●●● 9/13(金)    

 翌朝、私は一便(9:50)の高速船に乗る予定である。朝食を食べた後、同室の吉川君と、田代さんと別れの挨拶をした。これも旅の定番だね。田代さんは何回も八重山へ来ているそうだが、今日の後の便で石垣へ帰るそうだ。吉川君は石垣を中心として、各島をめぐるそうだ。彼も今日石垣へ戻り、明日は西表へ行くと言うことであった。やはり学生はうらやましい。お互い時間は貴重なので、見送りは良いよと廊下で別れを告げた。



 港までは、住み込みの若い女のこがマフラーが割れて音が漏れているワゴン車で送ってくれた。彼女は高知足摺岬近くの出身で、みのる荘で住み込みで働いて半年になるそうだ。理容師の免許を取った後、沖縄で暮らしたいと思って来て、波照間に居着いたそうだ。
 昨日の夜の「ヤシガニ」話をしたら、きっと自分が食べたかったのだろうとカラカラ笑った。かわいいぺこちゃんのような顔をしている小柄の娘だが豪快だ。そうなのかみのるさんはそうだったのか(笑)。
 港へは、昨日と同じように各民宿の車が来た。非常におなごり惜しいが、石垣島への期待をむねに船は出ていく。お別れの飛び込みがふたつ三つ四つ・・・、これも久しぶりに見た。北海道の利尻・礼文以来だろうか。「さようなら」「またくるぞ」、それぞれの想いを振り切るように船は速度を増していく。

  

 帰りは外回りのコースを取って船は進んだ。昨日よりも波は穏やかであり、ちょっと眠った程だった。石垣島の桟橋では、これから波照間などの離島へ向かう人々が目を輝かせて待っていた。私はバイク・レンタル「さんぽ」へ向かい、沖縄と同じように大荷物を預けて、貴重品や海水道具を持って石垣島を回り始めた。最初の目的地は白保の海岸である。後で黒真珠のお店の店員さんが白保の出身であり、波照間と白保の方言が同じであることを話してくれた。古くからの交流があったのだろう。
 例によって大まかな地図を頼りにバイクを走らせる。石垣にはヒルギの群生林が二ヶ所あり、そのひとつで写真を撮った。ヒルギとは、水中に根を張る木(マングローブ)である。川の上流からカヌーが数艇下ってきた。私も体験したいエコツアーだ。

  

  

 白保海岸への入り口を探した。たまたまあたりを付けた所から入ってみたら、そこは御獄(神社のような神聖な場所)があり、その先に海岸が開けていた。御獄へお祈りをし海岸へ行ってみた。そこはまた、素晴らしい風景であった。
 白保の素晴らしさは、すぐ近くに白保小学校や中学校があるほどの人家集落がありながら、その世界的なサンゴのリーフが存続されてきたことだろう。白保から北へのびるリーフは北半球で最大級のものであり、海岸からかなり遠くで波が止まっているのが見えるが、巾が広いことだ。ひとつ残念だったことは、せめてグラスボートに乗りたかったのだが、引き潮で船が出せないので、大きなサンゴを見ることが出来なかったということだ。船を持っている民宿の人からは、「明日はどうですか?」と言われたがその明日には帰らなければならない(のですよ・・・)。潮には注意が必要である。

  

  

  

 その海岸への道の途中に、WWFが作ったビジターセンター「さんご村」があった。サンゴの重要性を学習するセンターで、赤土の流出の調査なども行っている。サンゴへのダメージは工事による赤土の流出と思っていたが、農業による流出も大きな点らしい。ある面倒な人手をかけた方法もあるそうだが、農家の高齢化で作業上での無理も言えないジレンマがあるようだ。翌日の新聞「八重山日報」では、3面に大きく「赤土流出対策で現地検討会」が開催されたとあった。沖縄総合事務局や農水省、県と石垣市、WWF-J、農家代表も参加とあった。今後も地道な作業が続くのだろう。
 地元の方々、素晴らしいリーフを今まで残してくれてありがとう。
 ※追記:白保の近くに新石垣空港の建設が予定されている。確かに人気が高まっているが、現在の空港の拡張で対応できないのだろうか。(2007/12/29)

