●●● 9/11(水)    

 今日は出発の日だが、宿はまだ今日の分しか取れていない。出発のぎりぎり11時頃まで、ガイドブックを見たり、着替えを用意したりするという出張のような感じである。まったくしょうがない。出発の予定時刻までには余裕がある時間に、会社契約の駐車場に着いた。みんな仕事をしているところに会うと何となくバツが悪いので、社員が居ないか気を遣いながら、駐車場のおやじさんに予定を告げる。「今日は個人的にで、仕事ではありませんので」
 熊本−那覇間はANAが1便飛んでおり、行き帰りの予約と1泊目のホテルのセットされたビジネスパックがある。今回は、料金が安いということで、太田黒氏(OutTrip)の薦めでそれを利用している。

 飛行時間は1時間25分と、東京へ出張している者としては短いように思えた。那覇空港に近づくにつれて機内で映し出される航空機下のカメラが写すスクリーン映像は、美しい濃い青色のまだら模様になり、時々雲が顔を出すという癒し系の環境ビデオのようになっている。それを見ていると、期待感と開放感が高まって来る。

 海を見ている間に空港に到着。さてとどうするか。とりあえず、考えていたレンタルバイクを探して観光案内所へ向かった。観光地や宿泊地などのガイドやパンフレットが並べられている。そこにパンフがあったレンタルバイクやは2店。空港への送迎もやっていると書いてあるので電話してみた。

  

 しばらくして、ワゴン車がやってきた。店はレンタルバイク専業で、スクータータイプの50ccから250ccまで置いている。50ccを6時間借りることにした。地図などの貴重品をバイクに積んで、大荷物は店に預け、さあ久しぶりにツーリングを始めよう。15時の那覇はやはり暑いが、走ると昔の感覚がよみがえってついつい楽しくなってしまう。道路左右の店を脇見しながら、ブルーシールアイスクリームの看板などを写真に撮りながら、肩に力の入ったオジサンスクーターはひた走る。(ヘッヘッヘ)

  
                              警告プレート
 沖縄のメイン道路は国道58号線である。熊本の57号線に続いて作られたと考えすぐに記憶したが、それが大きな背骨のように走っている。この4車線の国道を「嘉手納基地」まで向かう。今日は9/11。そう、米国同時多発テロから1周年である。

 嘉手納基地まで行く間もなく、次々と人々の生活と隣接して米軍施設は点在する。道路脇に止まってはフェンス前で写真を撮って進んだ。フェンス外を兵士が走っていたり、普段着の夫婦や家族もゲートを出入りしている。頭上にはジェットやヘリが時折飛んでいく。兵舎宅の庭では、家族とトランポリンをしている。写真を撮っているオジサン(私)の方がずいぶん怪しいに違いない。写真を撮りながら緊張もしている。偶然、軍用トラックが私の前に止まったので、写真を撮った。基地間の動きも、ここでは日常なのであろう。物々しい警戒があったかといえばそんなことは無かった。

  
      基地内の学校              基地内の住宅など          トランポリンと家族
 沖縄の基地は、(後で判ったが)大東亜戦争末期から米国の対アジアの重要なポイントである。朝鮮戦争、ベトナム、中東戦争、湾岸戦争、911テロの報復攻撃、今後予想される、イラクへの攻撃もここから始まるのだろう。そんなことを考えながら道路を走る。那覇市→浦添市→宜野湾(ギノワン)市→沖縄(コザ)市・北谷(チャタン)町→そして嘉手納町。宜野湾市には普天間飛行場(ヘリ部隊主流)、嘉手納には嘉手納飛行場(戦闘機・爆撃機など主力)があり、地図では7-8割を占めるのではないか?と思えるほどだ。

 58号線から嘉手納基地沿いに右へ県道を入る。嘉手納基地の滑走路周辺は、フェンスの向こうに頑強なコンクリートの壁(高さ5m程)が加えられているため、道路を走っていては中を見ることが出来ない。Webか何かで、1ヶ所だけ小高い丘があって見ることが出来ると書いてあった記憶があり、その場所を探して見た。程なく、それらしき場所が見えてきた。TV中継車が登っている。近くにはちょっとした駐車場(空き地)もあり、そこへバイクを止めて丘の上へ階段を上った。

  
    嘉手納基地のフェンス                
                  琉球朝日放送
  
   嘉手納基地全景パノラマ(大)       輸送機?爆撃機?
 中継車は「琉球朝日放送」であった。10名ほどのスタッフが打合せなどをしていた。これから何かあるのかクルーに聞いた。「911ということで生中継を入れる予定です」という返事だった。しかし、私と中継スタッフ以外には、双眼鏡貸しの商売をしているオヤジがうたた寝しているだけだった。「・・・」。911だからといって盛り上がりを期待しているわけではないが、この静けさはどうしたことだろう。上空には入道雲と晴天の空が広がっている。

 丘の上でしばらく写真を撮り下りた時に、バスが5台ほど到着した。高校生の集団のようだ。「なるほど、この空き地はその為の場所か」と思った。修学旅行等のコースとなり、高校生が見に来るということは良しと思えるが、先生は何をどのように説明するのだろうか。

 
   
  貸し双眼鏡50円ナリ
 ひとつ気がついたことがある。県道側に入った辺りから、基地にへばりつくように小さな畑やバラックが点在し、それぞれに小さく囲んでいる。基地とのトラブルを避けるには境界線を道路にしてしまえば良いと素人ながら考えるのだが、そうなっていないのは、地主の抵抗なのではなかろうかと考えた。書き遅れたが、この丘は「安保の丘」というそうだ。見た感じは丘を削ったのではなく、盛り土をして作ったという感じだった。もう錆くれたバスなどがあったが、当時は寝泊まりする者も居たのだろうか。帰りがけに、そのへばりつく土地の一角にバラックの店(八百屋?)があったので「バナナはないですか」とたずねたが、「今日は全部売り切れたよ」と店の奥さんはカラカラと笑った。

