予讃本線 1982年

 四国ではJR化後は本線という呼称はなくなっている。したがって、予讃本線は現在は予讃線である。

 1982年春、出張で関西へ行くことがありついでに休暇を取って四国へ行った。土讃本線でDF50を撮ったあと予讃本線にも行った。高松から松山行きの夜行に乗って松山まで行った後、浅海まで戻った。現在浅海−伊予北条間には大浦駅ができているが当時はまだ無かった。撮影地は浅海−大浦間に相当する。
 高知に比べ早朝の瀬戸内はけっこう寒かった。予讃本線では撮ったのはこの区間だけ。土讃本線で使ったコダクロームに比べて現像がうまくいっている。

1982年3月下旬撮影
使用カメラ ミノルタXD
使用フィルム コダクローム64


浅海−伊予北条間
夜行急行うわじまが松山に着くのは早朝まだ暗いときである。上り普通で松山から戻り浅海へ。早朝の浅海はちょっと曇っていて、けっこう寒かったという記憶がある。
浅海駅から線路沿いの道を歩きながらの撮影。このときはレンズは50mmと100mmと200mmしか持っていなかったのでこの距離では撮りにくかった。広角も持って行けばよかった。
浅海−伊予北条間
リバーサルのマウントには「いよ4号」と書いてある。日が陰っていてシャッター速度を稼げなくてぶれている。
浅海−伊予北条間
国道から離れて線路沿いの農道へ。今の地図を見ると浅海海水浴場を過ぎた当たりで山側に入っているようだ。雲が切れて日が射してきた。
浅海−伊予北条間
50系客車が四国にも進出してきており、当時はこれが来るとがっかりした。DLはDE10。
浅海−伊予北条間
200mmで画面に大きく海を入れて撮ってみた。予讃本線はほぼ終日瀬戸内海を順光で撮ることができる。
浅海−伊予北条間
松が赤いのは松食い虫によるもので当時はあちこちで問題になっていた。
浅海−伊予北条間
マニだかスニだかわからないけど荷物車の連結された旧型客車。青いのと茶色いのが混ざっていた。
浅海−伊予北条間
うわじま2号。
2号なので列車は左から右に走っている。線路が密柑山の陰になっているので列車は急に現れる。この四国旅行では三脚を持って行ったので時刻表の時刻と見比べながらレリーズしている。
浅海−伊予北条間
しおかぜ1号。
前側はちょうど電柱にかかってしまっていてこれは後ろ側。50mmレンズで撮っている。
浅海−伊予北条間
しおかぜ2号。
これは前側。春なのでみかんの木にみかんが無いのがちょっと残念。沖に見える島は小安居島と安居島。
浅海−伊予北条間
うわじま3号。
駅へ戻りながら来た列車を撮っているが朝に比べて列車本数は少ないようだ。
浅海
撮影後、浅海駅に戻って再び松山に向かう。浅海駅は今では三角屋根の駅舎になっている。


鉄道写真集トップへ
ギャラリー弐番館トップへ
RAILギャラリートップへ