『アジアン・デルタ人−神話は胃袋から生まれる』

 世界の人口の半数以上が集中するアジア・モンスーン地帯。なかでも東南及び南アジアのデルタ地帯には水辺に張り付くようにして多くの人々が暮らしている。そこには圧倒的な太陽光と水量が存在する。光と水と土。それにたくさんのニンゲン。まるで自然界の光合成によって出産されているのではないかとの錯覚にさえ陥るニンゲンの豊穰さ。
 私はこの「ニンゲン光合成」の最上の場に魅せられて、近年、定期的にアジアン・デルタに通い続けている。このアジアン・デルタは人口過密地帯であり、それに伴うやっかいな問題が山積した所でもある。
 現今、経済が肩で風切る時代。その時代の潮流はエントロピー先進地域のアジアン・デルタにおいても例外ではない。消費のピッチを上げ増幅するニンゲンとアジアン・デルタの豊潤なる自然環境との拮抗。それが臨界点に達した時、どういった現象が発露するのだろうか。
 そのような剣が峰に立つ前に経済先進諸国の指導のもと、人間が培った理念と科学技術とで抑止する。文明はへこたれることなく、うまく調和を図る。
 社会不安が広がり、政治屋と戦争屋が加速度的に台頭しファシズムへと傾斜していく。文明の力不足が露呈してしまい虚無主義が蔓延する。
 あるいは・・・。既成の楽観、悲観両論の間で語られることよりも、案外、私は「アジアン・デルタ人」の「胃袋」が決め手になってくるのではと想像する。否、願望を込めて期待する。そして「アジアン・デルタ人」が新たな神話をつくることを。
 頭だけで考えるのでなく、胃袋で考える。胃袋が行為の発動母体となる。神話は長い時間かけてニンゲンの胃袋が宿した知恵の手引き書である。人間の頭から生まれるのでなく、ニンゲンの胃袋がこしらえる。飽食満ち足りた国で育った私に、胃袋の存在を諭し、認識しからしめてくれたのはアジアン・デルタなのだから。

(太田黒 剛)