フラ・フィリッポ・リッピ
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Fra Filippo Lippi ( 1406-69)
イタリア   ルネサンス、フィレンツェ派
フラ・フィリッポ・リッピはイタリア・フィレンツェ初期ルネサンス、コジモ・デ・メディチ時代の画家である。

フラ・アンジェリコが模範的な修道士だとしたら、フラ・フィリッポ・リッピは正反対であった。画僧として活躍しながらも詐欺行為や修道女との同棲事件などスキャンダルが多かった。あげく、最後には環俗している。


フィレンツェのサント・スピリト地区に生まれた。生家跡は今も残っている。サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の裏手、アルディリオーネ通りにある。

父親は食肉業者トンマーゾ・リッピ。母親は出産直後に亡くなったという説や、子供のころ、未亡人となったという説などある。育ての親の叔母か、フラ・フィリッポの母親は、生活苦のため彼を修道院に置き去りにした。その修道院で絵を描くことを学び、1421年、15歳で修道士としての誓いをたてる。(諸説あり)

読み書きの勉強が嫌いで、あまりに悪童なので、修道院長が絵の道に進むようにしたそうだ。



女たらしで有名で、女に財産をすべてつぎ込んでしまう。それがかなわないと女の絵を描いて思いを鎮めようとしたり、それでも駄目なら絵を描くことも捨ててしまうほどだったという。

しかしそんなフィリッポ・リッピでも、聖務停止などなく、人気画家として活躍した。時の最高権力者コジモ・デ・メディチからもずっと慕われた。

1450年、リッピはジョヴァンニ・ディ・フランチェスコという画家にお金を払う際、その受領書を偽造して、スキャンダルとなる。

1452年、フィレンツェ近郊のプラートという町に移った。13年かけて大聖堂の主祭室に壁画、聖ステパノと洗礼者ヨハネの生涯を描く。

そしてこのプラート滞在中、1452年、ルクレツィア・ブーティとの恋愛事件を起こした。ルクレツィア19歳。リッピ50歳である。2人には2児が生まれ、一人はフィリピィーノ・リッピ。ルクレツィアはサンタ・マルゲリータ女子修道院の修道女。リッピは初めは聖母子画のモデルにルクレツィアを頼んでいた。

50歳のリッピは女子修道院の礼拝堂付き司祭になっていた。その年の「聖帯祭」の日、リッピはルクレツィアを自分の家に連れ込んだ。これは世間からは「誘拐」事件と見られた。ルクレツィアの妹もリッピの家に逃げた。
しかも同じ時に、3人の修道女たちも愛人のもとに逃亡してしまう。教会側はこの5人を連れ戻そうとしたが、連れ戻されても結局それぞれの愛人のもとに逃亡してしまう。

このスキャンダルはフィレンツェにも届いた。リッピは「夜間犯罪および修道院取締局」に告発された。救フィリッポを救い出したのはパトロンのコジモ・デ・メディチ。教皇に願い出て、2人を還俗させ、結婚させた。ルクレッツィアもリッピも孤児であり、自分の意思で修道院に入ったわけではない。そうした人々はこのような恋愛事件は珍しくなかったそうだ。


1460年前後、まだ少年だったサンドロ・ボッティチェリが入門してきた。
1467年、ウンブリア地方スポレートに家族らと招かれ、大聖堂に聖母マリアの生涯の壁画を制作していた。しかし途中、1467年10月、病死する。


初期の作品はマザッチョの影響が大きく、当時、新しい技術である遠近法をマスターしていた。

マザッチョのスタイルに、さらにゴシック的な装飾を加えていった。
聖母マリアは愛らしく、敬虔な、魅力あふれる姿に描き、精神性に少し欠ける部分もある。

赤ん坊のキリストや天使たちは茶目っ気のあるいたずら小僧のように描いていたりする。

フラ・フィリッポは後のフィレンツェ美術に大きな影響を残した。ボッティチェリは直接影響を受けた一人であるし、レオナルド・ダ・ヴィンチの岩窟のマドンナは、彼のゴシック的な設定が影響している。

カルメル会の会則の認可
1432  カルミネ修道院内の壁画  フィレンツェ
現存する最初の作品

マザッチオの影響がある


謙譲の聖母と天使、聖人たち (トリブルツィオの聖母)
1432  70 x 168 cm  スフォルツァ城市立博物館
マザッチオの影響がある


タルクイニアの聖母
1437  151 x 66 cm  バルベリーニ美術館 ローマ

玉座の聖母子
1437  122.6 x 62.8 cm   メトロポリタン美術館、ニューヨーク

バルバドーリ祭壇画
1437-38  217 x 244 cm   ルーヴル美術館


フィレンツェのサント・スピリト聖堂、バルバドーリ家礼拝堂。ナポレオンの時代にパリに移された。


天使に囲まれた聖母マリアと聖人は、フラ・アンジェリコのそれと比べると面白い。

リッピはこの絵を描いたのは、マザッチョがフィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂の壁画を仕上げた数年後のことである。マザッチョの影響は多大であった。

繊細な優雅さにおいて、フラ・アンジェリコの影響も無視できない。

リッピの聖母マリアや天使たちは丸みがあり、彫刻のように姿がしっかりしている。
丸々とした赤ん坊のキリストは、膝間づいている聖Frediano を偉そうに見下ろしているようでもある。

