〜蝶の夢8〜
 
 
 
 
 
 


・・・・・・暗い・・・・・・。


・・・・・・深い・・・・・・。


・・・・・・寒い・・・・・・。


光も射さない水底のように静か・・・・・・。

何も思い出したくない。

このままこの何もない深淵の波に呑まれ、永遠を過ごし、埋もれて消えてしまえるならどんなに楽なのだろう。

それでも感じるこの愛しい想いと切なさ、沢山の者達の心が流れ込んでは消えていく。

見たくないと強く思っても、残酷な程に鮮明に、光の速さで心の中をかき乱す。

これは夢のはずなのに、そこまで、自分に与えられた運命とは残酷なものなのか・・・・・・。


知りたくもない、モラルも掟も、人の感情や意思すら無視した。

「人の心を読む」という力。

呪われた忌まわしい力・・・・・・。

それは決して母から受け継いだものではないから・・・・・・。


『・・・ならば、全て忘れてしまえばよかろう・・・・』

空気が震え、地の底から響くような、低い声がこだまする。

フェリシエラ は眉を潜めるように、不快な感情を露にしながら、声の主を探した。

「人の夢にまでずけずけ入り込んでくるなんて、あなたってよっぽど礼儀知らずね」
怒気の含んだ彼女の声に、答えるのは楽しそうな笑い声。
『・・・随分な口を聴くものだな。・・・美しい闇の王妃・・・・・』


瞬間、辺りの空間が歪み、音もなく、けれどその圧倒的すぎる鋭い閃光を放ち。
現れたのは、瞼を持たない炎の瞳。
黒い、暗い、揺らめく炎が一面を包む。


「・・・誰が、誰の、王妃ですって・・・・?」
激しい吐き気を感じて、意識体でなければ胸元を手で押えていそう。
『お前は私の物だ。それは既に生まれたときから決まっていた事』
大きな眼はじっとフェリシエラ を見据え、その声音は毒を纏う様に耳に焼きつく。
「冗談じゃないわ、勝手に人の人生決めないでくれる?私は一言も貴方の嫁にして下さいなんて頼んだ覚えはないわ」
睨んでみた所で、相手にその効果はないと分かってはいるけれど・・・。
『だが、私はそれに見合うだけの力は与えてやっただろう?
・・・人の心を読み、未来を誰よりも見据える力・・・・素晴しい結納品だとは思わんかね?』

炎が彼女の周りを取り囲む。

「一方的な結納品は受け取れないわ。私はそんな事、望んではいなかった!」
忌々しげにそれを見つめながら、フェリシエラ は怒鳴りつけた。
『この上なく素晴しい力に恵まれ、美しい美貌は遍く神々をも魅了し、次期にこの中つ国の全てを支配する冥王の妃、
・・・誰もが羨むようなその運命を何故拒むのか分からぬな・・・』

ゆらゆらと燃え立つ暗い闇。

「誰もが嫌悪と恐怖を示しても、羨んだりはしないと思うわ」

『それが一番甘美で美しいと思わんか?』

「・・・あなたの思考は、やっぱり理解できない・・・・・」

ため息を吐いて出た言葉に、炎の瞳は声を上げて笑う。
『・・・・クククッ、それでもお前は闇に捕われ逃れられない運命なのだよ。私の物である、その"証"が消えない限り・・・・・・』

フェリシエラ は胸がずきりと痛んだ。

・・・・・・知っている。

・・・・・・逃れられない。

陰りを見せるその顔に、浮かんでいるのは絶望という影。

『どの路この闇から抜け出せねば、早かれ遅かれお前は私の物だ・・・・・・・』
囁くように彼女に近づくと、そのままぼんやりと薄れていく。

『お前に愛を誓うという騎士達は、呪われたその身を知ると、どんな態度を取った・・・・・?』
声だけが、繰り返しこだまする。

『唯一お前を受け入れたあのエルフも、果たしていつまで持つのだろうか』
霞み、消えながらも、確実に爪を立てて食い込む呪われた言葉。

聞きたくないと頭を振って、耳を塞いで大声を上げれば、この声は心から追い出せるのか。


「・・・・・愛してる、貴方だけ・・・愛してるのハルディア・・・・・・」

森を守り続ける生粋の美しいエルフ。

彼への想いと名前を呼ぶとき、どんなに祈りを込めているか。
あの人は気付いているだろうか?

