がないのでパス。

まず寺尾聰、昨年12月20日に25年前の名作『Reflections』が『Re-Cool Reflections』として
アレンジャー・キーボードは井上鑑のままでリメーク。井上鑑は25年前のこの作品でアレンジャーそしてバックバンドのキーボード奏者で寺尾聰と共にブレークしたのは記憶にいまでも鮮明に残っている。25年前と全部同じ曲がならぶというちょっと珍しいCD。
25年前と同じ曲がならんでいてもアレンジが変わっているので音は今風になってはいる。
当時の音と比べたら音圧の違いは歴然だし、楽器の一つ一つの音がなんとクリアなんだろうと感心してしまうほどの録音技術。でも聴き終えて「なんだかナ〜」って言うのが正直な感想だった。ちょっと枯れすぎなんでないの寺尾さん…って感じなんだな。20年以上前レコードで聴いた当時に感じた音楽に対するパッションがウスすぎる。俳優寺尾聰の今の音楽はこんな風なんだと割り切って聴けばまぁこんなAORもあっていいかと納得するしかない。
ちなみにこのCDを聴きたいと注文したのは我が家のオクサンだったけど一回聴いて昔の方がイイと言ってそれっきり聴いていない。CD買って損したとぼやいていた。

サディスティック・ミカ・バンドは三代目ボーカルに木村カエラを起用して大正解!
CM曲で「タイムマシンにおねがい」(桐島かれんのボーカルもへたうまでよかった)を聴いた時に元気があってよろしい!って感想だった。加藤和彦によれば木村カエラを起用したのはきれいな日本語で歌う、という理由らしい。確かに今風の変な巻き舌ボーカル(個人的にはサザンの桑田以外はどんなにうまいボーカルでも巻き舌はパス)ではなく、オジサンが聴いても安心して聞き取れる日本語の歌詞なのは納得。
CDオープニング曲の「Big-Bang,Bang!」はロックしててなかなかのモノ。
木村カエラがメンバーにとっては娘のような世代なんだから若者にとっては
なんもこんなオジサン連中と演ることなかろうにとブーイングのひとつもでているかもネ。
70年代の日本のロックバンドでは一番といってもいいほどファショナブルな(グラムロックの影響もあってか服装はヨーロピアン、ロンドンブーツ!だったもんナ〜)メンバーも今や一番若いのはオイラたちと同級生の高橋幸宏と高中正義なんて隔世の感がする…
演奏はキャリア・実力とも文句なしでロックしている。でも多分CD第二弾はないだろうナ。

オイラたちが20代の頃、五十を過ぎて歌謡曲以外の音楽の市場があるなんて想像すらしていなかったことを考えると今もって現役でCD出している50代以上のミュージシャンは時代の荒波にさらされて生き残り、たいしたもんだと表彰したいくらいだネ。

返信:確かにそうだね。ミック・ジャガーは70過ぎてもロックコンサートやりそうだし。先週観た映画「ディパーテッド」の中の音楽がローリング・ストーンズ、ジョン・レノンその他昔の曲だった。音楽も良かったな。寺尾聰は全然趣味じゃないけどいい声してると思う。今聴くとカラオケで歌いたくなるかもね。サディスティック・ミカ・バンドのサウンドの方が趣味かも。木村カエラも可愛いし、聴いてみたい。

別人28号さん
Tue, 26 Dec 2006 21:33:15
ゲロッパ死して皮のこす!
いや〜驚いた! 
あのJBことジェームス・ブラウンが死んじゃったとは。
FUNKなんていう言葉もJBが広めたようなものだもんネ。
JBはシングル、アルバムとも膨大な音源があって
昔からコレクター泣かせでも有名だった。
これからきっとコレでもか!っていうほど追悼盤が出るんだろうナ。

有名なガウンを着たり脱いだりのパフォーマンスは昔から大好きだった。
あの有名なパフォーマンスは矢沢永吉のタオルパフォーマンスに引き継がれた、
と勝手に解釈しているのはオイラだけではないと思っているんだがネ。

JBを追悼して久しぶりに80年代最高の音楽映画(と自分では思っている)
『Blues Brothers』のDVDでも観るつもり。
ちなみにこの映画ではJBは牧師に扮しています。
返信:ファンクの帝王、ジェームス・ブラウン。60年代で30代だったんだね。昔も今も殆ど変わらない同じ顔をしてたよね。老けたオッさんって感じだった。『Blues Brothers』も20年以上前だからすっかり忘れている。また観たら面白いかも。

別人28号さん
Tue, 21 Nov 2006 00:05:12
『LOVE』を聴いたらNOBODYを思い出した
日本国内のCDの発売日はほとんどが水曜日だったのは知っていましたか?
それは国内のチャートの集計が火曜締め切りというのに多いに関係していて水曜〜翌週火曜の1週間の売り上げがその週の順位ってことらしい。
早い話が「オリコン」のチャートに合わせてのことらしいう話しを聞いたことがあった。
で、そうはさせなかったのは、さすがはビートルズ。11月20日世界同時発売ってことは欧・米より時差の関係で日本のほうが早いってことかいナ? なんかボージョレ・ヌーボーみたい。

近所の新星堂あたりは普通であれば発売日前日の夜には新譜が手に入るので、
今回も前日には聴けると思っていたが「お客さん、これは世界同時発売なので20日月曜
それも午後からですね」とつれないこと。

でもって、今3回目の全曲聴きながらのメールです。
第一印象は思ったよりいじっていない… かな。
勲章ジイサンだけあって「おジョウヒンなお仕事」というのが感想。
ポールがもっと過激でもよかったなんて言ったのもうなづける。
ポール自身の音楽性の好き嫌いは別にしていつも<今>の音楽をやろうとしている
ポールにしたら『LOVE』は少し物足りないと思うのは分かるような気がする。

それにしても現代のテクノロジーでは60年代の音源でも違和感なく曲の一部を切ったり貼ったりと自由自在でおどろき! その昔なんてテープの音源からテンポの違う曲どうしをテンポを合わせてくっつけたりしたら曲のキーが犠牲になったりしてあまり聴けたもんではなかったけど、今やそんなことも見事に解消できるとはおどろく。

8曲目"GNIK NUS"には大笑い。いまさらコレあり?
ジャイルズもテープ逆回転の誘惑には逆らえなかったとみえる。

何回も聴きこんでいけばまた何か新しい発見や感動も見つかるような『LOVE』でした。
オイラはCDだけの通常盤しか買わなかったけど、DVDはどんな映像が入っているの?

その昔、「スターズ・オン・ビートルズ」とかで(「フックド・オン・ビートルズ」だったか今ひとつ記憶があいまい)ヒット曲をシームレスに録音したレコードというのが流行ったのを憶えていますか? ビーチ・ボーイズやビージーズもあったと思う。
『LOVE』を聴いていたら脈絡なくNOBODYというグループの『リバプールから愛をこめて』
(だったと思う)というシングルレコードを思い出した。スターズ・オン・シリーズが流行っていた時代だったと思うので20年以上前のことだと思うが、小林克也のDJで始まり60年代のマージービート中心のシングルA・B面、このシングルがなかなかカッコいいレコードだった。
日本人がやっているわりには雰囲気充分で、当然ビートルズの曲もあってあの当時お気に入りレコードだったのを思い出した
返信:返事が遅れてスマン。ちょっと忙しかった。

週刊新潮に'LOVE' はビートルズのメンバーに対する冒涜だとかいう記事が書いてあったけど、僕は聴いてみて冒涜とは感じなかったな。聴く前は、曲をめちゃめちゃに崩していたらいやだなと思っていたけど、曲自体はそんなに変えてないと思う。他からうまくテンポ、キーを合わせてバックにもってきてるなと感心した。10年前じゃ無理な作業だね。演奏もビートルズのメンバーなんだし、文句はない。例えば、ボーカルはそのままで演奏は現在の最高の別な人の演奏で録音し合体しました、というのなら反対だけどね。  第二弾、第三弾と早く作ってよ!サー・ジョージ・マーチンさん。

「スターズ・オン・ビートルズ」あったね。今、レコード(CDじゃない)を調べたらいろいろあった。ビートルズの曲を他の人が歌ったり演奏するのが。クラシックで聴くビートルズとかジャズもあった。サージェント・ペッパーズ・ロンリー。ハーツ・クラブ・バンドと題するビー・ジーズとかピーター・フランプトンが歌っているのもあった。結局、曲は知っているから面白そうと思い買ってみるけどあまり聴かないんだなあ。やっぱりビートルズが最高さ。


別人28号さん
Thu, 16 Nov 2006 23:25:34
お願いだから、いいやつたのむぜ!勲章ジイサン
ビートルズの新譜『LOVE』の情報を少しばかり。

「レコード・コレクターズ」という月刊誌は知っていますか?
20年以上続いているオールディズ専門誌です。
オイラも愛読者なんだ。とは言え、毎号欠かさず買って見るというほどではなく、
本屋の店先で興味のわきそうな特集の時は買ってみる程度の読者です。

で、最新号のレコ・コレは20日発売の『LOVE』の特集号。
特集を読んで解ったんだけど、もともとはカナダのサーカス集団(?)「シルク・ドゥ・ソレイユ」 (日本でもアレグリア、キダムの演目で有名だネ)のステージ用音楽をCDにして一儲け!
ってジョージ・マーチンと息子のジャイルズがたくらんだかどうかは知らないけど…
へ〜、そうだったんだ…と雑誌を読んで解ったのでした。
<Because>に始まり<All You Need Is Love>に終わる全26曲。
曲目を見る限りでは26曲すべておなじみの曲。メインの曲に別の曲の一部をコラージュしたりす る手法が多いみたいだ。たとえば[A Hard Day's Night]のギターの"ジャーン"のイントロを <Get Back>のイントロに使ってみたりしてるそうだ。
興味があるならレコ・コレ12月最新号をチェックするべし!

雑誌を読んで初めて知ったんだけれど、<Eleanor Rigby>のオリジナルで歌いだしが
一瞬ダブル・トラックになっているのは昔から変な感じがしていたけど、
あれは音を重ねていく途中のミキシング上のミスだったんだ。
ああいうミスがそのままレコードになったのも、古き良き時代60’の産物だネ。

よく考えれば、今回のようなビートルズの原盤をいじれるのはポール、リンゴを別にすれば、
ジョージ・マーチンくらいしかいないのもわかるけど、どんな内容かはホントに気になるところ。 エリザベスさんから勲章を貰ったからっていいものできるとは保証されるわけないし…
とにかく発売日が今から楽しみ!
返信:なかなか面白そうな情報です。今月号は買って読みます。CDの発売日が楽しみだけど、気に入るかどうかは聴いてみないと分からないね。原曲をあまりいじりすぎてたらイヤかもしれないし、ジョージ・マーチンが関係してるのなら大丈夫でしょう。発売したら感想をお願いします。

ひまじん28ごうさん
Fri, 10 Nov 2006 19:10:19
おひさ^^
むすめさん結婚したの
おめでとうございます。

とうほうたいへん
ちゅうごくじんのおかげで
しつぎょうすんぜんーー;
いろんなほうめんへとらいちゅう
いろんなせかいがみえて
けっこうたのしいかも
返信:久しぶり。川に流されて死んだのかと思ったよ。ホームページも全然更新しないし。

ウチは一人娘だったからチョット寂しいな。四人くらい作っておけば良かったかな。はじめクンも真理ちゃんも元気?下の二人の子(会ってないから名前が思い出せない)も元気?その他の隠し子ちゃん達も元気?

そうですか、お仕事大変そうですね。20才代に安い給料で働いていても安定した会社に勤めていりゃ今頃はいい給料もらえるもんね。気分転換に東京に遊びに来れば?


別人28号さん
Mon, 30 Oct 2006 21:41:56
ジョージ・マーチン翁よ、これってあり?
まずは娘さんの結婚、おめでとうございます。
何年か後には孫を抱く”おじいチャン”とは
どうにも想像しずらいけれども、めでたしめでたし。

すでにチェック済みとは思うけれども、11月20日に『LOVE』なるタイトルのついた
ビートルズの新譜(?)が出ますが知っていた?
御歳80歳のジョージ・マーチンが息子とともに制作したとのこと。
120曲ちかくの既存曲(一部未発表音源もあるとか)をリミックスしたとのこと。
ジョージ・マーチンによると『LET IT BE』以来の新作と位置づけているという
ことらしいんだけれども、いくらなんでもメンバー二人はもうこの世にいないのに、
「ビートルズの新譜」とはチトやりすぎなんでは?
ポールとリンゴは出来栄えに満足しているそうな(ホントかい?)。
全26曲、2800円(予定)は高いか、安いか…
それにしても、ビートルズってまだまだ商売になるんだと感心してしまう。
そして、その「売らんかな」にのっかってしまう自分がチト情けないけどネ。
ジョージ・マーチンの手腕に期待しつつ、ただの老害で終わらないことを祈りたい。
返信:どうもありがとうございます。久しぶりだね。一人娘だったんで来る時が来たかって感じだったけど、名字が「あわづ」のままなのですごく嬉しかったし、気持ち的にも楽だね。ホント、お婿さんに感謝、感謝です。いい婿さんだよ。

ビートルズの新譜?知らなかった。いい曲かどうかは聞かなきゃ分からないけど、楽しみだね。たぶんそれなりに売れるんだろうけど、売れたら誰が儲かるの?まっ、ポールやリンゴ、それにジョージ・マーチンはいいとしても、これで小野洋子の収入になるのは気にくわないな。そんなことどうでもいいか。曲は期待出来ないけど、早くジョンの声(?)歌を聴きたいね。


別人28号さん
Sat, 19 Aug 2006 22:35:49
V3まであと一つ〜ここまできたら、駒大苫小牧ほんとにスゴイ!
>秋葉原ビックカメラ7F???
メール送信してからナンか変だな?? そうでした、ヨドバシのかん違いでした。
老化は確実に進んでいるようだ……。

最近のTV-CMで化粧品メーカー”ギャッビー”に70年代ソウルの名曲、
スタイリティクスの『Can't Give You Anything(But My Love)』邦題<愛がすべて>が
使われているのを知っていましたか? あのキムタクがダンスしているCMです。
歌のほうも本家本元に歌詞の一部を変えてまで歌わしている力の入れようがすごいネ〜。
♪But My Love♪の部分が♪ギャッビー♪になっているのがニヤリとしてしまう。

で明日の高校野球の決勝は東都リーグと六大学の高校編みたいだナ。
駒大苫小牧は勝っても負けても月曜の道新朝刊は
北朝鮮からミサイルでも飛んでこない限り、間違いなく一面トップまちがいなし!
返信:TV-CM、知ってるぜ。あれ、本家本元が歌っているんだ。そっくりさんが歌っていると思っていたけど。

僕が編集長だったら北朝鮮からミサイルが飛んできても一面トップは駒大苫小牧だな。釧路に18年間、東京に36年間暮らしてもやっぱり北海道を応援するのはどうしてかな?明日は駒大苫小牧の校歌ををいっしょに歌うぞ!「新人立てり 立てり 竹は波うつ 晴れたり この空 この我が駒澤」応援に力が入りそう。


別人28号さん
Sat, 19 Aug 2006 00:03:19
You Don't Have To Be A Star(星空のふたり)〜やっと、やっと探しあてた!
もう何ヶ月も前から我が家のオクサンから探してほしいといわれていた曲が
1977年にヒットしたマリリン・マックー&ビリー・デイビスJr.の『星空のふたり』。
どんな曲だったか憶えているかい? 
記憶になくてもイントロと数フレーズを聴けば多分思い出すようなタイプの曲。

何とかCDを手に入れたくてアマゾンを検索したり、近所のTUTAYA(ここはそこそこCDは充実しているんだが)で探したり、新星堂で検索しても見当たらず、最後はここになかったらあきらめるしかないとタワー・レコードまで行ってきましたぜ。
今住んでいる場所から近くのタワレコは錦糸町か秋葉原のどちらかなんだけれども、行き慣れた秋葉原ビックカメラ7Fにあるタワレコまで探しに行ってやっと、やっと探しあてた。

マリリンとビリーの夫婦デュオのこの曲は1977年1月にビルボード1になり、その年の日本でもヒットした曲。タワレコでも10年位前に出たCDは廃盤になっていた。最後の頼りは70年代ソウルのコンピレーションCDにこの曲が入っているのを探す、という方法だったが、
タワレコの店員のオニイチャンが探しあててくれた。感謝感激の店員だった。

もっともこの曲を聴くために3枚組み40曲入りCDを買うはめにはなってしまったけれどネ。
70年代ソウルのいい曲揃いのコンピアルバム、近々録音して送ります。

それにしても、タワレコ怖い! 
ついついいろいろなCDを手に取り、あれ欲しい、これ欲しい!って気づいたら、あ〜レジ通るのが恐ろしい… なもんでタワレコはなるべく行かないように努力しているオイラでした。

ちなみにマリリンとビリーの二人がソロになる以前にいたグループが『輝く星座(アクエリアス)』『ウェディング・ベル・ブルース』で有名な<フィフス・ディメンション>です。
返信:秋葉原ビックカメラ7F???  秋葉原はヨドバシカメラ、有楽町がビックカメラ。そんなことはどうでもいいけど、よくあったね。『星空のふたり』、急には思い出せない。ヨリも曲名は覚えているけどメロディーは出てこない、と言っている。昔、LP1枚が2千〜3千円くらいで、昔のLP5枚分くらいをCD2〜3枚に無理やり入れて2千円くらいで売っているから欲しくなるよね。僕たちの世代は好きな音楽はレコードやCDで持っていたいと思うけど、今の若者はiPodに入れたり、インターネットから曲をダウンロードして携帯電話に入れたりでいいんだよね。   CD屋さんもいろいろな手を考えて売ってくるよ。

で、駒沢苫小牧は凄い!凄すぎ。奇跡に近いね。明日の決勝、3年連続がんばれ!


間坂さん
Thu, 6 Jul 2006 11:43:23
1週間
クリツ作3年H組瀬村佳津男君をプリントアウトしてラミネートし初七日に持って行ってきま
した、花よりも、こちらが喜ばれました、母さんが昔話をして、あの子は、これが寿命だった
んだと、やっと吹っ切れたように見えました、皆さん、これからは自分の体を大切に長生きしましょうね。
返信:さすが間坂さん。粋なはからいをしましたね。カツオはみんなから慕われイイ奴だったから、ホント寂しいな。間坂さんも早くタバコを止めて健康に気をつけて下さい。

別人28号さん
Thu, 29 Jun 2006 22:40:08
Rock & Roll Music
今から40年前の1966年6月29日の今日、ビートルズが来日したんだっけネ。
中2だったあれからもう40年も経つんだ…
音楽雑誌あたりでは先月くらいから特集を組んだり、新聞の文化欄でも特集したり、
NHK-BSでは週末から特集がはじまるのはチェック済みですか?
今やビートルズは20世紀の文化になってしまっているんだと実感している。

来日当時は確かに新しいロックンロールバンドであり、人気もあったビートルズ
だったけれども、中2当時にビートルズのファンなんて一クラスに2〜3人もいれば
いいほうだったと思うけれどもネ。
中2で洋楽を聴いていたなんてクラスにはたして何人いたやら?(多分数人のはず) 
クラスの洋楽ファン=ビートルズファンっていう感じではなかったかい?
あの当時にも星の数ほどあったポップスの中でもビートルズは頭ひとつ抜けていたけれども
今のような評価される運命のバンドだったなんてまさかだれも思ってもいなかったはず。

日本公演の先だったか後だったかははっきりしないが、立ち寄ったフィリピンで
当時の大統領マルコスの婦人でもあったイメルダさんが個人的に宮殿で自分のために
ビートルズのコンサートをマネージャーのブライアン・エプスタインに頼んだけれども
断られたという話しがあったけれども、さすがのイメルダ婦人も靴を買うようなわけにはいかなかったと笑ってしまったネ。

テレビで見たビートルズだったら日本公演から数年後の衛星世界同時中継といわれた時の
"All Needs Is Love"を唄った番組みが印象的だったナ〜

題名の"Rock & Roll Music"はご存知日本公演でのオープニング曲。
チャック・ベリーのカバー曲ではじめているビートルズってやはりこの頃は
バリバリのライブバンドだったんだ一人納得。
返信:もう40年も経つんですね。テレビでこの当時の画像を流すと、必ずハッピを着たビートルズがタラップを降りてくるシーンをやるので、40年も昔とは思えないね。変な例えだけど、僕らが生まれた昭和27年頃から40年前を計算したら大正元年。第一次世界大戦よりもまだ前。信じられない昔だ。そんなことはどうでもいいか。

ビートルズの東京公演は中2だったよね。動くビートルズが見られるので夢中だったな。当時は勿論ビデオはないし、カセットレコーダーもない。しかし、ウチにあったんです。いいものが。何かの景品でもらった英会話を録音する機械が。自分の声を録音して聞き直せるっていうモノ。何分録音できるかは覚えてないけど、それを出してきてテレビの前に置いたんだ。嬉しかったね、これで何回も後でビートルズの音楽が聴ける。画期的なことだぜ。そうしたら、ジャジャジャン。オヤジがそれを見てカンカンに怒ったね。「勉強に使う物にビートルズなんか録音するんじゃない!」大人にはビートルズの音楽は理解されてなく、結局録音は出来なかったんだ。僕は怒り心頭もう二度と英語なんか勉強するもんかと思い(その前からしてなかったかもしれないが)、英語の成績が落ちてきたのさ。勝手な言い訳でした。


別人28号さん
Thu, 8 Jun 2006 22:10:16
まぼろしに終わった♪やめて〜♪
昭和46年・1970年の登校風景、本当に道路のすごさ!
あの写真を見て高3の文化祭を思い出してしまった。
セイウチ君、真理、そしてオイラの三人でのビートルズの発表会。
記憶に間違いなければ確か3曲を演ったはず。
曲順は"Shings We Said Today(今日の誓い)","Yesterday","In My Life"の3曲
だったと思ったけれども間違いない?
レコードではジョージ、ポール、ジョンがソロをとる曲になっていたけれど、
たぶん真理が選曲したんだと思うけれども、この選曲ってそこまで考えたのかナ?
それとも偶然? 選曲のいきさつは憶えているかい?
そもそもなんで三人で演ることになったかオイラまったく記憶に無いんだ。

それと幕あいの10分位に幕の前に出て演る「お色気歌謡曲」の練習したのを憶えているかい?
沢たまきの『ベッドで煙草をすわないで』と辺見まりの『経験』の2曲をメドレーで演る
という趣向だったはず。イヤ〜、今にして思えばずいぶんとエグイ選曲したもんだ。
真理がドえらくはりきってオイラたちにムチ打って練習をさせたのを思い出す。
マラカスとギーロまで用意したはずだったけれど、ステージ進行のあいまという条件だった
ので結局演らずに終わったまぼろしの2曲だったはず。

卒業アルバムに1枚だけあの時のスナップがあったけどセイウチ君と真理の顔ははっきりと
分かるけどオイラはティガロン・ハットを目深にかぶった横顔しか写っていないので
本人以外にはきっと誰だかわからないスナップになっている。
みなさん、スタジャン姿で革のケースに入ったVANのくしを細身のブラックジィーンズの
尻ポケットに入れて(あの当時のトレンディさ!)写っているのはボクで〜す!
返信:覚えてますよ。"Shings We Said Today(今日の誓い)"は別人さんの選曲です。A Hard Days NightのB面、ビートルズとしてはマイナーな曲で、渋い曲を選ぶなあって思った。真理がいいね、と一言で決定。いい曲だよ。"In My Life"は真理の選曲で、ハモる部分の高音部は真理が自分で歌うと言い、出ない声を無理して歌っていた記憶がある。それで僕が"Yesterday"を選んだというわけさ。あの当時、真理の音楽センスは抜群だったけど、声がイマイチでね。声が良かったら今頃は井上陽水のようになっていたかも。真理が東京に来てレコーディングすればいいなっていつも思っていた。で、『ベッドで煙草をすわないで』と『経験』の方が楽しかったね。この2曲は真理の選曲だよ。こっちの曲の方が歌ったら受けただろうね。


別人28号さん
Tue, 23 May 2006 23:37:27
GOSPE★RATS、なかなかいいゼ!
ラッツ&スターの三人とゴスペラーズの二人の合体ユニットGOSPE★RATS(ゴスペラッツ)、
4月にでたCDなんだけれども、これがなかなかいいんだよな〜。
全9曲中、井上大輔・湯川れい子コンビの曲が多数あり、他の曲も竹内まりや、大瀧詠一、と続き最後の曲は鈴木雅之のルーツミュージックでもあるドゥワップの"The Voice"で締めるという構成の企画のような企画でないような… コラボレーションっていうやつ? 
40代以上の人ならけっこう楽しめるアルバムになってもいる。
鈴木雅之はソロになってからはバラードのマーチンみたいなイメージが定着しているけれども、シャネルズやラッツ時代のアップテンポな曲にもいい曲あると思うんだけどネ。
GOSPE★RATS 1曲目の"ハリケーン”、曲中の小林克也のDJ入りでこれがまたいい!
作曲家の井上大輔(オイラたちの世代にはブルコメ時代での改名前の井上忠夫のほうがなじみがあるけどネ)に捧げるアルバムにもなっているらしい。
井上大輔の曲は変にこり過ぎたりしない分かりやすくてパンチのある曲を作るイメージの人だったんだけれど、惜しい人を亡くしたもんだね。それも自殺なんてネ…
それにしても、鈴木雅之のシメリけのあるネバッこいボーカル(スモーキーって言ったほうがカッコいいか)って好き嫌いの分かれるところだよな〜。まぁオイラは好きだけれどもね。
返信:先月、テレビでやってたね。田代がやっぱりいないなあって思ったけど。そんなにいいんだ。聴いてみたいね。井上大輔は自殺だった?金沢で井上大輔のお姉さんの経営している喫茶店に行った事を思い出した。「ブルー・シャトウ」、「学園天国」、「ランナウェイ」、などいい曲を書いてたよね。

きいこさん
Mon, 8 May 2006 18:06:01
ようやく桜の開花宣言 \ ( * ^ ▽ ^ * ) /
お久し振りです、お元気ですか?

激遅情報かも知れないけど。。

http://plaza.harmonix.ne.jp/~ayami/memopad/feature/doc_f01.html

  ↑ の【 動物 】をクリック♪ ちなみに私も毎週欠かさず観てました☆

ヨリちゃーん、今年は逢いに行きたいょ〜 ヽ ( ‘ ∇ ‘ ) ノ
返信:ありがとうございます。馬がしゃべる番組は「ミスター・エド」ね。解説をみると

♪馬がしゃべるそんなパカな、馬が歌うそんなパカな…(♪楠トシエ)
古い家を買ったら、喋る馬まで付いていた (JY)
・エドの声は三遊亭金馬(当時小金馬)。馬が本当に喋っているように口をパクパクさせたり、口に鉛筆を加えて電話のダイアルをするなど、よく仕込んだと感心させられた。

三遊亭金馬がエドの声なのは知っていたけど、歌は楠トシエだったんだね。チロリン村のカッパの声。お笑い三人組の江戸家猫八の恋人役。

昔の事なのによく覚えてるよ。


別人28号さん
Mon, 17 Apr 2006 22:38:59
『カレン』をおぼえている?
"馬がしゃべる、そーんな馬鹿な"って言う番組だったけど、ハテ番組名は??
曖昧な記憶ながら火星人が馬に乗り移ってエドになっていたような…??