光にあふれた空間である。

大理石の壁が、彼らを我々の目の前に持ってくる。宝石のように輝くそれぞれの持ち物や姿が狭い場所にひしめいているのに、閉塞感が無いのはリッピのすごさでもある。

聖母の死の知らせ
1438  40 x 235 cm  ウフィツィ美術館 フィレンツェ
ナポレオンの時代にパリに移されたフィレンツェのサント・スピリト聖堂、バルバドーリ家礼拝堂のプレデッラ。

聖アウグスティヌス(ヒッポの)
1438  40 x 235 cm  ウフィツィ美術館 フィレンツェ
北アフリカのヒッポで司教を務めた。カトリック教会で最も影響力のある神学者。
ヌミディアのタガステに生まれる。
胸に矢が刺さっているのは、カルタゴでの修行中、放蕩を繰り返していたので、それの後悔の印。

アウグスチノ修道会が11世紀に設立され、その規則がアウグスティヌスの著作から採られたため、修道士に規則を渡すため、ペンを持っている。

聖母子
155 x 71 cm   パラッツォ・メディチ=リッカルディ、フィレンツェ

受胎告知 (2人の寄進者)
1440   155 x 144 cm  ローマ国立美術館(パラッツォ・バルベリーニ)

受胎告知
1443  Wood, 203 x 185,3 cm   ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク

聖母戴冠
1441-47  Tempera on panel、200 x 287 cm  フィレンツェ、ウフィツィ美術館

聖母戴冠
1441-45  Wood, 167 x 69, 172 x 93, 167 x 82 cm  ローマ、ヴァティカン美術館

聖母戴冠
1443-47  200 x 287 cm   ウフィツィ美術館
サント・アンブロージオ聖堂、主祭壇画。

右端に洗礼者ヨハネがいる。その足元で膝を折って、祈っている人物は、この祭壇画の発願者で、この聖堂の参事会員フランチェスコ・マリンギ。

聖母マリアが天の女王の冠を授けられている場面が中央だが、冠を手に持っているのはキリストではなく、父なる神。これは特異な主題解釈。


東方三博士の礼拝
1445  Wood, diameter 137 cm  ワシントン・ナショナル・ギャラリー

受胎告知
1445  Wood, 175 x 183 cm   フィレンツェ、サン・ロレンツォ聖堂
リッピの様式が確立する1440年代の作品。明快な幾何学遠近法が用いられている。

サン・ロレンツォ聖堂、ニッコロ・マルテッリ礼拝堂のための祭壇画。

左手に天使が2人いるが、通常の「受胎告知」の絵には登場しない。

手前のガラス器は処女マリア(選ばれた器)を象徴している。このガラス器や衣襞など細密な描写はフランドル絵画の影響。

サンタ・クローチェ祭壇画
1445  Tempera on wood, 196 x 196 cm  フィレンツェ、ウフィツィ美術館
左から 「聖フランチェスコ」「聖ダミアス」「聖母」「聖コスマス」「パドヴァの聖アントニウス」

受胎告知
1445-50  Oil on panel, 117 x 173 cm  ローマ、ドーリア・パンフィーリ美術館

聖ベルナルドゥスに現れる聖母
1447  Wood, 69 x 105 cm   ロンドン・ナショナル・ギャラリー

受胎告知
1448-50  Egg tempera on wood, 68 x 152 cm   ロンドン・ナショナル・ギャラリー
  

聖会話
1448-50  Egg tempera on wood, 68 x 152 cm  ロンドン・ナショナル・ギャラリー
ここに描かれているすべての聖人はメディチ家と関係のある。家族の男子に名づけられた。

七人は美しい大理石の長いすに腰掛けている。聖殉教者ペテロだけ、頭に斧を刺され不機嫌な表情である。
他の聖人たちは気さくに談話している。

聖母子とマリア誕生の物語(トンド・ピッティ)
1452  Oil on panel, diameter 135 cm  フィレンツェ、ピッティ美術館
プラート時代の最後に描かれた。モデルは愛人ルクレツィアである可能性が高い。

円形画(トンド)は出産記念画として注文されることが多かった。この絵はバルトリーニ家に描かれたと推測されている。

幼児イエスは受難の象徴であるざくろを持っている。背景の左側は聖アンナのマリアの出産。右側の奥は、アンナとヨアキムの出会いが描かれている。

丸顔だった聖母マリアはここでは細面で、弟子のボッティチェリに先駆ける新しい画風を成熟させている。

チェッポの聖母
1453  Panel, 187 x 120 cm  プラート市立美術館

幼児キリストの礼拝
1455  Tempera on wood, 137 x 134 cm  フィレンツェ、ウフィツィ美術館

森の聖母
1460  127 x 116 cm  ベルリン国立美術館

幼児キリストを礼拝する聖母マリア
1463  140 x 130 cm   ウフィツィ美術館



ピエロ・デ・メディチ妻ツクレルィア・トルナプオーニの注文。カマルドリ修道会士の隠棲所のための作品。


以前には見られなかった敬虔な雰囲気の漂う作品。
神の手や鳩、背景などゴシック的な絵画になっている。

ピエタ
1460-65  Panel, 54 x 29 cm  ミラノ、ポルディ・ペッツォーリ美術館

聖ヒエロニムスの埋葬
1460-65  Panel, 268 x 165 cm  プラート大聖堂

聖母子と2天子
1465  Tempera on wood, 95 x 62 cm  フィレンツェ、ウフィツィ美術館
リッピの代表的な聖母子画。

弟子のボッティチェリのようなエレガントなマリアのイメージは、以前のリッピには見られない。



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