新刊

新パネル世界史  前近代編(U)   パネル写真

容量の問題で今週は、世界史は前近代編(T)の各写真をクリックしていただければ拡大写真を見ていただけます。

   



新パネル世界史  前近代編(U 全1巻 
16枚組 樹脂ケース入り 本体価格19,500円
1.ツタンカーメンとその妻アンケセンナーメン
2.ミイラづくり-------- 死者の書に描かれた霊魂不滅
3.ダレイオス1世のベヒストゥーン碑文    
4.重装歩兵とその妻--------- ギリシアの壷絵  
5.ローマの剣闘士
6.イエスと女性
7.神の啓示をきくムハンマド
8.インド洋を旅する船      イスラム世界の商業
9.アラビヤの医学
10.ウラディーミルのマリア---イコンと東方正教会
11.農民の四季      「フランドルの暦」から
12.カテドラルと石工たち
13.死の舞踏---ペストの流行
14.中世ヨーロッパとユダヤ人
15.ジャンヌ・ダルクの処刑
16.ジェンネの市場      マリ王国のムーサ大王
   解説書   全パネル一覧表    掲示用マグネット


 

パネル見本と裏面解説
4.重装歩兵とその妻-------ギリシアの壷絵

パネル裏面解説文
この絵の物語
 古代ギリシアの美術工芸品を代表するものに、つぼ絵があります。陶器の表面に、ある情景・場面を、リアルな線と、動きのある表情で描いたものです。
 このつぼ絵は、酒宴の席で使われる、把手のついた、葡萄酒を注ぐ大型の杯にかかれたものです。杯の口径は27センチメートルで、紀元前5世紀はじめの、ペルシア戦争のころのものです。
 絵のシーンは、出陣する夫とその妻の、別れの場面です。左側の夫は、かぶととよろいに身をかため、長い槍をもって酒をうけようとしています。このような戦士を、重装歩兵とよびます。民主政期のポリス(都市国家)の男性市民は、だれもが軍役の義務を負い、戦いのときは、このように重い武具を自弁して、戦場に出陣したのです。
 右側の戦士の妻は、いま夫が右手で出した杯にお酒を注ごうとしています。沈んだ、静かな、ピーンとはりつめたものが、見るものの心をうつような情景です。
 古代ギリシアでは、ポリスどうしが、領地の奪い合いなど、たえず戦争をくりかえしました。このつぼ絵が作られたころは、西アジアのペルシア帝国がギリシアを攻撃しています。
 男性市民は、すべてに優先してポリスの公共の務めを果たす義務があります。ただ、残される妻が別れを悲しみ、夫の無事を祈る心は、昔も今も変わりはありません。ギリシアの女性は、男性に尽くすだけで、制度上無権利の状態におかれていましたが、つぼ絵や墓碑の描写には、思わずあふれでたかのように、女性の悲しみや喜びの感情が、表されています。

おもな内容と解説
1.ギリシアの陶器とつぼ絵
 ギリシアの陶器には、古代ギリシア人の心と美意識がもっとも鮮明に描かれている。その源流はミケーネ文明に発し、ポリスが成立する前8世紀ごろ、アテネを中心に幾何学様式が発達した。前6世紀には黒絵式、前5世紀中ごろには赤絵式が考案され、イタリア半島や黒海沿岸にも大量に輸出された。すべてロクロづくりで、器の表面は波状や筋跡などの装飾はもたず、澄んだ冷やかなものではあるが、赤褐色と黒色との対比があざやかな、物語性をもった人物画像が描かれている。
 器形の種類は、貯蔵用のかめ、酒宴洋のつぼ、鉢、飲酒用の杯、香油入れなどその用途のに応じて30種類にものぼる。パネルの陶器は酒宴用の浅く平らな杯(キュリックス)で、大きな2の把手をもっている。ギリシアでは陶工と画家は別人なのが一般的で、作者の名前がわかっているのはごく一部である。19世紀末、イギリスのジョン・ビーズレイ卿が繰り返し描かれる顔、手足、体の筋肉の表現を手がかりに、4万点近いアテネの陶器を約千人の画家やグループに分類することに成功した。彼の研究法が引き継がれて現在も作者同定の研究が進められている。


(図)ギリシアの陶器のおもな器型と用途
1 腹部アンフォラ(貯蔵用 )  2 鐘形クラテル(酒宴用)
3 キュリックス(飲酒用杯)    4レキュトス(香油入れ)
               (田村数之亮『ギリシアの陶器』より作成)