彼の優しさだけが、自分を闇から救ってくれる希望かもしれないと。

「でも、だからこそ私は、貴方の傍にいてはいけないのかも・・・・・・」

思いながらも、別れを告げられずに彼に依存している自分がいる。

離れられないと。

離れたくないと。

願う気持ちは切なさを増して、この深淵に静かに溶けていく。

「・・・だからこのまま、眠り続けよう・・・・・・」


目を覚まして、彼の姿を見てしまったら、また抱きついて、抱き締められて。

あの腕で支えられていなければ、気が狂ってしまいそうだから。

「・・・・・・ハルディア・・・・・・」

・・・弱い私を、それでも許してくれますか・・・・・・?

眠り姫が目覚めないまま4日目の朝を向かえた。
相変わらずロスロリアンの森は美しく静かで、先日のオーク襲撃が嘘のように零れる陽光を弾いてきらきらと輝いている。
しかし、いつも絶え間なく響いているエルフの歌声は今は聞こえず、その為か妙な緊張が、辺りを包んでいた。

皆誰もが、美しく快活で優しいフェリシエラ の姿がないのを悲しみ、歌う声は心の祈りへと代えて。

ハルディアは2日目の朝から、周りから半ば強引にフェリシエラ の傍から離れないように言い含められ、
本人にも勿論否定できない想いがあった為に、それからずっと付きっ切りで看病している。
時折、侍女たちが替わるので少し休んだらどうかとも声を掛けたが、彼は首を横に振るばかりで、寝食をフェリシエラ の部屋で取っていた。

片時も離れず、白い少女の手を握り、彼女がうわ言で彼の名を呼べば優しく答え、周りはなんだかハルディアの姿こそ痛々しく思えた。

そして、旅の仲間達もフェリシエラ の様子をとても心配していた。

「眠り姫は王子様のキスで目覚めるのにね・・・」
何をするともなしに呟いたメリーに、付け加えるようにピピンが答える。
「・・・白雪姫だってそうだったよ。物語はいつだって上手くいくのに・・・」
「・・・・・そろそろ起きないと、ハルディアさん寂しくて死んじゃうかもね・・・」
ため息を吐くメリーは、最近何をやっても手付かずでボーっとしている。
それは間違いなく彼が落ち込んでいるのであって・・・。
しかしピピンは眉を潜めて、小声で耳打ちする。
「兎じゃないんだからさー・・・そんなの聞かれたらまた睨まれるぞ」
「そうだよな、あの人怖いからなぁ・・・なんでフェリシエラ 様はハルディアさんが好きなんだろ?」
どこまでも素直に疑問を口に出すメリーだが、それは彼に対してとっても失礼だ。
首を傾げて真面目に考え込む二人の後ろから、呆れたような声が降ってくる。

「彼はとても真面目で優しい人だよ。そんな風に言ったら失礼だろう」
意外にも彼を庇ったのは一番辛く当たられていたような気のするフロドで。

二人は肩を竦めて彼を見上げた。
「フロドは優しすぎるんじゃない?彼に”穢れ”扱いされてロスロリアンに入れて貰えなかったのにさ」
「仕方のない事なんだよ。それが仕事なんだから」
メリーの言葉に少し悲しそうな微笑んで、フロドは戯れに舞い散る光の欠片に目を細めた。
「誰だって、この美しい森に悪の根源である力の指輪なんて入れたくないだろう?僕だって望まないよ・・・」
いくら強大な力があろうとも、それを使いこなせるのは冥王だけだと。
そんな事は分かりきっている。
指輪がある所には絶えず恐ろしい幽鬼たちの影。
森を愛し、平和と静かな生活を望むエルフ達が、そのようなものに嫌悪を示して拒絶したとしても当たり前のこと。

「それに、フェリシエラ 様が傷を負ったのは僕のせいなのだし・・・」

白い手の模様を顔に施したオークは、紛れもなく白の魔法使いが指輪を手に入れるために放った者達なのだと。

「指輪がここになければ、オークが襲ってくる理由だってなかった」

「それは違う」
曖昧な表情で小さく呟く彼に、離れたところで剣の手入れをしていたはずのボロミアが隣に立っていた。

「フェリシエラ 様は私を庇って矢を受けたんだ。至らない私の責任だ……」

そっと片手で顔を覆う彼の表情が、辛うじて苦く笑ってはいるが瞳の影は暗い。
何処か人間に距離を置いて接し、決して心を開くことはないエルフ達の中で。
フェリシエラ は唯一暗い闇に捕われそうになる自分に優しく諭してくれたのに…それが信じられない位嬉しくて、
彼女の言葉を聞くたびに開放されたような本来の自分に戻れるような気がしていたのに…。

