里浜貝塚


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概要

里浜貝塚は縄文時代前期初頭(6000年前)から弥生時代初頭(2000年前)にかけて、4000年間、宮戸島里浜にムラを作り 生活していた人々の残したものです。その大きさは東西約640m、南北約400mと全国でも最大規模の貝塚です。 ここには、縄文人の使った、土器、石器、骨角器や食べた動物、魚の骨、貝殻等が多数残されております。 出土品の多くは奥松島縄文村歴史資料館で見る事ができます。


所在地

宮城県桃生郡鳴瀬町宮戸。

現地説明会(平成9年11月8日)

「遺跡を見渡す」

こちらが里浜貝塚でございます。どうですいい場所でしょう。



「トレンチ」

左写真のトレンチからは土器や木片がでたとのことです。なんでも水が絶え間なく湧き出している(しかも真水)という事で 木片なども残っていたようです。丸木船なんかも出てきたら楽しいですね。 私はここの現説は初参加だったのですが、参加者は多い方だと思いました。(大盛況!)このようなイベントに参加する人が どんどん増えてくると良いなーと思います。また事前の宣伝も新聞だけではなくもっと大々的に行って参加費も取っちゃって 良いと思います。ただで資料を貰うより身銭を切って参加した方が参加者の意気込みも違うだろうし、少ないながらも調査費の たしにしたら良いと思うんですけどねー



「おはか」

こちらはお墓です。縄文時代から江戸時代までの埋葬の跡が確認できているとのことです。写真右よりのものが縄文時代の 幼児の骨です。この一角は江戸時代までお墓だったようで、江戸以前のものは火葬で江戸時代と縄文のものが土葬だったというのも なんだか面白いと思います。この遺跡では住居跡が1例しか見つかっていないということで、しかも住居がありそうな場所には 現代人が居を構えているというのも非常に不思議な感じで、なんだか感動的な感じさえすると思いませんか?
今回の現地説明会では参加者が多かったせいもあり無礼な参加者(とくにカメラマン)が少なからずいたことを残念に思います。


遺跡保存のこと

この遺跡は現在の居住区と遺跡が混在しているため、保存に関しては非常に難しい問題があると 思われます。しかし住民の方々と折り合いのつく範囲でなんとか島全体を縄文の里として盛り上げて いければ良いとおもいます。例えば調査したポイント、ポイントで完全に保存するような処理を施した上で 「縄文オリエンテーリング」のコースを作っちゃうなんてーのはどうでしょう。
この遺跡は非常に継続的なものなようなので今ここにすんでいる人たちと、発掘された人たちとの何らかの 関係が明らかになったりしたらすごいですねー!


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