03: a Clue

 

 

満たされない心の隙間は

優しい言葉すら

流れ落ちて

痛みに涙することさえ

遠い昔に諦めた


「ここまでやる事ですか?レゴラス王子」


静かな、怒りに満ちたハルディアの声が国境警備の詰所に響いた。

彼の前には部下でもある弟二人と闇の森から訪れている王子。

それぞれが体のあちこちに掠り傷や痣をつくり、曖昧にお説教を聞き流していた。

レゴラスに頼まれた剣の稽古は、明らかにその域を超えている。

なかなか腕の立つ警備兵二人を一度に相手をしているレゴラスは本当なら無謀とも言えそうだったが、
彼は横にいる二人よりも傷の数は少なく浅かった。

その能力は極めて高く、末恐ろしいものを感じながら、ハルディアはため息を吐いた。

ハルディアの手には白く清潔な包帯。

器用な彼は傷の手当てなど軽くこなしてしまうが、今回の騒ぎ方への少なからず罰としてひどく滲みる消毒薬と手荒な扱いで彼らの傷口をきっちり巻いた。

痛みに顔を顰めながらルーミルがぼやく。


「レゴラス様、もう少し手加減してください。あれでは此方が持ちません」


「情けないなぁ。二対一っていうハンデまであげているのに、まだ手加減だなんて甘いことを言うのかい」


呆れたようにレゴラスが言い捨てる。

その態度に、負けん気の強いオロフィンは不快そうに眉を顰めた。


「王子、次は絶対に勝ちますからね」


「それは結構。しかしいつになる事やら」


「そんなに待たせませんよ!何なら今からまた」


「止めなさい!」


低い声で兄に怒鳴られて、オロフィンは立ち上がりかけた腰を渋々落とす。

彼はまだレゴラスの方に挑戦的な視線を送っていたが、相手は気にする事無く余裕の笑みで交わした。

二人の様子にハルディアは苦笑を浮かべながら、取り合えず今日のところはこれで終わらせようと口を開きかけたとき、
詰所のドアがノックされ、落ち着いた声が流れ込んだ。


「失礼してもいいかしら」


レゴラスが気づかれない程小さく息を飲む。

ハルディアが振り返って軽く首を傾げた。


「フェリシエラ 、貴方がわざわざ此方に出向くなど、何かあったのか?」


「特に何かがあった訳ではないのだけれど、お父様がレゴラス王子に用があるのですって」


「あなたが迎えに?」


「ええ、ちょうど退屈していた所だったし、お散歩もかねて。レゴラス王子、もう此方の御用は済みました?」


「はい、フェリシエラ 様。しかし例え済んでいなくてもケレボルン様のお召しに参らないわけにはいきませんがね。
貴女も共に戻られますか?」


「そうね、今日の所はそうさせていただくわ。また後でね、ハルディア」


フェリシエラ はうっすらと微笑んで、身を翻す。

見事なくらい彼女は他の兵士達に目を向けることはなかった。

何か言いたげな顔をしながらも、ハルディアはそのまま彼女を見送った。


「フェリシエラ 姫、相変わらず私達の事完全無視だったなぁ」


「綺麗なんだけれど近寄りがたいよね」


「一応、私達義理の弟に当たるんだけれどね」


「どうして挨拶一つないんだろう。何か嫌われるような事でもしたか?」


弟達が会話を進めていく中、ハルディアはそれに入らない。

瞳はどこか遠くを見ているように虚ろだった。


「兄上?」


「あ、なんだ?ルーミル」


「どうかしたのですか?」


「いや。なんでもない。私達もそろそろ国境の見張りに行こうか」


いつも通りの表情で微笑みながらハルディアは立ち上がった。

ルーミルとオロフィンはほんの少しだけ感じた違和感を振り払って、それに従った。

「どうしてあんな所に出向くの。そんなにうちの王宮はつまらない?」


「聞くまでもないだろう?あれで息が詰まらないという方がおかしいさ」


柔らかな明かりを放つマルローンの木々の間を歩きながら、フェリシエラ はレゴラスに目を向ける。

彼は小さく笑った。


「レゴラス、あまりハルディアを挑発しないで」


「意味がわからないな」


「弟の方に手を出すなんて子供じみた嫌がらせだわ」


「君の方こそ、わざわざ様子を見に来るなんてよほど彼が大事と見えるね。妬けるてしまうよ」