  

  

 白保を後にして、バイクはカラ岳を迂回するが、高台からリーフを見てみたいと願うのは心情的に致し方ないところだろう(笑)。大きな砂利道(工事現場へ行く?)を発見し、入ってみた。カラ岳の海側に道が続いていた。元林道ライダーとすれば行かない訳には行かないが、50ccスクーターの足である。パンクすればその日の予定つまり石垣はこれで終了となるのだ。ここが思案のしどころだが、腕(?)とYAMAHAの品質にかけてみることにした。ごつごつとした未舗装路の轍をそろりと進み、カラ岳の向こう側へ出た。ちょうど私の真上を飛行機が飛び、その影が私を通り過ぎた。遠くに大きなリーフが広がっていた。

   

 来た道をそろりと帰ってまた国道へ戻った。国道を走ると行っても、沖縄と違い、車があまりいない。遠くへツーリングに来たような感じである。右に素晴らしい海岸の風景を見ながら、北上していく。途中のドライブインで「沖縄そば」を食べた。しかし、昼間は暑い。

  

 

 「玉取崎展望台」とある。展望台にあまり期待はしていなかったが、ここは違った。遠くの白保から北側のリーフまで、一望できる。ここは今日のように天気が良ければ文句無しの景観だろう。ハイビスカスが展望台までの花壇一面に咲いていたのはちょっとやりすぎだが、赤い花が霞んで見えるほど海がいい。

  

 

 県道79号線へ海岸線を回り込んで今日の旅程の半分を過ぎた。しばらく走ると吹通川のヒルギ群落である。バイクを止め、階段を川岸へ下りてみた。しばらくして、複数のカヌーが上流から下ってきた。ひとり、みるからに沖縄の人と思われるおじさんに声をかけてみた。「エコツアーですか?」「そうです」「ひょっとしたら案内者ですか?よければ1時間ほど貸してもらえませんか?」「(1500円で)良いですよ。いくつか支流がありますが、どれも途中までで浅くて行けなくなります。時間はあまり気にしなくて良いですよ」。なるほど、このカヌーによる探検も満ち潮でないと行けないのだなと思った。ここでも潮に注意である。
 さっそく準備をしてカヌーをこぎ出した。流れは穏やかであり、上流へ登ることも問題はない。次第にヒルギの群落の中へと入っていった。群落の中は陽が時折注ぐような感じで、シンとしている。私には地獄の黙示録のシーンが浮かんで来た。奥地に先住民が居て、川の中からウィラードが出てきそうだ。そんなことを考えながら入っている者もあまり多くないような気がすると思った。何かの生物がいるのだが、近づくと姿が見えない。何だろう。鳥や魚などもいたが、ガイドブックによればナイトツアーでは、ヤシガニなどの多くの動物に出会えるそうだ。



 突然の申し出を受けてもらったお礼を言い、カヌーを返却した。予約して現地へ向かうでは、とうてい時間が足りないとあきらめていたので、幸運であった。その人はトラベル派遣という会社の社長であった。エコツアーガイド派遣、観光バス運転手派遣、カヌーレンタルから三味線教室まですると名刺に書いてあった。いろんな人がいるもんだ(笑)。

  

 行く手に黒雲が出てきた。旅の終日晴れていたが、夕立のような感じだ。気持ちが焦ってきた。天然のヤシ林(観光地)で、さとうきびジュースを一気に飲んだ。よく冷えていてうまかった。波照間島でほとんど使った水中カメラのフイルム(APS)を探したが、あまり売っていない。35mmが妥当な選択だなと思った。そう言えば、海外ではさらに無いのかもしれない。電池は単3ですね。