少6だったオイラのお気に入りテレビ番組はなんといっても『カレン』。
主題歌をビーチボーイズが歌っていたけど、レコードではサファリーズのバージョンでしか発売されなかった。主演はたしかデビー・ワトソン(そんな名前だったという記憶がある)。
番組内容はホームドラマだったという記憶くらいであまり覚えてはいない。
デビー・ワトソンがあまりにも可愛かったので通販でブロマイドを買ったくらいだ。
ブロマイドを買ったなんて後にも先にも少6のあの時だけ。
通販といえばソノシートもよく通販で買った覚えがある。

大滝詠一の「恋するカレン」はテレビ番組『カレン』からインスパイアされた曲なのは間違いないと思う。

セイウチ君のムック本(MAGAZINE+BOOK=MOOKと言うそうな)はなかなか面白そうだね。
「ハワイアン・アイ」なんてのもタイトルのジングル”♪ザ・ハワイアン・アーイ♪”っていうフレーズが忘れられない番組だね。
「バークにまかせろ」なんていう番組も若山弦蔵のシブ〜イ低音の吹き替えとロールスロイスってすごい車なんだという思いをアホな小学生のオイラをとりこにした番組だった。

『カレン』のページがあったらホームページにUPして!
返信:馬がしゃべる番組は別人28号さんにも分からないですか。火星人が乗り移った記憶はないけどね。別の番組で「ブラボー火星人」ってのがあったけど。「カレン」は本には載ってない。何となく覚えてるけど確か女の子が主人公だよね。小6の時に「三バカ大将」という番組もあった。カーリー、シェンプ、モーだったかな?なつかしい〜。

別人28号
Sat, 8 Apr 2006 23:27:20
赤く赤くハートが〜ザ・レンジャーズ
前回に引き続きB級GSの話題。
90年代にもなるとレコード会社は60・70年代のレコードをCD化による再発売という商売を競ってするようになりだした。昔はLPにはなかなか手が出ないで購入をためらっているうちに廃盤になってしまいくやしい思いをしていた今の40・50代の音楽好きにはなんといい時代になったもんだと感激ひとしおモンだった。
最初は名盤の誉れの高いものからリリースされだしたのは当然としても、だんだん「こんなモノまでCDになっているんだ…」的なよく言えば隠れた名盤、言いかえれば日本でいったい何人がこのCDを買うんだ?的なマニアックなCDまで売り出されたもんだった。
GSもその例にもれずあの時代に青春をおくった人ならだれでも知っているGSから始まり、しまいには「カルトGSシリーズ」「B級GSシリーズ」なんてなる頃にはこんなの誰が買うんだ!?的なCDがずいぶんあった。あったと過去形なのは今やそのテのCDも廃盤になりあまり今は見かけなくなってしまっている。

前置きが長くなってしまったけど、題名の『赤く赤くハートが』(ザ・レンジャーズ)はその昔は相当なGS好きだったとおみうけする頼子オクサマは知っていましたか?
10年位前にFMの番組で聴いて今でも思い出しては聴いたりしている1曲。この曲は1967年にキングレコードからでたらしんだけれども、抱腹絶倒まちがいなしの1曲。
本人たちは真面目に歌っているんだとは思うんだけれども、真面目にやっているが故のみょ〜なズレタおかしさ!
<カルトB級GS>bPは間違いなしの1曲デス。昔からそのテの音楽好きにはチョ〜有名な曲だったらしいです。初めて聴いたときには本当に笑い転げてしまった。
ちなみに我が家のオクサンは中学生の頃にチョコレートかなんかの懸賞で当てた<タイガース>のソノシート(いまだに持っている!)が自慢の種です。TVなんかで最近のジュリーを見るにつけ昔の夢を壊していると怒っています。オイラなんかはその言葉そっくりオクサンに返してあげたいと思っている。(もちろん思うだけで、そんな恐ろしいことは言葉にはできない)

それと前回の『アリゲータ・ブーガルー』の謎がやっと解けた。
作曲のルー・ドナルドソンはJAZZのサックス奏者だった。
GSがレコードにする前年1967年にJAZZの演奏でヒットしたということだった。
どうりでどこかで聴いたことがあったわけだ。
セイウチ君は覚えているかどうかは知らないけれども、こうみえてもオイラは10代後半から20代にかけてずいぶんとJAZZに入れ込んだ時期があったのさ。
あまりヒットがなかったルー・ドナルドソンがスタジオで仲間うちとオアソビ的にR&Bスタイルの演奏をしていたら今は亡きブルーノートのオーナー<アルフレッド・ライオン>が気に入り即レコーディングしJAZZにしては珍しいくらいのヒットだったそうだ。
きっとその昔に「ジス・イズ」あたりで聞いていたんだろうな。
返信:『赤く赤くハートが』(ザ・レンジャーズ)は全く知らない。ヨリがインターネットで調べていたけど、凄い曲だね。素人まるだし。音楽になってない。よくレコードにしたね。もっとびっくりは、その曲を40年近くなっても覚えている奴がいるということだよ。今の曲はいくら聴いて練習してもカラオケで歌えないのに、中学の頃のGSの歌になると何でも歌えるタイプだね。

ヨリより     「レンジャーズ」(赤く赤くハートが)ですか。なんとなくグループ名は覚えているのですが、曲は浮かんできませんでした。試聴サイトで聴いてみたところ「あーこんなの」と思い出しました。
GS好きでしたが、面食いだったので、印象に残らなかったんでしょう。
今聴くと確かにすごい。パンクと歌謡曲の融合ですね。
カムバックしたら、案外いけるかも。
タイガースのソノシート、私も全部集めましたよ。
明治の三種類のチョコのシールを集めて応募するものでした。
中学生だった私は毎日三枚の板チョコを食べて、せっせと応募しました。
おかげで虫歯だらけ、今では母より本当の歯が少ない状態です。


風間 雅昭
Mon, 27 Mar 2006 09:59:18
ハラハラ、ドキドキ
だったんじゃないですか?
しかし、大活躍ですね!
おめでとうございます。
返信:勝ったから良かったけど負けてたら、1週間落ち込んでいたね。インカレの時も1ー0で負けてた時に一樹がPKを蹴ったんだ。その時は決めたけどもうドキドキ。勝ってる時はいいけど、負けてる時のPKはいやだね。失敗した後に直ぐに2ゴールしたから凄いけど、だったら初めの90分の間にゴールすれよ、って言いたいね。

別人28号さん
Sat, 25 Mar 2006 19:44:57
アリゲーター・ブーガルー〜耳について離れない今日この頃
1週間くらい前にBS-2で三宅祐司の司会でグループ・サウンズ特集やってたけど観たかい?
ここ数年よくBSや民放でGS特集をやっているので時々観たりするけれどほとんどが観てそんしたって気にさせられる。というのも番組の構成がひどすぎると思わないかい。

よくオイラたちの世代は中学・高校でビートルズをはじめとする洋楽に出会って楽器を始めたって言う人間が多いけど、こんなのは大うそで案外GSに触発されてギターを弾きだした人のほうがきっと多いはず。どう考えたって日本語の歌詞の歌のほうがずっとコピーしやすいしネ。本当はGSの影響だと言うのはちょっと恥ずかしいのでビートルズの影響で楽器始めたなんて言っているオトウサンたちはたくさんいると思う。そのほうがオトウサンたちも子供たちにイバッてもず〜っと尊敬の目で見られるのは間違いないしネ。

で、この前観た番組でハプニングス・フォー(数年前に再結成したらしい)が『アリゲーター・ブーガルー』っていう曲を演奏してたんだけれどもこんな曲知っていた?
曲が流れるまでぜんぜん知らない曲と思っていたけどメロディーが流れ出すと覚えがあり、しかしいつごろ聴いたかまったく記憶が無い。こんな経験ってないかい?
曲調は循環コードみたいな単調な曲(あえて例えるなら「ハンキー・パンキー」風ってとこかナ)なんだけれども、番組観てからは今でも時々ふとした瞬間にメロディーが頭の中をグルグルかけめぐる今日この頃なんだ。
手持ちのCDにB級GSコレクションみたいなコンピCDがあったのでこの曲入ってないかと見たら(持っていながら)聴いたことなかっけれどもあったゼ。CDの解説を読むとオリジナルはルー・ドナルドソン(記憶にある名前なんだけれどどんな人だったか思い出せない…これも老化現象か。後で調べてみよう)とある。1968年5月(ボクたち高校1年生)にハプニングス・フォーとホワイト・キックスの同時期のカバーと解説してある。手持ちのCDはホワイト・キックスのバージョンで女性ボーカルだった。
ホワイト・キックスなんてバンドまったく記憶にない。
バンド名の由来は”白ける”=ホワイト・キックスという笑えないオヤジギャグにもならないシロモノだった。
このホワイト・キックスにはサベージを抜けたの寺尾總(そう、あの「ルビーの指輪」の寺尾總)が在籍してたんだって。でも、きっと本人はこんなグループにいたことはあまり公にしたくないのでは…って勝手に想像してしまった。
ア〜ア、また頭の中で♪アリゲーター・ブーガルー♪が…
返信:ヨリより

「アリゲーター・ブガルー」なんて懐かしい!今まで忘れていました。
ハプニングスフォーもホワイトキックスも知ってますよ。
当時は結構好きな曲でした。
アリゲターブガルー、二人だけのーアりゲターブガルー、恋のリズムー♪
でしたっけ?
私は中二、深夜ラジオで聴いていましたよ。ああ懐かしい。
B級GSのレアな曲、また教えて下さい。
こういう風に記憶の湖の底に沈んでいるものが沢山ありそう。

ナイアガラトライアングルはうちの人と同じで私もvol.2が好きです。
名DJでもある杉真理のファンだったので、アルバムの中では
「Nobody」が大好きでした。
もちろん「A面で恋をして」は最高ですが。
大滝詠一の艶のある声とハスキーボイスの杉真理、それに佐野元春のファンキーな声
いう事なしですね。

若い頃聴いた曲は鮮明に覚えているのに、最近の曲はすぐ忘れてしまうのは
悲しい限りです。
洋楽好きの私は、ビルボード、インターFM、MTVのランキングも欠かさないのですが、
少し前の大ヒット曲が思い出せない。
任天堂の脳内サプリゲームを早く手に入れて、鍛えなくっちゃ。
ちなみに最近のイチオシは別人28号さん向けにはオーストラリア出身の
「ダニエル・パウター」の「BAD DAY」です。
私的には「NE-YO」の「STAY」。試聴のサイトででも聴いてみて下さい。


別人28号さん
Fri, 24 Mar 2006 22:50:56
DANCE,DANCE,DANCE〜春樹タイトル、Beach Boysもあるでよ
遅ればせながらDiaryのリニューアルおめでとさん!
(おめでとうっていうのも飲み屋のリニューアルみたいでナンか変だナ)

村上春樹がノーベル文学賞候補だったとは知らなかった。受賞したらすごい。

何日かまえに『NIAGARA TRIANGL VOL.1 30th Aniversary』が発売されていたのでナイアガ
ラー歴ン十年のオイラは見過ごすわけにもいかずやはり買ってしまった。
10年前に20thバージョンが大滝詠一のリマスターで正式にCD化されてから10年後の3月21日
にボーナス6曲プラスでの発売。レコード時代とは10年前のCDでも驚くくらい音がクリアにな
っていたけれど、30thバージョンはもっと音抜けがいいように感じられる。
たぶんセイウチ君は佐野元春がフィーチャーされているVOL.2のほうが好みではないかと思いま
すが(30thバージョンVOL.2がでるのはまだ6年待たなければ…)今回はVOL.1のお話しです。
大滝詠一、山下達郎、伊藤銀次の3人が持ちよった曲をセルフプロデュースで1枚のアルバムに
する。っていえば聞こえがいいけど、アルバムとしてのまとまりがあまりないのは少し残念でも
ある。ただ30年前1976年のアイデアとしてみればやはり大滝詠一の先見性には驚き!
山下達郎が「ライド・オン・タイム」でブレークするのは4年後だし、大滝詠一にいたっては「ロ
ングバケーション」で世間に認知されるまでまだ6年もある時代にこんなことをやっている日本の
ロックンロールもすてたもんでないといまさら実感。

春樹ネタに戻って題名の『DANCE,DANCE,DANCE』は村上春樹の本のタイトルににもあるのは知
っているとは思うけれど(本のほうは「ダンス ダンス ダンス」だったっけ?)
Beach Boysの『DANCE,DANCE,DANCE』はギターのイントロで始まる曲だけれども、このイント
ロが耳について離れなくなるミョ〜なイントロ。はなしによるとレコーディングリハーサルの時ギ
タリストが譜面を間違えて弾き、ギタリストが「やぁ〜、ゴメン、ゴメン、間違えちゃった、やり
直すから」って言ったらブライアンが「いまのフレーズ変だけれどもなかなかいいよ、それでやろ
う!」ってことでレコーディングされたという逸話があるそうな。
一度、この曲のイントロを注意深く聴いてみたらおもしろいよ。
ちなみに変なフレーズを弾いたギタリストは、グレン・キャンベルです。
そうです、名曲「恋はフェニックス」で有名なグレン・キャンベルですがギタリストとしてもビーチ・
ボーイズをはじめ色々なミュージシャンのレコーディングに参加していました。
今回は少しトリビアなんぞしてみました。
返信:『NIAGARA TRIANGL VOL.1 30th Aniversary』が発売?知らんかった。最近、CD屋さんにも1年に数回しか行かなくなったし。大滝詠一、山下達郎の曲に全然古くささを感じないのは、ただ俺たちが年をとっただけなのかかもしれないが、未だに何時聴いても新鮮さがあるよな。佐野元春は今でもカッコいいと思う。山下達郎は昔からカッコいいとは思わなかったけどね。「ライド・オン・タイム」はびっくりした。いい曲だね。

ビーチ・ボーイズも『DANCE,DANCE,DANCE』があったね。グレン・キャンベルのギターとは知らなかった。村上春樹の方は「ダンス ダンス ダンス」。ここ数年、中国や韓国など外国で翻訳されて人気らしいけど、ノーベル文学賞候補になるだけでも凄いですね。川端康成や大江健三郎の本は読んでないから、もし受賞したら初めてのノーベル文学賞の小説を読んだことになる。数年前の「海辺のカフカ」は面白かった。読んだ後、ヨリと議論したけど国文科卒だから敵うわけもなくいろいろ教えられた事を覚えてる。ホームページの写真にも載せたけど「海辺のカフカ」の本以外にカフカについて書かれた本も売っていたのは人気のある証拠でしょう。


風間 雅昭さん
Fri, 17 Mar 2006 11:47:15
ホームページ
変わりましたね。
写真コーナー、頑張りそうですね。
返信:室内の撮影も楽しかったけど、外も楽しいですね。これからもっと勉強しますのでよろしくお願いします。ホームページの方もなかなかいいアイディアが浮かばなくて・・・。

風間 雅昭さま
Tue, 7 Mar 2006 13:09:42
鍛高譚
紫蘇の焼酎は紫蘇の香りがするんですか?
いただいた生ひじき、お湯であおってかつぶしと酢醤油で頂きました。
絶品ですね。他の海草もこれから頂きます。
わざわざ本当にありがとうございました。

ところで、鍛高譚ですが、背景を丁寧に用意したところまでは合格。
ライティングは失格です。
蛍光灯の下で、地明かりで撮った方が影が出なくていいと思いますよ。
デジは蛍光灯に強いですから。
写り込みに気をつけてもう一度撮ってみましょう。
返信:鍛高譚は青紫蘇の香りが結構する、と我が家の毎晩必ずアルコール消毒している者が言ってます。タンタカって言葉を知ってました?アイヌ語だとは知らなかった。

鍛高譚はお客様のお土産ですが、すぐ飲みたがって我慢の出来ない者がいて、場所を片づける事も出来ず、白い紙をバックにしてコンパクトデジカメで撮ったんです。ストロボを使わず、影を出さない方が見やすいですね。


別人28号さん
Wed, 1 Mar 2006 22:37:28
本屋のオヤジでなく歌う早川義夫はヤング720以来だった
花粉症のオイラにはつらい季節の到来。
それにしても今年はまだ二回目のメールだったとは…

この間の日曜夜9時からの矢沢永吉のNHKスペシャル観た?
オレも特別ファンと言うわけではないが、特に観たい番組もなかったのでボ〜っとしながら観
ていたんだけれども、いまさらながら今でも熱いファンが多いのに驚くネ。
矢沢永吉で思い出すのは高輪にいた学生時代。深夜放送のラジオから聞こえて来たあの当時に
しては珍しいくらいのストレートなノリのいいロックンロール。初めはビートルズの未発表曲
でも流しているのかな位にしか思ってなかったけれど、どうも英語ではないようだけれども…
いったいどこの国の言葉? ノリはよく、オー・ルイジアナってのはわかるけれどもその言葉
以外は何語? 
はい、そうですキャロルの『ルイジアナ』を初めて聴いたときの印象でした。
当時のロックは長髪・よれよれの格好でハードなロックっていうのが定番だった時代に革ジャ
ンにリーゼント、10年以上前にすたれたようなオールド・ロックンロールが逆に新鮮だったか
らあれほどキャロルはブレークしたんだろうネ。その後は書くまでもないか。

矢沢の番組の前日(?)だったと思うけれどもNHK-BSのフォーク特集でジャックス(もちろん信
販会社ではない!)の早川義夫がピアノソロで『サルビアの花』を唄っていた。ビックリ!
GSブームの後半に登場してきたジャックスは今にしてみればフォークロック的な風変わりなグ
ループでヤング720(よもや知らないとは言わせない)で観て以来の演奏だった。
グループ自体は数年しか活動しなかったけれど、今でもカルト的なファンのいる早川義夫。
音楽活動から若くしてリタイヤし、本屋を長いことやっていたけれども数年前に本屋をたたん
だということは知っていたけれども、音楽活動を再開するとは驚いた。本屋のオヤジ時代には
書評なんかもけっこうしていたのでなじみがあった。
<ジャックス>と<はっぴいえんど>の音楽がなかったら今の日本の音楽(特にJ-POP)は良く
も悪くもかなり変わった風景になっているのは間違いないと思うけれどネ。
返信:今年の花粉症は軽い。去年は最悪だったからね。4月までは我慢しましょう。

このところ、Macの調子が悪くて全然立ち上がらないことがしばしば。予備のハードディスクで立ち上げて、修復ソフトで直すと直るけどちょくちょくダメになる。ハードディスクの取り替えかもしれないね。

矢沢永吉のNHKスペシャル観てない。キャロルか・・・、もう30年以上前になるとは。矢沢永吉は30年経っても変わらないね。別人28号さんは別人と言うだけあって別人になったけどね。ま、あまり人のことはは言えないけどね。昔から日本の歌はあまり聴かなかったから<ジャックス>と<はっぴいえんど>は殆ど覚えていない。だけど、ヨリは懐かしいって言ってたけどね。


風間雅昭さん
Wed, 22 Feb 2006 10:56:32
本の宣伝をして頂き感謝です。
出版者に成り代わりまして御礼申し上げます。
返信:勝手に写真を使って申し訳ありません。やはりプロの写真は素人の写真とはひと味違いますね。ただきれいに撮ればいい訳ではなくみなアイデアがあります。これからいろいろ花の咲く季節になります、またご指導よろしくお願いいたします。

今日、30Dの発表がありましたね。夏か秋になるだろうと思っていたのに・・・。しょうがないですね。

プリンターのインクボックスのフタ届きました。ありがとうございます。


間坂さん
Mon, 20 Feb 2006 12:41:11
これは、今年の写真ですか、信じられないですね、今日は氷も解けていますが夜に
なると、ツルツルになります、桜、へーぇ、すごい。
返信:そう、昨日の日曜日に撮ったんです。まだまだ東京も寒いと思っているけど、桜が咲くくらい暖かいってことだよね。だけど、釧路だって夜になると道路でカーリングなんか出来るから楽しいじゃない。そんなことしないってか、スミマセン。

マダムなおこ
Tue, 7 Feb 2006 20:49:28
いわしの頭が肖像権ウンヌンといっていますよ
EOSのデジカメを買ったからと何でも撮ってはいけません。もう少し美しいものを
撮りましょう!うちのEOSは今入院中です。電気系統がイカレテしまいました。修理代が
最低10,000円〜15,000円はかかるそうです。
返信:いわしの頭の写真はペンタックスです。ところで、鬼も恐れて逃げてしまうご主人がいわしの頭の写真でお怒りになっているそうで・・・。オーコワ。今度、何か酒の肴を持ってご機嫌とりに伺いますのでよろしく。

風間雅昭さん
Sun, 29 Jan 2006 11:21:35
5D
気持ちの良いボケ味ですが、シャドウにMがうすく乗るのはどこかからの反射ですか?
返信:早速きましたか。プロの写真家にこのホームページを見られているとヘタな写真は載せられませんね。ペンタックスのボディはかなりのキズだらけだったので、ピントをレンズの文字に合わせて開放にし、ボケを出しただけの写真です。白い布を敷き、右からの窓の自然光でレフ板もなし。今度ゆっくりと基本的なことを教えて下さい。どんな道具をそろえればいいのかも。素人相手だと面倒くさいでしょうがよろしくお願い致します。

午前中にヨドバシカメラに行って、風間さんご推薦、GITZOのG付を買ってきました。クイックシューはリンホフ。確かに頑丈そうでいいですね。これで予算の倍になってしまったけど、まぁ、一生モンだからいいか、と自分に言い聞かせて納得してます。


間坂さん
Sun, 29 Jan 2006 12:14:09
いやぁーもう一年経ちましたか、早いものですね、二月に私の親が、東京に居る孫達と温泉に
行く予定なので、最初は、私も行く予定を立てていたのですが、今、いろいろとばたばたして
いて、留守番する事になりました、良くても悪くても早く結果が出ればと思っています、この
一年間、ぐちやぼやきが多かったような、私にとって、なんとなくターニングポイントだっ
たような気がしています、晴ればれとした気持ちになって東京や京都に遊びに行きたいです
ね、その時は皆さん、遊んで下さいね、東京ではセイウチ君にいじめられそうなので京都が
いいな、京都は本当に行きたい、修学旅行で行った所を、じっくりみたいですよ。
返信:去年の今頃に来たんですね。東京は暖かくていいだろう、とか言ってたけど今年は東京も寒い。雪がない分住みやすいけど。新潟や北陸地方の人達は毎日毎日雪で可哀相。また東京に遊びに来て下さいよ。京都に行ったら暇人28号さんは暇だからずっと遊んでくれるけど、高級料亭とかに連れられて財布はスッカラカンにされるぜ。高校時代、坂名人はみんなを虐めていたから今になって仕返しが怖いのでしょうか?大丈夫、みんなは坂名人を虐めないから安心して遊びに来て下さい。ホント、来たらみんなで会いましょう。

別人28号さん
Wed, 11 Jan 2006 00:27:13
1973年のピンボールではなく1973年の成人式
村上春樹のデビュー第2弾は「1973年のピンボール」。
で、われわれ昭和27年生まれの成人式は1973年1月15日。
だからなんなんだと言われれば返す言葉もないけれど。

成人式の晴れ着姿をみてうん十年前のことを少し思い出した。
この当時オレは大学2年。セイウチ君は浪人2年生だったはず。
オレの住民票は港区高輪にしていたので港区役所からの成人の日の参加案内が来ていたのは
記憶に残っているんだ。もちろん参加はしていませんぜ。当時の若者(ばか者?)はお上の案
内する行事に参加するなんてカッコ悪い! の一言で不参加者するのが当然のような風潮だ
ったのでもちろん成人式には行きませんでした。当然セイウチ君も不参加だったはず。
今時の若者(男)がおそろいの紋付・袴姿で(それも演歌歌手だって着ないような色合いの着物
姿)群れて成人式に出席するのをテレビとかで映っているのを見た日にはモ〜だめ!
女房と二人でテレビに向かって「こりゃ〜日本も徴兵制度を復活しなけりゃダメだな」なん
ていう物騒な冗談を半分本気で言っている。これもオジサン化・オバサン化の証拠だね。

1973年の港区主催の成人式に出席しなかったことは今にしてみれば少しだけ後悔している。
なぜかといえば、紅白の饅頭がほしかったというのではなく音楽のアトラクションがあって
それだけでも見ておけばよかったかな〜ということ。もちろんお行儀のいいゴリゴリの混声
合唱で祝うというのではなく、記憶の限りでは『赤い鳥』、『はしだのりひこ&エンドレス』
ともう一組位出演のアトラクション。なかなか豪華なラインナップだったのでは。
世はフォークの大ブーム。
『赤い鳥』はその当時実力1のグループ。後に分裂し『紙ふうせん』(夫婦デュオでいまでも
現役ってのには驚き)、『ハイ・ファイ・ セット』(好きなグループだったけれども今ではボ
ーカルの山本潤子をテレビでたまに見かけるくらい)になっていくのはいうまでもないか。
はしだのりひこはフォークル解散後『シューベルト』、『エンドレス』とグループを続け、
エンドレスで「花嫁」の大ヒットを出して間もないころの絶頂期だったはず。
この当時はオレはあまりフォークってのが好きではなく多分触手が動かなかったのはそのせい
だと思っている。今でも「神田川」が流れるとカンベンして〜になる。
ニューミュージックなるものが世に出るのはもう1・2年またなければならなかった時代のお
話しでした。

ついでに1973年1月のビルボード1はカーリー・サイモンの「うつろな愛」(You're So Vain)、
が3週1位、残り1週はS・ワンダーの「迷信」(Superstition)。
タイプは違えど記憶に残る名曲2曲。
もうひとつついでに、セイウチ君の好きなギルバート・オサリバンの「クレア」(Clair)が2位に
チャート・インしてる。

てなわけで、今年もよろしくなのです。

返信:言われてみれば、別人28号さんと成人式は一緒に高輪の家に居たのね。成人式には全く参加する気はなく何をしていたのか全然覚えていない。その頃、「式」の付く行事には拒絶反応を起こしていたから、入学式、卒業式、は出ていないし結婚式も勝手に二人でしちゃったからね。今の悪ガキ成人はちゃんと出席するだけエライのかもしれんが、騒いで迷惑をかけるのならどっかで遊んでろって。真面目に成人を祝ってるカワイイおネーちゃんもいるんだから。何度も言うけどホントお振り袖はいいね〜。

70年代はグループサウンズが終わってフォークがブームだったけど、僕もあまり聴かなかったね。嫌いじゃないけど聴かなかった。今、カラオケ用に練習したりするけど不思議とすぐ歌える。ギルバート・オサリバンの「クレア」がその頃のヒットですか?じゃ、アローン・アゲインはその前の年かな?この曲は初めて聴いた時からびっくりしたけど、コード進行にもびっくりしたね。今でも大好きな曲だね。で、江南高校の甲子園は決定したの?


