井上 智(いのうえ さとる)

● 4/1000文字から見える日本

 日本人は個性がないと言われる。また、規則が多く管理過多社会でもある。学校の校則と子供の問題、塾と学校で子供を追いつめた上での犯罪、税のシステムの複雑さ、意見を行政に届けるときの困難な道のりなどで身近に感じている。
 一方で責任回避の社会でもある。昔から言われる「長いものには巻かれろ」「出る釘は打たれる」「みんなでわたれば怖くない」が代表するように、我関せずで意志表示が消極的なことが美徳とされる。管管接待問題などはこの意識から発する一例であり、企業が環境への責任を持つなど今やっと積極的になり始めたばかりである。また、ボランティアへの参加などはまだまだ少ない。
 これらが、縦割り社会と責任不在の人々を多量に生み出し、社会は混乱をきたしていると思えるのだ。わかりやすく言えば、上や関連するものの意見を伺いながら自分の意見を持たず、他人がする事には細かいチェックをして指摘することである。全く違う目的の団体であるのに、あるところが許可を出さなければ、ここもあそこも許可が出ないことがよくある。
 地方分権であれという。その根底は自らの視点で状況を捉えて、自分で判断し異な事は「異」と言えることではないか。企業や行政や私たちがそれぞれの環境に関する責任を果たしていれば、私たちは環境保護活動を始めていない。
 今必要なのはそれぞれの個性を持ち、責任を果たそうとする行動である。


(注)井上さんの作ったイベント案内ポスターに「ダム反対」の4文字があった為、熊本県は毎年行っていた後援をとりやめた。

●公共事業は水循環を止める

 これは、阿蘇郡の長陽村で発見した川の跡だ。建設省は長い間川を管理下に置き、日本国中の最上流部に至るまで、コンクリート護岸で固めてしまった。公共事業の予算を出来るだけ多く取るため、仕様書にコンクリの量を多目に記載する。自然環境と防災を両立させる知恵もなく、オモチャのような恥ずかしい用水路が出来てしまった。この構図は、大型のダムまで変わらない。
 このようなコンクリの壁は、私たちにとって最も大切な水の循環を止めてしまう。この結果、雨は地表のゴミと埃を集め、浄化されることもなく、地下水として浸透することもなく、一気に海へ流れ下り、ヘドロを海に蓄積させる。
 その流れの中では、植物は根を張る場所がない。魚は住まず、アサリは死んだ。人は、近くの海や川を汚しておいて、せっせと遠くの海へ渋滞を行く。地下水位が低下し、このままでは豊かな熊本の地下水を失うのもそう遠いことではない。しかも、私達の多額の税金が投下されているのである。

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