着工迫る東部海浜開発/泡瀬干潟埋め立て問題/問われる「次世代への遺産」/大型公共工事見直しの中/沖縄市
計画策定の一九八七年から十四年を経た、沖縄市の東部海浜開発計画は、いよいよ八月に着工の運びとなった。この間、計画を取り巻く状況は大きく変わった。全国的に大型公共事業が見直される中、埋め立てについて自然保護団体の強い疑問の声が相次ぎ、県内十数団体でつくる泡瀬干潟を守る連絡会は工事の凍結・推進の意思を問う市民投票条例制定を目指した署名運動を展開している。運動の訴えは「真の次世代への遺産」をめぐり、今後の沖縄の開発のあり方を根本から問い直す重要な意味が含まれている。(中部報道・新垣毅)
■基地からの自立
開発計画の発端は一九七四年のコザ市と美里村の合併当時までさかのぼる。海への開発は合併の条件の一つだった。新生沖縄市は約三六%を軍用地が占め、過密化した市街地、農振地域や急傾斜地域の広がりが、市内唯一の海、泡瀬沖合への展開につながった。
計画の究極的な目的は、基地関連産業を発展させてきた街を、基地依存から脱却させようというものだ。すなわち「基地からの自立」だった。
計画は十四年の間に、大きな転機が二度あった。一つは泡瀬住民の干潟や海への強い思いによる。一九九一年、沖縄市は出島方式を採用し「干潟や生物は守れる」と約束し、地元住民の合意取り付けに成功。市内主要団体で推進協を結成し市民の意思統一を固めた。
二つ目の転機は九八年。特別自由貿易地域に大型船が入港できるよう海底土砂をしゅんせつする国の事業に乗り、土砂の捨て場として埋め立て事業が再浮上。計画は実現性を強める。また、米軍泡瀬通信施設の保安水域返還問題が計画の障害だったが九九年、市は「共同使用」の日米合意を得、埋め立て事業はさらに加速した。
■変わる時代状況
ところが、ちょうど事業が加速し始めた二〇〇〇年、泡瀬干潟の価値が見直され始めた。干潟は二百f以上の面積を持ち、南西諸島で最も大きい干潟の一つで、本島では、シギ、チドリ類の最大の飛来地であることが一九九九年、鳥学会で明らかになった。海への埋め立てが進んだため、本島では海鳥が飛来する唯一の大きな干潟として泡瀬干潟の価値が再確認された。また、絶滅危ぐ種の藻類クビレミドロなど多様な海洋生物の宝庫であることが自然保護団体の調査で明らかにされている。
経済状況も変化した。バブル崩壊以後、全国的にリゾート開発が相次いで破たん。大型公共事業の見直しも進み、国民の多くが見通しのない開発計画に疑問を投げかける時代になった。
こうした中、東部海浜開発計画の土地利用で、四つのリゾートホテルを中心にした企業誘致計画、土地利用面積のおよそ半分を占める公共施設建設計画が、推進・凍結の両派を問わず疑問の対象になり始めた。
■相重なる不安
市民一人ひとりが事業の推進・凍結を判断する際、いくつかのキーワード(焦点表参照)があるとみられるが、最も重要なカギを握るのが、「貴重な干潟の価値」の位置付け、「基地からの自立を目指す開発」の中身。時代状況が変わる中で、現在の計画に「市民の意思」をきちんと反映させることが今回の署名運動の最大の狙いだ。
推進派と見直し派の主張は、干潟保全で見解の相違はあるものの、推進派の中には、財政や土地利用の点で計画見通しに、いらだちを見せる人々もいる。特に計画の中心に据えられたホテル建設については推進派から「目玉が弱い」「魅力がない」などの不満の声も多い。また、半分を占める公共施設の建設計画は「逆に国への依存度を高め、結果的に国から米軍基地受け入れを押し付けられる」として、当初の「基地からの自立」をうたう事業目的に反するとの見方もある。公共事業に依存する結果、基地依存の構図にはまらないかという危ぐだ。
今後、市民は埋め立て事業に何を託すのか。署名運動の期限は今月二十八日まで。市民にとって埋め立て計画を知り「将来の沖縄像」を考える機会といえよう。
東部海浜開発関連年表
1987・3 沖縄市東部海浜地区埋立構想策定
1989・3 同市東部海浜地区開発計画作成
1989・10 泡瀬復興期成会が市に海岸線の砂浜とヨネを残すよう法線変更を要請
1990・3 泡瀬ビジュル会が市に出島方式などを要請
1991・5 市は出島方式の採用など地元泡瀬住民の要望をほぼ全面的に受け入れ地元住民の合意取り付けに成功
1995・10 第1回東部海浜開発早期実現市民総決起大会
1998・4 沖縄総合事務局が新港地区内の特別自由貿易地域支援の立場から県にしゅんせつ土砂処分場として泡瀬の埋め立て事業に参画したいと申し入れ
1998・11 第2回東部海浜開発早期着工市民総決起大会
1999・3 沖縄市、南原の両漁協が漁業補償額を妥結
1999・11 泡瀬通信施設保安水域の一部共同使用を日米が協定締結
2000・2 沖縄総合事務局が絶滅危ぐ種の藻類クビレミドロの移植実験を開始
2000・4 泡瀬干潟で遊ぶ会準備会が干潟を守る日2000イン沖縄市を開催し、渡り鳥の調査不足やクビレミドロの移植実験に疑問を示す。国は環境アセスに関する諸手続き終了
2000・5 中城湾港泡瀬地区(東部海浜地区)の公有水面埋立承認・免許を出願
2000・8 埋め立て見直しを求め県内自然保護6団体が国、県と話し合い
2000・10 九州弁護士会連合会が干潟調査、「全国有数の美」を強調。第3回沖縄市東部海浜開発早期実現市民総決起大会。沖縄市議会野党議員7人が埋め立ての見直しを求めたアピール。国際湿地シンポジウム・イン沖縄開催。県、国に環境影響評価やり直しと干潟の長期保全を求める「泡瀬宣言」を採択
2000・12 中城湾港泡瀬地区公有水面埋立事業認可、埋立承認・免許取得。自然保護団体が県に続々抗議
2001・1 泡瀬干潟を守る連絡会準備会が県に漁業補償の住民監査請求、非公開への異議申立て。同準備会が泡瀬干潟を考える学習会開催、署名活動、野鳥観察会など活動活発化。日本共産党県委が泡瀬干潟埋め立て問題を考えるシンポジウム開催。泡瀬干潟を守る連絡会が結成
2001・2 第1回中城湾港泡瀬地区環境監視・検討委員会
2001・3 中城湾港泡瀬地区事業説明会
2001・4 泡瀬干潟を守る連絡会が事務所を開き、埋め立ての凍結・推進の意思を問う市民投票条例制定請求に向けた署名運動を開始。泡瀬の干潟の埋め立てを考える市民シンポジウムを開催 |