ま坂さん
Tue, 3 Jan 2006 17:12:20
皆様、あけましておめでとう、ございます、今年も、どうぞよろしくお願い致します。
ところで、江南は21世紀枠とは別に駒大苫小牧が優勝したので、多分間違いないでしょう、
私事ですが、昨年は、色々ありすぎて、大変な年でした、今年は、良い年になりますように、
多少、精進しようと思います、ゼロが7個もつく額を契約上のトラブルでパァー、まったく
自分の馬鹿さかげんと相手のづるさには、まいりました、めげづに頑張ります、って本当は
あまりやる気が、ないんですけどね、どんな年になるやら。
返信:早く決定してくれないと、野球部員達も練習に気が入らないと思うけど。だけど、氷のグランドでどうやって練習してるの?北海道は3月まで凍ってしまうからね。そう考えると駒大苫小牧高校はやっぱり凄い!そのまま部員達は駒大に進学すれば駒大が強くなるのに、人気の六大学の方に進学するらしいね。その方がプロからの誘いがあるのでしょう。で、昨年は坂名人にとっていろいろとあったでしょうが、今年はいい年でありますように。

yorikoさん
Sat, 24 Dec 2005 12:03:52
クリスマスソング
山下達郎、いいですねー。毎年、聞く度感動します。
なにしろ歌い出しの歌詞が秀逸!
桑田圭祐は、脈絡がなく、ストーリー性のない歌詞で、逆にイメージがふくらむ、聞き飽き
ない歌を作りそこが好きですが「クリスマスイブ」の世界もいいものです。
(桑田圭祐は「ただの歌詞じゃねえかこんなもん」という本も出しています)
私も自分のベストソングを並べてみたくなりました。
順位はつけられないので順不同です。

・ラストクリスマス  ジョージマイケル
    ジョージマイケルの声が好き。織田裕二は何を考えてこの名曲をカバーしたので
    しょうか。ラジオで流れると、「やめてー」と思うのは私だけ?
・I Saw Mamy Kissing Santaclaus Jakson Five
    マイケルの声のかわいいこと。
    この曲は日本のFinger Fiveもカバーしていますが、アキラも
    マイケルに負けない美声です。
・Happy Christmas Jhon Lennon
    静謐な聖夜が浮かぶ名曲ですね
・All I want for Chritmas Mariah Carey
    ディーバ、マライアは楽しげな曲も素晴らしい。
・Kissing X'mas 桑田圭祐 with friend
    未発売の名曲、FMのタイアップ曲でユーミンも参加してます。
・Chritmas time forever サザンオールスターズ
    去年の「白い恋人達」よりこの方がいいかな
・クリスマスキャロルの頃には   稲垣潤一
    彼も声が好きです。
     
      以上独断のクリスマスソングを書き並べて満足しました。
      これから、イブのデートです。
      といっても食事と映画だけですけどね。
返信:yorikoさんも山下達郎ですか。歌詞も泣けるよね。

「雨は夜更け過ぎに
 雪へと変わるだろう
 Silent night, Holy night
 きっと君は来ない
 ひとりきりのクリスマス・イブ
 Silent night, Holy night

 心深く 秘めた想い
 叶えられそうもない
 必ず今夜なら
 言えそうな気がした
 Silent night, Holy night

 まだ消え残る 君への想い
 夜へと降り続く
 街角にはクリスマス・ツリ-
 銀色のきらめき
 Silent night, Holy night

 雨は夜更け過ぎに
 雪へと変わるだろう
 Silent night, Holy night
 きっと君は来ない
 ひとりきりのクリスマス・イブ
 Silent night, Holy night」

ずっと、ずっと永遠に残って欲しい名曲ですね。


別人28号さん
Fri, 23 Dec 2005 22:12:53
メリー・ゴー・ラウンド〜「MELODIES」のかくれた名曲
>個人的な順位を付けると、ナンバーワンは山下達郎のクリスマスイブだね。この曲をナンバー
ワンにするのは、ちょっと恥ずかしい気もするけどいい曲はいいのだ。

正しい選択です!じつはオイラも50ん年生きてきた中での最高のクリスマスソングは山下達郎の
『クリスマス・イブ』なんだ。
この曲は22年前に発売されたアルバム「MELODIES」の中のB面(LP時代)最後の曲。このアルバムは
1983年初夏に発売され、RCAからMOONにレーベル移籍第一弾のアルバムで名曲ぞろいの1枚。
山下達郎はわれわれと同学年のミュージシャン。山下達郎の曲を聴くと、「なるほど、こんどはこ
うきたか…」っていう同世代納得のアプローチにあふれている。
オリコン・チャート20年登場のシングル曲だって。もちろんオリコン新記録だそうだ。ちなみに
ワムの「ラスト・クリスマス」はオリコン10年連続登場で2位だそうです。

ライブで聴く『クリスマス・イブ』はトリハダもんの素晴らしさ!山下達郎のライブは4時間近く
休憩ほとんどなしの聴くほうも体力勝負のライブ。ライブ中盤あたりで一人アカペラコーナーが必
ずある。もちろん一人アカペラだからメインボーカルは生だけれど多重コーラスはあらかじめ仕込
んだテープを流すわけなんだ。アカペラコーナーの一番最後に『クリスマス・イヴ』っていうのが
コンサートの定番になっている。アカペラ「ホワイト・クリスマス」から『クリスマス・イブ』とい
うパターンと「ウィ・ウィシュ・ユァ・メリークリスマス」から『クリスマス・イブ」というパターン
があるのだけれども、後者がベスト!ほんとにほんとにトリハダもんだぜ。といってもこういう体
験できるのも10年に2回もあればいいほう。山下達郎はオリジナル・アルバムを出さないとコン
サート・ツアーはやらないので新譜が出るまで5〜6年は平気で待たせるのでコンサートやるとな
るとあっというまにソールド・アウト。こんなミュージシャンに付き合うのは疲れるぜ。(新譜も
出ずコンサートもやらない大瀧詠一よりはまだましか…)

題名『メリー・ゴー・ラウンド』はLP「MELODIES」のB面最初の曲。知っているとは思うけれどLP
時代(古いナ〜)にはCDの今とは違って、A面1曲目・B面1曲目・B面最後の曲はけっこう重要な選
曲がされていた。LP「MELODIES」の1曲目は[悲しみのJODY](イントロのドラムがオープニングに
ぴったりの曲)、B面最後の名曲[クリスマス・イブ]。『メリー・ゴー・ラウンド』はB面最初にふ
さわしいあの当時の先端のファンクぽい1曲。歌詞が同世代性を感じさせられノックアウトされた
曲。レイ・ブラッドベリー(米国のSF・ファンタジー作家)の世界をファンクにのせた個人的には大
好きな曲。10代・20代でブラッドベリーにハマった人なら思わずにやりとさせられるのはまちが
いナシ!
返信:やっぱり山下達郎だろう。ホント最高〜。曲もいいし声もいい、悪いのは顔だけ。昔、ライド・オン・タイムで山下達郎を知ったけど、エッ、この人があの声の人?ってびっくりした。     山下達郎のライブはいいだろうね。行ったことないので羨ましい〜。ナイアガラトライアングルの4人(大瀧詠一、山下達郎、佐野元春、杉真里)は全部好きだからライブがあれば行きたいけどね。来年に佐野元春がライブするらしいけど、是非行きたいね。

話は変わって、本当に江南高校は甲子園に行けるのかな?最終決定はいつ頃?35年に一回行けるペースだと、この次に甲子園に行けるのは俺たち90才近くだぜ。昔はちょくちょく出場してたんだけどね。ずいぶん長く待たせたもんだ。


間坂さん
Wed, 21 Dec 2005 18:42:39
江南が、甲子園に出場できそう、駒大苫小牧のおかげですね、21世紀枠とか、
君達は、近いから応援に行けるね、羨ましい。
返信:ホントなの?正式に決定したら教えてね。もし出場したら30ン年ぶりか。

別人28号さん
Wed, 21 Dec 2005 20:16:45
Mmmmeeerrryyyy〜 Christmas!(映画グリムリンを憶えている?)
巷にクリスマスソングのあふれまくっている今日この頃…
今回は自分にとっての最強のクリスマスソングの話だぁ〜

洋楽、邦楽に限らずクリスマスアルバムは掃いて捨てるほどCDショップにはこの時期あふれている。LPの時代以降クリスマスアルバムを出すミュージシャンはある意味スーパースターだったはず。もっともビートルズのクリスマスアルバムが無いように60年代はイギリスよりアメリカのミュージシャンのステイタスみたいなものではあるけれど。
オイラの好きな60年代のクリスマスアルバムTOP3っていうと
bR=ビーチボーイズ、サーフィンバンドのクリスマスアルバムっていうのに少し無理があるけ
れども、スタンダードな曲以外のオリジナル曲がなかなかいい曲がある。
bQ=ベンチャーズ、このクリスマスアルバムはその昔商店街の歳末セールなんかのBGMでかか
りまくってた記憶があって音楽的に消費されつくした感があるけど、ロックンロール的な見地で
みれば(ちょっと大げさなのはカンベン)さすがベンチャーズ!っていうグルーブに満ちあふれて
いるすばらしいアルバムと思っている。曲は全部おなじみのクリスマスのスタンダードな曲だけ
れども、<ホワッド・アイ・セイ>のイントロから始まる『ジングル・ベル』とか<アイ・フィー
ル・ファイン>のイントロで始まる『赤鼻のトナカイ』などロックとスタンダードの違和感がないグッドアルバム。エレキインスト好きにはたまらないアルバム!
bP=『A Christmas Gift For You』、40年以上の年月を経ても色あせない名盤中の名盤!
フィル・スペクターがフィレス・レーベルのミュージシャン(ロネッツ、クリスタルズ、ボブ・Bソックス&ブルージーンズ、ダーレン・ラブ)をかき集めて制作し,アルバム最後には本人の自慢げのご挨拶入りというシロモノ。クリスマス・スタンダード曲中1曲だけオリジナル曲があってタイトルもズバリ『Christmas(Baby Please Come Home)』。1963年のこの曲は20数年後に映画「グレムリン」(スピルバーグがプロデュースか監督したと思う)のオープニング曲になった。「グレムリン」を初めて観た時にはこの曲がオープニングに流れたので思わずニヤリとさせられた。
フィレス・レーベルのCDはここ最近廃盤状態。どうも権利関係でうまくいかないらしく、数年前のクリスマス時期には近所の新星堂あたりには平積みで売られていたのに、今探そうと思ったら輸入レコード店や中古CD店で見つけるしかないのが現状。
ってなわけで、勝手に思うクリスマスアルバムTPO3でした。
あ〜、あとカーペンターズもあったけれども70年代以降だし、今回は除外。カーペンターズはちょっとハマリすぎで真面目なクリスマスアルバム過ぎて退屈な面もあるしネ。
返信:クリスマスソングね。個人的な順位を付けると、ナンバーワンは山下達郎のクリスマスイブだね。この曲をナンバーワンにするのは、ちょっと恥ずかしい気もするけどいい曲はいいのだ。昔、JRのCMに使ったよね、あれには参った。次はジョン・レノンのハッピー・クリスマスかな。ヨーコの声がなければもっといいのにね。次はジョージ・マイケルのラスト・クリスマス。歌の上手さではジョージ・マイケルが一番かも。ポールのワンダフル・クリスマス・タイムはまあまあ。変わったところでは佐野元春のクリスマス・タイム・イン・ブルーも好きだね。ビング・クロスビーやカーペンターズのクリスマスソングは悪くはないけど名曲すぎ。やっぱりクリスマスソングは山下達郎で決まり。

別人28号さん
Tue, 13 Dec 2005 20:05:40
90年代のスーパースターはだれ?
DVD届きました。ありがとサンです。
本来はこのホームページのメールではなくセイウチ君のアウトルックのアドレスに書き込ん
だほうが適切とは思うんだけれども、先日も書いたように初期化した時にバックアップした
ディスクが行方不明になり、アドレス不明になってしまいとりあえずお礼かたがたこのペー
ジに書き込みます。
セイウチ君のアドレスの履歴を残すためにも何か適当なメールを当方に入れてください。

ジョン・レノン没後25年とか。もう25年も経つんだ〜。時々思うんだけれども生きていた
ならどんな音楽をやっていたのかと想像してしまう。ポールが一時スティービー・ワンダー
ほか大物とデュエットしたりしてたのでジョンが生きていたら案外スティングやU2のボーノ
あたりとデュオしてたり…な〜んて勝手に想像したりする。
歌にまでなったレノンJr.の二人(ヘイ・ジュードのジュリアン&ビューティフル・ボーイのシ
ョーンの二人)はデビューこそ華々しかったものの結局後が続かなかった。最近では音沙汰さ
え聞かなくなった。ロックンロールは一子相伝の芸ではないという証明だね。(当たり前か)
最近のジョンのファン(一部だとは思うが)が変にジョンを神格化しているのがオイラ気に入ら
んね!確かに音楽で愛と平和をスローガンに活動していたという側面はわかるけれども、そこ
ばかりのクローズアップばっかりで、なんだかナ〜って思ってしまう。ジョンの音楽の真髄は
『ヤンチャで不良のロックンローラー&シンガー・ソングライター』っていうのに尽きるので
はないのかい。メッセージ性ばかりクローズアップされる昨今の風潮には違和感すら感じてし
まっている。今でも生きていて世間で賛否両論の音楽をやっているジョンがみたかったネ。

昨夜から三夜連続でNHK-BS2でロック誕生50年の番組をやっているけどチェックしてます
か?
ジョンは没後25年だけれどもロックは誕生50年だそうで、番組表を見て海外制作の番組の
タレナガシかなって思って観てみたら、萩原健太司会のオリジナル番組なので思わず見入っ
てしまった。昨夜はロックンロール誕生からウッドストックあたりまでの映像が流れていた。
時代が時代だけに映像もモノクロ、カラーの混在。プロコロハルムの「青い影」の映像で動く
プロコロハルムを恥ずかしながら(?)はじめて見た。
番組構成上ロック中心というのは仕方ないにしても、1950年代後半(バディー・ホリーの事
故死やプレスリーの入隊によるロックンロールの真空時代)から1963年位からのビートルズ
をはじめとするブリティシュ・インベンションまでの5年位がポッカリ空いているのにあま
り説明らしいことがないのが大いに不満だった。この期間はサーフィン・ホッドロッドやガ
ール・ポップグループブームで(オイラの大好きな分野)、萩原健太はこの時代の音楽大好き
評論家なのできっと番組進行には一言いいたげだった。ブリティシュ・インベンションに対
して対抗できたアメリカ勢はモータウン、フォー・シーズンス、ビーチボーイズをあげてい
たのは萩原健太のせいいっぱいの抵抗だったのかナ?
今夜の番組もけっこう見ものかも。おそらく70・80年代の20年位のロックだと思う。
ずいぶん前に誰かが言っていたんだけれども、ロック50年の歴史の中での各年代ごとのスー
パースター一人をあげるならということで
50年代=プレスリー、60年代=ビートルズ、70年代=デビッド・ボーイ(ちょっと疑問もあ
り)、80年代=マイケル・ジャクソン、90年代=忘れた(というよりこの手の話を聞いたのは
10年以上前なのでまだ決まっていなかったと思う)、この人と思いつく人は教えて!
返信:1980年は6月に娘の絵里が生まれ、その年の12月にジョン・レノン亡くなる。嬉しい年でもあるし悲しい年でもある。僕にとっては忘れられない節目の年だね。射殺された日はショックで、夕飯がノドに通らなくて全く食べられなかったことを覚えている。

70年代はカーペンターズでしょう。デビッド・ボーイも好きだったけど、やっぱりカーペンターズだね。あとは同感だね。90年代はマライアかな?個人的にはホイットニー・ヒューストンの方が好きだけど。60年代って僕らの小中高そのまんまだから、その時のビートルズの影響は大きいよな。ジョンの息子のジュリアン・レノン、デビュー曲のバロッテはちょっとジョンの歌い方を意識して歌っていて好きだったけどね。ヨーコとの息子、ショーンもどうしてるのかね。二人ともお父さんの遺産で一生遊んで暮らせるから一曲ヒットしたら満足だったんでしょうね。

BSのロック誕生50年、DVDに録画してる、まだ見てないけど。


別人28号さん
Sat, 3 Dec 2005 01:14:14
MacArthur Park〜魔法学校の校長はヒット歌手だった
いつも不思議に思っていたことのひとつに、TVインタビューなんかで東京のサラリーマンの"オ
ヤジ”にコメントをというと、場所はたいてい新橋あたりの居酒屋かSLがある駅前広場というパ
ターン。
新橋には"オヤジ”しかいないのかっておもわずツッコミいれたくなるのは自分だけではきっとな
いはず。それにしても"オヤジ"対象のフリーペーパーとはおそれいりました…
昔からオヤジ天国=新橋は普遍だったもんナ〜。

さっきまでTVで「ハリー・ポッター」の2作目をやっていたのでチラホラ観ていたんだけれど
魔法学校の校長先生は名優リチャード・ハリスだったけれども(過去形なのは数年前にリチャー
ド・ハリスは亡くなった)、俳優としてはいろいろな映画に出ていたのでおなじみだと思うけれ
ども歌のヒットがあったたというのは忘れている人のほうが多いかも。
題名の『マッカーサー・パーク』はリチャード・ハリスの'68年位のヒット曲。あの当時のシン
グル最長曲だったビートルズ『ヘイ・ジュード』の6分台(いまひとつはっきりしないが)の記録
を更新した60年代でのシングル最長曲。たしか8分近くの長さの曲だった。
曲調はオーケストラをバックにした壮大(大げさとも言える?)な曲で独特の転調が記憶に残った
曲でしたネ。リチャード・ハリスはこの曲をか細めの声で今にもたおれるんじゃないかというよ
うな唄い方で熱唱していたっけ…
そのせいかジャズオーケストラの<メイナード・ファーガソン>(ロッキーのテーマ曲で有名)のカ
バーでもそこそこに売れたり、ディスコ全盛時にはディスコ・クィーン<ドナ・サマー>のカバー
もあったり、最近では和製ドナ・サマーこと<小柳ゆき>もカバーしていた。
作曲はバカラックになりそこねた「ジム・ウェッブ」。大好きなソングライターの一人です。
「ジム・ウェッブ」だけでも長〜い話になるのでここではふれないけれども、有名曲として『Up,
Up And Away(ビートでジャンプ)』<フィフス・デメンション>、『By The Time I Get To
Phoenix(恋はフェニックス)』<グレン・キャンベル>と60年代後半の名曲があるネ。

最近パソコンの調子が悪く、つい何日か前にも2ヶ月連続で再インストールとなってしまった。
それにしても設定を全部済ませるのもほんとに大変でいやになるなってしまう。
返信:東京っていろんな街で人種が変わるもんね。新橋は夜の9時頃になると酔っぱらいのオヤジがいっぱい居るね。渋谷、池袋、新宿なども全く違う人種がいるね。秋葉原なんかもちょっとオタクっぽいお兄ちゃんがウヨウヨ居るし。メイドさんの格好したおネエちゃんと堂々と一緒に写真を撮ったりしてるし、最近、中国人、韓国人が多い。日本人と同じ顔してるけど何となく違う。携帯電話で大きな声で喋っていたらすぐ分かるね。人種差別する気はないけど、どうだ中国や韓国よりいい物たくさんあるだろ、って言いたい気分だね。

「マッカーサー・パーク」はドナ・サマーが歌っていたのは70年代の初めかな?リチャード・ハリスの方は思い出せない。

PCはWindows XP? 訳も分からずPCの調子が急に悪くなったら、スタートから「ヘルプとサポート」を選び、「コンピュータへの変更をシステムの復元で元に戻す」をクリック。「コンピュータを以前の状態に復元する」チェックして「次へ」を押す。カレンダーが出てくるので調子のよかった日を指定して「次へ」クリックする。これの方がインストールするより断然早く直るハズ。今度、調子悪くなったらこの方法も試してみて。


風間雅昭さん
Mon, 21 Nov 2005 11:34:08
知らなかった
私はこの人を知りませんでしたが、二冊の本の表紙を見ると
モチーフの選択が適切ですね。
あと自然光、これは究極のライティングなんですよ。
しかも家の中となれば充分にディフューズされている。
目の付け所がシャープですね。
本当はこう言うのはプロが提案しなければいけないのに
逆に教えられてしまう。ちょっと耳が(目が)痛い。
返信:廿楽さんは50才の時、写真館にアルバイトに行き、手伝いをしてるうちに自分でも写したくなり写真の勉強を始めたそうです。素晴らしい女性でしたよ。今では写真教室を開いて生徒さんが結構いるらしいです。話をしていても生き生きしていて魅力がある人なので、習いたいという人が多いのでしょう。NIKONの一眼レフ、マクロレンズ一本と太陽の自然光ですべて写す、本当に驚きです。「俺もやるぞ!」って頑張る勇気をもらいました。写真展を開催している「ギャラリーゆめじ」は首都高速の護国寺で降り、すぐ近くです。

別人28号さん
Mon, 14 Nov 2005 22:16:46
Layla=傷つく世代
クラプトン関連のDVD一通り観ての感想。
クラプトンは若いころより中年以降が絶対にいいネ。
クリーム限定再結成のDVDを観ながら思ったことはBsのジャック・ブルースの若いころの映像
しか知らないので老けたこと老けたこと… それとチョッパーベースが多い最近の音楽に耳が
聴きなれているとベース演奏自体が少し古びて聞こえるのはいたしかたないか… 
それにしても名曲のオンパレード!
ほとんどの曲は覚えていた。クリームは好きでも嫌いでもなかったけれどけっこう覚えている
ということはやはりいい曲が多かったんだろうネ。

アメリカで生まれたブルースに憧れというかほとんど憧憬に近い感情を持つのはやはりクラプ
トンがイギリス人というのが多いに関係していると思う。60年代のイギリスのミュージシャン
にはアメリカのブルースをはじめとするブラックミュージックに影響を受けているミュージシ
ャンはずいぶんといるもんネ。初期のビートルズ、ストーンズetc.etc. 
アメリカにもラスカルズやライチャス・ブラザーズのように「ブルー・アイド・ソウル(白人の
ソウルミュージック)」という分野もあるけれども、やはりイギリス人の感覚とは微妙に違うと
思うんだが。例えるなら、アメリカ白人の場合「ブルース大好きなんだけれどもいつも近くに
本物やる連中いるしナ〜、俺たち流にやるしかないか!」。イギリス白人の場合「海の向こう
の国にあるブルースを極めるためには寝食忘れて修行、また修行!」。この位違うんではない
かと昔から思っている。まっ勝手な想像なんだけれどネ。

題名の『Layla』(いとしのレイラ)は何の説明もいらないクラプトンの名曲。ジョージの奥さん
との三角関係から生まれたいわくありの名曲。それにしてもクラプトンってヤツはけっこうエ
グイ人生を送っているもんだ。で、『傷つく世代』って何かといえばわれらが青春のアイドル
「南沙織」の曲なんだけれども、どんな曲だったか覚えている?
そのココロはイントロがクリソツ!(もちろんレイラが先だぜ)
返信:いいだろう!確か高校1年か2年の時にNHKでクリームのコンサートを観てびっくりした。このグループは三人しかいないのに凄いサウンドとテクニックだと。今回も同じようにびっくりだね。クラプトンのギターはさすがに聴かせるけど、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーも負けてないね。それにホワイト・ルーム、サンシャイン・オブ・ユア・ラブのサウンドはオジサンにはしびれたぜ。

南沙織の『傷つく世代』のイントロがレイラと似ている話は聞いたことがあるが曲が思い出せない。今度調べてみる。イントロがソックリで思い出したけど、ZARDの「負けないで」のイントロがホール・アンド・オーツの曲と同じなんだけど知ってる?カセット・テープに入っていたけど、全部カセット・テープ捨ててしまって分からなくなってしまったんだ。こんな事に詳しい別人28号さんだから知ってるでしょう(もちろんホール・アンド・オーツが先だぜ)


別人28号さん
Sun, 6 Nov 2005 18:11:45
キミはバター犬(名犬)をおぼえているかい?
>ジョージ秋山(?)の「アサ〜」
「アサ〜」はバター犬で有名な天才・谷岡ヤスジです。
いまでいうヘタウマ系脱力マンガの元祖でした。1999年に咽喉ガンで亡くなりましたがオイラ
をはじめ、かくれたファンの多い漫画家でした。死んだ後に出版された<谷岡ヤスジ傑作選・天
才の証明(実業之日本社)>が今でも愛読書です。あまりのくだらなさに爆笑まちがいなし!
ジョージ秋山はその当時は”銭ゲバ””デロリンマン”あたりだったかナ?

>「今のCDは音が悪い、レコードの方がいいよ。それも竹針で聴くのが一番やわらかい音でい
い」とか言っていたジイさんだよ。中野ブロードウェイ商店街では名物ジイさんだった。昔ビッグコミックのグラビアでも姿を拝見して驚いた覚えがある。三十年以上前に70を超えていたと思う。レジに立つ姿はオーバーオールのジーンズを着たヘンなジジいだった。もうとっくに亡くなっているはずで、ずいぶん前に娘さんに店をまかせていたはず。娘さんていっても充分なオバアちゃんだったはず。ステレオというより蓄音機ていう雰囲気だった。アンプも真空管だった。

<バグダッド・カフェ>はもう15年以上前の映画です。はでな映画ではないけれども今でもまち
がいなくレンタルビデオ店にはあると思います。家族三人で観るのにお奨めです。
返信:失礼、谷岡ヤスジでした。ね、別人28号さんが谷岡ヤスジのファンだったろう。変な事を覚えてるよね。バター犬って、ひょっとしてあの「アサ〜」って言うニワトリの横にいた犬のこと?今度、古本屋で探してみよっと。だけど、マンガはまったく読まなくなった。たぶん少年ジャンプの「ドラゴンボール」が終わって読んでないかも。ジジイになった証拠だね。「バグダッド・カフェ」、レンタルビデオ店で探してみる、面白そうだったら借りてみよう。

それから、今日観てきたミュージカルは本当に感動したぜ。2時間くらいだったけど、あっという間だった。この劇団の追っかけになりそうだよ。みんな楽しそうに一生懸命に歌って、演技している姿は最高!帰りに劇団員と握手をして、映画とはチョット違った感動でした。


別人28号さん
Sat, 5 Nov 2005 21:36:39
BAGDAD CAFE〜Calling You
「ポエム」は校則では入ってはいけない喫茶店だったはず。
不良がいく喫茶店のひとつでした。オイラも不良だったセイウチ君に連れられて高校時代はよく
行きました。カウンターだけの小さなお店だったね。BGMにFMからクラシックがよく流れてい
たのを記憶している。少年サンデー・少年マガジンの最新号を読むのを楽しみに通ったみたいな
もんだった。
話は変わるけれども中野に「クラシック」という古い喫茶店があったのが去年位に廃業してしま
っていた。五木寛之のエッセイでもとりあげられた喫茶店だったけれど、三年くらい前に奥さん
を連れて行って奥さんはあまりの古さに感激やら驚愕していた。
大学時代に高輪から沼袋に引っ越し、中野近辺にはよく出没したので「クラシック」はずいぶん
と行ったものでした。三十年以上前でも充分古かった。戦前からあって空襲にも遭わなかったよ
うな古さだった。三年前に行ったときもなんにも変わらなくって逆にビックリ。もとから古かっ
たので三十年後に行っても古さに遜色がなく(?)感動モンだった。
「クラシック」のコーヒーはおせじにもうまいとはいえなかった。メニューは三種類のみ。コー
ヒー・紅茶・ジュースの中ではたいてい紅茶を注文してた。ティーバッグの紅茶が「クラシッ
ク」では一番まともな味がした。名前からもわかるようにクラシック専門の音楽喫茶で店内で流
れている曲のレコードジャケットがレジの横に飾ってあって、リクエストにも応じていたと思う。
弁当持参で一日中いる人間がいたりした古きよき時代の喫茶店だった。
今年の春に中野に用事があったのでひさしぶりにのぞいて見ようかとしたらもう無くなっていた。
大地震があったら間違いなくペシャンコになる建物だったのでしょうがないかとも思う。
題名の『コーリング・ユー』は映画<バグダッド・カフェ>で流れていた不思議な雰囲気の名曲。
喫茶店のコーヒーの話からの連想。<バグダッド・カフェ>は観たかい?
返信:別人28号さんともよく「ポエム」に行ったね。一杯、100円のコーヒーで少年サンデー・少年マガジンの最新号を読む。あしたのジョー、巨人の星は全部ここで読んでいた。あの頃、少年ジャンプはまだそんなに売れてなく、マガジン、サンデーの方が面白かったね。「俺の空」は高校卒業したくらいかな?別人28号さんはジョージ秋山(?)の「アサ〜」とか言う変なマンガが面白い面白いと言って読んでいたのを思い出した。僕はくだらんと思っていたけど。

中野の「クラシック」、行った事はないけど知っているよ。レコードで聴かせてくれる店で、以前テレビ出演して「今のCDは音が悪い、レコードの方がいいよ。それも竹針で聴くのが一番やわらかい音でいい」とか言っていたジイさんだよ。そこまで言われたら凄いと思ったけどね。もうやめたんですか。一度行ってみたかったけど、中野にはほとんど行かないからね。ヨリとカフェ・ムジカに行ってから、二人とも昔の美味しい珈琲を思い出したんだ。それで本を買い、美味しい珈琲の店を探して行く予定。映画<バグダッド・カフェ>は観てない。昔の映画?


坂さん
Sat, 5 Nov 2005 10:28:20
どこでも、そうだろうけど喫茶店そのものが無くなっています、暇つぶしをする
私としても、探すのが大変です先月までは、よく行く店が3店だったのが今月に
なって2店になりました、時代の変わりなんですね、昼間に、おじさんが行く
所が、だんだん無くなってきました。
返信:あの青物横丁のムジカに行ってホントに昔の美味しい珈琲を思い出しました。高校生の頃によく行った釧路デパートの横の「ポエム」はもうないのかな?それから、高校の校則に純喫茶は行ってよく、ただの喫茶店はダメっていうの確かあったよね。じゃ、どこで区別していたんだろう?適当な校則で先生に怒られたよ。東京もコーヒーが180円くらいで飲めるところはいっぱいあるけど、だいたいイスが小さく高さが高い。安定していないし、ゆっくり休んでいないで飲んだら早く帰れよ、っていうイスだよな。少しくらい値段が高くてもいいから美味しい珈琲が飲め、ゆっくり出来る処がいいね。あと、最高のスピーカーからいい音楽が流れていたら最高!

