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080203  祖母の話



母方の実家は古美術商です。
祖母が始めた古美術店を今は伯父が継ぎ、京都の寺町骨董通りにあります。

終戦直後、西陣織絵付師をしていた祖父が急死しました。
5人の子供を抱え、何とか生きていこうと
好きな骨董の店を北野天満宮の門前にかまえました。
扱っていたのは古陶磁器と茶道具です。

このころ京福電鉄北野線の始発駅が北野天満宮前でした。
今は廃止されありませんが、駅の隣に店があり
電車待ちのお客さんや天神さん参拝者が立ち寄っていかれたそうです。

北野線沿線には映画撮影所があり、著名な映画監督さんや
画家、実業家がお得意さんであったとよく聞かされました。

共通の知人の縁で陶芸家の石黒宗麿先生も来店されるようになり
お亡くなりになるまでお付き合いがありました。
祖母にとって一番好きで尊敬する陶芸家でした。

私が陶芸の道に入ってからは
「石黒さんのええのが入ったから見においない(来なさい)」と
よく祖母から電話が掛かってきて、
店に行き、手に取らしてもらいました。

祖母から聞かされた石黒先生のエピソードをひとつ。
陳列されてた古陶を見て帰られた1ヶ月後、
そっくりな作品を作って持ってこられ大変驚いたと。
昭和30年前後の物や情報のない時代の話です。

独身だった母のもとに石黒夫人からお見合いの話がありました。
相手は五条坂の陶工、
まだ無名だった陶工との縁談に生活の心配をした祖母は
最初気乗りがしなかったと。
そんな折り、たまたま五条坂の清水卯之助商店の前を通りがかったら
店番をしていた大おかみさんから声が掛かり
縁談のことを相談をしたそうです。

「陶器屋は手に職があるから大丈夫、気にしなさんな」


このアドバイスがなかったら僕は生まれてなかったかもしれません(笑)


終戦後の大変な中、女手一つで頑張ってきた祖母、
厳しい面がありベタベタ可愛がられた記憶はありませんが
いいものを見せてもらったり
作ったものを批評してもらったことは忘れません。

100歳まであと4年、まだまだ元気です。



仲人夫妻、石黒先生と母 昭和39年