2021年11月3日 京都の天目歴史
天目作家と呼ばれる方々の地域をみると
京都が多いことに気づかれると思います。
それには長い歴史があるのです。
明治29年(1896年)京都市陶磁器試験所が
五条坂に設立されました。
製造技術の開発と養成が行われ
河井寛次郎、濱田庄司らが技師としておられました。
明治43年(1910年)古陶磁器研究者の小森忍が入所、
鉄釉の研究をされました。
京都での天目が始まった理由の一つでしょう。
大正8年(1919年)試験所は国立に昇格して伏見の地に移りました。
小森忍の研究はその後技師澤村滋郎へと受け継がれました。
澤村技師は現代の天目研究方法を確立した方で
京焼清水焼の歴史には必ず名前の出てきます。
澤村滋郎の助手として伯父木村盛和が
昭和12年(1937年)入所しました。
70年以上に及ぶ天目研究のスタートでした。
釉薬解説書「陶芸の釉薬(1976年刊)」、
おそらく一番発刊された釉薬のバイブルで
たくさんの陶芸家が勉強した名著です。
著者の大西政太郎は技師であり場長でした。
その後も天目の研究は受け継がれ、京都市工業試験場、
京都市産業技術研究所と名前が変わった今も
脈々と続けられています。
(敬称略)