別人28号さん
Tue, 25 Oct 2005 23:57:24
「愛と青春の旅立ち」(おじさんには赤面モンのタイトル)
>「黒くぬれ」のバックの音がエレキシタールですか?シタールのようなシタールではないよ
うな音ですね。
すまん、すまん。「黒くぬれ」は本物のシタールでした。そういえば昔TVで見たエド・サリバ
ン・ショーで今は亡きブライアン・ジョーンズがシタールを弾いていた場面を思い出した。
「黒くぬれ」にはカスタネットの音が挿入されているが、この当時のストーンズのレコーディン
グにアレンジャーでジャック・ニッチェという人物が関わっているのだが、ジャック・ニッチェ
はフィレス・レーベルの名アレンジャーで60年代ポップスの避けては通れない人物。
フィル・スペクターの「音の壁軍団(?)」の重要人物の一人です。
ジャック・ニッチェは5年ぐらい前に亡くなりましたが、ネット検索すれば人物像が分かります。
サーフィン・ミュージックの作・編曲、二ール・ヤング、ネビル・ブラザーズを初め多くのプロ
デュース、70年代以降は映画音楽で活躍した人物でした。
題名の『Up Where We Belong』は映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌。ジャック・ニッチェが音
楽監督でした。Joe Cocker & Jennifer Warnesで映画ともどもヒットしたね。
それにしてもリチャード・ギアの出世作「愛と青春の旅立ち」、ナンとすごい気恥ずかしくなるタイ
トル… 確か映画の原題とは全然違うはず。
返信:前にも書いたけど、「黒くぬれ」は真理が中3の時の文化祭で歌った歌。かっこいいと思ったね。僕の中で、ストーンズのベスト5に入るかな。ジャンピン・ジャック・フラッシュ、ブラウン・シュガー、ホンキー・トンク・ウーマン、ギミー・シェルター。みんな初期の曲だね。映画「愛と青春の旅立ち」は主題歌もよかった。また見てみたい映画だね。

別人28号さん
Fri, 21 Oct 2005 22:38:06
You Are Everything
60年代後半から70年代にかけてよく耳にしたエレキシタールのおはなし。
われわれの世代で最初にインド音楽に接したのはなんと言ってもビートルズ。
《ラバーソール》での『Norwegian Wood』でシタールの音を初めてといってもいいほどに聴い
たはず。《リボルバー》にもシタールの入った曲もあり、この当時のジョージのインド音楽への
傾倒ぶりは有名な話だよネ。
しかし今日の話題はビートルズが使った本物のシタールではなく、「お手軽にインド音楽一丁上が
り!」の”エレキシタール”のことなんだ。
ストーンズの『Paint It. Black=黒くぬれ』あたりが多分最初に耳にしたエレキシタールだと思う。
サイケミュージックブームもあり60年代後半はエレキシタールの音はよく耳にした。変わったと
ころではベンチャーズの『京都の恋』もエレキシタールが炸裂していた。
70年代入るとブラックミュージックでも洗練された曲が次々にヒットをだしたフィラディアフィ
ルを中心にした一大ムーブメントになったフィリー・ソウルが何といっても忘れられない。
流行っていた当時は軟弱に思えて(?)フィリー・ソウルはあまり関心が無かったんだけれど、ブ
ームが去ってからじっくりと聴いたらこれがいいんだナ〜。
エレキシタール=フィラディルフィア(フィリー)・ソウル。これにつきる!というのがオイラの
今回の話題なのでした。それにしても最近はエレキシタール入りの楽曲なんてぜんぜん耳にしな
いのが寂しい。
秋の夜長にはヘッドホンで聴くフィリー・ソウルが一番!
題名の『You Are Everything』はカバーはいろいろあるけれどエレキシタール入りの
スタイリスティックスがやはりいい。
変化球なら山下達郎の『ゲット・イン・バック・ラブ』。フィリー・ソウルへのオマージュにあふ
れたこの曲も題名の裏候補デシタ。
返信:いや〜ナント偶然なことか、急にシタールの話が出るなんて。ヨリが去年インドに行ったのは知ってると思いますが、なんせ、インドは日本の10分の1の物価。5万円くらい送ったら40万か50万のシタールを買えるかも、とヨリと話していたんです。友達の息子がインドのお嬢様と結婚したのでどのくらいで買えるか聞いてみようと思っています。すぐは弾けないだろうけど雰囲気は楽しめそう。買う事になったら連絡します。ビートルズがシタールを使っていた事は知っていたけど、「黒くぬれ」のバックの音がエレキシタールですか?シタールのようなシタールではないような音ですね。「ラバーソウル」と「黒くぬれ」はどっちが先の発表だったかな?中学2年(昭和41年)は確かだけど。

坂さん
Tue, 18 Oct 2005 10:28:02
アクセス、4300回ですって、私が東京に行ってから、セイウチ君が始めてくれた、このペー
ジ、新しい人がなかなか入ってこないですね、でも私にしたら、都会の小さな事を知る事ができ
て、まあまあ楽しい、これからも、カメラ小僧、もとい、カメラ親父で頑張って下さい。
返信:そうですね、坂名人が東京に来たのがきっかけでしたね。あの時、高校時代の写真を見つけて楽しかったですね。みんな若い!これからも坂名人から「まあまあ楽しい」から「とても楽しい」と言われるように頑張ります。

マダムなおこさん
Tue, 11 Oct 2005 13:07:33
この場をお借りして別人さんへお礼です。
早々にCDをお送り頂き恐縮しています。気持ちだけはすぐ青春時代へ逆戻りです。ほんと私って進歩無いんだな〜
別人さん、写真で確認させていただきました。ほんとに別人さんですねェ。でもとてもいい歳の
とりかたしていると思います。これからもいろいろな裏話、情報など語って下さい。
返信:高輪の屋根で撮った写真が別人28号さんだと教えちゃいました。で、このとびきりの美女がマダムなおこさんです。ダンナさまもいい男ですが、酒を飲むとネコからトラに大変身し、勝手に写真を掲載すると怖いので、今回は登場しません。これからもよろしくお願いします。

           


風間雅昭さん
Fri, 7 Oct 2005 10:15:13
おいしそう
おいしそう、私もやってみます。
返信:手間はかかりますが、簡単なので挑戦して下さい。詳しい作り方はインターネットで「栗の渋皮煮」でいっぱいレシピが出ています。最初、水に漬けた時に浮いてくる栗、ブヨブヨした栗は諦めた方がいいです。煮てから渋皮を指で剥く時に結局は失敗します。鬼皮を剥く時に黄色い実が出てしまうのが数ミリくらいだったら大丈夫です。シロップは煮詰めて甘すぎる位が栗に丁度いい甘さです。買うと1個、数百円しますよ。

マダムなおこさん
Tue, 4 Oct 2005 13:11:30
先日は横浜国大のフォーミュラカーを取り上げて頂いてありがとうございました。
この部屋の方々でご用命下さる人がいらっしゃるといいのですが・・・話は変わりますが、私も
モンキーズが今でも大好きなので、ここで話題にのぼり嬉しいです。私は皆さんよりほんの少し
お姉さんですが、やはりミュージックライフを毎月楽しみにしていました。クラスの友人には
わかってもらえず、ウオーカーズのスコットとモンキーズのデビッドの声は素敵だなーと、帰
宅後しばし聞き入りました。今でも進歩無く(?)そう思っています。ただ曲と声がいいと思っ
ていただけなので、いろいろなことは知りませんでした。40年も経って、そうだったのかとい
うようなことを教えて頂いています。ありがとう!!!
返信:えっ、モンキーズを知ってたんですか?以外でしたね。ポール・アンカ、プレスリーの世代と思っていました。ま、そんなに年は変わらない同世代という事にしておきましょう。デイビー・ジョーンズのファンだったら「自由になりたい」が好きだったでしょう?僕はドラムのミッキー・ドレンツの声が好きだったな。テレビではマイク・ネスミスの声を確かスリーファンキーズの長沢淳がやってたと思ってけど、他のメンバーは誰だったかが思い出せない。覚えてますか?別人28号さんなら覚えてるかもね。

別人28号さん
Sat, 1 Oct 2005 23:25:22
恋の終列車
ビートルズに対抗すべくオーディションで集めた4人組モンキーズ。
437人が応募した伝説のオーディションの落選者には後のスリー・ドッグ・ナイトのダニー・
ハットン、ソングライターのポール・ウィリアムズ、C,S,N & Yのスティーブン・スティルスが
いたんだって。歯と髪が汚いという理由で選考外になったスティーブン・スティルスは代わり
に自分によく似た友人のピーター・トークを紹介してピーターはオーディションをパス。
4人組のバンドであったにもかかわらず楽器ができなかったというのは有名な話。
レコーディングは当然ながらスタジオ・ミュージシャンを登用するが、中にはグレン・キャン
ベル(ブライアンがぬけた一時期のビーチ・ボーイズのメンバーでもあった)、レオン・ラッセ
ルらが含まれていたそうだ。
どちらかというと当時のロック好きの人間からは”ケッ!モンキーズなんて…”といった冷淡
な扱いのグループだったと思う。確かにTV番組用に作られたアイドルではあるんだけどネ。
オイラもどちらかというとお子様向けというみかたをしていたんだけれど、楽曲として妙に気
になるいい曲が多くて一体どういう人間が作ったのかを調べたら、な〜るほど納得だったのだ。
それもそのはずキャロル・キング、二ール・ダイヤモンド、二ール・セダカ、デヴィッド・ゲ
イツ、トミー・ボイス&ボビー・ハートという60年代当時の優秀なソングライターの手による
ものだった。(もっともそれに気づいたのはず〜っと後のことだがね)
題名の『恋の終列車』はボイス&ハート作詞・作曲のモンキーズデビュー曲。デビュー曲=ビル
ボードbP。ギターのイントロが強烈に印象的。この後モンキーズは『I'm a Believer』、
『Daydream Believer』のbPヒットをだす。4週連続bPの『デイドリーム』を引きずりおろ
したのがビートルズの「Hello Goodbye」だったのはポップス史の皮肉かもネ。
返信:モンキーズね、確か中学3年の時に北海道も放送してた。番組内容はアメリカ版ドリフターズみたいでおふざけ番組だったけど、歌は良かった。あの当時、プロモーションビデオなんて無かったし、アメリカやイギリスからの情報が少なかったからモンキーズの番組はとても楽しかったな。デビュー曲の「恋の終列車」は勿論、デイドリーム・ビリーバー、モンキーズのテーマ、アイム・ア・ビリーバー、ステッピン・ストーン、恋はちょっぴり、自由になりたい、みんな今聴いてもいい曲だよ。オーディションにダニー・ハットン、ポール・ウィリアムズ、C,S,N & Yのスティーブン・スティルスがいたのは知らなかった。「Hello Goodbye」は確か高校1年かな?この頃の曲が1年単位で思い出すのは本当に不思議だよね。

風間さん
Thu, 15 Sep 2005 11:03:15
車のナンバー
自衛隊は知りませんが、外交官ナンバーは乗ったことがあります。
親しくしているフィンランドの外交官が居ました。名前は控えますが女性です。日本語が日本人
より流ちょうでした。日本文学への造詣も深く、実際何人もの文学者と交友があるようでした。
根津美術館の脇にあった彼女の住まい似よく伺ったんですが(半分公邸なのでゴージャスなマン
ションでした)その道すがら、誰か外国要人が来るらしくて赤坂離宮の周辺は凄い警備でした。
近県からも機動隊が応援で呼ばれていたらしいのですが、この人達が外交官ナンバーを知らない。
我々の車を止め手、窓を開けろと言ったんです。これは国際問題に発展する可能性があります。
私は下りていって説明しようとしたんですが、その彼女私を押し留めて、免許証を提示したんです。
車は三十年前のブルーバード。次々新車に乗り換える習慣のないかの国では、車は動く間はそれ
に乗ります。然しその機動隊員の常識では、いかに怪しいオンボロ車。そうこうしているうちに、
血相変えて中隊長がとんできました。中に日本人が乗っているのを見ると、ちょっと安心したみ
たいに「しつれいしました!どうぞ」あっけにとられたのは件の隊員。ですから外交官特権はは
あります。然しだからといって酔っぱらい運転やスピード違反が許されるわけではありません。
車を降りた途端に逮捕、と言うこともあり得ます。でもまあ大体は、違反は外交ルートを通じて
説諭、位で済んでしまいます。以上、私の経験ですが、よろしいでしょうか?
返信:日本人より日本語が流ちょうな人いますね。外国の人はけっこう文法もしっかりと勉強しているので、いっしょに話していて、そんな言い方でいいのですか?なんて聞かれ、通じればいいの、とか適当に答えて恥をかいた事があります。僕も初めて東京であの青い外交官ナンバーを見た時には、イタズラで正規のナンバーを外しておもちゃのナンバーを付けているのかと思いました。田舎から応援に出てきた機動隊は、見た事のないナンバーを見て怪しいと思ったんでしょうね。隣に乗っているオッサンもクセのありそうなオッサンで怪しい、と。やっぱり外交官ナンバーの車にも違反キップは切るけど罰金は殆ど払われない、という話は本当なんですね。

サカ様
Sun, 21 Aug 2005 10:41:45
たつんだジョー、さるすべり、中々おもしろかったです、でもね、今朝テレビで、盗撮をテーマ
にレポートしてました、クリツ君、いつもカメラを片手に、大丈夫ですか、あやしいオヤジに見
られませんか、時として、ウッ撮りたいと言う場面があるのでは、同郷のよしみとして、くれぐ
れも犯罪には手を染めないように。
返信:ご忠告ありがとうございます。カメラ小僧にとって最近は撮りづらい世の中になりました。冗談、盗撮で捕まるような写真は撮らないから大丈夫。僕は入れ歯の写真が面白く気に入っているんだけどね。カラスの写真も風間さんのホームページの数日後だからびっくりした。まっ、大丈夫とは思いますが、坂名人も「立つんだ、ケンジー」と言われぬように頑張って下さい。

kazamaさん
Sat, 20 Aug 2005 10:02:12
立つんだジョー
ねえ、こういうことあるんですね。
でもこのカラスは小ガラスで、まだ経験が浅いから電車にぶつかったか
電線にさわったかしたんでしょうね。
雄武のカラスは結局みんなの結論は硝子に空が映っていたんじゃないか?
っていうことに落ち着きました。
小鳥がぶつかってくることはよくあるそうです。
でも賢いカラスがぶつかってきたのは初めてだったそうです。
灯台にも渡り鳥がたくさんぶつかるそうですし、
人間は罪作りですね。
返信:ヒグマの缶詰の写真よりカラスの方が見たかった、と思っていたらホントに実際にカラスがバタバタしていてびっくり。これって超能力?人間、一生に一度使える超能力を、この倒れたカラスを見たいが為に使ってしまって損したかもね。出勤前だったのであわてて電車に乗ってしまったけど、もし帰りだったらとか、休日だったら家に連れてきて治療できたのにと考えていました。ヒナ鳥っぽかったから、人から餌を食べると思ったけどね。

坂さま
Tue, 16 Aug 2005 13:47:49
靖国問題、難しいですね、でも他の国から、ぐだぐだ言われる筋合いのものでは
ないですね、写真にあるような服装の人が居るから、余計に言われるのでしょうけど
国民が、なんのわだかまりもなく、気軽に行ける所になるといいですね、私も一度
行ってみたいです。
返信:ある国が、「A級戦犯が祀られている神社に参拝するのは軍国主義復活だ!」って言ってるけど、日本人は誰も思ってないけどね。昨日は朝から暑くて大変でした。大型バスが何台も駐車場に駐まっていて、広島、長野、仙台などと書いてありました。たぶん夜行バスに乗り参拝に来たのでしょうね。年寄りが殆どですが、拝殿まで結構あり、暑い中並んで参拝してました。ちょっとジーンときました。今日の読売新聞の朝刊に、昨日靖国神社で右翼系と左翼系の衝突があり8人くらい逮捕された、と書いてましたけど見たかったなあ。左翼はどこにいたのかは分からなかったけど、右翼は一杯いました。警察、私服刑事も。

別人28号さん
Mon, 8 Aug 2005 21:37:20
Purple Haze
>当然あの当時、エレキギターを弾いていた不良の別人28号さんはドラッグをやりながらテケ
テケだろうね。
現在昔も大麻(マリファナ)は当然法律違反です。
しかし、われわれの若かりし頃はまだ今ほど厳しくなかったように思うんだけれど…
これからの話はオレたちの10代後半の釧路での都市伝説のような話なので
本当かどうかは今となっては???の話。
まだアメリカがべトナムと戦争していた1960年代の後半の釧路の街もベトナム戦争とは無縁の
ようで無縁ではなかったらしい。
というのもあの当時にベトナムから日本に休暇でくる兵隊の中にはもうベトナムに戻りたくない
と思う人間も結構な数いたらしい。(当然といえば当然)ほとんどがあきらめてまたベトナムに戻るんだけれども、中には脱走してしまう兵隊もいて、その手助けをベ平連がしていたという話は聞いたことあると思う。「ベトナムに平和を市民連合=ベ平連」なんて今や死語か。
日本から国外への脱走にはいくつかのルートがあったらしく、その一つが「根室ルート」と言う根室から漁船に乗って北方領土経由(?)ソ連に向かうというホンマカイナ?のルートがあったらしい。いかにも都市伝説ぽいだろ。
で釧路は根室への途中にあるわけだから釧路でひと休みするときにアメリカ脱走兵はコーヒーを飲むためにファンキーな音楽が聞ける当時釧路で唯一のジャズを聞けた「ジス・イズ」にやってきたらしい。(10年位前に釧路に行ったときにはジス・イズはまだ健在だったけれども今でもあるのかな?)ジス・イズで脱走兵と意気投合(カンパしたりタバコをあげる)するとお礼にマリファナをもらえた、
という都市伝説めいた話があったけれども本当だったんだろうか?
ジス・イズには高校時代から先輩に連れられてよく行ったけれども残念ながら脱走兵らしきアメリカ人に遭ったことがなかった。
あの当時野生の大麻を大楽毛あたりで採取して警察に捕まったなんていう記事がよく新聞にものっていたもんだ。オレ自身これが大麻だと教えてもらったのは20代後半になってからだった。道南の伊達に遊びにいった時に知人の家の前に大麻が茂っていて、抜いても抜いてもすぐに生えてくるってブツブツいいながら抜いていたのを(知人はゴミとして燃やしてしまう)記念として少しおすそ分けしてもらい押し花ならぬ押し葉をスクラップにしたんだ。
もちろん観賞用以外(ホントに!)には利用してません。先日ン十年ぶりにそのときのスクラップを発見しその時のことを思い出した。
題名Purple Haze(紫の煙)はもちろんジミ・ヘンの名曲。もろマリファナの煙だもんネ。
返信:釧路にアメリカ脱走兵がいた、という話は全然知らない。ジス・イズにもよく行ったけどアメリカ人に会った覚えはないな。釧路でアメリカ人に会ったのはティムくらいだろう。ジス・イズはJBLのパラゴンを置いてあったと思うけど。ばかでかいスピーカーで左右のスピーカーがつながっていて一個になっているやつ。ふつうの家庭では置けないよな。北海道じゃ野生で大麻があるって聞いていたけど、全然分からなかった。吸っている友達も知らなかったし。だけど、高校生の頃みんなうちに麻雀しに来たけど全員タバコを吸って麻雀してたよな。吸っていなかったのは俺だけ。唯一の自慢。みんな覚えてる?

別人28号さん
Sun, 7 Aug 2005 17:35:45
霧の中の二人
昨日、近所のTUTAYAで「FESTIVAL EXPRES」ていうロック関係のドキュメンタリーのDVD
をレンタルして観たんだけれどもなかなか面白かった。
1970年の夏(我々は高3)、カナダの東から西に向けてコンサートの機材とミュージシャンを
列車に乗せてコンサートをしながらのひと夏の記録映画、ひと言でいえばこんな映画です。
主なメンバーはザ・バンド、グレートフル・デッド、ジャニス・ジョプリン、シャ・ナ・ナ、
マッシュ・マッカーン(カナダのバンドとは知っていたけれどこんなのに出てたんだ)etc.
その当時の映像と現在生きている人間のコメントで構成されているんだけれども、
前年のウッドストックコンサートなんかとも比較したコメントもありで、この手の映像が
好きな人間には結構たまらなかったりもする。
コンサートもいいが、すごいのが列車のなかでのジャムセッション。
アルコールとドラッグでブットビながらの演奏と歌がすごい!
もしまだ観てなくて興味あるならレンタル中ですゼ。
題名の「霧の中の二人」、マッシュ・マッカーンの曲で
こんなタイトルのヒット曲ってなかったけ?(曲名がいまひとつ自信がないんだけれども…)
バンドとかの曲名にしようとも思ったけれども、やはりバンドは深すぎてオレの守備範囲
ではないので軽〜い感じのマッシュ・マッカーンの曲で今回はお茶をにごすのデシタ。
返信:マッシュ・マッカーンの「霧の中の二人」、グループ名も曲名も覚えているけど、メロディーが出てこない。ギターの音がきれいな、軽い感じの曲だったと思うけど。たぶん、この手の曲はカラオケですぐ歌えるんじゃないかな。この頃のミュージシャンはみんなドラッグをやってたよな。ジョン・レノンもポールもLSDか大麻で捕まってるもんね。残念ながら僕は大麻は吸ったことがないけど、当然あの当時、エレキギターを弾いていた不良の別人28号さんはドラッグをやりながらテケテケだろうね。カッコイイ〜。「FESTIVAL EXPRES」今度探してみるね。

風間さま
Tue, 2 Aug 2005 09:28:30
地蛸
頂いた足は、やはり非常においしかった。
で、食べてみての感想ですが、まず塩もみするときに塩は出来るだけ控えます。
その後よく叩きます。大根で叩くといいとも聴きました。
でも普通はすりこぎで叩きます。
叩いているこっちが疲れてしまう程叩きます。
それからゆでると柔らかい蛸ができあがります。
走水の斉武丸の船長に教わったやり方です。
ゆで加減は完璧でした。
「凶暴」な奥様によろしくお伝え下さい。
ごちそうさまでした。
返信:塩はたっぷりでもみました。今度、少なめでもんでみます。テレビでも大根で叩くとジアスターゼが出てきてたこが柔らかくなると放送してました。テレビで見て今度そうしようと思っていても実際にするときには忘れてしまうんですね。だけど、茹でる前は気持ちの悪いたこが、茹でると美味しそうな色に変わり足がクルクルと丸まって、食べて下さ〜い、と美味しそうに変身するのは不思議ですね。うちの奥様は先週の海でたこ捕りのコツが分かり、そのうちたこ捕り名人と呼ばれる様に頑張るそうです。僕はハコフグ捕り名人になって欲しいのですけど。

別人28号さま
Sat, 23 Jul 2005 22:57:21
Black Sand Beach
>八重洲の地下街
>エレキギター弾くようになったらもう完全に不良の仲間。今では信じられないことです。

中学時代にエレキの音に目ざめたオイラも…はい、不良でした。
メーカーはテスコのセミアコースティックのギターを使用してた。
バンド仲間はグヤトーンのソリッドタイプを使用していたはず。
グヤトーンもテスコもいまでもあるようだけれども、あの当時は手ごろな値段のエレキギター
のメーカーだったはず。今にして思えばセミアコのギターを選んだのはきっとアンプなしでも
そこそこ音が出て練習しやすかったからだと思う。アンプも一緒に買ったと思うんだけれども
、一人で練習してた時はあまりアンプは使った記憶はないように思うんだ。
初めはやはりベンチャーズのコピーというあの当時のアマチュアバンドの"初めの一歩"でスタ
ートしたはず。2年近くバンドやっていくうちに少しずつレパートリーが増えていった。
練習した曲で今でも印象的な曲が何曲かあるんだ。まず、T-ボーンズの《真赤な太陽》(美空
ひばりの曲ではない!)、アストロノウツの《ホッドドッキング》。
中坊にしてはなかなかシブイ曲やっていたといまさら感心…(って一人悦に入っている)
《ホットドッキング》は夏だ!エレキだ!サーフィンだ!のCDにも入っている。
《真赤な太陽》はT-ボーンズのメンバー中に《ダイヤモンドヘッド》、《ビートでOK》の作曲
者がいるしぶいバンドで、このグループはのちに「ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ」
のコーラスグループに発展していくんだ。
中坊バンド(バンド名はなかった)の後期にはボーカルにメンバー皆が目ざめたのはいいんだけれ
ども(グループサウンド全盛だった)、かんじんの歌を歌えるヤツがいなくあえなく頓挫… そう
こうしているうちに中学卒業でバンドは自然消滅してしまった。という顛末。
あの当時のバンド仲間はいま何処、なんて時々思い出したりする。

題名の《Black Sand Beach》は言わずもがなの弾厚作=加山雄三作曲の名曲。
日本人作曲のエレキインストbP。(と思うのはオレだけではないはず)
エレキ小僧はみ〜んな完全コピーを目指した一曲。

ところで、地下街の写真展でのビートルズと一緒に写っているオネーちゃんはあの当時の「ミュ
ージックライフ」の編集長の星加ルミ子(こんな字でよかったけ?)、それとも東郷ナントカ子っ
ていう人物なんだろうか? おしえて。
返信:やっぱり別人28号は不良だったな。これで証明されたわけだ。僕はエレキギターはどうしても許してもらえず、クラシックギターになってしまったのさ。ま、ビートルズとかPPMばかり練習していたけどね。グヤトーンとテスコ、懐かしい〜。今も売ってるの?売っていても今は買う気にならないと思うけどね。不覚にもT-ボーンズの《真赤な太陽》は思い出せない。♪真っ赤にも〜えた〜太陽だ〜から〜♪が頭の中で邪魔をしている。アストロノウツはべンチャーズの影に隠れていたけどよかったね。僕もファンだった。それから景中の3年の文化祭で真理が「黒くぬれ」歌ったのまだ覚えてる。僕はエレキギター持っていなかったから、真理のギター姿がカッコよく憧れたね。そして、高校でその真理と江崎と僕と三人、文化祭で歌ったのはいい思い出さ。加山雄三はいい曲残したよね。声は決していいとは言えないけど、曲は最高。それから、タモリの麻雀がまた聞けると思ってなかった。タモリって、江崎が泉岳寺にいる頃、僕に面白いのがいるぞって教えてくれたんだよ。麻雀は面白かったけど、イグアナの真似は面白くないので記憶している。八重洲の写真展、シンコーミュージックが主催だから星加ルミ子でしょう。僕、個人としては星加ルミ子の方が湯川れい子より可愛かったね。音楽とは関係ないか。

坂さま
Wed, 13 Jul 2005 10:39:59
田舎
そうなんですよ、野生化、大問題です、あらいぐまもそうですけど、北海道の北きつね等も、
観光客が国道沿いに出てきた、北きつねに餌をやっているのを、何度か見かけました、信じら
れない馬鹿共ですね、エヒノコックと言う害虫、まあ病気を持っている動物ですよね、日光の
猿にしても、最初はかわいいと言って餌をやっていたのが、今のざまですよ、日本には固有の
動植物がいるわけで、外来種はいらないんです、釧路湿原の釧路川にいるザリガニ、日本ザリ
ガニがほとんど、いなくなり、大型のアメリカザリガニがはばをきかしている、幻の魚イトウ
も、地元の心ある人々は1m前後のイトウを釣ってもリリースするらしい、皆がそんな心を持
てたら、世の中もっともっと、豊かになるのにね。
返信:いろいろな問題がありますね。昭和30、40年頃に釧路湿原が国立公園になるなんて考えもしませんでした。知床も世界遺産でしょう。僕が20年くらい前、釧路に帰った時に新しい野球場が建てられ、誰も練習してないがら空きのテニスコートもいっぱいあり、釧路もいろいろな施設が出来て発展してきたなと思いました。しかし、湿原にいろんな施設を造る事に反対している立派な人がいたんです。あの当時に湿原を守ろうとした人はエライ。で、動物が好きな人はどうしてもペットで飼いたくなるの気持ちは分かります。しかし、ペットが大きくなったからとか、数が増えたから、もう飽きたから、自然に帰すのが一番とかで飼育をやめ、森などに放す事は害獣になるだけです。ペットにするなら責任もって最後まで面倒を見て欲しいですね。

別人28号さま
Sun, 3 Jul 2005 18:39:57
Dominique(ドミニク)〜シンギング・ナン
サンディ・ホーシーって名前からすると女性歌手と思うが知らなかった。
ペギー・マーチが同名の曲を歌っているけれども同名異曲? それともカバー?
たぶんカバーだとは思うけど。
ここからはたぶんカバーという想像で書きます。
I Will Follow Himは1963年の1ヒット。我々が小6のころに日本でも大ヒット。
ペギー・マーチはこの時まだ15歳。ブレンダ・リーの記録をぬくこの当時の最年少記録。
(後にスティービー・ワンダー13歳時の<フィンガーティップス>に記録がぬり変わる)
この曲はフランスではぺトラ・クラークが<愛のシャリオ>というタイトルですでにヒットをさ
せていたそうです。彼女はイギリス人でしたけれども、<恋のダウンタウン>がアメリカで1
になるまではアメリカではまったくの無名の歌手だったそうだ。
愛のシャリオ=アイル・フォロー・ヒムの作曲者はデル・ローマという人物で
デル・ローマ=ポール・モーリア、そうです!あのポール・モーリアです。
この曲がピッタリだったのがウィーピー・ゴールドバーグ主演の「天使にラブソングを」だっ
たと思うのはオレだけではないと思う。
さえないクラブ歌手のウィーピーが尼さんになりこの歌をシスター全員で大合唱するラストシー
ンには大笑いしたネ。
映画の冒頭でウィーピーひきいる3人組のボーカルグループがクラブみたいなところで歌ってい
るシーンがあったけれどもこれもまた観ていて思わずニヤリとさせられた。記憶に間違いなけれ
ばマーサ&ザ・ヴァンデラスの《ヒート・ウェーブ》を歌ってたと思うけれどもヘタさかげんと
ヤル気のなさかげんが妙におかしかった。
オールディズが挿入歌になっている映画はたくさんあるけれども映画と音楽がイマイチだったり
するのが多いんだけれどもこの映画はひさびさの思わずニヤリの映画でした。
題名の《ドミニク》は本物の尼さんが1963年に1ヒットさせた不思議な曲だった。
「天使にラブソングを」のこと書いていたら連想してしまった。
返信:CDの I Will Follow Himはサンディ・ホーシーが歌っているけど、昔に聴いたのはペギー・マーチだと思う。なんとなくサウンドが違っている気がする。作曲がポール・モーリアとは知らなかったな。ドミニクも小学6年を思い出す。僕は小学校6年の時に共栄小学校から新川小学校に転校しているので、5年生か6年生か中学生かこの3年間がハッキリしてるんだ。ま、6年生からラジオを聴き始めた事も関係するけどね。その後は中学生か高校生か。あとはどんどんあやふやになって、現在は80年代のヒット曲か90年代のヒット曲か区別がつかなくなってきた。この辺の説明上手くできる人、説明して欲しいな。ドミニクもヒットしたね。歌詞が全然出てこないので英語じゃなかったのかな?残念ながらCDには入ってないけど聴きたかったな。

別人28号さま
Fri, 1 Jul 2005 23:50:52
Close to You(遥かなる影)
>なつかしの昭和・第二弾
>恋よさようなら(ディオンヌ・ワーウィック)
バート・バカラック(曲)、ハル・デビッド(詞)の60年代の黄金コンビ。
このコンビの曲は思いつくままに書いても「雨にぬれても」「サンホセへの道」「エイプリルフール」「ウォーク・オン・バイ」「小さな願い」「涙でさよなら」「ルック・オブ・ラブ」
まだまだありそうだけれども好きな曲を適当に思い出してもこれだけある。
そういえば映画音楽と言えばバカラック(ハリウッド)、フランシス・レイ(フランス)ってい
う時代があったネ。
60年代オールディズに関心を持ち出すとどうしてもレコーディングデーターにも興味がいき
はじめるのは、いたしかたないことなんだ。
作詞は? 作曲は? アレンジャーは? プロデューサーは? レコーディングスタッフは?
スタジオは? その他もろもろのレコーディングに関するトリビア的(?)な事にも関心が出て
くるんだナ〜これが… 
それゆえに重箱のすみを突っつくようなディープな世界がそこには待っている。ア〜恐ろしや…
もっともそれが楽しかったりするから始末におえない。いろいろな意味でも本当に60年代のロ
ック、ポップスはおもしろい。
60年代の活躍した作詞・作曲コンビといえばバカラック&ディビッド以外にもキラ星のように
たくさんいる。キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン、バリー・マン&シンシア・ウェル、
ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー、ケニー・ギャンブル&リオン・ハフっていう具合
に思いつくだけでもゾロゾロいる。キング&ゴフィンは超のつく位の有名コンビだけれども他
のメンバーも曲名を出したらすぐに思い出す歌ばかりなので興味があったらネットで調べてみ
たらと思うョ。 
60年代のソングライターコンビの話の途中だったように思うが、ロックの世界 では自分で作詞
・作曲そして自ら歌うシンガーソングライター(ビートルズ、 ビーチボーイズ、ストーンズ、み
〜んなそうだ ネ)が普通になりだしたけど、 60年代ポップスの世界ではどっこいまだまだ優秀
な作詞・作曲家コンビが活躍 していたもんだった。
キャロル・キングがゴフィンとコンビを解消してシンガーでブレイクするのは 70年代になって
からなのでもう少しあとの話になる。
題名のClose to You(遥かなる影)の正式なタイトルは(They Long to Be)Close to Youって言う ように( )が入りタイトルClose to Youになるんだった。 言わずもがなバカラック&ディビッドの名曲。
バカラックがハーブ・ アルパート(ハーブ・アルパート&ティファナブラス 名義で《蜜の味》《ビターツイストサンバ〜オールナイトニッポンのテーマ曲、糸井五郎サンも死んじ ゃったネ)》にと考えていた曲を、アルパートがリチャードとカレンに勧 めて レコーディングした
のがこの曲。この曲のカバーは山ほどあれど、やっぱり極 めつけはカーペンターズなのでは。
ビルボードで1970年7月25日に1になり 4週1位だったそうな。リチャードの端正なアレンジとカレンの20代前半だった のにあれほどの歌唱力、楽曲の良さ、全てが パーフェクトといっていいほどの 大好きな一曲。
ちなみにハーブ・アルパートは「A & Mレコード」の副社長だった時期があったはず。
返信:バート・バカラックのClose to You(遥かなる影)名曲だね。確か、高校3年の中頃にカーペンターズがこの曲で出てきた。ジョン・レノンも初期にバカラックの「ベイビー・イッツ・ユー」を歌っていたから気に入ってたんだろうな。他にもトム・ジョーンズ「何かいいことないか子猫ちゃん」、ハーブ・ アルパート&ティファナブラス「カジノ・ロワイヤル」、ジャッキー・デシャノン「世界は愛を求めている」、ペチュラ・クラーク「ジス・ガール」、クリストファー・クロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」、ディオンヌ・ワーウィック「愛のハーモニー」など聴けば誰でも知っている曲がいっぱいあるよね。それから、オールディーズのCDに入っていたけど、サンディ・ホーシー「アイ・ウイル・フォロー・ヒム」って覚えている?これ確か、小学6年のヒット曲だと思うけど曲名も誰が歌っていたか分からなく、40年ぶりに分かった。いいCDを買ったよ、感激!!!

