多賀城の石碑と神社


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多賀城探検の前には東北歴史資料館に立ち寄るときっと良いことが有ると思います。 案内のパンフレットも貰えるし、ボランティアのガイドさんもこの辺にいるので、是非お世話になりましょう!快くつきあって貰えますよ。


●壺の碑

多賀城跡(陸奥の国府だったところ)の外郭南門跡のそばにたっております。
この碑によれば当時の主要都市から距離や大野東人が多賀城を創建し、藤原あさかり (「かり」の漢字が出せない...)が修造したことなどが141文字で刻まれています。 江戸時代に発見されたときは倒れた状態だったとのことで実際の碑の向きや位置は必ずしも 建立当時のものではないようです。
群馬県多胡碑、栃木県那須国造碑とともに日本3古碑の一つに数えられております。 個人的にはそのうち2つは見たのですが多胡碑はまだ見たことがないのでそのうち見に行く ことになるでしょう。水戸黄門にふかーい関係のある国造碑についてはそのうちコーナーを 作るつもりです。
多賀城碑は本当に最初から壺の碑だったんでしょうか?例えば青森の「日本中央の碑」みた いな石を再利用したなんてー事は無いんでしょうかね??
ちなみにこの近くには「アラハバキ神社」(後述する)や「山王日吉神社」なんて言うのも ありまして、東日流外三郡誌ファンの方ならば何か感じるものが有るのではないでしょうか? (残念ながら近くにきれいな三角の山は有りませんが)

●伏石

これが伏石で市内で2番目に古い碑とされております。山王駅の方から総社の宮に向かう道路沿い に有りますのでよく見て見つけましょう。
言い伝えによればこの石を起こしたところ疫病が流行ったということです。

●多賀神社

こちらが多賀神社でございます。長寿の神、夫婦和合の神としての信仰があります。 神社の前にぶら下がっているのは小型の「タガ」です。夫婦の仲を「タガ」でがっちり 固める多賀神社です。

●荒ハバキ神社

建立の時代は不明です。蝦夷の神様が祀られており、腰からしたの問題には何でも 御利益が有るそうです。やはり腰から下ということで、履き物や金精様が祀られていました。
総社の宮に車を止めて、50mほど東にいったところの右手に入り口があります。


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