2.ギリシアの市民戦士・重装歩兵

 重装歩兵とは、戦士たちをさすポプリテース(Poplites)の訳語。ブロンズ(青銅)づくりの甲冑とすね当てをつけ、木製ブロンズ張りの大きな紋章つき丸楯(ポプロン。ポプリテースの由来)を、なかまと密集隊形をつくってまるで垣根のようにびっしりと並べ、長い突き槍をふりかざして敵に当っていく。この集団密集戦法が、重装歩兵戦術の独創性であった。
 この戦術は、前8世紀半ばすぎから貴族によって始められ、前6世紀になると、経済力の向上した民衆が、安く軽くなった武具を自前で手に入れ重装歩兵の主力にのしあがり、貴族と肩を並べるようになった。装備の軽装化と機動性の増大が、<走る重装歩兵>を出現させ、ペルシアの大軍を破るマラトンの勝利を実現させた。
 前6世紀末、多くのポリスで、重装歩兵戦術と民主政の加速化を並行させた。アテネでは、18歳から60歳までの男性市民は軍役の義務を負い、18歳から2年間は軍事訓練を受け国境警備についた(ソクラテスもこの義務を果した)。スパルタでは、14歳から19歳までが軍事訓練、20歳から60歳までが国外軍役の義務を負った。
 古代ギリシアの軍制は常備軍制ではなく、戦争がおこると兵役名簿によって召集され、ひとそろいの武具を自弁して出征した。つまり、ポリスとは、市民皆兵制をとる戦士共同体国家であった。

3.ポリスにおける女性の地位と役割

 ポリス市民の妻や母は、身分上は奴隷や在留外国人とちがい市民身分にぞくしていた。その点では市民共同体内の存在であるが、公共生活には参加できず、男性市民の私的生活の場でのみ生きうる、本質的には市民共同体外の存在という二重性をもっていた。女性の役割は、14、15歳で婚資をもって結婚し(夫はふつう30歳)、子どもを産むことにあり、法的には終生後見人(父・夫・息子)の保護下にある存在であった。
 正規の結婚によって生まれた男子なら、母がアテネ人でなくとも市民になれたが、前451年ごろのぺリクレスの市民権法により、アテネ市民になるには母親もアテネ人であることが定められた。この法律は、アテネに在住している女性を「産める女」と「産めない女」とに区別する、市民共同体の閉鎖性を決定づけたものであった。
 離婚にはマイナスのイメージはなかった。夫は妻を家から放逐するだけでよい。ただし、妻が結婚の際持参した婚資は、妻の実家に返還しなければならない。一方、妻の場合は、後見人であった父またはそれに代わる者に付き添われて筆頭アルコン(執政官)のもとに申し立て、認めてもらう。 男と女の役割分担ははっきりしており、夫が農作業(市民のほとんどは小土地所有農民)、政治(公共)活動、軍役などに従っているとき、妻は家庭内で奴隷の監督をしつつ、みずからも糸紡ぎ、機織りなどの生産労働や、育児、家事一般、財産管理などもっぱら家内の仕事・経営に限られた(これをオイコノミイといい、Economy《経済》の語源となる「家政」である)。外出も、祭礼や葬式などの行事に限られ、女は家の内にいるべきだという観念がゆきわたり、酒席にも加わるべきではないとされた。
 スパルタの女性については資料がきわめて乏しいが、子ども(とくに男児)を産む役割はいっそう強調され、強い子どもを産むためにも、アテネのような早婚は避けられた。またスパルタでは、女は家にこもるべきだ、という考えもなかった。

4.非市民の女性たち
 ポリスには非市民の女性たちも相当数いた。V.Ehrenberg の著書“The Greek State”(1969) にあげられた、ペロポネソス戦争直前の前432年のアテネでは、家族を含む市民18万人(うち市民権をもつ男性市民 4万5000人)に対して、在留外国人(家族を含む)4万人、奴隷 11万人である(伊藤貞夫『古典期アテネの政治と社会』54頁)。非市民身分の在留外国人、奴隷のうち相当数が女性であったと思われる。 
 職業をもつ非市民の女性のうち、最も多く伝えられているのは遊女・娼婦である。売春をもっぱらとするヘタイラは大部分が奴隷であり、侮蔑をこめてポルネと呼ばれた(英語のポルノグラフィーの語源)。歌舞音曲の訓練をうけ、男たちと知的な会話もできるヘタイラは、酒宴(シュンポシオン。シンポジウムの語源)に呼ばれて芸を披露した。このほか、乳母・小売り女・産婆(医師でもかねる)なども女性の職業であったが、手工業にたずさわるものは稀であった。