マダム なおこさま
Fri, 1 Jul 2005 13:01:23
お邪魔します
風間さんのいちごのプレザーブのページを見ていたら入れました。もう秘密の部屋とは行きませんね。今日は時間がないので失礼しますが、これから時々お邪魔するかも・・・
返信:あらあら、見つかってしまいましたね。秘密にしていたのに。マダムなおこさんもCanonのデジタル一眼レフを買ったことだし、ホームページ作ったらどうですか?出張サービスでホームページの作り方教えに伺いますよ。ただし、往復の交通費はしっかり頂きます。あ、隣の家か。

別人28号さま
Fri, 1 Jul 2005 00:04:46
空の終列車
>なつかしの昭和・第二弾
企画物のオールディーズCDは通販を始め色々と巷にあふれているネ〜。
粟津クンのCDはきっと50年代後半から70年代までと30年近いスパンの1ヒット特集企画と
お見受けするがいかがかナ?(日本だけの1もあったりもするけどそれもヨシとする)
あまりの懐かしさに涙チョチョ切れたのでは…
それで今回は《霧のカレリア》のスプートニクスのことをを少し書き込むネ。
中学生の時にスプートニクスが釧路でコンサートをやったのを知っているかい?
多分中3の時だったと記憶しているが、会場はナンと映画館(東映だったと思う)。
前年のベンチャーズのコンサートは厚生年金体育館だったけどスプートニクスの映画館ってい
うのは200〜300人位の規模だったのかと今にしてみれば思う。
ギター小僧だったオレはバンド仲間とベンチャーズもスプートニクスも観たゼィ。
ベンチャーズの時はドラムのメル・テーラーが腰痛でドタキャンして代わりのドラマーは釧路
のアマチュア(それもドベタ)という金返せのひどいコンサートだった。
で、スプートニクスはメンバーも欠けずになかなかのコンサートだったと記憶している。
コンサートが終わって映画館なもんだから横の通路で待ちうけサインと握手をしてもらった。
なにせ映画館なもんだから楽屋なんてシャレたもんはあるはずも無く
宇宙服みたいなステージ衣装だったけれどもコンサート後一体どこで着替えたのかな?
スプートニクスといえばあの当時はスェーデン出身の独特の宇宙サウンド(今にしてみれば宇宙
サウンドってナンなんだ?)がウリのバンドだったはず。
確かにベンチャーズあたりのモズライトギターのひずんだサウンドとはスプートニクスのサウン
ドは歴然とした違いは分かるけれど宇宙サウンドはないだろう、ミュージックライフよ!
ヒット曲はどちらかというとロシア民謡のフレーズを取り入れた日本人が好みそうな哀愁をおび
た曲が多かったっけ。「モスクワの灯」なんていう曲もあったっけ。
コンサート聴いてから10数年後に中古レコード屋でベスト盤を見つけて聴いたもんだった。
その当時は状態のいい中古盤を探すのがかなりたいへんだった。CD時代になるまではスプートニクスなんて間違っても再発されない時代だったからネ。
題名の《空の終列車》は霧のカレリアと並ぶ大ヒット曲。個人的にどうもロシア民謡は苦手なも
んでスプートニクスというと《空の終列車》になってしまった。
返信:いいだろう、懐かしいよな。今も聴きながら書いているけど、もうカラオケボックス状態だね。不思議とこの頃に覚えた歌詞は忘れないんだよ。すぐ、一緒に歌える。ディオンヌ・ワーウィックの「恋よさような」の歌を聴くと軽音の沢田(ボーカル)を思い出すんだ。初めて聴いていい曲だなと思った。ホント音楽って不思議ですね、40年近くも前のこと忘れないで思い出せるんだから。スプートニクスが映画館でコンサートをやったの覚えてるよ。東映だった?坂と猫ちゃんの映画を見にいったととこかな?そんなことはどうでもいいけど、スプートニクスのサウンドはベンチャーズとチョット違って衝撃的だったね。ベンチャーズは2回、厚生年金体育館でしたね。そう2回目がドラムがキャンセルして酷かった。司会者がゴチャゴチャ言い訳して、釧路のドラマーは上手ね、とか言ってごまかしてたね。今、急に思い出したけど「霧のカレリア」のシングル版買っていたので、調べたらあったあった。スキャナーで読み取って原寸大で出します。懐かしい〜。¥370


偽坂さま
Mon, 20 Jun 2005 12:39:47
すばらしい作品ですね、一個一万円位で、譲って頂けませんか、でも話によると、
その会の中では、一番へたらしいですよ、まあ、クリツさんでしたら、弁当持って習いに、
行けるよう私から頼んであげようか、でも名人は気難しいから無理かもね。
返信:ホントにすばらしい!有田焼、伊万里焼、九谷焼もまっ青です。湯飲みを1個欲しかっただけなのに、いろいろ沢山送ってくれてありがとうございます。何に使うか迷っています。ひとつ、ワンちゃんの水入れにいいのがあったけど、坂先生にワンちゃん用に使ったらただじゃすまんぞ、と書いた脅しのお手紙が入ってました。家宝として大事に使います。あの作品を見たら坂名人に習いたいのですが、とにかくあの方は気難しい。ひょっとして真理以上に気難しいかも。怖いので習うのは遠慮します。今度、釧路に行ったら是非、坂先が陶芸を作るところを見学したいと思います。

坂さま
Sat, 18 Jun 2005 10:41:24
ホームページではいいけれど、鑑定団は、ちょっと困ります、体一つなので、私、無理するのいやなんです、いくら積まれようとも、まあ、芸実家とは、こんなものですよ。
返信:今日、届きました。湯飲み茶碗だけと思っていたらいろいろ入っていました。ありがとうごます。近日中にホームページで発表したいと思います。確かに陶芸は難しそうですね。

坂さま
Thu, 16 Jun 2005 10:29:54
今、ご希望の名人の陶器をクロネコで送ってきました、土曜日の午後着にしました、くれぐれ も名品の数々ですので、粗末にあつかわないように、床の間が一番いいかな。
返信:坂先生、ありがとうございます。今日は木曜日、土曜日の午後に着くのですね。土曜日まで嬉しくて寝られそうにないな。それから、名品(?)を何でも鑑定団に(この番組釧路はやってないかな?)出してもいいでしょうか?その前に私のホームページで自慢してもいいでしょうか?きっと坂先生はウハウハのひだりうちわの生活になると思います。

坂さま
Tue, 14 Jun 2005 11:20:13
えっ、私の価値ある陶芸作品を送るって言ったっけ、まあ送ってもいいけど、わかる人にしかわ
からない作品ですよ、最近週1の集まりにも、あまり行っていません、経験者の人には、とても
見せられない物でもいいですか、正直全然うまくなりません、坂陶芸の先生になるのは、諦めま
した、巨匠になろうと思っていたのに、残念、俺、三味線やら尺八、木遣り、その他もろもろ、
いろいろやって、すぐ飽きる、今はMTB、格好もそろえて、4、5回乗ったけど、そろそろ飽
きてきた、何をやったらいいんでしょうね、クリツ君の趣味は、続くから、感心、俺も見習わな
ければ。
返信:覚えてないの?品川で会った時に約束したでしょ。坂先生の作品を売って儲けようとか、そんな不純な考えで欲しいと言ったんじゃないんです。坂先生の作品で毎日お茶を飲む、想像しただけで楽しいじゃないですか。朝はコーヒーですが、午前、午後にお茶を毎日飲みます。もう半年も坂先生の湯飲みはまだかと待ち続けています。よろしくお願いいたします。決してうちのワンちゃんのエサ入れにはしません。

別人28号さま
Mon, 13 Jun 2005 22:25:17
When I'm Sixty-Four & Apache
ビートルズ関連のDVDありがとうゴザンシタ。
映画の<Let It Be>観たのは実に久しぶりでした。
もう1本の<back in the U.S.>はCDでは聴いていたんだが映像見るのは初めてだった。
ポールはビートルズ解散後もず〜っと現役でいるのでウィングス以降も時々レコードやCD
出し続けているのでおりおりの年代のポールの演奏は聴いていたということだった。けっ
こうビデオとかの映像も70年代から有ったりしていたしネ。DVDのなかでバンド演奏とし
てのオレ好みだったのはウィングス時代の曲でもあった「バンド・オン・ザ・ラン」ってと
こかナ。ウィングス時代はやはりなかなかのライブバンドだったと今でも思っている。
題名のようにポールは64歳になっても現役のロックンローラーだと思うのでこの際70歳に
なったポールのライブを見てみたいもんだ。ポール70歳、その時には我々は60歳か……。
閑話休題
先週シンコーミュージックの会長だった草野昌一が死去したネ。
オレたちの世代の楽器好きにとってシンコーといえばバンドスコアー(楽譜)。
そして「ミュージック・ライフ」。洋楽情報の少なかった60年代の貴重な雑誌。
今でも手元にある10代・20代の時に買ったビートルズの楽譜の出版元はシンコー。粟津ク
ンのところにもきっとシンコーの楽譜はあると思うけど。
草野昌一の名前よりペンネームの漣健児(さざなみけんじ)のほうがオレたちにとってはな
じみがあるよナ。60年代のアメリカンポップスの訳詞の大家だったもんナ〜。「可愛いベイ
ビー」「ルイジアナ・ママ」etc.etc. ネットで漣健児の訳詞した曲目リストを何気なく見てた
ら、エッ、こんな曲も…っていうのがずいぶんとあった。その中でもこんなのあり?って思っ
た曲が<アパッチ>だった。オレたちの世代では<アパッチ>っていえばシャドウズかベンチャ
ーズのエレキインストっていうのが相場なんだけれど、歌詞のついた<アパッチ>一度聴いてみ
たいと思うのはオレだけだろうか… はじめは同名異曲かなって考えたんだけれども作曲者が
記憶の限りでは一緒だったのでやはりあの<アパッチ>に間違いないようだ。
ん〜聴いてみたい!!歌入り<アパッチ>。
返信:<Let It Be>、よく考えると20代の若造たちだけど、いつまで経っても憧れなんだよな。 ビートルズ解散後はポールの方が活躍していたと思う。だけど、あの頃のジョンもポールも奥さんと一緒にレコーディングはして欲しくなかったね。特にジョンのクリスマスソングは名曲だけどヨーコの声が出てくるとガッカリする。昔、東京ドームでポールのコンサートに行ったけど、アビーロードのB面がラストだった。最後のジ・エンドはギターのアドリブがレコードよりかなり長くてよかった。レコードではあのアドリブがポール、ジョン、ジョージ、ポール、ジョン、ジョージ、と繰り返すの知っていた?ギターの音色が変わるから分かるよ。草野昌一 と漣健児は同じ人ですか。知らなかった。だけど、シンコーミュージックはお世話になってます。たぶん楽譜は50冊以上あるでしょう。シンコーミュージックが一番多いね。高校生、高輪の時の楽譜もまだボロボロになってあるぜ。歌入り<アパッチ>?聴いたことがないね。インディアンが出てきそうな名曲だけど、歌詞が入るのは想像できない。なんか幼児向きの曲になりそう。 When I'm Sixty-Four カラオケで歌った事があるけど全く様にならんかった。悪い思い出。   

坂さま
Mon, 13 Jun 2005 10:43:04
しかし、クリツ君は暇なのか、忙しいのか知らないが、多趣味ですね、ホントいろんな事を
知っているし、半分呆れて半分うらやましい、俺も最近いろんな事を考えています、52歳、
今後どうしようか、働こうか、辞めようか、趣味らしい趣味もないし、今かじっているのが、
陶芸、以前やっていたカヌー、簡単な登山もしたい、フライフイッシングもしたい、旅行もし
たい、バイクじゃなくスクーターを買っていろいろ行きたい等など、やるなら体の動く今の内
かなと思ったりして、私、悩んでいます。
返信:そう、暇なんですね。ま、貧乏性でじっとしてられないので、常に何かしてないといられないんです。もっと金になることを一生懸命にしていれば金が貯まったけど、残念ながら金がかかることばかりしてるので、全然金は貯まっていません。坂社長のように寿司屋を二軒経営して、お子様達も自立して趣味らしい趣味もなければお金が貯まりすぎて大変でしょう。羨ましい限りです。確かに50過ぎると何かしようとする欲が無くなりましたね。江戸時代の伊能忠敬は偉い。50過ぎて日本中を歩き日本地図を作るとは。僕は昔から思っていたけど、何かをしたいと思った時が始め時だと。10年後にあの時に始めていたらと後悔したくないからね。坂社長は女性関係が大変でお金もかかるでしょうが、他のことも一生懸命がんばって下さい。      それから社長の陶芸作品を送ってくれる約束はまだでしょうか?楽しみにしてるんですけど。

坂さま
Wed, 8 Jun 2005 10:38:19
くわぁー、うらやましい、俺も行きたい、釧路の晴れもしない天気の中に居たら、青い空、
青い海、うらやましい、現地で何を食べて、何が楽しかったか等もっと、くわしく書いてむ
読者を楽しませて、私んか最近は、温泉に行くくらいしか楽しみがないんだから、都会の人は、
もっと刺激があって楽しいとおもうのですが、頼子さん、いろいろ教えてね。
返信(頼子):温泉!いいですねー。
うちの人はカラスの行水、温泉は興味ナシなんですよ。
仕方ないので、スポーツクラブのサウナやジャグジーで我慢しています。

サイパンは北マリアナ諸島の一つなので、グアムと違って現地の人はチャモロ語
を話しているようです。
ホテルは英語が通じるんですが、小さいお店や、船を出してくれるおじさんは英語より
カタコトの日本語の方がわかるみたい。
ホテルのツアーデスクより安いというので、ビーチにテントを張っているお店で翌日の
マニャガハ島送迎とバナナボートを予約しましたが、前歯の無いおじさんが
「アシタ、8時ホテルネ。オッケー」これで本当に通じてるのかいなとちょっと不安でした。
でもちゃんと迎えに来てくれました。
ただ、支度がのんびりで、「船長、来テナイ」と1時間ほど待たされました。
さすがに南の国!
バナナボートはモーターボートでバナナの形をしたゴムボートを引っ張り、それに乗馬
のようにまたがって乗るものです。スリル満点でおもしろかった!

食事はほとんどアメリカンなものを食べてました。
フライドチキンやピザ、ドーナッツ、安くっておいしかったです。
大体、ホテルの最上階のレストラン(短パン禁止)のシーフードディナーコース
(メインはロブスター)が30ドルなんですよ。
チャモロ料理も結構いけました。

観光客の9割方は日本人、残りは韓国人と中国人のようでした。
ハワイでは日本人のほとんどいない(ツアー客が来ない)ホテルが好きな私としては、
外国旅行気分は今ひとつですが、近くて安いし海はきれいだし満足しました。
一度いかがですか?

別人28号さま
Mon, 6 Jun 2005 23:21:27
Monday,Monday
DVD気に入ってもらえたようで何よりデシタ。
ブライアン(長男)、デニス(次男、唯一のサーファーで80年代に酔っぱらって溺れ死ぬ)、
カール(末っ子、90年代ガンで死ぬ)の悲運のウィルソン三兄弟。               その伝説になりかけたブライアンがコンサートまでできるように復活するとは本当に驚くやら
嬉しいやら。                                      確かに粟津クンの指摘のように若い頃のように高音は出なく音程もフラツキ気味なのは確かな
んだけどネ。でも許す!
ファンにとっては生きてステージに立っているいるというだけでウレシイの!
ブライアンのファンというのはアメリカ・イギリスでもミュージシャンのファンが多いのには
やはりね〜とうなづける。                                DVDを見て気づいたかもしれないけれど本来のブライアンのパート(ファルセット)はデブちん
ギターリスト(見逃していたら注目)のジェフリー・フォスケットが担当しているのだが、この
おっさんはタダモノではなくこのバンドの核だもんネ。そしてバンマスはこのおっさん。
それと90年代でもビーチボーイズの曲をライブで演っていたグループ、ワンダーミンツ(ブライ
アンはこのグループの演奏を見ていたく気に入りすぐコンサートツァーに誘ったそうだ)のメン
バーでツァーをしているのが今でも続いているというわけサ。                トリビュート・コンサートでのオレの一番お気に入りはDon't Worry Babyを熱唱しているビリー・ジョエル。さすがピアノマン!
題名Monday,Mondayは言うまでも無くママス&パパスの1ヒット。
落語の三題噺めいているがどこに話が落ちつくか。
ママス&パパスメンバーでジョン(何年か前に死亡)とミシェル(ナイススタイルの美女のほう)の娘がチャイナ・フィリップス。
ブライアンの最初の奥さんマリリンの娘、カーニーとウェンディの姉妹。
はい、ウィルソン・フィリップスのできあがり!
トリビュートコンサートでも久ぶりにでてたネ。
今から14〜15年前にデビューした時にはほんとにびっくりしたもんだった。
カリフォルニアのミュージックシーンに現れたサラブレッド、親の21光(七光り×3人、ブライアンの元妻マリリンも入れようかとも思ったけれど、マリリンのいたハニーズはほとんど無名なのでこのさいカット)で華々しくデビューしたモンだったけれど、数年で自然消滅していたかと思っていたら去年再結成のCDが出ていた。ブライアンの歌声も聞こえなおかつビーチボーイズ時代の曲ありで娘たちを何とかせねばという親心がアリアリ。
というわけで個人的には「夢のカリフォルニア」よりは「マンデイ・マンデイ」のほうが好きな曲なのサ。
返信:ホームページに書かなかったけど、DVD見ながら涙ポロポロさ。やっぱり中学、高校に聴いた曲はいつまで経っても忘れられないね。自分が中学の頃に30才、40才(親を見て)になったらビートルズやビーチボーイズは聴かなくなるんだろうな、と思っていたけどそんなことは全くなかったね。今でも聴いている。                                     iPodという便利なものも出来たし何時でも音楽は最高の趣味さ。高校1年の時にママス&パパスの「夢のカリフォルニア」を聴いて、これはいい、素晴らしいグループだと思い、すぐレコードを買った。そのレコードの一曲目が「マンデイ・マンデイ」。この曲も好きだけど「夢のカリフォルニア」の方が僕は衝撃的だったな。ところで思い出したけど、ミシェル(ナイススタイルの美女のほう)ってあの小沼さんに似てない?(髪型の雰囲気かな)                                      

別人28号さま
Wed, 1 Jun 2005 20:21:53
Boys of Summer
>ギターの間奏なんかホテルカリフォルニアにも匹敵する最高な曲さ。
そうだったナ〜。両方の曲とも12弦と6弦のツインギターの間奏だった。
イーグルスといえば10年近く前にMTVの番組用に再結成した時にでたCD
"Hell Freezes Over"をずいぶん聴いたことを思い出した。                 今もそうなんだけれども、この当時もあまりハードロックは聴かなくなってはいたんだけれどもこのCDだけはすぐに聴いたもんだった。
あの当時はアンプラグドブームだったのでホテルカリフォルニアのアンプラグドバージョンはほんとにシビレた。                                   去年その時のコンサートのDVDが出ていたので買って観たら、これがまた良かったんだナ〜。ホテルカリフォルニア時代の名曲がテンコモリ。
来日コンサートがあったのは今年だったけ? コンサート評はベテラン健在みたいな書かれ方だったけれど50過ぎのロックンローラーだったらベテランって言われてもしょうがないか…
DVDのほうはメンバーはまだ40代で「久しぶりにいっちょうやるか!」っていう雰囲気ありありの映像満載。                                     題名の Boys of Summer はドン・ヘンリー(Dr.)のソロになってのヒット曲。
ビデオクリップが印象的だった80年代の思い出の1曲。
PS:北嶋ではなく喜多嶋だった。変換しててなんか?って思ってた。                                    
返信:ビートルズが解散後、シカゴ、ドゥビー・ブラザーズ、エアロスミス、ELO、クイーン、等色々なグループが出てきたけどイーグルスも最高によかったね。ドン・ヘンリーのあの渋い声にも魅了されたが、グレン・フライも大好きだった。僕もソロになってからの一曲をあげるとしたら、「Sexy Girl」だね。曲も好きだが題名のSexy Girl、オーなんて響きがいいんだろう。                 少し前にFM放送でギルバート・オ・サリバンの日本公演のアローン・アゲインを流していたけど、キーが下げてるんだ。年をとってもがんばって歌ってくれるのは嬉しいけど、高い声が出なくなってキーを下げるのは寂しいね。ま、ファンとしては何時まででも歌ってくれる方が嬉しいけどね。イーグルスのDVD見たかったんだ、今度遊びに来て見せてよ。(確か今年もコンサートあった)                                

別人28号さま
Sun, 29 May 2005 23:21:48
真冬の帰り道
厚生年金体育館、柳町公園… 懐かしいキーワードだネ。
命短し恋せよ乙女…の時代の頼子奥様のお宝写真ってとこだネ。
題名に「寒い朝」って入れようかと思ったけれども日活時代の吉永小百合ではあまりにも時代がかり過ぎとも思いもう少し新しい題名にしました。
初冬の釧路の雰囲気にピッタリの写真。
題名の「真冬の帰り道」は写真からの連想。ご存知グループサウンズ”ランチャーズ”の一発大ヒットだよネ。12弦ギターのイントロが印象的ななかなかの名曲だったと記憶している。確かリードボーカルと作曲は北嶋修だったと思うが違ったかナ?
後に内藤洋子と結婚し娘は女優の北嶋舞のはず。アメリカで音楽活動をしていて何年か前にグラミー賞の候補にもなったと記憶している。
去年ランチャーズのCDボックスが出ていたけれども「真冬の帰り道」以外はほとんどカバーが多くちょっと触手が動いたけれども買わずじまいに終わった。
この手のCDはその時買っておかないとすぐに廃盤の運命…
返信:寒い朝=吉永小百合。♪北風吹きぬく〜寒いあ〜さ♪ 思わず50才代以上の人は口ずさむね。吉永小百合と水野頼子を比べられたらチョット困るけど。確かに寒そうな釧路の田舎って感じ、そしてクソ田舎の女子高生。 「真冬の帰り道」は僕も大好きな名曲だ。喜多嶋修(そう内藤洋子との子供が喜多嶋舞)の作曲だけど加山雄三も歌っていたような気もするが、サーフライダースはケントスでよく歌っていた。ギターの間奏なんかホテルカリフォルニアにも匹敵する最高な曲さ。(褒めすぎかな?)

風間さま
Tue, 3 May 2005 22:42:58
おめでとう
アクセス2000突破おめでとうございます。
速いペースですね。
このままじゃ追い抜かれそう。
一日何万アクセスになったら、広告入れて
お互い左うちわで暮らしましょう!
返信:ありがとうございます。                               ほとんど高校の時の友人しか見てないと思いますが、約4ヶ月で2000人、前回のホームページは5年間で数十人じゃないでしょうか。まっ、前回の更新は一度もしなかったので当たり前ですね。15年くらい前に初めてMacを買った時はいろいろと大変でした。風間さんも同じ頃にMacを買い、ふたりしてああだこうだと言いながらすっかりMacにハマってしまいましたね。今は3台目のMacを使っていますが、そろそろ4台目が欲しくなってきました。

別人28号さま
Wed, 20 Apr 2005 22:56:41
THE SUN AIN'T GONNA SHINE ANYMORE(太陽はもう輝かない)
久しぶりに音楽の話を。
 今回は《The WALKER BROTHERS》で一席。
スコット、ジョン、ゲイリーの三人のウォカー・ブラザーズは血縁関係は何も無く、同じ三人組の (ほんとの兄弟グループ)ビージーズとは違い60年代後半に期間限定でブレイクしたグループだったけど結構シブかったなぁ。三人とも、もともとアメリカ人なんだけれどぜんぜん売れなくて拠点をイギリスに移し、リバプール・サウンド全盛の時代だったから”イギリスからやってきた”というだけで売れる風潮があったアメリカに逆輸入で売り込んだらやっとブレイクしたというグループだったけ。
日本でもポップス好きでもやや通ぶった女の子にけっこう人気があったよ。
多分、人気の理由は当時ビートルズはサイケっぽくなってきてヒゲなんか生やして少しむさく(?)なってきたりしてティーンエイジャーにはすこしついて行けなくなりだし、かといってモンキーズではお子様的すぎるし…
そんな時に現れたのがスコットに代表されるルックスのいい白人、日本人の若い女の子なら誰しも憧れてしまう”理想の白人”ウォカー・ブラザーズだったのサ。
我が家のヨメもスコットの低音にはフランク永井同様シビレルそうだ。
このグループの特徴はヒット曲はオリジナルはほとんど無くカバーが多いというのにつきるネ〜。とはいえヒットした曲はオリジナルを超えるものもあったりするんだ。
題名にもしたThe Sun Ain`t Gonna Shine Anymore(太陽はもう輝かない)は名曲中の名曲。1966年に全英4週1位、全米13位。全米ではTOP10にはならなかったんだ(こんないい曲なのに)。
この曲はもともとフォー・シーズンスのオリジナルなんだけれど、ウォカーのほうが数倍いい。フォー・シーズンスのフランキー・ヴァリのだみ声ファルセット(結構好きだったりもする)よりスコットの声がピッタリはまる楽曲。
曲全体にスペクター・サウンドの流れを汲んでのレコーディングがされていて(スペクターはこのレコーディングには関与してはいないけれども、レコーディングスタッフはスペクター信奉者が多かったらしい)ロンドンのデッカレコードのスタジオらしいすばらしいエコーが聴けるこの曲は個人的にはウォカーの曲ではベスト1!60年代の好きな曲の中でも上位になるナ〜。
返信:ウォーカー・ブラザースね。中学3年の時だよ。ビートルズの人気が不動になった頃に出てきたよね。孤独の太陽(たしかIn my room〜で始まる)、ダンス天国(ラ〜ララララ〜ララララ〜ラララ〜ラララ〜)がヒットしたと思うけど。ミュージックライフという雑誌で男性ボーカル部門でポール・マッカートニーとスコット・ウォーカーが一位を争っていた。最終にどっちが一位になったかは覚えていないがビートルズと争うなんて生意気な奴って思っていた。だけど、独特の声でチョットカッコええなっても感じていたな。スコット・ウォーカーが日本に来たとき、日本の学生服が気に入って学生服でテレビに出演したの覚えてる?外国人から見たら珍しいかもしれないが、我々にとっては毎日見ている服だから何もかっこよくなかったね。数年前に舟木和夫が着て「高校三年生」歌ってたぜって教えたかったな。 If you goaway 〜 とかいう歌もあったね。  これはスコット・ウォーカーひとりの歌かな? 確かに三人とも女の子には人気があったようだ。ダントツにスコット・ウォーカーが人気だったけどね。                    それから、船戸与一の「蝦夷地別件」読み始めて、もうすぐ上巻が終わるがかなり面白い。だけど、アイヌがいっぱい出てきて名前が覚えづらい。聞き慣れない名前だからしょうがないけど、男か女の区別もつかないし、チョット読み辛い。たとえばオペルヨフ、マツケニ、キララ、ハスマイラ、オッケニ、セツハヤフ、モシランケ、ハスマイラ、ホロエメキ、マペルキリ。こんなのが20人以上出てくる。(この中に女性は何人いるでしょうか?)                   kotae-hajimeno-gonin-josei。がんばって読みます。

風間さま
Mon, 18 Apr 2005 10:53:18
カメラの向け方
私も昨日砂町銀座へ行ってイチゴ仕入れてきました。2パック250円で4パック購入。
ジャムに挑戦です。
ところで、ものすごい席で野球観戦してますね。そのチケットをどうやって手に入れたかは聞き
ませんが、せっかくの特等席なのに、写真がテレビと一緒じゃん!
そういう特等席を手に入れ
た人はわれわれパンピーの為に普段テレビに映らないところを紹介する義務があります。例えば
ずーっとベンチを狙うとか、ボールボーイを追い続けるとか。
次回は是非、新しい視点で。
返信:大相撲もそうだけど、実際に観戦すると時間経つのが早いですよね。昨日の試合は特に接戦でいい試合でした。1点差で9回裏ツーアウト1、3塁で最後までドキドキでした。今度行ったときはいろいろな視点で写してみます。                          神宮球場は大体チケットは取れます。一番前は無理でも少し後ろの方はOKです。行きたい日があれば言って下さい。

ケガニスキー改め別人28号さま
Sat, 2 Apr 2005 20:01:41
美しい青春のヒトコマ
あの写真が出てくるとは…トホホだネ。
確かあの時は徹夜明けだったと記憶している。
目がはれぼったいもんな。
なんで徹夜したかはヒ・ミ・ツ。
(ヒント:マージャンではないゾ!)
あのオーバーオールのジィーンズは確かに人のことは
いえない… トイレたいへんだもんネ。
あの当時はああいう格好にレイバンのサングラスでも
かけていればモ〜完ぺきサ!
炎のロックンローラーさ!
とはいえ30数年後に見る写真ではないね…
あ〜恥ずかし〜
PS:嫁に大笑いされたぜい
返信:僕もあのネガを見つけたときは大笑いだね。撮ったことは全然覚えていないけど、江崎は知ってるんだ。この写真ひょっとして持っているの? オーバーオールのジーンズ流行っていたのかな?どっちが先に買ったのか知らんけど、今見ると恥ずかしいね。クラス会の写真を載せるときも、僕の格好もチョット恥ずかしいので迷ったんだけど、30年以上前だから我慢した。 まだまだネガを探せば出てきそうだから期待してくれ。ところでどうして徹夜したの覚えてるの?                                 