  
                                                 ブロックと警告
 せっかくだから帰りは別な道をと考えるのが「地平線流」(笑)、基地の反対側の国道331号線を通る(つもり)。コザは基地の街と言われるように、道々の看板などから沖縄系と米国系がチャンプルー(混ざった)な感じがした。一見商売上では、米軍との関係は成立しているように思える。(コカコーラ、払い下げ品、アイスクリームやその他の)しかし、この街に島唄が根強いことからは、文化面での抵抗を感じる。島唄が歌うのは日常と平和と家族のことであり、アジアへ武力を行使しているアメリカと混ざり合えるものではないと思えるからだ。

  

 帰りはいよいよツーリングをしているようになってきた。時間までに帰さなければならないというプレッシャーを感じながらも、見知らぬ街をおおざっぱな地図と勘を頼りにさまようのは久しぶりだ。沖縄の道路は「○△通り」というような名前を付けられているところが多い。そのひとつ「パイプライン通り」を通る。なぜに「パイプライン」か?サーフィンで波が作る輪の中をパイプラインと言うが、その道路は大きな幹線道路をくぐりながら、アップダウンの激しい道路だった。思わずなるほど、名付けのセンスを感じる。

  
                                                   夕方の基地ゲート
 普天間基地の反対側の高台に止めて基地を見ていたら、何かの案内板を見つけた。案内板には古墳のことが書いてあったが、そのほとんどが基地の中にあるため、この高台の一部だけに紹介されているのだ。フェンスの向こう側は見ることが出来ない。近くでは、石で作られた古いシーサー(というより獅子に近い)見ることが出来た。道に迷った途中で、屋台のオバーに道を聞いた。カラカラに乾いたのどにそこで買ったアイスコーヒーは、あの懐かしいカラメルの味がした。

 バイクを予定時間の少し前に返し、歩いて宿泊予定の「チュラ琉球」へ向かう。時間は21時。十分に遅いが、昼食も食べていないので腹が減っている。ホテルのロビーではいろいろな土産を売っていたが、一角の書籍コーナーでは、太平洋戦争・沖縄戦の壮絶な記録・写真集が複数売られていた。食欲がまた引っ込んだ。
 本来は、豊かな海の恵みで静かに生活していた、米国に脅威など与えるはずもない人々が、軍隊の攻撃を受ける。これは、アフガニスタンでのタリバン以外の市民の姿にだぶって映る。豊かな海の恵みで静かに暮らす沖縄の民にとっては、本来、米軍も要らないし日本軍も要らなかったはずだ。誰が夢を見て誰が犠牲となったのか?(波照間で行われた日本軍の奇行については別記する)

 少し居悪感を感じつつ、多くの土産物屋がならぶ「国際通り」の一角へ行くと、島唄系のラップが聞こえた。「911ピースフォーエバーライブ」米国同時多発テロ一周年の追悼と平和メッセージの発進と称したコンサートが行われていた。若い衆も捨てたものじゃないと思えた。少し気が晴れた。

 
                               ライブ風景

 国際通りには、琉球ガラスやシーサーの焼き物、お菓子、昔懐かしいサトウキビのぶつ切り(真空パック)など、色々な物が並んでいる。琉球リカちゃんやシーサーどらえもんまで、あらゆる企画物があった。食事の場所を探しつつも、色鮮やかな沖縄のお土産についつい気が引かれてしまう。「泡盛」の専門店もあった。生ハブの入ったハブ酒も売られている。数年前から全国的に沖縄(島)文化が注目を集めているようだ。全国に広がる「○△銀座」的な街とは対局にある個性がその根源であろう。東京を筆頭とした日本での成功の方程式が崩れ、本当の個性の時代に沖縄の文化が輝くのは正しいことなのだ。

  

  
         泡盛専門店           Do you have a ハブ酒?
  

 島唄が聞けるお店を探すが良さそうなところに当たらない。歌える居酒屋「島唄ばんざい」に入ってみた。「食事が出来ますか?」「できますよ」と明るい返事が返ってきた。メニューから、「オリオンビール」「スク豆腐」(堅めの豆腐にアイゴの稚魚の塩辛をのせたもの)「ラフテー」(豚肉の角煮に味噌タレ)「ゴーヤーチャンプルー」(ゴーヤー+豆腐+ベーコン)、付き足しに「ミミガー」(ゆでて千切りにした豚の耳とモヤシ、キュウリなどで作る酢の物)(※説明はガイドブックから)

  

 炎天下を走り回ったのどには、オリオンビールは最高のごちそうだった。向こう側のボックス席では、女性5人のグループがカラオケで島唄や元ちとせを歌ってくれた。クースをロックで飲みながら、何だか気分がいい(注:酔っぱらい)。曲は「ハイサイおじさん」へ。と、いきなりマイクが回ってきた。確かにオジサンではあるのだが・・・。字幕は思いっきりの沖縄言葉なのである。適当に唄ってオジサンはご機嫌なのであった。


※以下は沖縄限定品の数々。
  
      沖縄限定ドラえもん          
可愛いシーサー(大)
   
     沖縄限定ミッキー             沖縄限定ウルトラマン         沖縄限定ベビースター
  
 沖縄限定リカちゃんTシャツ          琉球リカちゃん人形           琉球リカちゃん

  ちんすこうショコラ(コンビニ)