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ニューヨークが生み出す、僕の人生を貫く糸を忘れていた―パーク・アべニュー
を下るタクシーが遠い昔の思い出をあふれるように呼び戻す:

53丁目と62年の冬。当時はコロンビアにいた。職業紹介所に
シーグラム・ビルでのこのクリスマスの仕事があった。クリスマ
スの時期に働かないなんてぜいたくはできなかったので、その
仕事に応募して採用された・・・。だから僕はそこにいた―地
下室で、荷物の分類をしていた―いや、僕らがそこにいた、ライ
オネル・ウィックじいさんと彼にイタリア語を教えてもらおうとして
いた僕が。僕たちは自分たちがどう見えるかなんて構わなかっ
た。ただ二人で、石灰石に囲まれて、ミースの空間で働いて
いた…
..........................................................................パーク・アべニューを下り、
「愛の狩人」を通りすぎて
69年、9月と51丁目。僕はCBSで "Bridge over Troubled Water"
をレコーディングしていた。当時はコロンビアだった。300本以上の
僕のボーカルが録音されているが、一番を、完成した(気に入った)
最後の3番にうまくつなげられない。マイクから離れての休憩で、
僕はそのブロックを下ったところの教会、聖バルトロメオ・ギリシ
ア正教会にいらだちを持っていく―知っているだろう、ちょっと奥
まったとこにあるあの教会を・・・だから7年後と2ブロック南で、
午後の祈りというわけではないけれど東向きの信者席にいる僕
がいた。自分がどう見えるかなんて構わなかった。音楽に包ま
れたあなたの声を聞いていた。
僕は、この街が大好きだ。でも 彼女 ほど愛したものはなかった・・・
だからショーは続かなくてはならないとか悲しみが役に合ってるとか、誰が気にする
んだろう?
僕たちは最終シーンを撮影していた。俳優が1979年、ウォルドル
フ・アストリアから出てくる。彼はウィーンからの共演スターを通り
すぎ、彼女の首に新しい傷跡を見る。彼はタクシーに乗り込む…
パーク・アべニューと50丁目を立ち去りアップタウンの人込みに
まぎれる僕がいる。皮肉のむこうに、僕と同じ高さのカメラマンの
視線、糸をたぐり寄せながら、最近の過去を振り返る。

 

ニューヨーク・シティ            1984年 3月

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