Y子さま
Tue, 29 Mar 2005 17:13:45
高輪のビートルズ
高輪って書いてあったので、読んでみたら、思い出しましたよ。
二人で演奏していたのを、覚えてます。
TOW OF US も練習してませんでした?
(まだうちの人、帰ってこないので、確かめられないので、
書き込んでしまいます)
懐かしい!
うちのヒトはカラオケでビートルズの曲を歌うと、伴奏がひどいと
文句を言います。
また復活して演奏してみたら?
返信:Y子さん、お久しぶり。あの頃はY子さんも可愛かった。

カラオケのロック系の曲は音がヒドイ。本物の楽器ではなくコンピュータで作っているのでギターの音が三味線のような音になっている。今でもビートルズはどれでも歌えるので練習しようか。


カニスキーの息子ケガニスキーさま
Sat, 26 Mar 2005 22:45:31
My Sweet Lord
オレが高輪に下宿していたのは大学二年の秋くらいからの一年半ばかりだったと記憶して
いるが今にして思えば夢のような季節だったよネ。
 >今度、カラオケに行こう。昔よく練習した歌を歌おうぜ。
あの頃よくギターを二人で練習したっけな〜。一番印象に残ってて憶えている曲はなんとい
っても"Here Comes The Sun"だね。たしか粟津クンがスコアをもってきて「この曲やっ
てみようぜ」といって練習したんだよね。
オレがイントロから始まる部分をギターにカポをつけてけっこう苦労して弾けるようになっ
たんだっけナ。本家ジョージの演奏ではオレのパートはクランプトンが弾いているはず…
ギターの神様のまねしてたなんてアア恐ろしい。
粟津クンが歌いオレのギター部分がまともに聴けるまでには一ヶ月以上かかったんではなか
ったけ?今でもこの曲は弾けると思う(たぶん…)。
 "Hear Comes Sun"の入っているアルバム「アビー・ロード」はBeatlesのラストレコーデ
ィングだよな?(発売はLet It Beが遅いけれど四人最後の演奏はアビー・ロードのはず)
 去年《Let It Be...Naked》が話題になったけれど、聴いたかい?音質とかは良くなったのか
もしれないけれど、オリジナル盤からプロデュース部分(主にストリングス部分)を取り去っ
た映画のレット・イット・ビーのサントラのようなヘンなCDだったナ〜。ポールはストリン
グスのはいったロング・アンドワインディング〜が大嫌いなそうナ。知っていることと思う
けれどレット・イット・ビーは映画が先行して(ビートルズのレコーディング風景や日常の
メンバーどうしの会話風景の映像化が目的だった)その後にアルバムを作るという順番でプ
ロデューサーのジョージ・マーチンがお手上げしたのを引き継いだのがあのフィル・スペク
ターなんだ。今回もやはりスペクター登場。
 アルバムとしての出来そのものは確かにイマイチなのはビートルズ好きのだれしもがいう
ところだけれども、とはいえ現役時代からのビートルズファンにはやはりオリジナルアル
バムのほうだよ、絶対にね。
 解散後にもビートルズにはいろいろな海賊盤をはじめ音源が世の中にでているよナ〜。
熱心なファンにはそういうものを集める楽しみがあるとは思うけれどもオレ自身にとっては
現役時代のオリジナルアルバムとせいぜい赤盤・青盤くらいだね。(アメリカ編集の一部は可
とする。何故なら我々はアメリカ経由のビートルズで知ったのだから…東芝のオデオンレー
ベルでネ)
 一昨年に5枚組みDVDで《The Beatles Anthology》が出たけれど観た?
この時にはオリジナルアルバム以外にはあまり興味がなかった自分でも大枚一万五千円を清
水の舞台から飛び降りるつもりで買ったさ〜。デビュー当時から解散までの映像はもちろん
のこと、一番泣けたのはジョージが死ぬ数年前の映像だと思うけれど、ウクレレを弾きなが
ら「サムシング」を芝生に寝転びながら唄う風景が目に焼きついたネ。すごくリラックスし
ている様子が良く分かる映像だった。そのジョージもこの世にはいないんだから時の流れに
は驚くね。
 題名の"My Sweet Lord"は何の説明もいらない曲だけれど、ビートルズ解散後に最初に
1ヒットをだしたのが意外といえば意外のジョージとはね。
返信:あの頃いっしょにいた連中はどうしてるのかね。国分かんじ、奥瀬兄弟。美帆ちゃん覚えてる?吉野家の佐村さんと結婚して、今はニューヨークにいるけど佐村さんはスゴイ出世で、吉野家の役員になりアメリカの社長になって、プール付きの家に住んでいるらしい。               今でもギターとエレキベースはあるけど全然弾いてない。たま〜に弾くと指先が痛くて痛くて。 少し練習するとけっこう弾けるけど、やっぱり下手くそだよな。指も開かないし。    "Here Comes The Sun" 練習したの覚えてる。それなりにさまになったと思ってたけど。          今でも「アビー・ロード」は一番好きなアルバムだね。ビートルズはどのアルバムも思い出があり全部好きなのだけど、「レット・イット・ビー」のアルバムは発売されたときはイマイチだった事を覚えてる。最高の「アビー・ロード」の後に出たせいもあるけど、結局ボツになった曲の寄せ集めだもんね。だけど、日本では一番売れたアルバムらしいからワカラン。さすがのフィル・スペクターも苦労したと思う。「レット・イット・ビー・NAKED」 が発売されたけど曲順が変わっただけで、そんなにビックリしたことはなかったね。ヨリはオリジナルとNAKEDの曲の違いが分からないらしいが、何百回と聴いている僕にとってはどっちかはすぐに分かるけどね。                                        《The Beatles Anthology》はCDもDVDも買ったけど、CDの方はジョンとポールが笑いながら楽しそうにレコーディングしてるのを聴いたときは涙が出たね。いろんな所で泣いたけど、最後の"The End"が一番感動した。あ〜これが本当のビートルズ最後の曲か〜、って涙が溢れ出てきた。DVD の方は発売されてすぐに買ったけどまだ見ていない。今度ゆっくり見ようと思っているけど。                                          今、思い出してみると、あの頃ビートルズに夢中になったのはジョンの曲、ジョンの声なんだよ。ア・ハード・デイズ・ナイト、ツイスト・アンド・シャウト、プリーズ・ミスター・ポストマンなどみんなジョンのリードボーカル。比べると、アンド・アイ・ラブ・ハーよりアイ・フィール・ファイン。ミッシェルよりガール。ペニー・レインよりストロベリー・フィールズ・フォーエバー、というようにジョンの曲の方が強烈に好きだった。             もちろんポールもいいけどジョージも好きだったな。初期のチャック・ベリーのロール・オーヴァー・ベートーヴェン、アイ・ニード・ユー。そして後期のホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス、サムシングなど名曲だね。                     去年、映画「レット・イット・ビー」のDVDを買ったんだ。正式に発売されてないのでネットで怪しいとこから。画像は悪いが見られないほどじゃないけどね。ビートルズのメンバーは20代後半だったんだろうけど、今俺たち50代になっても夢中にさせるのは、やはり凄いグループだったと改めて思う。                              

カニスキーの息子ケガニスキーさま
Fri, 25 Mar 2005 23:45:46
Be My Baby
サッカーのイラン戦ちらちらと観ながらなんだけれど、勝てんのかナ?
>「忘れたいのにあなたのことは、思い出してもくるしいだけね。いつか恋の夢も消えて
ひとり残る涙の中に」
 この曲はモコ・オリーブ・ビーバーのデビュー曲です。
タイトルは《忘れたいのに/I Love How You Love Me》。偶然のようで偶然ではないフィル
・スペクターがプロデュースした曲のカバーです。
 偶然のようで偶然ではない、と書いたのはモコ・オリーブ・ビーバーのレコード制作に
 朝妻一郎(当時はDJとか洋楽評論をやっていて、現在は確か音楽出版社の社長だったと
思う)が参加していて、朝妻一郎はナイアガラレーベル発足当時のアドバイザーでもある
人なわけ。
 というわけでモコ・オリーブ・ビーバー〜忘れたいのに〜朝妻一郎〜フィル・スペクター
〜大滝詠一、み〜んなつながっているわけなんだ。
 いま手元にあるシリア・ポールのCDは1997年発売のモノなんだけれども(初発が1977
年だから20年後版になり多分2007年には30年後版が出るんだろうナ)
現在は当然廃盤なので中古ショップで見つけるしかないのが現状。
10年位前に中古レコードが1万円以上していたと思ったが…
 フィル・スペクターが60年代にプロデュースした音楽はいまだに自分自身の音楽の好みの
コアになっているんだ。
 題名の"Be My Baby"はあまりにも有名曲(曲名知らなくてもあのイントロのドラムのフレ
ーズを聴けばみんな思い出すくらいくらいチョウ有名だよね)だけれど、あまりにもベタと
言われようともスペクター=ビー・マイ・ベイビー、もうやはりコレだぜ。
 ブライアン・ウィルソンもフィル・スペクターには大きな影響を受けていて
”Don't Worry Baby”(名曲中の名曲!)は”Be My Baby”のアンサーソングで作られたと
いう逸話もあるんだ。
返信:ヨリがやっぱり、と喜んでいました。ロレッツの"Be My Baby"は小学生だったよな。たぶん、Beatlesが出てくる前に流行ったと思うけど、いとこの所で聴いたハズ。 ヨリとふたりでカラオケに行くと僕は英語の歌ばっかし歌うけど、この"Be My Baby"も歌うのだ。カニスキさんはカラオケに行かないの?今度、カラオケに行こう。昔よく練習した歌を歌おうぜ。                                         

カニスキーの息子ケガニスキーさま
Thu, 24 Mar 2005 23:27:02
《夢で逢えたら》のシリア・ポールって憶えている?
その昔ラジオで「ザ・パンチ・パンチ」っていう番組やってたの憶えている?
中学から高校くらいまでの数年間だったと思うけれど、聴いていたかい?
あの当時にしてはけっこうオイロケたっぷりの番組で純情な少年(?)には
刺激的な番組だったと記憶しているんだナ。
番組の進行がモコ・オリーブ・ビーバーの3人娘で番組終了数年後に
モコはTVでワイドショーのレポーターみたいなことをやっているのをみて
けっこうオバサンだったのでがっかりした記憶がある。
ビーバーはタレントでドラマに出ていたりしてたね。
で、3人のうち一番最後に目にしたのがオリーブことシリア・ポール。
インド系美人のオリーブは歌手としてオレの前に現れたんだ。
1977年に《夢で逢えたら》というアルバムでラジオ以来の再会となったんだ。
その後FM東京でDJやってたりしたけれど今はどうしてるんでしょうかネ?
何年か前にモコ・オリーブ・ビーバーのCDを見つけた時買っとけばよかったと
後悔している。あの不思議な名曲「海の底で歌う歌」(いまいちタイトルに自信なし)が
入っていて中古ショップを探しているけれどなかなかお目にかかれないんだ。
モコ・オリーブ・ビーバー、シリア・ポール、夢で逢えたら〜ここまではイントロで書
こうとしてたのは《夢で逢えたら》のレコード・レーベルである
ナイアガラレーベル=大滝詠一のことなんだ。
洋楽ポップス一辺倒なわけではなく、60年代のアメリカン・ポップスの影響を大きくう
けている日本のミュージシャンも洋楽と同じくらいよく聴いてもいるんだ。大滝詠一は
よく聴く一人なんだ。もっとも、この人は新譜はほとんど出ないので(アルバムは20年
以上出ていない)半分忘れ去られた人かも…
つい数日前に30年前にでた最初のナイアガラレーベルのソロアルバムの再発CDを今日買
ってきて聴いていたら10年前にも同じCDを買っていたのを思い出したという顛末。
(もっとも10年前とはミックスも違いボーナストラックも多いのだが、大滝詠一のこと
を少しでも知ってたら同じ曲でもミックス違いは違う1曲と数える?という不文律がある
のでそれもマ、イイッカの世界なのだ)
ファンとしてはやはり微妙なミックス違いでもやはり買ってしまうよ〜
2001年には《ロング・バケーション》20周年盤21世紀バージョンを、2003年には
《イーチタイム》20周年記念盤を買い、オリジナルはレコードなのでCD時代になってか
ら再発されたCDをせっせとバージョン違い・ミックス違いを楽しみに(20年以上新譜ア
ルバムが出ていないのでこんな楽しみしかないってやはりふつうじゃないよナ〜)老後を
おくろうと考える今日この頃なのサ…
《ロング・バケーション》が流行っていた頃に一回りくらい年下の女の子が言っていた一
言がいまだに忘れられないんだ。大滝詠一の話題になって当時20代の女の子いわく「あ〜、
あのシャンシャンシャンの人でしょ」。
オレは思ったネ。言い得て妙とネ。ナイアガラの核心を表す一言だった。
大滝詠一が敬愛してやまないフィル・スペクターのサウンドを大滝流に作るとナイアガラサ
ウンドになるわけ。
スペクターサウンド=深いエコーと鳴り物(カスタネットetc.)の特徴的なサウンド
(ウォール・オブ・サウンド)の話はまた別の機会に。
題名の《夢で逢えたら》は最近のCMにも使われているよね。たしかキンモクセイという
グループが歌ってたと思う。このグループはナイアガラサウンドに傾倒している若者に
しては少し異色の連中だネ。
ついでにこの曲はアン・ルイス用に作られてボッたのをオリーブに歌わしたんだけれど、
ほんとはアグネス・チャンに歌ってほしかったんだって。
返信:みんな憶えてるよ。だけど、顔は全然思い出せない。オリーブが一番可愛かったようだけど思い出せない。「夢で逢えたら」の曲CMで流れて、ヨリと誰が歌ってた?と話してたんだ。 鈴木雅之も歌ってたよな。その前に誰かも歌ってたとか言い合ってたんだ。これ名曲だぜ。   「海の底で歌う歌」は全然思い出せないが、ヨリは何となく知ってるって。          ヨリがモコ・オリーブ・ビーバーで急に思い出した歌があるんだって、カニスキーさん知ってる?「忘れたいのにあなたのことは、思い出してもくるしいだけね。いつか恋の夢も消えてひとり残る涙の中に」僕はワカリマセ〜ン。                          むか〜し、大滝詠一はヨリからいいよ、って言われてファンになったひとり。ロング・バケーションはかなり聞いたから殆どカラオケで今でも歌える。ナイアガラトライアングルでいっしょの佐野元春は日本人の中で一番気に入ってるかもしれない。杉真理はFM東京の夕方にやっていたよね。杉 真理は「まさみち」なんだけど高橋真理と同じ字だから真理もこんな風になればいいのに、とあの頃思ってたなあ。この三人はみんな好きで「A面で恋をして」の佐野元春のパートがかっこよく聞こえたな。                                   「夢で逢えたら」の曲はアン・ルイスはいいけど、アグネス・チャンは聞きたくないよな。  ホントにシリア・ポールのCD欲しい。                                     

坂さま
Sun, 20 Mar 2005 10:49:46
これで商売になっているの、人は外に居なけりゃならんね、私は、上の子が4月からの就職で16日からすでに研修に入っていると聞いて、やっと親としての最低限の義務は、果たせたかなと思っています、この後一人前の社会人となってくれる事を祈ります、って思ったら、なんとなく力が半減、下の子はそんなにお金が、かからないので、後は一人ちんたらと生活できれば、いいかな、みたいな気持です。
返信:家賃は幾らくらいなのかな?どうみても幅はメートルではなく何十センチの世界だよな。     うちの一人娘はもう社会人3年目。気楽だよ。                          福田のとこは4人だぜ。大変だよな。        

坂さま
Thu, 17 Mar 2005 12:13:24
都会の人達へ、カニスキーさんが、上海ガニもいいねと書いて、いましたが、私、食べた事がありません、最近、食べてみたいのが、チーズフォンディです、これも食べた事がありません、田舎者なので、今度東京へ行った時に、お店紹介して下さい。
返信:チーズフォンディユは家庭でも出来るぜ。                                専用の鍋で作るけど、チーズはいいのを使いたいね。                              グリュイエール、エメンタール、の他にゴーダチーズもおいしい。                        いいチーズをたっぷり使うからけっこう高い料理になるよ。                           社長にはお金のことは関係ないか。                                      フランスパンの他にエビとかマッシュルーム、ブロッコリーなどもいいね。                    うちはみんなチーズが大好きなのでうちで作る。                                釧路の田舎にはいいチーズが売ってないのかな?                                今度東京に遊びに来て、坂にお弁当作ってくれる人と。


坂さま
Thu, 17 Mar 2005 10:43:16
カニスキーさん、失礼しました、変換して何も考えずにエンターしました、君の言うとおりです,
丁度昨晩、NHKで、その時歴史が動いたで、三国志をやってましたね、孔明のような人が今の時
代いたら、面白いでしょうね、あの番組は時々見ますが、へえ、すごい、その時は思うのですが、
頭がいいので、すぐ忘れてしまう、でも本当におもうけど、皆さん、暇なんですね、図書館?信じ
られない生活をしてますね、ああ、うらやましい。
返信:                                         NHKのそのとき歴史が動いたはいい番組ですね。                       毎週楽しみにしてる番組はこれとプロジェクトXが中年オジさんの人気番組だ。                       三国志は再放送で去年見たけど、どうして昔はこんなえらい人物がいたのかな、って思った。                        

サノバビッチ・カニスキーさま
Wed, 16 Mar 2005 22:47:59
上海ガニもいいね〜
坂クン、「わじん」を変換すると倭人・和人と二種類の漢字の変換候補が出てくると思うけれど、
一般的には和人のほうがいいようです。
というのも、倭人の倭は昔の中国では東方の野蛮な民というような意味合いで使われているみた
いなんだ。
三国志で有名な魏(ぎ)の国の歴史書、魏志倭人伝はあの当時の日本を様子を表しているわけで卑
弥呼の時代の日本は中国大陸からみたら吹けば飛ぶような未開の野蛮な国だったわけだね。
倭寇(わこう)という言葉にも日本の海賊に対する侮蔑の意味があるよね。
石原慎太郎(しんたろうはこの字でよかったけ?なんせオレは東京都民じゃなくて神奈川県民なも
んで…)みたく中国だいキライと言うほど過激になるつもりはないけれども、ちょんまげ時代ま
では文明・文化に関してはお手本だった国なのでちょっと今の中国には複雑な気持ちだよナ〜。

というような話題なんだけれども知ってたらゴメン。
返信:カニスキーさん、プーチン大統領に北方領土を日本に返して、と言っておいて下さい。 だけど、この理論からすると、アイヌの人々は北海道や北方領土をアイヌにかえせ!になるよな。僕はアイヌはもう日本人だと思っているし、全く差別するつもりはないけど、気になるのはアイヌの人々がどう思っているのかだ。オイオイ、野蛮な日本人と一緒にしないでくれよ、アイヌは日本人とは違うぞ、って思っているのかなあ?                      

坂さま
Wed, 16 Mar 2005 17:01:22
蝦夷地、北海道の事で盛り上がっているみたいですね、君達もやっと北の大地の良さが解ってきたらしいね、私も釧路に居て、貝塚くらいしか、解らなかったけど、2.3年前、厚岸に行って、へえ、なるほどね、といろいろ知りました、そこは仙台藩の出張所的な場所で建物は変わっているけれど、門と庭園だけは当時のものらしい、門には確か葵の御紋があったような、釧路もそうだけれど、厚岸もアイヌ語で、アッケケシ、牡蠣の取れる所の意味らしい、そこの博物館には、もう忘れたけれど、倭人側に付いたアイヌの大酋長とそれに反発した大酋長との間でかなりの戦いがあったらしい、倭人側が勝ったのだけれど、結局そのアイヌも倭人にいいように利用されてポイ、なんとクリツ君はひどい人なんでしょう、厚岸は何もない町ですが、北海道では歴史のある町だから、面白い所があるみたい、今度、行ってみたら。
返信:地名はほとんどアイヌ語でしょうね。釧路、厚岸もそうだけど大楽毛、別保も?     別がついたらまずアイヌ語でしょう。音別、尺別、雄別、登別。                  福田の故郷、布伏内もアイヌ語かな?                           釧路では春採のあたりにアイヌが多かった記憶があるけど、どうだったかな。         白糠もアイヌの町だったね。                              坂クン、昔は歴史の勉強しなかったけど、これから勉強するのでよろしくね。                                       これから北海道関係の本を読むつもりです。(江崎おすすめの「蝦夷地別件」も)       またその時に感想を書きます。

風間雅昭さま
Tue, 15 Mar 2005 18:48:26
必死の若布
きのう(3/14)いただいたわかめ、ほんとうにおいしい。
じつは粟津さんのわかめの記事を読んで、無性に芽株が食べたくなり買いに行ったんです。
ある事はあったんです、大きいやつが。
でも、届いたものとあまりに味が違うのでびっくりしました。
特に茎がおいしかった。ごちそうさまでした。
でも、Y子さん、あまり強風下には海に入らないように!
去年よく行く江戸川の船宿の親父が、13号のときボートの繋留を確認に行って
船が転覆、流されたまま未だに遺体が上がりません。
風の日は本職でも死ぬのです。
気をつけて下さい。
でもおいしかった。
返信:一日前まで海の中でゆらゆらしていたワカメですから新鮮ですよね。                 ワカメ、茎、めかぶ、どれも美味しいです。                               来月はもうワカメは終わりで、ひじきが採れます。                                                   

サノバビッチ・カニスキーさま
Tue, 15 Mar 2005 00:34:43
ロシアの蟹は一体いつまで食べられるのかナ。資源枯渇はもうすぐそこに?
>アイヌ・北方領土学習にチャレンジ
たぶん粟津クンだとはおもいますが 
書き込み主は粟津クンですか?それとも頼ちゃんですか?
粟津クンと図書館というのがどうもしっくりこないので(ちょっと失礼だったかナ)
こんな質問してしまったのだが…                               アイヌ民族と和人… 歴史的には結構ヘビーな内容ですね。
政治的なシリアスな話題から少しはずれて変化球を投球するね。                 

船戸与一の小説に「蝦夷地別件」という小説があるんだ。
蝦夷地というタイトルからもわかるように江戸時代の話なんだけれど
松前藩、アイヌの民、ロシアの領土拡大による南下政策と
三者が入り乱れての史実を考慮した北海道が舞台(松前、厚岸、国後、根室、etc.
と道東のなつかしい地名が随所に出てくる)の冒険活劇という内容なんだ。
われわれが歴史の時間に習う事実は立場が違うとこうも感じ方が
違うものなのか、という気にさせられる小説です。
船戸与一は虐げられた人間の(この小説の場合はアイヌ民族)の視点に立った
物語を多く書いている作家です。かといって、暗くなりがちな話を暗いまま
ストレートに書く作家ではないのです。興味があったら一読を。
船戸与一は日本冒険作家協会の会員なので<血湧き肉踊る>タイプの本が多いので多分、
頼子奥様には不向きかもしれませんけれど、
内藤陳(また出た)も引用しているように「男に赤い血が流れている限り決して諦めるこ
とはしない」という不屈の精神の話が好きな人はオススメです。
引用の本家は確かディズモンド・バグレーの《高い砦》だったと思う。
この本もめちゃめちゃ面白い本ですゼ。

知ってるかも知れないがアイヌ民族と琉球(沖縄)人は血統的(?)に
とても似かよった人種で典型的な<縄文人>だそうです。
大陸からの弥生人との長い時間をかけての混血がいまの日本人を
かたちづくったと自分では理解をしているけれども、どう思う?

返信:そう僕です。ヨリじゃありません。                         高校生の時は確かに図書館に行った事はないよな。勉強も全然しなかったし。         しかし、今はある時は文学青年、ある時は数学者、ある時は音楽評論家、ある時は無免許の料理人なのです。誰もそうは思っていないが・・・。                      アイヌと沖縄人はDNA鑑定でもかなり近いらしいね。福田のファン、宮里藍ちゃんは沖縄だけど完全なアイヌ顔だよね。目は大きくぱっちりだけど鼻も大きい。あの本によると東北地方にもアイヌ語の地名がかなり残っているらしい。本州にもアイヌが住んでいて、弥生人にどんどん北の方に追いやられたのでしょう。自分の祖先は縄文人なのか弥生人なのかって考えるときもあるけど。たぶん答えはどっちの血も混じっているのでしょう。

船戸与一の「蝦夷地別件」面白そうですね。今度是非読んでみます。北海道生まれだし、北海道の小説は面白い。10年くらい前に、船山馨の「石狩平野」を読んだときは感激して、すぐに家族3人で札幌に行って歴史館などを回って来た。小説でいるわけがないのに、主人公の鶴代に会いたくて会いたくて我慢が出来なくなったんだ。小説の鶴代は江戸末期か明治初めに生まれ、太平洋戦争終わりまで書かれているので、ひょっとしたら昭和27年生まれの自分といっしょの時代に生きていたのかも、って考えたら不思議な感覚になってしまった。実際、明治元年生まれは終戦の時は80才だから、昭和27年で江戸時代の人が生きていてもおかしくはない。若い頃は江戸時代なんて歴史上の事で鎌倉時代も室町時代もみんないっしょだったけどね。            去年読んだ池澤夏樹の「静かなる大地」も面白かった。こっちはアイヌがかなり出てくる。   早く「蝦夷地別件」読みます。


坂さま
Mon, 14 Mar 2005 13:32:07
間違えた。
クリツ君の奥さんなの、木村なんとかのサーフィンする奥さんかと思っちゃった、やはり、この歳になると、女の人は食べ物に凝るんだね、私なんかコンビニの弁当でも、なんでも、いいのですが、お友達が、やはり食べ物に、うるさくて、栗原なんとか等のファンなんです、お弁当作ったから、と朝電話、ほぼ毎日なんですね、それがご飯は少量なんですが、凝ったおかずが多い、太るからもっと少なくと言っても、いつも多い、残したら、後がうるさいので、無理して食べます、本当、女の人って、ねえクリツ君、エザキ君やクリツ君の家庭楽しそうで、いいですね、いいんです私は一人強く生きていきます。
返信:あのね、みんな坂の事うらやましく思っているんだぜ。                この年になると女房ほど怖くてうるさい人はいないの。                   掃除や洗濯、食事を作ってもらって大変なのは分かるけど、家庭内ではなにも文句は言えない。 もし間違って文句を言ったら、その10倍になって帰ってくる。                 だまってハイハイと聞いているのが一番。                        そんな自分がイヤになるときがあるけどね。                       坂は週一のおつとめで毎日お弁当作ってもらえていいよな。                愚痴を言っても始まらんけどね。                            それからお弁当を作ってくれるお友達にお礼として、いっしょに東京見物にでも来てよ。  待ってます。                                           

風間雅昭さま
Sun, 13 Mar 2005 10:54:51
わかめ
おいしそうですね、わかめ。
ずいぶん前ですが、僕もわかめ拾った事があります。
潜ったんじゃなくて、拾ったんです。
伊豆で何日間かロケをしていたときに、
宿の奥さんが「昨日は風が強かったから、わかめ拾いにいきましょう」と
誘ってくれたんですが、これが面白いように拾えました。
わかめとそうでないものの見分け方は、芽株だとも教わりました。
ただ砂がじゃりじゃりしていた印象が強かったなあ。写真のものはおいしそう!