 米原キャンプ場というのは、石垣島の北側の湾である。インターネットによれば、全国各地からここに泊まりに来るらしい。海岸の林の中はトイレや水が使え整備されているが、管理人らしき人はいない。長い人は何ヶ月も居るらしい。問題は、「叩きつけるような南国特有の雨でテントが水浸しになること」と書いてあった。
 カヌーのガイドのひとに「この湾は魚が多いよ」と勧められていたので、ちょっと泳いでみようかと思った。キャンプしている人に聞いてみた。答えは、「みんな適当に泳いでいるけど、ここは海水浴場じゃないからね。問題が発生しても事故責任でということだよ」であった。
 そう言えば、そうであった。海の美しさに気を取られているが、魚影が濃いと言うことは、危険な生物も多いと言うことだろう。人の都合がいいようには自然は作られていない。波照間島の民宿や石垣島の海岸には、「指名手配犯」のように、海の危険な生物のリストが掲示されている。死にはしないが猛烈な痛みがある「ハブクラゲ」、定番のカラフルな猛毒「ウミヘビ」、こんなの見ても判らないよ保護色で猛毒のトゲがある「オニオコゼ」、等。

 「泳ぎたければ、もっと先に多くの人が泳いでいるところがあるから、そっちが良いんじゃない」と聞いた。先に行ってみたが、夕刻で人はまばらだった。レンタルバイクの返却や今日の宿泊のチェックイン時間などが迫っていたので、心残りではあったが、早々にバイクにまたがった。すぐ近くには、独特なシーサーを作っている窯があり、陶芸教室が開催されていた。石垣島には、本土から移り住む人が多いと聞いたが、この陶芸家もそうだろうか。



 この先には湾内の複数の小島とそれを囲んだ海が美しいとされる川平湾がある。ここは、世界で初めてと言う黒真珠の養殖に成功した場所であり、この地には不似合いなブティックのような宝石(直営)店があった。

 川平湾や近くの底地ビーチも含め、空の雲(夕立雲)の影響か、いまいち海の色が優れなかったと感じた。それは、今まで目が肥えていたからでもあろう。それから先はひた走った。まったくこの旅は忙しい。飛べないクイナの種類の鳥が道路を横切ったり、見たことのない大型のサギが飛び立ったりした。自然はまだまだ色濃く残されている。

  

 夕刻8時前にバイクを返却した。民宿のチェックインはだいたい6時だろうから、気になっていた。この日予約した民宿は、日本野鳥の会の指定宿で民宿石垣島である。ここのオーナーは女性で八重山料理研究家でもあるということであった。食事自慢のひとの料理を待たせるのは、非常に良くないことと思えた。恐る恐る電話してみた。「あなた以外は食事を終えていますよ」「すいません。今からすぐに行きます」

 波照間島に行く前に下見していた、ミンサー織りのハンドバック(袋)をお袋へ(なんちゃって)、黒真珠を嫁さんへ。一人で旅行へ出してくれたことに感謝しなくっちゃね。ありがとう、私は久しぶりに楽しんでいます。
 いよいよ遅れて宿へ到着。「道に迷いました」と良い訳をして、チェックインした。部屋へ行く前に先ず食事からである。汗だくであったが、そんな良い訳は通用しない(雰囲気)。おかみさんは、料理の説明を始めた。なるほど、石垣島の食材にこだわった料理は多彩で美味しかった。このおかみさん、八重山料理の本を2冊出している。しかし、ここでも、オリオンビールがうまい!
 食事を終えひとごごち付いたので、部屋へ向かった。宿の受付には「野鳥の会」ノートが数冊重ねて置いてあった。これも後で分かったのだが、石垣島は鳥や虫などの宝庫であって、調査やバードウォッチングなどが良く行われているようだ。ノートをぱらぱらとめくると・・・。生物のスケッチを含めたいかにも野鳥の会らしい細かい描写が書き連ねられていた。これは研究ノートではなかろうかと思えるほどだ(笑)。

