〜蝶の夢9〜
 

 

 


北より駆け流れる、一陣の風。

白雪の、雑じり毛の一筋も見られぬ見事な駿馬が大地を揺るがす。


「…後、もう僅かの距離だ…急いでくれ、アスファロス」


手綱を握る主は、額に汗を滲ませながらも速度を緩めることなく、愛馬の背を撫でて励ます。

美しく、その身に数多の叡智を秘めたエルフの王子。

「どうか、フェリシエラ 。私が行くまで無事で…」


フェリシエラ は相変わらず眼を閉じたまま、7日が過ぎた。

彼女の枕元には色とりどりの花が溢れんばかりに飾られている。
それは、旅の仲間達が毎日代わる代わる彼女を見舞い、その度に可憐な野の花をせめてもの慰めにと、摘んでは花瓶に挿して行ったもの。
エルフとは犬猿の仲である筈の、ドワーフのギムリが白いフェロールを持ってきたときにはハルディアも流石に驚いたが。
彼は何も言わず、黙って受け入れた。

「…フェリシエラ 、そろそろ起きてくれてはどうだ?」

花瓶の花には枯れた物は一本もなく、彼女が目覚めたときの為に毎日丁寧に水を取り替えている。

「…フェリシエラ …」

祈るように囁いて、ハルディアは彼女の額に掛かった金糸を優しく払った。

触れる指先が僅かに震えているのに、気付いて彼は苦笑する。

「こんなにも貴方を求めている。…貴方がいなければ、私の存在する意味など在りはしないのだから…」

彼女は物言わず、まるで人形のように美しく、冷たい。

閉じた瞼が柔らかな陽光に照らされて、暗い影を作る。

「どうか目覚めてくれ、何があっても、私は貴方の全てを受け入れられるから」

届く訳がないと知りながら、心の中で強く繰り返した。


そっと白い額に口付けると、微かな扉を叩く音がする。

少女から身を離して、椅子に座りなおすとハルディアは「どうぞ」と一言告げた。

音少なに静かに入ってくるその姿に、例え彼をよく知る者であっても一瞬息を呑みそうになるのではないかと。

そう思わせるほど精錬されていて、優雅な立ち姿。

「こんにちは、相変わらず眠り姫の目覚める様子はないですね」

複雑そうに微笑んでベッドに歩み寄ると、彼はハルディアにエラノールのブーケを渡した。

「お見舞いです…と言っても仲間達も随分花を摘んで来ているようなので、もう飾るところがないみたいですが…」

花瓶に目を向けため息を吐くレゴラスに、ハルディアは苦笑しながらそのブーケを受け取って席を立つ。

「皆の想いが伝わるようで、フェリシエラ も目覚めたならきっと喜ぶと思いますよ」

眼を細めて愛しげに少女を見つめた。

その様子がとても優しげで穏やかな光が差しているようで、レゴラスは彼に対し暗い嫉妬が湧き上がる。

「彼女の事なら、何でも知っているのでしょうね?」

自分が知らなくて、彼ならば知っているフェリシエラ の何か。

そんな些細なことですら、素直に受け入れられずに鋭い視線を向けてしまう。

「自分以外の誰かを全て理解するのは難しい事だと思いますよ。例え恋人同士でも、私が彼女の事を何でも知っているという訳ではありません」

挑発さえ軽く受け流すハルディアの声に、耳鳴りを覚えてレゴラスは僅かに眉を寄せた。

「…新しく花瓶を持ってきますので、椅子にお掛けになっていて下さい」

微笑む表情には、長く続く永遠すら見通すほどの透明な水底の静けさ。

それが尚更、レゴラスの思いを苛立たせて煽る。


「私は、フェリシエラ を愛しています」

エルフ特有の哀しみには染まらぬ若々しい青い瞳が、氷を張りつめたようにチカリと光る。

「…知っています…」

背を向け、ハルディアは苦笑と言うには苦すぎる笑いを零した。

胸の棘がいつもに増して深く突き刺さるのは、彼しか知り得ない事。

「知っていて尚、何をするでもなく私を彼女に近づけると言うのは、自分に向けられる彼女の想いを信じているのか、
私の理性を信頼してもらっているのか、果たしてどちらでしょうね?」

