〜花包香〜



さんざめく緑の森の中。
揺れては消える木漏れ日の。
微かにせせらぐ清流の。

全ては幻だったのだろうか……?


エステルは義兄達の厳しい剣術の稽古に疲れ果てながらも、皆の前では弱音を吐くことを嫌って一人深い森の中を歩いていた。
体中青痣だらけで髪は乱れてぼさぼさ。
服には汚れが目立ち、まだ少年めいた細い手にはいくつもの剣胼胝ができている。

「義兄様たちのあれは既に苛めだよなぁ…」

忍耐強く真面目な彼は、本人達の前では大人しく口を閉ざして彼に対する扱いにも付き合っていたが、
心の中ではいつ限界が来てもおかしくない…とある意味覚悟を決めていた。

「…アルウェン姫に会いたいなぁ…」

空を見上げてポツリと呟けば、思い浮かぶのは美しい夕星姫の姿。
いつもエステルを、兄達の悪質な悪戯(彼ら曰く愛情表現なのだが)や剣のスパルタ稽古から救ってくれる優しく聡明な。
思わず夢見心地になってしまう、密かに彼の憧れの人。

「…でも所詮私なんて相手にされる訳もないし…」

自嘲的な笑みを口元だけで作り、そっと瞳を伏せた。

哀しい初恋。
相手は永遠を若いまま色褪せないエルフで、自分は年老いて朽ちていく限りある命の人間。
相容れない種族の運命は残酷で、実りのない淡い思いが心に突き刺さる。

