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マゾリーノ・ダ・パニカーレ
Masolino da Panicale ( 1383-1447)
イタリア   初期ルネサンス

15世紀初頭に活躍した。国際ゴシックとルネサンスの間に位置する画家。マザッチョとともにブランカッチ礼拝堂の壁画に着手する。


時代に恵まれたのはマザッチョではなかったか。マザッチョより20歳以上も年上で、それなりに活躍もしていたマゾリーノはどうであったろうか。

マザッチョが、彼の処女作と考えられているサン・ジョヴェナーレ祭壇画を線遠近法で正確に描いたのは、21歳のころである。

そのころ国際ゴシック形式で描いていたマゾリーノは、40歳になろうとしていた。

マザッチョの登場による衝撃はいかほどだったであろうか。

マゾリーノはそれまでの自身の様式を捨てざるを得なかった。プライドを捨て、彼よりも20歳近くも若いマザッチョに習ったのである。

二人はフレンツェで、ブランカッチ礼拝堂を手がけるのである。マゾリーノはマザッチョ様式に従って描いた。

しかし、この礼拝堂は未完に終わる。マゾリーノが忽然と姿を消したのである。

マゾリーノはハンガリーにいた。そこで、自己を取り戻した。1426年、帰国してローマで再び、マザッチョと共に仕事をするが、マゾリーノの出発点である国際ゴシック様式が垣間見える作品を描く。

マゾリーノは迷っていたのであろう。

マザッチョは1428年、突然に亡くなってしまう。マゾリーノは悲しんだに違いない。マザッチョの革新性をいち早く理解し、実践に移したのはマゾリーノだったのであるから。

しかし、彼はどこかでほっとしたのではないだろうか。その後、マゾリーノは、マザッチョ様式と国際ゴシック様式を融合させ、洗練させていった。

マザッチョの天才を見抜いたマゾリーノも天才であったはずである。しかし、時代はマザッチョのものであった。

その残酷な時代の狭間で、マゾリーノは苦しんだに違いない。自己のアイデンティティーを保ちながら、年若い者に習うということは並大抵の精神力ではない。

自分の持ち場以外のことなら、容易なことであるが、マゾリーノの場合はそれとは違う。自分が、自己のアイデンティティーとして描いてきたものを捨てなければならなかったのである。

天才は時代の寵児でもある。彼らはまぶしく輝く。光が強ければ強いほど、その影は濃いのである。

その暗い影の中でうごめき、自己の崩壊と闘わなければならなくなった者たちも多いに違いない。

マゾリーノもその一人であろう。彼は、あのブランカッチ礼拝堂には、二度と訪れていない。マザッチョの天才の影が、マゾリーノを苦しめていたからではないか。

受胎告知  The Annunciation
maso01.jpg (34896 バイト) 1425-30
Tempera on panel, 148 x 115 cm

ワシントン・ナショナル・ギャラリー

サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂 ブランカッチ礼拝堂、フィレンツェ
足萎えの治癒とタビタの蘇生
maso04.jpg (39371 バイト)
1426-27
Fresco, 255 x 162 cm

説教する聖ペテロ St Peter Preaching
maso03.jpg (40673 バイト) 1426-27
Fresco, 255 x 162 cm


キリストの磔刑
1428-30
Fresco

サン・クレメンテ聖堂サクラメント礼拝堂、ローマ

四福音書記者と教会の博士たち
1428-30
Fresco

サン・クレメンテ聖堂サクラメント礼拝堂(天上)、ローマ

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