息栖神社
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息栖神社は、鹿島神宮、香取神宮とともに東国三社として信仰されている由緒正しい神社なのです。
しかも東国三社は位置関係が非常に興味深い配置になっているということです。もともと下流にあった神社を大同二年(802年)にこの地に 遷座したのだそうで、なんらかの意図をもって再配置されたのでしょうか???
とはいえ、もっと根本的な事がわからない私です。実は神社名がよくわからない… webで検索したかんじでは、どうも”いきす”っぽいですが、個人的には”おきす”のほうがしっくりくるような気がしてます。

神社を背にして、川のほうを見ると、こんなかんじ。 鹿島神宮や香取神宮と大きく違うのは、参道に観光地の雰囲気はまったくないところです。
むこうに見える鳥居の下には、清水の湧出する忍潮井(おしおい)があるのです。
神社公式サイトは無いみたいですね。
御祭神は岐神、住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神)、天鳥船神でございます。

参道左手に鎮座するのは、稲荷神社でございます。

関東には力石のある神社多いですね。

境内の森はなかなか広いのです。ご覧の通り立派なご神木もございます。
摂社、末社も多数あり。

あれ・・・失礼しました、本殿の写真がねーや・・・・
代わりといっては何ですが、昭和35年(1969年)まで使われていたという本殿礎石でございます。

では忍潮井に行って見ましょう。
看板(碑文)によれば「忍潮井は男瓶・女瓶と呼ばれる二つの井戸であり神功皇后の三年(194年)に造られたものと云われ あたり一面海水におおわれていた頃、真水淡水の水脈を発見しこれを噴出させ住民の生活の水としたもので 海水をおしのけて清水が噴出しているところから、忍潮井の名が付けられたと伝えられている。 水と人類のかかわりの中で最も古い形の井戸であり、日本三霊泉の一つとされております」だそうです。


さらに碑文を引用します。
「男瓶は径2m弱、白御影石で銚子の形をしている。女瓶はややこぶりで土器のかたちをしている」のだとか。
しかし覗き込んでみた感想は、「どっちがどっちなんだーーー」
忍潮井は、もともと遷座前の土地にあったのだそうですが、男瓶女瓶が神を慕って三日三晩泣き続けた挙句、 自力で川をさかのぼってここまで来ちゃったと言う伝説があるのです。


ついでに温泉!

情報なし。申し訳ない!


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