「……くそッ……」

行き場のないやるせ無さ。
傷ついたダルい身体にぐっと力が篭って、風を蹴り飛ばすように足を上げた。

その拍子に僅かに巻き起こる微風で、儚く散っていく足元の白い花。

涙のようにはらはらと、柔らかな花弁が舞い揺れて地に落ちる。


ぼんやりとそれを見つめるエステルの耳に……。

「…悪戯にそのような事をしてはいけないわ…」

静かに響いて残る音楽のような、涼やかな女性の声が響いた。


辺りに全く人の気配を感じていなかった為、彼は驚いて振り向くと。


立っていたのは一人のエルフ乙女。


あまりにも自然に、周りに溶け込むように立っていたので、エステルは一瞬幻でも見たのかと眼を凝らした。

風に舞い、流れる細い金糸の髪。
明るい朝露の森の瞳。
珊瑚の頬。
雪白の肌。
一片の桜のような唇。
細くて華奢な手足。
緩やかな曲線美を描く小柄な身体。


その全てが美しすぎて、誰か精巧なドワーフの技師が作った人形が置いてあるのかとさえ思う。


「花の命は短く、それはまるで人間のようですね。その命を更に短く散らすのは可哀想ではないですか?」


優しい声に、身体の芯が熱と冷気を交互に持つのが不思議。


「……驚かせてしまったかしら……?」


「えぇ、驚きました。この辺りはあまり人気がない静かな所だから……」

どうにも直視しがたくて、視線を逸らしてしまうエステルに彼女はくすくすと笑って。

「私もここの静かな雰囲気が気に入っているのよ」
前に掛かった波打つ髪を後ろに払いながら、彼女は足元に咲く白い花を一本手折った。

見ればその左腕には、沢山の色とりどりの花。
エステルは自分を窘めた言葉とは逆の行動を取っている彼女に、眉を潜めた。

「それは?先程花を散らすなと言っていたのではないですか?」

怪訝そうに指を差す彼に無邪気に笑うエルフには、まだどこか幼さが残る。

「愛でる為ならば花も喜ぶのではなくて?貴方はただ何か面白くない事を当たっていたように私には思いました」

図星を突かれてエステルは押し黙った。

エルフは摘んだ花を愛おしげに撫でてその香りを楽しんでいる。

「白は純粋。黄色は無邪気。ピンクは可憐。青は哀しみ……花を摘む心で、その人の気持ちが分かるのですよ?」

彼にはそのエルフの言いたい事が理解できずに。
返す言葉を即座には見つけられなかった。

「…貴方はいろんな色の花を摘んでいますね…?」

それでも穏やかに尋ね返すと、僅かに陰りが掛かった表情が覗く。

「これは、私の迷いですから」

「迷い?」

その、先を素早く見通すようなエルフ特有の輝く瞳が美しい。

「心に渦巻くいろいろな感情が溢れて行き場がなく。摘んだ花に現れるの」
「貴方は迷っているのですか?」
「この世界に迷いを持たない者はいないのではないかしら?」

小首を傾げて見つめられて、エステルは知らず頬が赤くなる。

「貴方だって迷っているわ」

「…私の迷い…?」

彼女は青い花をまた一輪手折って、彼の手に乗せた。

「貴方の瞳が哀しみの色をしているわ。叶わない願いがあるのね…」


叶わない願い。
アルウェンへの密かな想い。
誰にも言えず、胸に閉まっておこうと決めた……。

「…貴方は、だれですか…?…」

優しさを含むのに、何を考えているのか分からず。
それでも全てを見透かしているような彼女。

戸惑ったように視線を彷徨わせると。

「…私は フェリシエラ …」

「… フェリシエラ ?…」

教えられたままに復唱してみると、それは驚くほど滑らかに紡がれる。

「貴方は…花の妖精?」

突拍子もなく尋ねた彼に、 フェリシエラ は鈴の音を転がしたように笑い出す。

「いいえ、ただのエルフよ…」

「貴方のように美しいエルフは見たことがない」

真面目に言ったつもりなのに、彼女はまだ面白そうに笑っていた。

「それは、私に言うべき言葉ではないのでは?口が上手いのね?」

子供に言い聞かせるような、からかう様な口調にエステルは顔を顰める。
しかし フェリシエラ はそれに構わず、彼の足元を視線で促すと。

「この花は、周りの花々に大地の寵愛を取られ、それでも細々と花を咲かせているでしょう?」

見ると、其処には黄色い花の群生に押され、隅の方でとても小さな花を一輪だけ咲かせている。

「誰もが皆、この大輪の黄色い花が美しいと思うとは限らないでしょう?…小さな白い花の健気さに魅かれる人だっているはず」

フェリシエラ は彼に近寄ると、その頬に指を滑らせて微笑む。


「誰もが皆、同じ考えではないの。同じように否定したりはしないの。受け入れて、貴方を優しく支えてくれる人がいるわ」

慈しむ、その彼女の表情が、ひどく切ない。

「だから諦めないで。心の底に閉じ込めて一人で苦しんでいてはいけないわ。…伝えなければ、始まらない…」


その想いを……。


耳元でそっと囁く彼女に、何故か眩暈がする。


「希望は常に、その胸に」

そしてエステルは彼女の最後の言葉を聞いて、いよいよ固まってしまった。

「アルウェンも、きっと貴方を愛してる……」

どうして?
言葉にならない思いが、喉の奥で詰まっているのが分かる。

困惑して フェリシエラ を見つめると。


彼女は悪戯っぽく笑って彼から身を離した。


「呼んでるわ、行かなくては…」


エステルには何も聞こえない。
耳のいいエルフには聞こえるのか、それとも彼女だから聞こえるのか。
分からないけれど、彼女は身を翻して駆け出した。

「またね、エステル。頑張ってね」

くるりと振り返ってスカートが花のように広がる。

手を振って消えていく フェリシエラ を、エステルはただ呆然と見送っていた。


「そういえば、私の名前教えただろうか?」

何処までも不思議で不可解なエルフとの出会いを、エステルは忘れることが出来なかった。
太古の力を持った森の見せたひと時の幻だったのだろうかと。

そう思うことは何故かできなくて。


その後この森で彼女に会うことはなかったが、やがて成人しアラゴルンと改名した後でも、絶えず浮かんでは頭から離れない フェリシエラ の存在。


アルウェンとは違った感情がある。

出会って過ごした時の長さを感じさせない強烈な印象で。

それが愛だなどとは信じがたかったが……。


その彼女と再び回り逢うのは、ロスロリアンの地。

命を賭けた力の指輪を葬り去る旅の途中。

暗い、絶望に覆われた皆の前に現れる美しきエルフの王女。

「お久しぶり。立派になったのね、エステル」

あの時と少しも変わらぬ鈴の音がなるような声と、少女めいた無邪気な笑みを見たとき。


気付いてしまう。

ずっと、彼女に恋をしていた事に。

忘れられず、心に占める彼女の存在の大きさが、堪らなく愛しいものであるのだと。

彼はその時初めて知る。

花の香りに包まれて、恋い慕うは幻か?……それともこれが真実か?

<あとがき>
思いついたまま、何の構成もせずに書いたらいつもに増して意味不明な作品に。。
やはり行き当たりばったりはダメですね…Uu
アルウェンへの想いに悩むエステル君を、優しく諭す謎めいた女性に逆に彼は魅かれる…と
いう、なんだかごちゃご
ちゃした妄想ですUu