守りたかった。
それは決して恋愛ではないけれど、それ以上に強くて切実に心に存在する想い。

守れなかった。
それがただ、後悔と哀しみと苦しみの混ざった感情を渦巻いて胸に痛い。

ボロミアの苦悩がホビットたちにも痛いほど分かる。


「…星の輝かない闇夜にいるみたい…」

フロドの頼りない、問い詰めた心の奥底に沈む影。

「…真っ暗で、何処に何があるのか分からないような気分ですだ…」

それが不安を掻き立てると、サムは眉を寄せて俯いた。


ボロミアもメリーもピピンも、彼女から感じる光に安心して、安堵して。
恐ろしい旅の責任から無意識に生まれる、不安定な精神から救ってもらっていたのだと。


今更ながら気付いてしまう事が、余計に悲しい。

「…いい加減にしないか!」

言葉を失い、重い空気を纏う彼らに、今まで黙って聞いていたアラゴルンが鋭い声で一喝した。

「そのお前達の今の状態こそ、フェリシエラ 様に取ってどんなに哀しい事か考えたことはあるか?」

「…彼女の心配をして何がいけないんだよ?アラゴルン」
心外そうに唇を尖らせるメリーに、ピピンも頷く。
「僕達にとってフェリシエラ 様はそれ位大事なんだよ!それなのにいい加減にしろだなんて、アラゴルンこそフェリシエラ 様の事考えてるの?」

「少なくとも、お前達よりは理解していると思うが?」
舌を出してフンと鼻を鳴らすピピンに、彼は冷たく言い放つ。

「フェリシエラ 様は、辛い旅を続ける私たちに安らぎを与えて下さった。ガンダルフを失い、望みの薄い行く末に希望を燈そうと…。
私達が立ち直り、お互いを信頼しあってこの先の苦難を乗り越えることこそ望んでいる彼女が、自分が原因で皆がまた暗く沈んでいると知ったらどう思うか?
考えたことはあるか?」

エルフの持つ独特の哀しみには染まらず、それでも何かを抱え、必死で足掻きながらも。
自分達に優しい光をくれる美しいエルフ。


彼の瞳は穏やかに、けれどその指先が震えていることに、気付いたのはボロミア。

―――人間は人間でしかない。
―――それ以外の何者でもありえない。
―――貴方達にはお互いを分かり合う時間が必要かもね。

ボロミアの耳の奥で、静かな声が繰り返す。

何故だろう?
この古き王の血を引く彼を、快くは思っていない筈なのに。
震える指先から、彼の人間の弱さを始めて垣間見た気がして、知らず心に微かな興味が湧いた。

「…星のない夜でも、諦めてはいけない…」

誰に言う訳でもなく、自分に言い聞かせたように小さく呟くボロミア。
その言葉にフロドがハッとしたように顔を上げ、彼はそっと瞳を閉じる。

「…目を凝らせば、閉ざされた闇夜にも星は必ずあるはず…」

「…たとえ見えなくても、その存在を心に感じることはできますだ…」
フロドの言葉を次いで囁くサムの表情には、僅かに明るさが蘇る。

「…星は必ず同じ場所にあるはずだからね。きっとまた見える日も来るよ…」
メリーは笑った。なんだか皆と同じ想いを共有していることが嬉しい。

「…晴れ渡った空には、きっと沢山の星が輝くね…」
この希望という光を与えてくれた彼女に、今度は自分達が返したいと、ピピンは思った。


「…そういう訳だ。フェリシエラ 様の想いが私たちを一つに結ぶ。指輪の運命ではなく、彼女が縒った優しい希望の光で……」

微笑みながら、アラゴルンは強く願った。
彼だけでなく、ここにいる仲間達全員が切実に。


どうか眠り姫が目を覚ましてくれるように。

どうか再び彼女の微笑が、輝く太陽の元、絶え間なく在るように……。

>>>to be continued


 
 
 
 
 


〈あとがき>
ハルディアもレゴラスも出てきませんUu
脇役達のオンパレード…ヒロインはさっぱり目覚める気配ないし。
いつまでこの状態が続くのか…?
早くエル様から薬貰ってこいよー誰だよ裂け谷まで行ったのー、と書いてる本人がぼやいてるのですから世話ないですねUu
ちなみにお使い役はルーミルさんですわv
そのうち謎ですが、グロールフィンデルも出てきますので…(何故?!