※写真は当時直接添付になったため、残念ながら写真データがありません。
民族紛争ボスニア・ヘルツェゴビナ
ボスニアは第二次世界大戦時代へ足を踏み入れたような、白黒映画のような世界でした。破壊、荒廃、ゴーストタウンのようなもの寂しさ、木々のない公園、ゴミの山々、悪臭、さびついた戦車や車の残骸。すべてがこの時代にはそぐわない、21世紀の幕開けに見られる光景とは信じがたいものでした。
熊本へ戻ると、そこは春真っ盛りでした。公園は青々と茂った緑におおわれ、道路や歩道はきれいに整備されています。上通りや下通りのアーケードは人の往来でざわめき、商店はカラフルな商品であふれていました。車はピカピカのワックスがかけられ、あらゆる場所から様々な色彩があふれていました。ボスニアでの経験の後、物質の豊かさという感覚によって、私は強くこころを打たれてしまいました。
<歴史>
ボスニア民族戦争は92年の春、ボスニア・ヘルツェゴビナの絶治的独立を一般投票で可決した後に始まった。隣に住むセルビア・ユーゴスラビア人に支援を受けているボスニアのセルビア人はこの投票に対し、次のように答えた。その答えとは、武力による抵抗やセルビアの領域に侵入したり、境界線を踏み越えた場合は侵略するというものだった。92年の夏、人権や人々の生活が危険にさらされ始めたため、安全保障理事会は国連の平和維持軍をボスニアに送ることにした。結局、95年11月には政党は停戦に賛成し、デントン協定書に調印した。
今では平和が戻っているが、隣のコソヴォの番になって、恐ろしい戦争が始まった。旧ユーゴスラヴィアの人達の苦しみはいつ終わるのか?
Bruno Jactat(ブルーノ・ジャクタ フランス人,熊本市在住)