ジョン・シンガー・サージェント
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( 1856-1925)    アメリカ   印象派、写実主義
フィレンツェ生まれのアメリカ人。父親は外科医。生涯独身であった。

フィレンツェの美術学校を卒業し、1874年パリに行った。カロリュス=デュランのもとで学び、エコール・デ・ボザールに入学した。

1876年にアメリカへ行き、アメリカ国籍を得る。

1877年、サロンに入選する。 
1784年、『マダムX』がサロンでスキャンダルとなる。

1786年以降、ロンドンのタイト・ストリートに本拠地を移す。
新英国美術クラブの創立会員。イギリスのロイヤル・アカデミーに印象派的作風を伝播する。

アメリカにパトロンが多く、イギリスとアメリカを往復しながら作品を制作した。

カンカルで牡蠣をとる人々
1878  79 x 122 cm    コーコラン美術館、 ワシントン

リハーサル
1878  90 x 73 cm

ロジーナ、カプリ
1878  50 x 65 cm  

カプリの階段
1878  80 x 44.45 cm  

リュクサンブール公園
1879  64.8 x 91.4 cm  フィラデルフィア美術館

小さなフルーツ売り
1879  35.56 x 27.31 cm

アルジェーの通り
1879-80   34.29 x 25.4 cm  

パリの物乞いの少女
1880   64.14 x 45.09 cm 

Fumee d'ambre gris
1880  クラーク美術研究所

エル・ハレーオ
1880  Oil on canvas 、240 x 348 cm  ボストン、イザベラ・スチュアート・ガートナー美術館 
サロン入選作。人口照明による間接光の表現が好評を受けた。エル・ハレーオとは踊るときの掛け声。

ボイト家の子供たち
1882  221.9 x 221.6 cm  ボストン美術館
アメリカのパトロンの娘たち

ヴィッカーズ家の子供たち
1884  137.6 x 91.1 cm  フリント美術研究所 ミシガン

マダムX (ゴートロー夫人)
1884  208.6 x 109.9 cm   メトロポリタン美術館
V字形のカットの胸や腕の露出、ラヴェンダー色に紅潮した肌が描かれ、サロンで大きなスキャンダルとなった。この作品から独特のコスチュームが流行。しかしモデルに受け取りを拒否され、晩年まで画家の手元にあった。修復しない条件で寄贈された。

ゴードロー夫人
1884  206.4 x 108 cm  ロンドン・テイト・ギャラリー

カーネーション、リリー、リリー、ローズ
1885-86  174 x 153.8 cm   ロンドン・テイト・ギャラリー
ロンドン、ウースターシャのアメリカ人画家F・D・ミレーの家に居たときの作品。

ミレー夫人のリリーという名前と、当時の流行歌の歌詞を重ね合わせたのが、題名になっている。

提灯がジャポニズムの影響を伺わせる

ジヴェルニーの近くで絵を描くモネ
1885  ロンドン・テイト・ギャラリー

イザベラ・スチュアート・ガードナー
1888  189.9 x 81.3 cm  イザベラ・スチュアート・ガードナー美術館 、ボストン
サージェントのパトロン

東洋美術の構図の影響がある

マクベス夫人に扮したエレン・テリー
1889  221 x 114.3 cm   ロンドン・テイト・ギャラリー

ラ・カルメンシータ
1890  232 x 142 cm   オルセー美術館

レディ・アグニュー
1892-93  124.5 x 99.7 cm  スコットランド国立美術館  エディンバラ  イギリス
ロイヤル・アカデミーに出品。たいへんな好評を得た。

スペインの噴水
1902  53 x 34.7 cm  メトロポリタン美術館

白い船
1908  34.4 x 48.6 cm  ブルックリン美術館  ニューヨーク

働く人々
1911  ボストン美術館

ウッドロー・ウィルソン大統領
1917  153 x 190 cm   アイルランド国立美術館  ダブリン
第一次大戦中、赤十字社への寄付のため、サー・ヒュー・レインの依頼で描かれたもの。公式肖像画の代表作。

泥まみれのアリゲーター
1917  33 x 55.56 cm  ウースター美術館 、マサチューセッツ州

毒ガスをあびて
1918-19   299.9 x 609.6 cm  帝国戦争博物館  ロンドン
第一次大戦中、イギリス情報省から記録画を描く依頼があり、派遣された北フランスのアラスの最前線。

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