彼の背に問い掛けても、何故か届いて返される前に空間の無へと消えてしまう気がして、レゴラスはしなやかな指先を握り締める。


「…フェリシエラ は、物ではありません…」


レゴラスは息を呑んだ。

振り向いて合わされた視線が、暗く、その人の物とは思えないほどの凶器を秘めて、鋭く貫く。


「彼女は誰のものでもない。生き方を自由に選択する権利を持っています」


耳の奥に深く響いてくるのは、あまりにもそれが強く願う想いのようで。

それがどういったものから生まれる感情かは知らないけれど。


「貴方がその想いを告げフェリシエラ がそれを受け入れたとしても、私がそれを咎め、自分の気持ちを押し付けて貴方から無理に奪うことは出来ません」


確実に、その想いの強さと深さを見せ付けられて、自分と彼女との距離を嫌でも認識してしまう。

彼がフェリシエラ を愛する限り、自分には触れられないのだと。


「私は、そのように謙虚には考えられない。…貴方は何かを求めたり、望んだりはしないのですか?」

力の入る指先が白くなっていくのも気にせず、レゴラスは彼をじっと見据えた。

誰かを愛したら相手にも同じように愛されたいと思うのは、そんなに我侭なことだろうか。

「私が望むのは、”彼女との幸福”ではなく”彼女の幸福”です。フェリシエラ が微笑んでいてくれるのなら、私は自分の分の幸福などいらない」

胸を締め付ける激情に、眩暈がする。

ハルディアの言葉には曇った影も一点の躊躇いも見受けられず、綺麗過ぎて哀しい。

「フェリシエラ は私の全てですから」

真っ直ぐに注がれる視線を、受け止めることだけで精一杯で。

それ以上何も言えなくなった。

ハルディアも、フェリシエラ に視線を落としたまま、敢えて話そうとはしない。


部屋中に満ちる甘い花の香りが鼻腔を擽り、まるで一面の花野にいるよう。

ハルディアは手に持ったエラノールが力なく頭を垂れているのをふと見遣り、静かに部屋を後にする。


「…もし、彼女の未来に定められた運命が待っていても、貴方はそれを受け入れてくれますか?…」

ただ一度、扉越しに振り返った彼の言葉は、切実に問い掛けるように響くのに、答えを求めてはいなかった。

レゴラスは言葉の趣旨を掴めずに怪訝そうな顔をするが、彼は僅かに微笑んで去っていった。


自分が知らないフェリシエラ の真実。

ガラドリエルもハルディアも、知っていながら敢えて口には出さない。

答えの見つからない謎掛け。

それは禁域のように神聖で甘美なもののように思えて。


「彼女の全てを知りたいと思えば思うほど、今まで感じたことのない暗い影が心を満たす…」

眠る少女に眼を細めて、彼は脳裏に焼きつく彼女の母の言葉を思い出した。

「これが、ガラドリエル様の言っていた私の中の闇……」

彼女を取り巻く者達への嫉妬、独占欲、全てを手に入れたいと思う支配欲。

それは巷に溢れる恋物語とは全く違って、耐え難く残酷な狂気を彼に与える。

こんなに深く愛しているのに、それでも彼女は自分を見ないのだろう……。


カラスガラゾンの側にある小さな花野に、小さな四つの影。

エルフの半分程しかない身長の彼らだが、立派に成人を迎えたホビットの若者達。

しかし彼らは子供のように熱心に、沢山の色とりどりの花を摘んでいた。


「もう少し赤い花を摘んだ方が、全体的にバランスが取れると思わないかい?」

「それなら、桃色の方が可憐な感じがしていいんじゃない?」


ああでもない、こうでもないと言いながらメリーとピピンの手には大きな花束。

「それ以上大きくしたら、部屋に飾りきれないのではないかい?」

呆れたようなフロドの声に、二人は首を振って笑う。

「これは僕達のフェリシエラ 様への愛の形なんだよ。これでもまだまだ足りない位だ」

「そうそう、何も出来ないのも悔しいからね。せめて出来ることはめいっぱいやる!」

メリーとピピンには、何故か変な使命感が湧いている。

限度というものがある、とサムはため息を吐きながらもまた一本花を手折って二人に渡した。


フロドはしゃがんでいるその体勢に疲れ、ふと立ち上がって空を仰いだ。

背伸びをして身体を伸ばすと、温かい風が通り過ぎていく。

退屈であった穏やかな日常がこんなに恋しいなど知らなかった。


ふと、視線を落として深く息を吸い込むと、視界の端に点のような霞む影が焼きついた。


「…?ねぇ、あれなんだろうか?」

怪訝そうに尋ねる彼に、ホビット達も立ち上がって視線の先を追うように見つめる。

「なんでしょう?なんだか生き物がこちらに向かって来るようですだが…」

サムは眩しい陽の光を遮るように目の上に手で影を作って眉を顰めた。


4人は顔を見合わせ、どうしたものかと考えているうちに、やがてその姿がはっきりと、こちらに近づいてきた。


その白馬に跨る人物(正確にはエルフだが)に、4人とも見覚えがあった。

と言うよりつい最近、これと全く同じ状況に最悪のピンチの時に遭遇したのだから、忘れたくても忘れられない。


「グロールフィンデル!!」

その存在を認めるとフロドは一気に嬉しそうな顔をして彼の名を呼んだ。

「…やぁ、また会えたね!」

彼は馬上から手を振って笑いかけるが、その時間さえ惜しいように手綱を握り直す。

「再会を喜び合いたいのは山々だが、ちょっと急ぎの用があってね。失礼するよ」

「それは、フェリシエラ 様の事でですか?」

見上げるフロドに彼は優しく微笑んだ。

風に舞う長い金色の髪が光を放って神々しい。

「そうだよ、エルロンド卿からの薬を届けに不眠不休で走り続けてきたのだから、早いところお姫様を目覚めさせなければね」

それだけ言うと、グロールフィンデルはまたホビットたちの前を風のように颯爽と走り過ぎて行
った。


辺りに残ったのは、馬の残していった蹄の後と、ホビット達の間に生まれた温かい希望。


「フェリシエラ 様、これでやっと目覚めるね!」

「そうさ、なんたってエルロンド様の薬だもんね!」

「フロド様の瀕死も救ってくださった方ですだから、きっとフェリシエラ 様もすぐ良くなりますだ」

「僕達もフェリシエラ 様の所に行ってみようか?」

上からメリー、ピピン、サム、フロド。

彼らは追い風に走り出す。

ようやく、待ち焦がれた春の温かさが訪れるような気がした。

>>>to be continued


<あとがき>

微妙…なハルvsレゴですね。。
しかも受け流されてます、王子Uu
でも、王子の熱い…というか若い(?)想いも好きなのですがUu
やはり考え方の違い…ハルさんは「好きな人が幸福になることが自分の幸せ」だと考えている
のに対し、
王子は「好きな人に同じように想ってもらうのが自分の幸せ」だと。。
…噛合わないわ、彼ら。。
次回はいよいよお姫様復活ですv