5.古代アテネの性差別
 アテネ民主政の進展は、重装戦士である男性市民の優越と、女性の排除・抑圧をますます強めていった。民主政アテネとは要するにメンズ・クラブにほかならない。抑圧された女たちが、つかの間の解放を求めて逸脱した狂乱的な行動に走ったり、そんな行動に共感したりしたのも無理はない。ディオニソス信仰で結ばれた女たち(マイナス=狂女という)が、憑きものがついたような状態になって踊り狂うエクスタシー現象が、ペロポネソス戦争時代のアテネに広がった。マイナスたちを描いたつぼ絵もよく作られた。
 この女性たちの立場をよく理解し同情したのが悲劇詩人エウリピデスであったという。そのエウリピデスを嫌ったアリストファネスが、ペロポネソス戦争中、好戦派のデマゴーゴス(民衆煽動家)たちに反発して作った反戦喜劇が、『女の平和』(前411年上演)であった。アリストファネスの「女もの」は、その後に作られる『女の議会』をふくめていくつもあるが、それらは現実倒錯のおもしろさを狙ったものではあっても、フェミニズム賛歌とはみなせない。反戦劇を戦時下でも上演させるアテネ民主政のおおらかさと自由は敬服できるにせよ、公共の祭典における劇の競演で男性主体の観衆を爆笑させ、一等賞のウケを狙っただけだからである。
 ペロポネソス戦争が16年目に入った前415年夏、無謀なシチリア遠征の出発が近づいていたとき、ある朝気づいたら、アテネ市内に数百個もあるヘルメス神(商業の神。その青年像が道標に用いられる)の石柱像の、勃起したファロス(男根)が残らず叩き壊されていた。犯人はついに特定できなかったが遠征に不吉な呪いとなった。シチリア遠征は惨敗に終わり、捕われた者はシラクサの石切場で働く奴隷にされた(その遺跡は現在も確認できる)。
 主戦派の指揮官アルキビアデスを追い落す陰謀のにおいが濃いが、女たちの腹いせが背後になかったとも言いきれない。とある研究者は説く(遠征中のアルキビアデスは?神罪のとがで死刑を宣告され、敵側のスパルタに逃亡した)。ともあれシチリア遠征の失敗は、30年も続いたペロポネソス戦争をついに終わらせ、敗北したアテネに民主政の混乱と動揺をもたらした。

指導上の留意点
1.古代ギリシアでは、重装歩兵密集戦術(軍事)と民主政治とが密接な関連をもって発展したことを理解させる。
2.ポリス民主政はあくまで男性本位の公共原理の上になりたつもので、女性は全く排除されていたことに気づかせる。
3.ギリシアのつぼ絵は、神話から日常生活にいたるまで、古代ギリシアの歴史と社会を物語る絵画文化であることに興味をもたせる。

参考文献
・アリストファネス、村川堅太郎訳『女の平和』 (1954・岩波文庫)
・村田数之亮『ギリシアの陶器』(1972・中央公論美術出版)
・クールズ、中務哲朗他訳『ファロスの王国』T・U(1989・岩波書店)
・桜井万里子『古代ギリシアの女たち』(1992・中公新書)
・桜井万里子『古代ギリシア社会史研究 ---- 宗教・女性・他者』(1996・岩波書店)
・桜井万里子・本村凌二「ギリシアとローマ」(1997・『世界の歴史5』中央公論社)
・周藤芳幸『図説ギリシア』(1997・河出書房新社)
・吉田敦彦『ギリシア人と性と幻想』(1997・青土社)
・古代オリエント博物館・岡山市立オリエント美術館編『壺絵が語る古代ギリシア』(2000・山川出版社)

所在 キュリックス(部分)  大英博物館所蔵。
協力 英国博物館
写真提供 W.P.S
担当 大江一道


このhomepageに収録されている画像はすべて(株)飛 鳥の製品を撮影したものです。画像に対する著作権は飛鳥および飛鳥が借用した博物館、資料館、法人団体、各photoサービス、または個人さまにあります。無断使用は固くお断りいたします。

(株) 飛  鳥

583-0852大阪府羽曳野市古市2144番地

TEL0729-58-6727(代表)