[論壇]/小橋川共男/泡瀬海草移植実験の即時中止を
何たる惨状か。そこは無残にも海草たちが赤茶けた屍(しかばね)をさらし、失われた砂からむき出しとなった根が痛々しく絡み合って空を切る姿が、累々と横たわる世界であった。
ここは泡瀬干潟の海草の移植先。聖なる実験場のはず。だが海中に見るこの現実をどうとらえたらよいのかと混乱する頭。屍と化した海草たちと、それゆえに覆いかぶせられて死ぬ羽目となったもともとそこに存在していた海草たち。屍と化した海草たちにしても、元の所では元気であったはずなのに、無理やりはぎ取られ、実験の名で殺される。
はぎ取られた現場を目にすることはできなかったが、それは無残な姿となっていることは疑う余地はないだろう。一体、移植とは何であろうか。言葉の通り、こちらからあちらへ移すと単純に考えていた頭には、現場がそんな単純なことでは済まない点を見せてくれた。
一本の木を根ごと移し替えることだって簡単ではないと思うが、ましてや海の中で砂を土台として生育する海草たちの移植を、鉢植えのように考えては浅はか過ぎる。
手で砂をすくい、海中で右から左へ移動して、どれだけすくい上げた砂を移すことができるかやってみたら分かる。ボロボロと砂は海中に落ちる。根を浅く砂に張った海草にとって、それこそ死活問題である。
海草たちがそこに定着するためには、さまざまな条件が長い年月をかけて整ってきたからと考えるのが妥当であろう。環境が整って初めて生育する条件ができ、それぞれの場所に、そこに適した海草や海藻、底生生物たちが繁殖する。それはだれが決めるわけではなく、ましてや人間が勝手にできると考えているのであれば、それはごう慢としか言いようがない。移植は70%成功などの言説をうのみにしてはならない。
私たちは現場をもっと見なければいけない。「百聞は一見にしかず」のたとえのように、情報公開を広げ、行政、業者も学識者、マスコミも、賛成、反対の市民、県民も、まずは現場へ足を運んでほしい。そしてそこから見えてくるものを基に、沖縄が大切にしなければならないのは何かを話し合うことが必要ではないのか。
それには県民すべからく泡瀬干潟の海をシュノーケリングすることをお願いしたいし、行政にはその機会を何度でも提供してほしいと願う。
埋め立ててしまって取り返しのつかぬ沖縄になるよりは、ウチナータイムで沖縄らしいウチナーになった方が後悔しなくて済む。復帰三十年。ここらで本当にウチナーらしい沖縄の再生へみんなで腰を上げたいと願う。
たっぷりと泡瀬干潟をシュノーケリングして陸へ向かうと、澄み切った青空の下に広大な米軍泡瀬通信基地。あれっ、こんな広い場所が目の前にあるのに。もっとここを活用しようよ。(沖縄市胡屋一ノ八ノ二三、写真家)
(写図説明)小橋川共男さん |