制作日記

つぼみ  (2001.10.15)

 今日、睡蓮のつぼみのような丸みのあるつぼみの形を思いついた。粘土で造って、表面をつるつると水を付けて磨いた。花びらになる部分のひだひだを造る。とたんにリアルになってなんだかつまらなくなり、粘土にもどす。つるつるとした感じを造りたかったのにこれは違う。最初の形はおもしろかった。一緒に造ってた子どもたちが、「たまご?」「鳥のくちばし?」「うんこ?」・・・などなどまあいろいろ想像してくれること。ちがうもんね−とか言って、そんなにすぐにわかる形は造るまいと頑張った。うーん、いいインスピレーションだったのに、今度また造ろう。

音楽 (2001.10.19)

 ベートーベンは、完全に聴力を失ってから「第九」を書いたそうだ。長年の経験による絶対音感があってのことだというのは言うまでもないが、体の中に流れていた音楽、それがあの音。イメージの力のすばらしさ!・・・仕事の合間に読んだ手話雑誌に書いてあったのだが、ひどく感動してしまった。と同時に、音楽というものについて考えてしまった。考えてみれば音楽というのは耳からきこえてくるものがすべてではない。そこで、自分の音楽ライフを振り返ってみることにした。
 どれだけ自分の生活の中に音楽があるかということを思い起こしてみたら、美術のそれとは比較にならないほどたくさん、実はそれはあった。車に乗っている時、作品を造っている時、電車に乗っている時など再生された音楽を聴く時はもちろんだが、音楽を聞いていない時だって、人の作品を見る時も同様。きれいな景色を見た時も。自転車で走っている時も・・そう今だって、こうして文章を書いている時だって、別にどっかで聴いた曲というわけではないが、アタマの中に流れている。作品を造る時はそれがいつもよりとても大きな音になってアタマの中を渦巻く。もちろん音楽を聴きながら造ることが多いのだが、聴いてなくたっていつもアタマの中に流れている。気分のいい時、悪い時、いいことがあった時、鼻歌になって音楽がでてくるように。そういえば、別に歌いたいわけではないのに、朝起きた時から、耳について離れないメロディーっていうのもよくあるけれど。
 私の場合作品は、歌を歌ったり、アタマの中で静かにメロディーをならしたり、道具でとんとんリズムをならしたり、時には音に合わせて体を動かしてみたりといったこと抜きには制作できない。テンションを盛り上げるのも音楽が一番いい。感じるってそういうことかも知れない。音楽は、感じを、感覚をとても直接あらわしてくれるものだから、とても身近だ。好き、というよりなくてはならないものだ。私は美術はなくても生きていけるが、音楽はなくしては生きていけない。私も、実は音楽を表現したくて作品をつくっているのかも知れない!

 

   
 

個展終了便り・その2  〈2001.9.25〉 陶としての表現
 
 土は、硬いとか柔らかいとか丸いとかつるつるしているとか多様なイメージを比較的たやすく表現することが出来ます。なぜなら土は、変形自在だからです。私の中では、こうしたいと思えば少なくとも土に関しては素直にあらわれてくれます。
 とはいえ、土は軟らかく結構もろいので、扱いは難しいです。 硬さを調整しながらいろいろな行程を踏んで造っていくわけですが、その不自由さが作品に不器用なおもしろさを添えているように思えてなりません。意図せずくにゃっとなってしまったり、ひびが入ってしまったり、焼き上げたら、変なぶつぶつが入っていたり・・・。そして挙げ句の果てには、いい感じじゃん、とか言って直感で善し悪しを判断してしまうのです。そんなのびやかさが陶にはあると思うのです。

 大学2年の時に、初めて陶によるオブジェというものを見て〈サントリー美術館でやっていた、イタリア現代陶芸展)、その時の何とも楽しい印象が今でも忘れられません。いわゆる彫刻とも違う焼きものならではのオブジェ。土という制約の中で、なんて多様な表現が出来るんだろうとはっきり言って目から鱗でした。そしてどうやって造るんだろう、と考えることの楽しいこと。ああ、もの造りになりたい、とこの時思ったものでした。楽しく、そして美しく、これが陶の魅力だと今でも思っています。

 

 

 

 

個展準備便り  〈2001.8.29〉
 個展まであと数日です。型紙造って梱包やって、毎日首と肩が凝り、膝もがくがくしてきます。なのに何で毎年こんなにでかいの造るの?とよく言われますが、最初のプランはアタマの中と紙の上。ふわーっと浮かんだイメージかこれだから、仕方がない。
 今回の作品の制作過程について書きたいと思います。
  時々私は制作日記をつけているのですが、それを紐解いたところによると、制作を開始したのが、1月とあります。そしてそれから3ヶ月も構想期間がありました。自分で気分を盛り上げていって、世の中の見えるものきくこと全部作品に置き換わり、3Dの写真をじっと見てて、突然ぐわっと立体に見えた時みたいに、目が、アタマが、つながる時までじっと待ちます。それは今の自分の確認作業でもあるのですが・・。 日記によると4月7日でした。
 その間、文章を書いたり、エスキースをしたりします。大きな作品の場合、私はエスキースを山ほど描きます。頭に浮かんだイメージをすばやく記録するのはこれが一番早いので。そして、これ、というイメージを一つにします。これと思った形は最初の一枚目のエスキースが一番いいので、それを元に下絵を起こします。
 そして、それからは、作品製造マシーンと化して、ひたすら造ります。でも、長い時間かけて造るものなので、途中で変更もあります。 だいたい変更すると良くなることが多いです。と思います。直感を信じます。どっちか迷ったときは、心の中で多数決をとり、少しでも考えが傾いている方にします。そしてそれはだいたい当たります。と思います。
 陶芸は長い過程を経てできあがります。成形、乾燥、素焼き、釉薬塗り、絵付け、本焼き・・・途中で私でないものの手が入ります。粘土は縮み、色が変わります。焼くことによって、「私がつくったと思われる」くらいの形跡が残ります。そして、窯出しの時、へー、とか言って他人事のように客観的に作品を見ている自分がいます。だから、長い時間かけてもいつも新鮮です。飽きません。
 そして最後に全部並べます。壁掛けの作品の場合はStudioでは壁にはかけられないので、床に並べて、高いところから見ます。 とりあえず、Studioでの作業は終わりです。
 次回は作品の内容、コンセプトについて書きます。