「あら、私はお父様の言葉に従っただけだ。それだけの事なのに、『大事』なんてどうして出てくるのかしら」


「よく言うよ。そう仕向けたんだろう?」


フェリシエラ はくすくす笑ってレゴラスの手を取った。

包帯が巻かれたそれは、男にしては繊細な作りをしている。


「おかしな事を言うのね。私は面白ければそれでいいの。ただ自分の物を誰かに取られるのが嫌なだけ」


「君の方が充分子供じみているじゃないか」


そうかもね、と笑う彼女の手をレゴラスは包み込むように握り返した。


刑視の報告に来た帰り、庭園の片隅で見つけた人物にオロフィンは僅かに緊張した。

フェリシエラ は彼を僅かに一瞥しただけで、すぐ手元の本に目を戻した。

何処までも冷徹に澄んでいるような瞳に揺れる心に気づかないフリをして、オロフィンは彼女に歩み寄った。

「あの」

自分が驚くほど刺々しい声が出た。

が、相手が今まで自分を無視してきたことに対してなのだと言い訳しながら彼は返事を待つ。

たっぷり5分経っても目の前の少女は動かない。

「フェリシエラ 姫」

オロフィンは再度呼びかける。気の短い彼にしてはよくできた態度だろう。

ようやくフェリシエラ はオロフィンに顔を向けた。

人形のように冷たく整った顔立ちには何の表情も浮かんでいない。

眼中にないと明言しているようなものだった。

「何か、私に用でもあるのかしら?」

静かに問われてみて、オロフィンは気づく。

何故声をかけたのか自分でも分かっていなかった。

「あ、えっと」


「用がないなら失礼するわ」


「ちょ、待って下さい」

いっそ潔いまでに立ち去ろうとする彼女をオロフィンは焦って引き留める。

完全に調子が狂っていることに彼は気づかない。

フェリシエラ は訝しげにオロフィンを見上げた。

深緑の瞳にオロフィンは奇妙な居心地の悪さを感じて、その事に戸惑いを覚える。


「用があるなら早く言って下さる?オロフィン」


「あ、その、あなたは、レゴラス王子とどういう関係なんですか?」


オロフィンはとっさに口走ってしまった言葉に自分で驚いていた。

彼らはお互い王族としての付き合いなのだろうし、オロフィンが見た限りでは二人は特に親しいわけでもなかった。

何故、あの時感じた兄への違和感が、フェリシエラ に関わっていると思ったのだろうか。

オロフィンの頭はぐちゃぐちゃだった。

フェリシエラ はぱちぱち瞬いた。

目を丸くしたその表情は普段とかけ離れて幼くさえ見える。

まさかレゴラスと自分との間に何らかの関係を見出す者がいるとは、彼女にとって予想外だった。

詰所でも視線すら向けなかったというのに。

野生の勘って侮れないのね、と彼女は心中で呟く。

だが、オロフィンは決して確信に気づいているわけではないみたいだし、自分から敢えて秘密を話す馬鹿などいない。

フェリシエラ は吐息混じりに口を開いた。


「私とレゴラス王子の関係など、ただ友好関係を築く為の使者とその地の王女というだけよ」


「そう、ですよね」


そうなのだとオロフィンは自分に言い聞かせる。

事実、彼らが公式の場以外での接触を見たことも、噂で聞いたこともない。

気のせいだ。

この何か知らない不安も、違和感も。


「第一私は貴方の兄であるハルディアの妻だわ。それなのに、夫以外の男性と関わりを持とうとするほど軽い女に見えるのかしら?」


フェリシエラ はひたとオロフィンを見据える。

その言葉に隠しもせずに含まれる棘にオロフィンは顔を赤くした。


「すみません、そういうつもりで言ったのではないのです。ご無礼を申し訳ありませんでした」


深く頭を下げながら詫びると、彼女はあでやかに微笑んだ。


「さようなら」


短く言い放つと、彼女は彼の前を通り過ぎていった。

オロフィンは振り返ることもしない。

義理の姉弟とは名ばかりで、彼女の中には自分に対して姫と部下という価値観すら存在していない。

その理由も、冷たい笑みも、意味も分からずに。

彼女を好きにはなれないと心の奥で声がした。

あなたはとても綺麗だから

私のようにはならないで

否定して、遠ざけることでしか

思いは伝えられないけれど

それが精一杯の優しさだから


>>>to be continued