よけいな事ですが、粟津さんのカメラ、ストロボをたくと周囲がけられてますね。 フードをしてたらそれがあってない可能性があります。
ノンフードなら、ストロボの拡散が足りない可能性大。
ストロボの前に何か光を拡散させるものが必要ですね。
写真を付けて、メーカーにメールしたら何かくれるかも?

返信:めかぶは美味しいですよ。人形町の方へ行く用事があれば届けられるのですが・・・。     さすがに写真のプロですね。鋭い指摘です。先週もいろいろ料理をしましたが、デジカメで撮った写真がピンボケだったんです。食べ終わってから気付いても遅いですよね。見られる写真が苺ジャムだったので苺ジャムになったのです。被写体に近づきすぎですね。で、接写ボタンを見つけて近づいてシャッターを押したのですが、周りがけられてました。けっこう美味しそうに撮るのは難しいですね。

江崎さま
Sun, 13 Mar 2005 10:18:26
Sailing
新ワカメおいしそうですね〜。
頼ちゃんが三浦の海女サンだったとは知りませんでした。
ドライスーツ(でしょ?)とはいえ冬の海はやはり相当寒いのでは?
それとも音別の海で若い頃からキタエテいたのかナ。
今後どんな災害がおきても粟津家はきっとサバイバルできると確信しました。
お酒の好きな人はおいしいおつまみを作れるというのが通り相場なので
きっと粟津家も珍味には事欠かないことだと思います。
ついでと言ってはナンなんですけれども、我が家の奥さんも粟津家同様
奥さんのほうがご主人様より酒が好きです。そして強いです。
本人いわく「昔のほうがもっと飲めた」(おいおい、いったいいくつから飲んでんだと内心思ったりは
するけれどもヨッパライには逆らえない)と言い放っている今日この頃なのです。
昔TVコマーシャルに「女房酔わせてどうするノ」というニッカのコマーシャルがあったけれど、我が
家は奥さんがほっといても勝手に酔っています。
最近の酔った時のお気に入りはロッド・スチュワートのCDを聴くことのようです。トヨタ`エスティマ
のCMソングにもなっているあれです。
ロッド・スチュワートがアメリカのスタンダードソングを唄うという企画モンの3集まで出ているゲス
トがやたら豪華(たとえばクラプトン、S・ワンダー、etc.etc.)なヤツ。
それを大音量で「アァ〜素敵」などといいながら聴くのでうるさいったらありゃしない。
もっとも昔は70年代フィラデルフィア系のソウルで踊りだしていたことに比べると少しはマシかな
と半分あきらめているけど…それにしてもヨッパライとつきあうのは疲れる。
ロッド・スチュワートは嫌いではないけれどもスタンダードを唄うのはちょっとネ〜。〔売るぞ〜|〕
というのがミエミエでちょっとアザトク感じない?
題名のSailingはロッド・スチュワートの名曲だネ。海女姿(?)の頼子奥さんを見てなんとなく連
想し たのでした。
(題名のスペル間違ったので正しいスペルでもう一度送ります)
返信:元気ですよね。冬の海に入るなんて信じられません。それにドライスーツじゃなく、ウエットスーツなんです。男は年をとるとどんどんか弱くなるけど、女は強くなる。ヨリもオバタリアンの世界にどっぽり浸かってしまっている。怖い者はナシ。ヨリはもう8年くらい前に水泳を始めたけど、カナヅチだったのが今ではメドレーまでするようになったそうです。その仲間と海に行って魚やサザエを捕ったりしている。今の時期はワカメだね。僕はワカメや昆布が大好きだから、海に行ってこいと急かせるのです。 (坂クン、ワカメや昆布をいっぱい食べた方がいいよ)                            僕は三崎港の朝市の帰りに、ヨリが行く海を一度見だだけ。                     今度、奥さんと遊びに来て。僕が料理を作るから。

江崎さま
Thu, 10 Mar 2005 23:38:22
In the Year 2525
オレ達が高3の時に映画『ウッドストック』が上映されたのは憶えているだろう? 1970年のことだネ。ウッドストックのコンサートは前年の1969年のことだから翌年には映画になって 日本でも上映したんだから以外にはやかったともいえるよに思う。                           粟津クンも当然観たとは思うけれどオレは上映当時以後もリバイバル上映があるといろんな場所の映画館にいき観たんだ。ビデオが普及する前のことだけどもネ。(おもに東京と札幌の名画座みたいな場所で観ていた)いま手元にはサントラ盤のレコード3枚組み、ディレクターズカット版ビデオ3本組み(映画より長い時間と曲数が多い)、オリジナル版DVDと3つのソースがある。あの映画に対しての思い入れが強くついつい買い求め手元においてしまう。映画的にはナンのことはないんだけれど、ビデオクリップはまだないあの時代の演奏者を映画で観れたのはやはり感動モンだったサ。             フーの《サマータイムブルース》なんかチョーかっこよかった〜。
演奏最後にピートタウンゼントがギターを壊して客席にポイッと投げ捨てるのを見て「オオ〜、これが噂のギター壊しか」と感動したネ。                                 いま見ても音楽的にイケてると思うのは最初に観た時にはあまりピンとこなかったスライ&ファミリーストーンズなんだ。あの時代ほとんどのミュージシャンはTシャツにジィーンズという時代にキンキラキンのステージ衣装でとにかくハデな音楽をやっていたブラックミュージシャンがスライなんだけれども思い出したかい? 後にやってくる70年代のソウルミュージックのさきがけのようなグループだったと思う。とにかくいまの時代でも充分カッコいいよ。
題名の《In the Year 2525》(西暦2525)ゼイガーとエヴンスのこの曲流行ったネ〜。ワン・ヒット・ワンダー(一発ヒット屋)で有名なデュオで、この曲以降一曲もTop100にはヒットはなかったそうだ。で、ウッドストックフェスティバルの1969年8月に6週連続の1位をビルボードでランクしていたというので今日はこの曲が題名なのサ。
返信:ウッドストックね、信じられないコンサートだったね。30万人くらい集まったらしいけど、釧路の人口が20万人で、それ以上の人が一度に集まってるのは想像出来なかった。やっぱり僕も一番記憶に残っているのはフーの《サマータイムブルース》。あとジミヘン、サンタナ、ジャニス・チョプリン、CCR、C.S.N.&Young、ジェフ・ペック、きりがないがジョーン・バエズはどうでもよかった。ビートルズが出演したらもっとよかったのにと、あの頃思ったけど。ゼイガーとエヴンスの西暦2525、ヒットしたね、高校2年生の秋頃か。In the Year 2525〜In the Year 3535〜In the Year 4545と覚えやすかったし。ゼイガーとエヴンスは言われてみれば一発屋だったのね。ウッドストックには出演していなかったけど、クリーム、グランドファンク、も好きだった。レッド・ツェッペリンはこの少し後だったね。      DVDが発売されてるのなら見たいね。やっぱりサマータイムブルース!!!

風間雅昭さま
Sun, 6 Mar 2005 12:58:37
ジャム
いいですね。やっと粟津特製レシピの掲載ですか。去年頂いたジャムはこうして出来たわけですね。
私も今年はやってみようかなあ。でも人形町ではジャムを作る人がいないのか、小粒のちょっと酸
っぱいこの手の苺をあまり見かけないんですよ。どこかおすすめの苺ショップ?あります?
返信:子供の頃に食べた苺はコンデンスミルクか砂糖をかけないと食べられなかったですよね。今の苺は何もかけなくても美味しいのですが、すっぱみがなくなった分苺本来の味がうすくなっています。ジャムはどうせ砂糖を入れるので、すっぱくて味のコ〜イのがいいんですよ。出来たときの香りが違います。大きなお店ではほとんど売ってません。僕は荏原中延まで行って買うんです。今度は1パック200円以下になったらまとめ買いをして、また作ります。その時までお待ち下さい。昨日は土曜日だったので、いろいろ作りました。韓国料理のチャプチェ、カクテキ、オイキムチと。写真がイマイチなので苺ジャムにしました。

江崎さま
Fri, 4 Mar 2005 00:28:08
「はどぼいるど だど」とトリオ・ザ・パンチの内藤陳はいった
この「メールの部屋」アクセスあるわりには最近はオレ以外の人の登場がないのはなぜ? 
なんて思う今日この頃…
頼子奥様、元気そうですネ。
ところで前回の書き込みで原C箸い譴燭弔發蠅ネ源」丱韻靴燭里ヌ(ひょっとしたら今度も?)C藁修離縫鵐戰鵑里覆い笋弔任后」ハードボイルドはやっぱりチャンドラーでしょ。(古い|) とあったけれども、やはりチャンドラーはミステリー(特にハードボイルド)読む上でのイニシエーション(別にオオムの修行ではないので念のため…)であり、スタートラインともいえないかな?     ここでハマるとその後の本読み生活が少しいびつなものになるのはオレだけの現象なのかな。今では自信をもっていえるんだけれど、ハードボイルド小説は(特に日本の場合では)ほとんどパロディ以外には成り立たない分野だと思っている。そのパロディのもと(原典)は何?なんて頭のすみで考えたりしながら読む必要もあったりするのでけっこう大変といえば大変。要は上質のパロディと上質のユーモアが不可欠な小説ジャンルと思っているけれども頼子奥様のご意見は如何に?
海外(特にアメリカ)にはチャンドラーの後継者を目指した作家がいっぱいいるよね。ロバート・B・パーカーのボストンの私立探偵、スペンサーのシリーズには20年位前にずいぶんとハマったもん〜(なんか沖縄の言い方だな)。映画化されてあまりにものひどさにもーかんべんだったネ。    これならウォシャンスキーシリーズの女探偵映画のほうがよほどよかった。
主演のキャスリン・ターナーがハードボイルなイロっぽさ(?)でオジサンとっても気に入りました。残念ながらシリーズ化までは無理だったようだ。最近のキャスリン・ターナーは変なオバサン役やったりで少し残念。
映画といえば《風の歌を聴け》をずいぶん昔(20年位前)に観た時もひどい映画だったと思い出した。今はビデオで探しても見当たらない。(ひょっとしたらビデオになっていないのかな)深夜のTVで観たはずだけれどみていなかったら、ある意味一見の価値ありかも…。僕は若かりし頃の小林薫、指のかけた女の娘役には真行寺君枝(名前がいまひとつ自信がない)、鼠がだれだったか忘れた。なにかのインタビューで小林薫が言っていたけれど「自分くらいボタンダウンが似合わない役者はいない云々」やっぱ小林薫はTVの「ナニワ金融道」のあのキンキラキン衣装が最高だネ。(番組観たことなかったら悪しからず)
探偵話に戻るけれど、桐野夏生(いまや大メジャー)の女探偵ミロのシリーズは好きだったネ〜。新宿鮫よりもよほど映画化されればいいのにと思っていた。
今回は音楽話がなかった。
粟津クン、書き込みの分からないところは頼子奥様に聞いてチョーダイ。
返信:初めの部分で何やら解らない漢字がいっぱい出てきて、中国文学の孟子、孔子の事かと思いチョット焦ってしまいました。江崎がいうには「寮」が文字化けしてあんな風になったみたい。正しくは「原寮」です。ま、はどぼいるど だど、はあまり読んでいないが真行寺君枝はデビューした頃可愛かった。資生堂のコマーシャルに出ていたと思ったけど、美人だったね。小林薫は「黒い家」。貴志祐介の小説が凄く怖かったので、映画を見たら大竹しのぶが怖い怖い。みんないい役者ですね。桐野夏生は「OUT」、「柔らかな頬」しか読んでないが、小説は面白い。横山秀夫の「半落ち」読んだ?僕は骨髄バンクに登録してたんだけど、ちょうど51才で登録が切れました、という連絡が来たときに読んだから凄く印象に残ったね。映画にもなったいい小説だけどね。

頼子より:                                               ハードボイルドはユーモアとパロディ。確かにユーモアは不可欠かもしれませんね。
大好きなウイングフィールドのフロストシリーズ、警部のジョークに笑わせられながら読んますもんね。
パロディというのは記憶力と知識がなければそれと気づかないので、難しいですよね。
私のように乱読、片っ端から忘却の人間には、なかなか思い至る事ができないみたいです。
小説の映画化については、はなっからダメなものと思っているので、失望もしませんよ。
あの「風と共に去りぬ」でさえ原作の方が数倍も感動するし、日本映画は「何をかやいわんや」
という感じです。日本のミステリーで好きな桐野夏生の「out」も高村薫の「マークスの山」も
がっかりでした。家族に「おもしろいから」と薦めて、皆でレンタルで観たのに・・・・。
「風の歌を聴け」は観てないけれど、何となく想像はつきますよね。
行間に描かれているものを写しだすのは難しいし、既読のものは自分のイメージが
すでにあるので、ずれてしまうと受け入れ難いですね。
(余談ですが、娘が大学時代、一般教養のレポートが村上春樹だったので、「書かせて」
と「風の歌を聴け」を選んで全力投球で仕上げ、「最高」と自慢しながら提出したら、「B」でへこみました。) 
原作より映画の方がいいのは、「冬ソナ」!
馬鹿にしていたのだけど、あまりに沢山の友人が薦めるので、本ならばと思い
先に読みました。おもしろいのでビデオを観たらはまりましたねこれが。
すぐにDVD全セットを購入し、娘に勧め二人で寝不足をおしながらアッという間に
観てしましました。繰り返し観ています。
二人とも立派な「ヨン様ファン」です。
でもこの場合、脚本を小説に直したわけで、ちょっと違いますけどね。
うちの人はどんなに薦めても観ませんでしたが・・・。
(「曲はいい」といって楽譜を買ってきて、今も二階の部屋で冬ソナの曲をピアノで
弾いています)
オススメの小説、アルバムなどあったら教えて下さいね。


江崎さま
Sun, 27 Feb 2005 23:49:27
California Girls
アクセス600カウントなのでこちらに登場なのダ。
3Hの書き込みに村上春樹の名前がでていたのでデビューしたころからのファンとして少し書き込みするゼ。
20代後半に「群像」か「文学界」(こんな月刊誌を読んでいた時代もあった…いや〜青春してたね。どちらだったかは忘れてしまったけど)で偶然読んだのが最初で、デビュー作《風の歌を聴け》を読んで自分たちの世代の物語という感覚がとっても気に入りそれ以来新刊が出ると必ず読んでいた。物語と音楽(ジャズ、クラシック、ポップス〜オールディズたっぷり)をアクセントにした話がとても心地よかったナ〜。
10年前の神戸淡路大震災後から作風が少し変化しているのでデビュー当時からのファン(少し自慢)としてはついていくのが少し大変でもあるけれど…
海外での評価もとても高いらしく、最近は中国で大ブームだそうだネ。
佐々木マキのイラストとのコンビの作品が個人的には一番好きだ。そうなると、どうしても初期の作品が多くなるけれども、近刊で久々に佐々木マキと組んだ本がでたのはうれしかったナ。
最近読んでおもしろかった本は《愚か者死すべし》原@ΑヤTHE WRONG GOODBYE》矢作俊彦の2冊。かたや私立探偵、かたや神奈川県警捜査一課の刑事。と書けばどんな嗜好かは分かる人には分かるかナ。どうでしょ文学少女だった頼子さん?(文学少女と言っているのであって文学オバ…オッとあぶない)
この2人の特徴はとにかく新刊が数年に一度しかでず、ファンとしては新刊がでたらミズテンで購入してしまうのだ。数あるハードボイルド作家でもこの2人は自分にとってのベスト作家。 
題名California Girls(今度はGirlsのスペルは間違えないようにっと…福田クン今度はイイカナ?)はご存知《風の歌を聴け》の中のテーマソングだネ。
返信:村上春樹のデビュー当時からのファンって江崎カッコイイ。ヨリは昔からのファンで、僕に読め読めと言っていたが読まなかった。「ノルウェーの森」はビートルズの曲の題名だし村上春樹は同じ世代で絶対に面白いからと何年も言われてたのに、俺は恋愛小説は読まん。とか何とか言って読んでなかった。読んだのは30代半ばだったと思う。どうして読み始めたかは覚えてないが、賭で負けたか魔が差したんでしょうね。ところが読み始めたらあっという間に読んじゃった。それから、「頼子さん次の村上春樹の本を貸してくれませんか?」と頭をペコペコ下げて読んだね。バカにされたけどね。なんせヨリは村上春樹の本はほとんどあるので。初期の頃の「羊男」は不思議な感覚だった。童話的でこっけいだけど、何なのこの男は?とどんどん引き込まれた。村上春樹の本には、ず〜っと「羊男」が出てくればいいなあと思ったね。羊男のファンでもあったということだ。確か村上春樹は僕たちよりちょっと上だけど、懐かしい音楽が一杯出てくるよね。料理をするところもでてくるし、ポルノ小説顔負けのシーンもあるが、いやらしくなくさらっと書いてあるので女の子に人気があるのでしょう。中国でもかなり売れているらしいので、印税がガッポガッポだろうね。ねじまき鳥クロニクルの中国の場面は凄かった。一番印象に残っているのはねじまき鳥かもしれない。カフカも面白かった。去年でたアフターダークはちょっと?かな。村上春樹の小説全般にいえる事だけど、最後があやふやに終わるでしょ。僕が読んだ後に必ずヨリが質問するんだ。主人公は何が言いたかったのでしょうか?とか、主人公はどうなるのでしょうか?と、質問攻めなんだ。本を貸してもらっているのでしょうがなく答えるけど、ヨリは主人公はそんな事を言いたいのじゃない!と言って説明が始まる。それを黙ってきいてハイハイごもっともです、素晴らしい意見です。と、答えなくてはいけないのだ。心の中ではクソッ!と思いながらも、確かに僕が気づかなかった事を述べて尊敬〜って感じるんだけど。僕も本を読むようになったけど、若い頃に読んでいる数はヨリとは問題にならないので、語学力というか読解力はヨリにはかなわないね。

頼子より                                             村上春樹のことが話題らしいので、ちょっと参加です。
私はその昔からW村上の大ファン。
外部と距離を置き、内面に向かう春樹ワールド。
読むたび引き込まれてしまいます。
私が好きなのは、海辺のカフカ、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、
初期の三部作もいいですね。
彼のパラレルワールドは不思議でおもしろいですよね。
矢作俊彦は読んだことはありません。原遼(この字?)はさらば長き眠りだけ読んだと思います。
ところが内容は忘れてしまいました。良かったことは覚えているのですが・・・。
最近は読んだはしから忘れてしまい、脳細胞が萎縮してるのを実感。
やっぱりアルコールが良くないのでしょうか。
ハードボイルドはやっぱりチャンドラーでしょう。(古い!)
ミステリーで好きなのはパトリシアコーンウエル。
最近おもしろかったのは、奥田英朗の空中ブランコと石田衣良の14です。
でも、小説も音楽も結局個人の受け取り方だから、共通の嗜好の人としか、
わかり合えないと思うんですよね。
私、音楽の好みは洋楽R&B,ヒップホップなので、その話題は娘としかできないんです。
江崎さん、アッシャーとかJZ聞きます?(聞いてたらうれしいけど)
それではまた。


江崎さま
Fri, 25 Feb 2005 20:52:07
Fun Fun Fun
六本木ケントス、チョ〜懐かしいネ。確か「Beatlesでは新しすぎる」とかいうコンセプトでポール・アンカや二ール・セダカくらいのオールディズを演っているライブハウスのはしりのような店だったネ。最後には大ツイスト大会になったりしていたもんネ。当時ケントスバンドはオレたちの世代的にはちょっとついていけなかったけれど、サーフライダーズはBeach Boysあり、グループサウンドあり、というかなんでもありでいま聴いても充分にいけていると思うがどうだろう?あのメンバーがそのまま(一部のメンバーだったか?)クレイジー・キャッツの谷啓がバンマスをしていたスーパーマーケッツというバンドのメンバーでも演ってたの覚えている?
ビジー・フォーがもう少し早くからコントもやる選曲センスのいい(ブラック系が多かったように記憶しているが)バンドだったネ。モト冬樹・グッチ祐三・
ウガンダの3人までは覚えているんだけれどももう一人は誰だったか忘れた。
グッチ祐三がNHK教育でやっている子供向け番組なんか同世代だけあってオレ達
がみても音楽好きなら充分に鑑賞に堪えるもんね。ていうか子供にはちょっと理解できんのかな?もっとも、母親にうけているということもきいたので、さすがNHK、だてに受信料は取っていないななんて思ったりして。
小学生の頃からクレイジーキャッツ大好き少年だったオレにはサーフライダーズはバンドとコメディが合体した久々の快感だったけれどついにメジャーとは縁がなかったネ。

オレが自分で意識して買ったレコードは小6の夏にBeatlesのA面Twist & Shoutのシングルをミサキレコード(多分)で買ったと思う。今にして思えばあの当時のヒットチャートはラジオ経由のアメリカの順位であったわけだよね。いま手元のビルボードチャート誌をみてみたらTwist& Shoutは1964年4月4日に2位になっている。この週は1位〜Can't Buy Me Love 3位〜She Loves You 4位 〜I Want to Hold Your Hand 5位〜Pleas Pleas Me となっていて、翌週にはプレスリーの記録を破るトップ100に14曲のチャート・インさせるという後にも先にもありえないことをやっていたのがアメリカの4月。それから4〜5ヵ月位で日本のガキンチョが小遣いにぎりしめてレコードを買っていたのだから
今思うとあの当時洋楽のヒットは半年から1年遅れくらいで日本にやって来るとかん違いしていたのか… 思ったより早く日本でヒットしていたんだ〜
粟津クンも書いていたようにあの当時はラジオでしか洋楽の情報を知ることができず、北の最果てのような街に育った我々にはラジオがあの当時には全てだったと思うョ。当時の番組の一番のお気に入りは「9500万人のポピュラーリクエスト」。あの当時の日本の人口は9500万人いなかったのは小6でも知っていた。
曜日は忘れたが(金曜?)夜9時くらいからHBCでやっていたと思う。眠い目をこすりながら聴いていたョ。この番組の良かったところはリクエストの対象が全レコードレーベルであったところ。あの当時は「東芝ヒットパレード」とか「P盤アワー(ポリドールのみ)」とかのレコード会社別の番組もあったので9500万人はある意味日本のビルボード的な番組だったもんネ。しかもアメリカのキャシュ・ボックス(最近はきかないナ〜)のチャートも発表していたと思う。記憶に間違いなければ番組中でアメリカでの赤丸急上昇(懐かしいフレーズ)を紹介するコナーもあったように覚えている。何せ40年前の記憶なもんで…違っていたらゴメン。
実はBeatlesよりもBeach Boysのほうがこの番組で先に聴いていると思う。小学校の同級生の兄さん(当時中学生)に9500万人を教えてもらったのが多分小6のあたりでいまでも不思議なんだけれどBeach Boysの《夢のハワイ》(Hawaii)という曲をいたく気に入ったというのがBeach Boys初体験でそれ以来幾星霜な〜んてね。
Beach Boysに限らずファルセット入りのコーラス好きという嗜好はきっとこの原体験に基づいているだろうネ。
ちなみにBeatlesがbPを連発している1964年に7月4日のチャートでBeach Boysはやっと《I Get Around》 で1になっている。ついでにいうと前の週の1は
《愛なき世界》Peaer & Gordon(オオ、懐かしい|やっぱりJohn & Paulか…)
もうひとつついでに、Beach Boysの2週連続1を引きずり下ろしたのがあの当時のホワイト・ドゥワップの雄Four Seasonsの《悲しきラグ・ドール》だったとは。(このグループもめちゃ好きだネ〜)
ひさしぶりにビルボードのチャート本を見たけれど、たまに見るのも悪くはないわいと感じた今日この頃でした。
題名Fun Fun Funはある意味一番Beach Boysらしい曲かな。
返信:「クレイジー・キャッツの谷啓がバンマスをしていたスーパーマーケッツというバンドのメンバーでも演ってたの覚えている?」すっかり忘れていたけど、思い出した。テレビにも出ていた。よく覚えていたよな。サーフライダースは2枚のアルバムを出したけど、あまり売れなかったね。もし、カラオケにサーフライダースの曲があればすべて曲を歌える自信はある。ケントスにかよったもん。しかし、残念ながら全くカラオケにはない。下手なグループサウンズよりもテクニックはあったし、歌もそれなりに上手かったと思っている。半分コミックバンドで楽しかったな。解散するときにメンバーにどうして解散するかこっそりと聞いたら、やっぱり植田さんが殆どの出演料を取るのでメンバーの不満が出たらしい。植田さんがいないとどこからもお呼びがないからしょうがないけどね。   
9500万人のポピュラーリクエスト、なつかし〜。小島政雄の声、今でも覚えてるぜ。夜9時だった。曜日は思い出せない。東芝ヒットパレードは日曜日の夕方だったと思うけど。Beatlesが東芝だったので聴いてたね。小学5年頃から家にある親が買った40か50枚くらいのクラシックレコードを毎日聴いていたけど、6年生になってからラジオに夢中になっていた。Beatlesはラジオでクラシックはレコードでと思っていた。初めて買ってもらったレコードは小学5年の時「ミスターベースマン」。友達が持っていたからマネして買ったという感じで。6年生の時はレコードを買った記憶はない。6年生ということで限定して好きだった歌手を思い出してみると、Beatles以外ではシュープリームス、クリフ・リチャード、アストロノウツ、デーブ・クラーク・ファイブかな。まだまだあるけど、中1で好きになったのかが分からない。Beach Boysもめちゃ好きだったけど小6か中1かどっちか分からない。Fun Fun Funもいいね。僕の好きな曲は前に書いたけど、中2の時のGood Vibrationsはかなり好きだった。中2って覚えているけど違うかな?《愛なき世界》Peaer & Gordonは真理と歌ったよな?                                         

江崎さま
Wed, 23 Feb 2005 22:55:45
Surf's Up
3年H組掲示板は少々シリアスな話題で子なしの身分の自分にはついていけない話題なので
こっちのほうに登場なのだ。それにしても親になるというのはいつの時代にもたいへんダネ。
 さて、今回もな〜んにも役にたたない私的な音楽のはなしを一発。

前回書き込みをした話とも関連するのだけれど、60年代のポップスのジャンルに「サーフィン・ホッドロッド」
(日本だけの呼び方らしいが)といわれる分野がある。自分たちの年齢でいえば小5〜中3位
までがブームだったと思う。
むしろエレキブームというほうがなじみのある言い方だとはお
もうが、歴史的には元祖エレキパンクのディックデールの《ミザルー》に始まりBeach Boysを
頂点とするサウスカリフォルニアのバンドが中心になる一大ムーブメントなのだが、日本では
Ventursがエレキブームの代名詞になるというインストメンタルブームで米国とは少し違った
ブームだったわけだネ。米国でも初期はインスト
中心のブームであったけれどやがてサーフ
ィン・車・女の子という素材を使う(いつの世も若者の関心は変わらないということか)ボーカ
ル中心のバンドがブームだったわけだ。Beach Boysが好きだというと、「え〜っ、あのサー
フィン、海岸、クルマ、ビキニの女の子…ヒット曲は《サーフィンUSA》でしょ?」と半分嘲
笑めいた反応がほとんどで、まぁそうなんだけれどちょっとまてといいたいネ。Beatlesのよう
な評価がないのはある意味しかたないかなとはおもうけれど、昨年のアルバム《Smile》を聴け
ばブライアンのファンにはもう充分に満足なのだナ〜。