 夜、外へ散歩に出てみた。「石垣の夜」なんだが歌のタイトルのようだな、などと思いつつぶらぶらと歩いた。地元で配布されている観光ガイド(広告入りの無料配布タイプ)に、「泡盛や」という泡盛専門店の広告があり、探してみようと思った。そう言えば、南国特有のアイスクリームも食べていないなぁ。観光客らしいグループといくつかすれ違う。みんなどこを目指しているのか?「探し物は何ですか・・・?」。夜に開いているのは、観光客向けのみやげ屋、沖縄料理の居酒屋、などが目に付く。この角を曲がると、おお、なんとラッキーなことに「泡盛や」は夜型の酒屋であった。



 店内には泡盛が所狭しと並んでいる。日本酒などは目に付かない(どこにあるのだろう?)。これだけあると選ぶに迷う。せっかくの石垣なので、石垣産で絞り込もうという作戦を考えた。石垣には泡盛の酒蔵が2軒ある。そのひとつが「八重仙」である。最近は他所と同じで女性向けの商品が多数企画されている。入れ物に琉球ガラスを使ったしゃれたボトルもあった。
 茶髪でラップ風の酒屋の前掛けをした店の兄ちゃんに、いろいろと質問してみる。「試飲がありますから・・・」試飲も20酒以上用意されていた。ちょこでストレートで飲んでいるだけで天国へいけそうだ。5種類ぐらいから麻痺し始めた。「石垣でしかないのはあるの?」「沖縄では久米仙が有名ですが、そこが、石垣島の水と材料(八重仙が協力)で作った石垣島限定販売のものが手頃な値段であります」。おっ、地平線にはそれにしよう。それと後2本、私用と実家用・・・。

 一角にはブルーシールアイスクリームの販売があった。私はついているのではないだろうか。夢にまで見た沖縄産「パイナップル」、レモンのような「シークァーサー」、沖縄サミット記念の「紫イモ」、ご存じ「サトウキビ」、4種類を少しずつカップへもらった。今回の旅行で最後まで食べられなかったのが「ゴーヤー」味であった。これは次回のお楽しみとしておこう。アイスクリームを食べながら、そう言えばガイドブックに「石垣地ビール」があると書いてあったことを思い出した。冷蔵庫には数種類の「石垣ビール」が並べてあった。さっきの兄ちゃんに、「石垣地ビールの味はどんなん?」と聞くと、「やめた方が良いですよ」という答えであった。私もオリオンビールの美味さに感どーしていたので、良い印象を変えたくないと思って買うのをやめた。地元の若い衆がダメというのだから、そうなのだろうか。

 みやげ物屋で琉球ガラスのワイングラスを1つ買った。オリオンビールを買って、さて、宿へ帰ろう。
 宿の部屋は何と網戸がない。コインクーラーがあり、1時間100円。蚊のことを考えて、窓を開けて蚊取り線香をたいていた。オリオンビールを飲み、観光ガイドを眺めていると、「ロシア女性のおもてなし・・・」という広告があった。なんと、南の果ての石垣島にロシア女性が働いている。私は、当初サハリンへ行こうと考えていたので、奇遇というか何というか苦笑いをしてしまった。よくここまで出稼ぎに来るものだなぁ。これは行ってレポートしなければと思ったとき、「ブーン」という大きな音がした。開け放した窓から、巨大な「石垣ゴキブリ」が飛んできたのであった。(注:この種類があるのではなく、南ではいろいろな動物が大きかったという事です)。ゴキブリが飛ぶのは発情期だそうだから、もう一匹居るのだろう。とっさに、食堂の一角に殺虫剤のコーナーがあったのを思い出した。1階まで駆け下り、キンチョールを取ってかえっておいはらった。旅の途中で、愛の語らいをじゃまするのは気が引けたが致し方ない。

 石垣の夜は暑い。昼間の気温は九州とそう変わらないのだろうが、夜になっても温度が下がらない(差が3〜5度くらいしかない)。いわゆる「熱帯夜」の意味がよく分かった。どっと疲れが出てきた。窓を閉めて100円を入れた。また入れた。石垣で働くロシア女性の事が気になったが、また明日の日程がある。裸になってまどろんだ。