前回の返信でJan & DeanがBeach Boysとそっくりのサウンドと書き込んでいたけれど、それも当然でJan & DeanのレコーディングにはBeach Boysのメンバーがずいぶんと関わっていたようです。とくにコーラス部分には(高音ファルセット)ブライアンの声が聴こえるよネ。その逆もありで《Barbara Ann》にはDeanが参加している。ブライアンがBeach Boysと離れて個人的に関わった曲が結構あったりするのでブライアンマニアにはレア物としてコレクターがいたりして以前はとんでもない値段がついたシングル盤があったりしたんだけれど、ここ10年位でほとんどがCDになって再発売されているのがうれしい。「サーフィン・ホットロッド」のことを書き込むつもりがまたブライアンのことになってしまった。つぎはもう少し「サーフィン・ホットロッド」のことを。
題名《Surf's Up》は偉大な名曲。

返信:江崎、遅くなってわるい。いろいろとヤボ用があってさ。                            

Beach Boysの出会いは思い出せない。Beatlesは衝撃的だったから忘れられないけどね。日本に入ってきたのはデビューから少し遅れてきたので、She Loves Me. Please Please Me. Please Mr. Postman.がいっぺんに入ってきた。小学6年生の時に。あの頃、ラジオ番組を新聞で調べてBeatlesが流れそうな番組をよく聴いていた。Beach Boysは小学6年なのか中学1年かは思い出せない。どっちかとは思うが江崎は思い出せる?僕はBeach Boysと言えばサーフボードを持った写真。今見れば少年なんだけどあの名曲を作り、あの歌声は信じられない。Beatlesの方がまだ大人っぽい。Surfin' U.S.A. Sloop John B Good Vibrations California Girls Help Me, Rhonda Surfer Girl 六本木のケントス覚えてる?江崎も行ったよな。Beach BoysのマネのSurf Riders海辺の少年達と波乗り少年達の違い。植田芳昭とコミックバンドという感じだったけど。月2回の出演でケントスがつぶれるまで必ず行ってたけどね。比べるのはやめよう。やっぱり比べるならJan & Deanにしよう。Jan & DeanのBarbara AnnとかSurf CityとかBeach Boysの曲もいいね。ま、Beach Boysの方が好きだけど。 確かウイルソン3兄弟だと思ったけど、全員5人でハーモニーが素晴らしかった。Beatlesはジョンとポールのふたりか3人だし。Smileはまだ聴いてないけど聴きたくなったね。60年代の思い出のグループはいっぱいあるし、今でもたまに聴くと懐かしいよ。



江崎さま
Sat, 19 Feb 2005 18:26:43
Girls On The Beach
アクセスカウント400ときりのいい数字なので久しぶりにメールなのだ。
ところで粟津クンはレコードからCDにきりかわった時期の最初に買ったCDを
覚えているかい?新らしもん好きのキミのことですのできっと早い時期に
CDプレイヤーを最初に買って、さてCDはなにがあるのかな?というのでは。
さて、オレはというとレコードとCDがまだ混在していた80年代の後半に
60・70年代のオールディズのLPをタワーレコードとかでシコシコ探して
コレクションしていた(あの当時は輸入盤のほうが種類があり、安かった)
のだけれど、あの人のレコードが出るらしい…という噂が巷に流れた1988年、
その当時は伝説のミュージシャンでもあったブライアン・ウイルソンその人の
CDを聴くためだけに(LPではでなかった)CDプレイヤーを買ったのでした。
多分日本全国でいまのような理由でブライアン・ウイルソン(以下B.W)の新譜
聴きたさにCDプレイヤーを買った人は何百、何千人といることやら…
B,WはThe Beach Boys の60年代にでたレコードの作曲のほとんどをやり、
なおかつ、プロデュースをした天才ミュージシャンなのだ。もちろん唄も。
Beatlesの「サージェントペッパーズ」もBeach Boysの「Pet Sounds」をポールが
聴いて大いに刺激を受けて制作されたという有名な逸話があるもんね。
ただこの人は天才がゆえの神経がナイーブすぎて60年代後半からほとんど人前に姿をみせな

くなり、忘れられた存在でもあった人なのね。
もうまちがってもB,Wの新譜は聴くことはないと思っていた1988年、出る出る
という噂だけでなくほんとに出たのには驚いたネ。
聴いての最初の感想は長生き(?)しててよかった…だね。
最後にだれが言ったか忘れたけれど、Beatlesのジョンとポールは天才的な
ミュージシャンであるけれど、Beach Boysのブライアンは天才だった。とね。
この話きりがないのでこのへんにするけれど、80年代以降はポップミュージックを中心に聴い

ているのだ。とは言ってもオールディズが多いけれど。
ブライアンはいまだにオレのアイドルとして燦然と輝くお人なんです。
話がどんどんディープになってしまわないうちに今日はこれまで。
題名はBeach Boysの曲だけれどな〜んの意味もなし。

返信:いいね、いいね、こんな話大好き。品川に引っ越ししてCDプレーヤーを買ったので、昭和62年(1987年)に買っている。何を買ったのかは全然思い出せないが、たぶんモーツァルトでしょう。あの頃はモーツァルトにメチャメチャ凝っていた。曲を聴くだけじゃなくて本もだいぶ読んでいた。Beach Boysは中学の頃から大好きでBeatlesの次だったね(Rolling Stonesが3番目かな)。Jan & DeanなんかもBeach Boysとそっくりなサウンドで好きだったけど。Beach Boysは沢山いい曲があるけれど中2の時の Good Vibrationsはびっくりしたね。Beatlesを追い越したかも、と思った。その後のSgt.Pepper'sでまたBeatlesの面目をたもったけど。Help me Londaの最後の方の音が大きくなったり小さくなったりしただけで、斬新で感激していた。1988年の時の感想はと言われれば、グループとしてのハーモニーが60年代の方がいいなと思っていたけど、今、ココモなどを聴くとやっぱりBeach Boysのサウンドだなあと思う。10代の頃に聴いた曲は忘れられないのだ。中学の3年間の時の曲、高校の3年間の時の曲、そして卒業後と。大人になると20代の時の曲、30代の時の曲、40代の時の曲かな〜とかだいたいになってしまう。Beatlesやモーツァルトの事は今度にしましょう。


阿武講一さま
Thu, 17 Feb 2005 17:22:28
こんな酒だれも知らん
と思うよ、でもそんなに冷え症に効果あるんだ、中に入っている物集めるだけで
たいへんだよ。でも俺も飲みたい、多分精力酒だと思う。Y子さん眠れなかったのでわ〜。えなり君にている、ソックリだよTVに出したら。・・・最近ヌケの
HPできて粟津のコーナー寂しくなったなあ!寂しそうだから少し書き込みするよ
俺も今の時期仕事は少し暇だから、暇つぶしにはいい企画だったなあ、でも雪とけたら忙しいよ、クラブもって野山駆け回らなければならないから、帯広地区の
野山の管理人なんだ!たまに坂の地区の管理人もするけど、いつも坂に怒られている。粟津のリクエスト!その内登場すると思うよ、でも画面が小さすぎる
多分、はみ出すよ。本当はどうすれば画像送れるかまだ知らないんだ、坂もだと思うよ、粟津とヌケはたいしたもんだよ、所詮PCには興味なかったもん、仕事上
仕方なく使っているだけ、販売(セールス)は口だけよ。
返信:何のメールソフトを使っているか知らんが、添付書類で画像を指定して送信すればいいの。ちゃんとパソコンでスマートに修正して直してから載せるので、心配しなくてもいいぜ。福田だってあのとんでもない顔を出したんだぜ。あれは勇気がいるね。あそこまで変わると普通の人は出せないって。寝ている間にメチャメチャにかいておこうか?やっぱり止めた。復讐が怖い。

週末は中華八珍大補酒の材料を集めに東京中の漢方薬の店を探しに行きます。本当に冷え性にいいみたい。キムチの次は漢方だ。坂にはこの冷え性に効く酒を作る事はナイショだぜ。教えたらきっと「冷え性の奥さんはいませんかあ〜、いい薬ありますよ〜」とか言って悪い事に使いそうだからね。だけど、精力増強にもいいらしい。(瓶の上から三行目)


坂さま
Thu, 17 Feb 2005 11:52:08
ありがとう。
クリツ君、DVD届きました、どうもありがとう、暇な時、見てみます、それにしても、クリツ君が私の髪の事、腕の事、なにの事と、いろいろ心配してくれているなんて、昨晩も布団の中で涙していました、それと、ご勘弁、と書いてあったので、まあ、私の青春を返さなくても、いい事にしましょう、話変わって、中華八珍大補酒の事ですが、おしいことに七珍までは、解るのですが、あとの一珍が解りません、残念ですが、力になれず、・・・、クリツ君の力になりたいのですが、あっ、又涙が・・・。
返信:どうせ暇だろうから直ぐに見て下さい。五十肩の人必見です。僕が坂に冗談を言った事は高校の時からないだろう。年をとると皆、涙もろくなりますので、坂が五十肩のDVDを送っただけで涙するなんて、そんな僕も、あっ、涙が・・・。それから中華八珍大補酒のこと本当です。社長、僕の言うこと信用してないしょ。ホームページに載せるために大げさに言ってるな、と思っているでしょ。ホントにホント。チョットこれ調べる価値がありそう。アノ〜・・・佐々木さんのことはナイショ?この場で言っちゃえば?

江崎 一幸さま
Tue, 15 Feb 2005 00:48:43
あの時君は若かった〜
初登場させてもらうよ。
自分の高校時代の写真が意外に多く写っていたのには驚いたネ。
それと、クラス会の写真はみんな20代前半くらいなのかナ。
某社長さんなんかはまだまだ髪がフサフサだもんね〜。
女性陣はあの時代の服装、髪型、化粧とみて思うに、
70年代の時代の匂いが漂ってたりしてなつかしいネ〜。
今の彼女達はそれはもう立派なオバサンなんだろうネ。
(という自分も立派なオジサンではあるけれど)
それにしても粟津くん、ジィーンズのオーバーオール(ったっけ)
あの格好にはまいりました。(オレも着たことがあるけれどあんなに
トイレにいくのに不便な服はなかったと今思い出していた)
それはそうと、今日レコード屋(死語か?)でCDをみてたら
「ブルース・ブラザーズ」のDVDが新品なのに1200円で売っていたので
迷わず買ってきたぜ。(メーカーのキャンペーンなのかなんでもいいけど
1200円は買わなきゃ〜)
この映画、何度みても最高の音楽映画だと勝手に思っているのだ。
ビデオではみれないメーキング部分の56分収録が最高だぜ|
それにしても、主演のジョン・ベルーシ、生きていればいまでも最高の
ロックン・ロールムービーをみせてくれていたろうにナ〜 ザンネ〜ン
返信:写真はその時はなんでもなくとも、30年も経てば価値があるね。もっと沢山写しておけばよかった。「ブルース・ブラザーズ」のDVDが1200円?僕も買おっと。メーキング部分の56分が見たい。昔、ビデオであったけど2万以上したと思った。DVDは綺麗だし、扱いやすいし最高。あの機械オンチの福田でさえハードディスクDVDを使っているらしい。江崎と今度ゆっくり音楽の話でもしたいと思っていたけど、僕は今でも音楽はよく聴いている。ゆっくりと聴いていると、しあわせ〜を感じる。高校生の頃は30過ぎたらロックなんか聴かないだろうと思っていたけど、なになに今でも聴いている。CDの枚数ではクラシックが圧倒的に多いけど、ロック系、ジャズ、日本の曲、と続く。娘の影響でエミネム、バックストリートボーイズ、とか現在活躍しているのも聴く。ギターはまだ持っているけど全然使ってない。エレキベースも全然。ピアノだけは毎日練習しているけど、練習してない曲はすぐ弾けなくなってイヤになる。江崎と真理とビートルズの練習したのが懐かしいよ。今度カラオケに行こう。

坂さま
Fri, 11 Feb 2005 15:01:40
なに?
クラス会の写真どうするんだよ、ってなにの事?
返信:アルバムを見ていたら卒業して1回目のクラス会の写真が出てきたから、持ってる?ホームページにのせようか?って坂にメールでしたら、ネコちゃんの映画面白かったね、って言ってきたの。メール届いてない?

坂さま
Fri, 11 Feb 2005 11:08:36
告白します。
クリツ君が、私の事をいろいろ書いているので、私も過去の胸に秘めた事を告白します、あれは

高一の時でした、純粋、無垢な私にクリツ君が言いました、坂、映画に行くぞ、題名は、猫の舌、

なんとなく不吉な予感がしましたが、とてもクリツ君には、逆らえません、はい、では何時に、

行った映画館は今はなき釧路映劇、不潔な映画をやっていました、クリツ君、ここはだめですよ、

いけませんよ、でもクリツ君は聞く耳を持たず、いいから行くぞ、私はその時に人間の不潔さを

知りました、クリツ君、私の清らかな青春を返せ、その後の私の人生は彼のおかげで・・・・。

返信: いや〜なつかしい。思い出したら涙が出るほど笑いました。ネコちゃん、ワンちゃん、動物がいっぱい出てくるディズニーか何かの映画でしたよね。動物嫌いの坂を動物好きにしたいい映画だったです。よく題名覚えていたな。よっぽど気に入ってたんだね。だけどアレ坂が行くべって誘ったんじゃないの?この話はやめて、クラス会の写真はどうするんだよ?

阿武講一さま
Thu, 10 Feb 2005 11:46:10
三宅君!!がんばれ!
三宅!がんばれ!君なら大丈夫、PC打てるようになるし、メールもできるよ。
この私でさえ、昨年の6月から本格的に打つように成ったと言うか日報の提出が
メールで義務つけられたから・・・仕方なくやっているよ。でもPC触っていると面白いぜ!頑張ってください、三宅君のメール待っています。
返信:阿武、やっぱりPCはぺーぺーかよ。メール来るたびに白紙とか同じ文が何通も来るぜ。どこか変なボタン押しながらやってるんじゃないの?別に同じの来てもいいけどね。阿武にお願い。現在の自分で一番格好いいと思う写真送って。メールでもいいから。福田にも写真送れと言ったら「絶対にイヤだ」だって。みんなで載せれば怖くないって。オバサン達も見たいね。坂は松金さんとは連絡とれるらしい。本当は松金さん以外の写真を見たいけど・・・。あっ、こんなこと言ったら坂に怒られる。

福田さま
Thu, 10 Feb 2005 08:43:08
真理
手が震えてるんか?

訓読みで【ハン】社長 ○○○=気持ち良い事か?
返信: 真理は高校生の時、酒飲んでは暴れて大変だったよな。よくたたかれてたのは福田。部屋を汚されてたのはウチ。

坂さま
Wed, 9 Feb 2005 19:43:38
頑張っているよ。
かつお君へTELしたけれど、いつも8時30分すぎらしい、彼も頑張っているね、サンタク君へ再度TEL、彼はメールもできないらしい、でもこのページを見て、俺もやってみるかなと、言ってました、そのうちメールくるでしょう、アブ君、俺は店は暇だけど、やぼ用が多くて、忙しいのです、今日は昼食べて、お茶飲んで、友達と会って、これを打って、帰ります、あー忙しい。
返信:三宅!コンピュータくらい使えるようになってよ。真理みたいに手が震えてキーボードを打てなくなったらお終いだよ。  社長、やぼ用って店のパートの人妻とお茶飲んで○○○することですか?忙しそうですね。

阿武講一さま
Wed, 9 Feb 2005 13:04:12
またもやメール!
何回も登場すみません!けして暇してる訳ではないですよ 坂君!!
大宮君の写真・・そうです私がバイクに乗っている写真懐かしいですね、後ろに
乗っている人は誰だろう大宮じゃないよなあ。それと京都の『ヌケ』君遂に登場
しましたね。なつかしいですね 大学4年のときに京都旅行したとき依頼ですよね?その節はヌケの三菱ギャランのバッテリーをオーバーさせて申し訳ありませんでした。その時の彼女とは結婚できませんでした。(報告まで)
・・風間雅昭さん突然のコメント 有難うございます。下町の風景等非常に興味がありましてこれからも色々アクセスさせて頂きます。1月も東京で会議がありまして西船橋に本社がある関係上、ホテルを第一ホテル両国にしています。大江戸博物館、安田庭園、それ以上に国技館があり力士の方が私をみて挨拶してくださいます、体系から関係者と思ったんじゃないでしょうか??今日はこの辺で!
返信:やっぱりバイクに乗っているのは阿武だ。後ろは誰かね?大宮が持っている写真だから大宮が写し、別人じゃないの?「僕で〜す」という人連絡下さい。今度、東京に来たときは風間さんを紹介するよ。だけど、風間さんは阿武みたいな極道と違って紳士だからなあ・・・。

坂さま
Wed, 9 Feb 2005 11:22:55
え、生きていたの。
ぬけ君、生きていたの、クリツ君の話だと、ぬけは婦女暴行とサギ未遂、ひったくりで前科何犯とか、そして刺されたとか、でまだったんですね、クリツ君はひどい人ですね、でも元気そうで、なによりです、昔の写真を見て、俺をのぞく皆は馬鹿やっていたんだなと多少見下しています、東京で何年かぶりに会い、とても、とても楽しいひと時でした、何十年ぶりに、釧路の近くの温泉で、クラス会でも開きたいですね釧路から東京へは、旅費がとても高い、でも逆だととても安い、2泊3日で29800円位であるらしい、田舎を馬鹿にしてますね、このページの管理人のクリツ君、暇なのは君くらいなのだから、考えてみたらどうですか、皆に、さすが、クリツ君、と孫の代まで話し伝えられるでしょう。 とさ。
返信:社長さん久しぶり。東京→釧路より釧路→東京の方が全然値段が高いの本当に変だよね。決して田舎モンを馬鹿にしてないって。ただの田舎モンのひがみだよ。それから暇なのは坂と俺の他にまだいた。福田。1週間で2時間くらいしか働いてないって。福田に電話したら、その日のうちに下のページを作ったもんね。俺より暇みたい。

福田廣志さま
Wed, 9 Feb 2005 03:14:10
3年H組の掲示板 つくってみたけど・・・
みて!みて!きて!きて!
http://cgi.29da.com/user-cgi-bin/3H/personalbbs.cgi
返信:ありがとう。今度から3年H組のメールは福田の方でするようにするね。よろしく!

阿武講一さま
Tue, 8 Feb 2005 13:02:47
またまたメールしました!
ついにゲストがいなくA君の奥様Yさん登場しました!やはりYorikoさんでしたね 間違って違う名前を書いたら『東京タワー』の再現?かなあと思いまして・・・いやいや粟津家は大丈夫のようですね、お台場まで辛い食べ物?食べに
行くファミリーですから・・でも写真で見ても味が解からず坂君が見たら
『豚のエサ』と思うかもね?・・・失礼しました、折角食べる前にデジカメで
あ〜でもない!こ〜でもない!・・て二人で仲良く撮影したのにね。
奥さんの出身を音別の田舎なんて表現していましたが、私はその音別のもっと
奥の尺別です。当時は3万人も人が暮らして居ましたが今はゴーストタウン!
炭鉱の閉山とともにみんなバラバラです。あ〜あ〜昼休みが終わりです。けじめをつけないと社員にシメシがつきませんから。それではまた!
返信:高校に入学したとき、尺別や音別のクソ田舎から汽車に乗って学校さ来るなんてびっくりしたな〜。別保(べっぽ)なんていうところもあったね。中屋君を見たときは本当に別保から通学してるんだなあと思ったけどね。中屋、元気かな?それからもう少しで大宮信クンがゲストで登場するのでよろしく。メキシコ料理も尺別から出てきた人が見ると『豚のエサ』にしか見えないのね。確かに見かけは悪いわな。

福田廣志さま
Tue, 8 Feb 2005 11:51:35
京都より愛をこめて
坂 阿武 元気か? 当方なんとか生きのびてる。

昨日 突然 粟津から電話が『HP つくったし見て!』
URLが一文字違って見られず・・・
今日 朝からメールで送ってもらって 懐かしい写真を拝見
【なだそうそう】もん
懐かしいついでに 釧路江南高校を検索すると
同窓会のHPを発見 http://konan-ob.ii946.com/index.html
21期生 昭和46年卒 http://konanob.ii946.com/office/album/kn_02_1.html
H組の写真 http://konan-ob.ii946.com/office/album/konan/big/S45_N21H.JPG
時々おじゃまするのでよろしく^^

返信:お久しぶり。Googleで福田廣志を検索したら歯科口腔外科のおエライ先生と京都渓清会の福田廣志氏がでていた。京都でアユ釣りしてるのは福田しかいないしょや〜。息子のはじめ君はもう22才で真理ちゃんは成人式だって。その下にまだ二人もいるんだって。大変やなあ。

風間雅昭さま
Tue, 8 Feb 2005 11:32:29
なんと!
粟津様
私を有名人に仕立てていただいて、感謝しております。

図に乗って、ちょっと宣伝させて下さい。
3月に玄光社から「デジタルプリント」という雑誌が出ます。
その中に4ページばかりプロむけのデジタル写真の話を書きました。
本屋で立ち読みでもしてみて下さい。買っていただければ尚、うれしい。

それから、風間雅昭でググルのもいいんですが、masaaki kazamaでググッて見て下さい。ホラ、凄いでしょう!
でもこれほとんど私の知らない店ばかり。
私が契約したおぼえのないショップが、私の写真を売っている。
しかも一万店。
恐ろしきかな、デジタル社会。

それから、阿武講一さんはじめまして。
私の所へ、貴重なお昼休みを割いてお立ち寄りいただいたそうで、感謝です。こんどは私の方へも書き込みお願いいたします。

最後に、粟津さん、ものを作って、人に配って歩くのは
本当にいい道楽だから、これからもずっと続けるように。

おじゃましました。
返信:料理を作って、本当に美味しいと言ってもらえると嬉しいんですよ。僕もMacを使ってますが、Appleが風間さんの写真を採用したのは凄い事ですよね。これからもますますのご活躍を期待してます。

阿武講一さま
Mon, 7 Feb 2005 12:49:15
追伸!
粟津君 今昼休みなので風間雅昭さんのホームページ開きました。面白いですね
けして仕事中に見ているどこかの市職員ではありませんから・・・見ていたら
何と貴方はキムチを漬けているとか??それも職人肌、韓国負かしの腕前とか?
そこまではかいていませんが、酒もあまり飲まないのにめふんまで知っているらしいね。インド

の結婚式の写真 A君の奥様Y子さんは????もしや音別のかどの薬局の娘さんですよね・・・

それじゃ左はじではないですか??間違ったらごめんなさい!!

返信:アタリ〜。Y子さん音別の田舎出身だったの覚えてた?今じゃインドのサリーなんか着て偉そうにしてますが・・・。Y子さん元気で元気で毎日のように水泳の練習に行き、休みの日にはこの寒いのに海に行っていろいろな物を捕ってくるんだ。ダンナの稼ぎが悪いので生活費の足しにしています。そのうちこのホームページにも登場するでしょう。キムチが大好きな人メール頂戴。送りますよ。風間さんはプロの写真家ですが、いろいろな事を教えてもらったり、写真を頂いたりお世話になっているのです。Googleで風間雅昭と入れて検索して下さい。いっぱい出てきますよ。写真家としてはかなり有名人です。どうして有名人とお友達になれたかって?だからキムチとかベーコンを持って行ってるのさ。とにかく食いしん坊でゲテモノでも何でも喜んで、美味しいといって食べてくれる。僕も何でも食べちゃうけどね。

阿武講一さま
Mon, 7 Feb 2005 11:51:40
粟津君ごくろうさん!
また新しい写真を載せていただき感謝するぜ!期待していた酒井さん登場しました。マドンナ

最後でよかったのに。でも贅沢いえば顔の表情がわかるのがほしいなあ、でもこのコーナーに

参加するメンバー坂、阿武、粟津しかいないぜ!どにか広げる方法考えたほうがいいなあ・・・

カツオに知らせてアイツなら住所知っているからハガキにホームページアドレスかいて参加呼び

かけた方が早いかも?
なあ!坂君 カツオと相談したら如何なものでしょうか。よろしく。それにしても真理の登場が

遅すぎるなあ・・・・・!

返信:酒井さんの写真、出し渋っているわではないけど、正面向いてるのがない。彼女は高校生の時から大人っぽかったね。「酒井さ〜ん、こっち向いてえ〜」この一言も言えなかったね。やっと下を向いてるときに盗撮するようにパチリだもん。酒井さんのちゃんとした写真がないから真理は登場しないのかな。それとも酒の飲み過ぎで手が震えてキーボード打てないのかも。

風間雅昭さま
Sat, 5 Feb 2005 16:49:31
手紙
粟津 様
表紙で宣伝していただいて、感謝、です。
今日の龍馬を見て思ったんですが、龍馬に何か言おうと思ったら
そこからこの手紙ページへ来たいですよね。

じぶんのぺーじを見ていると気が付かないんですね。
粟津さんのページに入って、気が付きました。

私も自分の方を直します。
まだぺーじ数が少なくて良かった。
返信:写真ありがとうございます。ちゃんと出てくるようになりました。いつもいろいろ教えて頂き感謝しております。

坂 健治さま
Sat, 5 Feb 2005 12:06:33
アブ君、俺も遊んで・・・
俺、遊んでいる訳じゃないので、そんなに暇ではないのですが、でもまあ、そのうち誰か彼かに連絡しますよ、今、真理に再度メールしました、わがままな奴は50過ぎても、わがままなんで、皆さん、気長に待って下さい、私事なのですが、社員が一人急に、朝、自宅で倒れて病院へ、医者の話だと、どうも、駄目みたい、

皆さ----ん、体を大事に、50過ぎたら、人事では、ありませんよ、お互い、気をつけましようね。

返信:社長さん、何人社員を殺すんだよ。怖い顔して「死ぬまで働け〜」とか言ってんだろ。社員のみなさまにはもっと優しくしてあげてね。女性にはやさしいのね。

阿武 講一さま
Fri, 4 Feb 2005 09:21:49
.
前のメール3つくらいのっていたけど今日は何も見えない??
 これから粟津編集長がいろいろ構成を仕掛けてくるのかなあ????

阿武 講一さま
Fri, 4 Feb 2005 09:17:46
仲良しメール開設祝い!!
なかなかいいけど?本文打たないうちに送信になったみたい!
俺の操作がまずかったのかなあ? でも面白い企画だよ粟津君!坂と2人で考えた割にはヒットだよ。昨日も夜中まで過かってメール入力直したようでたいしたもんだよ。俺にはできません、そんな時間酒に酔っているか、高いびきの時間だよ。坂がいつも暇しているからいろんな仲間に連絡するって言っていたよ。俺の予想だとこのページに次に登場はあれあれ・・・札幌在住の真理あたりだなあ.
2〜3年まえ帯広の焼肉屋でバッタリ逢ったよお互いビックリ、その後はいつものペースさあ。坂!早く新谷さん登場させてくれ?粟津が一番望んでいるみたいだから・・・メール開設祝いもこのくらいでお開きにしょう 仕事しなくちゃあ
返信:坂が東京に来たときの写真を載せたのがきっかけで始まったんだけど、もっと高校の時の写真を見たいとか、メールを出せるようにしろとか、阿武のメールを見たいとか、メールアドレスを出したら誰かにイタズラメールが来るのでアドレスは出すなとか・・・。注文が多いんだ。坂にはお世話になっているから何でも言う事は聞きますよ〜。まっ、坂の御陰でここまで出来たけどね。真理とはずっと会っていないね。早くメールちょうだ〜い。だけど、きっと次は大宮か江崎だと思うけど。

阿武 講一さま
Thu, 03 Feb 2005 12:00:11
Re: 久しぶり
朝 メール確認しました。なかなか面白い企画だよ 早速メール書き込んで
送信しようとしましたが最初の画面 書き込みページの送信をクリックしたら
粟津の送信先のメールアドレスが表示されそのまま又送信しても行きませんでし
た。機種違いの問題なのか良くわかりません、簡単に最初の送信ですべて完了
の形が最高です。 よろしく!!

坂 健治さま
Wed, 2 Feb 2005 19:23:49
今日はサンタク君です。
今日はサンタク君へ連絡しました、私よりもPCに弱いらしく、会社の人にやってもらったらしいです、とても懐かしく、喜んでいました、ただ尾崎君の写真が、死んだ人のみたいだと、私に、尾崎は生きているよな、と聞いていました、どうしているのでしょうね。

阿武 講一さま
Tue, 01 Feb 2005 19:42:02
俺は誰だ?
突然の浸入  ビックリするな!俺のほうが肖像権違反で訴えるぜ!
何と懐かしい写真をホームページに載せていただき感謝するよ。
帯広在住の阿武君で〜す。坂からおしえて貰い開いたらとんでもない写真が
一杯のっていたよ。  粟津君も元気そうで頑張っているようですね。私は
今帯広が長くなりそろそろ転勤の話も???そんな昨今です。新谷さんて
貴方が綺麗だ綺麗だいっていたけど今になってよく見るとやはり綺麗だなあ
貴方の女性を見る目は昔から良かったよな!でもそれだけだぜ。たまに東京
出張があるんでその節は連絡します。でも江崎以上の貫禄あるぜ!
その節はよろしく。ひとときの心なごむ時間を持てました。ではまた。

坂 健治さま
Tue, 1 Feb 2005 18:45:45
ありがとう
見ました、懐かしいですね、みんな若かった、昨日札幌の真理にメールして、知らせておきました、今日はアブ君の写真が載っていたので、アブ君に電話で知らせました、クリツ君のホームページに書き込みでも、できると皆が見られてもっと楽しいのにね、そのうち他の人にも知らせておきます。
君、仕事しなよ