フランソワ・ジェラール
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Francois Gerard (1770-1837)
フランス 新古典主義

ローマで生まれた。父親はフランス人。母親はイタリア人。
12歳までローマにいたので、ローマ古代彫刻やルネサンス芸術に親しんでいた。

家族とともにパリに引き揚げてから、彫刻家パジューに弟子入りした。

1785年、ダヴィッドの「ホラティウスの誓い」を見て、ダヴィッドのアトリエに入塾し、ジロデ、グロとともに3Dと称される。

アモールとプシュケー
1798  Oil on canvas  186 x 132 cm    パリ、ルーヴル美術館
主題解説: アモールとプシュケ

三人姉妹の末娘。
あまりの美しさにアフロディテが嫉妬心を燃やす。アフロディテは息子エロス(クピト・キューピット)を送り、ある醜い豚飼いに恋をするよういいつけた。しかしエロスは誤って、自分の胸を、恋の矢で傷つけてしまった。プシュケに恋したエロスは、彼女を自分の住処に運び、結婚した。

神が人間と結婚するためには、その姿が人の目に見えないようにしなくてはならない。人間は神の火に打たれて死んでしまうから。

プシュケは夫の姿を見たことが無いが、すばらしい宮殿に住んでいた。夫は朝になると去っていった。

彼女は姉たちを呼び、彼女の幸せな様子を見せた。姉たちは彼女に夫が、恐ろしい怪物ではないか、など疑惑の念を持たせることを言った。

プシュケは疑念でいっぱいになり、ある夜、エロスが眠っているとき、ろうそくに火を灯し、夫の姿を見てしまう。夫は今まで見たこともない美しい青年であった。しかし、ろうが夫の肩に落ち、エロスが眼を覚ましてしまう。

エロスはプシュケをじっと見つめた。怒りはなく、深い悲しみと憐れみの表情であった。プシュケは気を失ってしまった。

プシュケが目覚めたとき、城も中庭もなく、雑草の中であった。夫とともにすべて消えてしまった。彼女は森の中をさまよいあるいた。

伝説では夫が彼女を許し、彼女をオリュンポスの山へ連れていったという。そして花嫁と花婿の身内のものが、おせっかいなおしゃべりを封じるのが彼女の仕事となった。

相手を疑い、自分で見届けるのが一番、とか百聞は一見にしかず、などと言っている連中に姿を見せずに近づき、「愛だけが愛する人の秘密を知る、信じることは見ることなのよ」とささやくということである。

1798年にサロンに出品されたこの作品は、激しい賛否両論を巻き起こした。
エロスとプシュケは可憐であるが、あまりにも陶器の人形のように人工的で、冷たい。プシュケの奇妙な視線は、プシュケにはアモールが見えていないせいである。

しかしこういった批判も乗り越えて、この作品の「清らかさ」は次第に人々の賛同を得て、ジェラールは確固たる地位を築いていった。

新古典主義時代の『アモールとプシュケ』の主題の流行の先駆となった。

幻を呼び出すオシアン
1801  Oil on canvas  184.5 x 194.5 cm

ジョセフィーヌ
1801  178 cmx 174 cm    ロシア、エルミタージュ美術館

ダフニスとクロエ
1824−25  2,04 m x 2,28 m   ルーヴル美術館

フランス国王シャルル10世
1824-25  275 x 202 cm  ヴェルサイユ宮国立美術館
ブルボン王朝最後の王

聖テレサ
1827  Oil on canvas, 172 x 93 cm   パリ、マリア=テレサ修道院診療室
主題解説: 聖テレサ

スペインのカルメル会修道女。カスティーリャ地方アビラの出身。
多くの修道院を建て、厳格な修道態度を復活させた。

多くの著作もあるが、その中に一人の天使の幻を書いたものがある。天使が先端が燃えている槍を、彼女の胸に刺した、というもの。

この話が1622年、列聖の時に教皇勅書に書かれ、17世紀美術がテレサを扱うきっかけとなった。

テレサは、聖母マリアとヨセフの幻に関しても書き記している。2人は修道院設立の是認のしるしとして、純白のマントと十字架のついた金の首飾りを与えた、というものである。



ベリサリウス
ビザンティン皇帝ユスティニアヌス配下の有名な将軍。

絶頂期にはイタリアの大部分をゴート族から取り戻した。

やがて、身に覚えない叛逆罪で投獄されたが、後に無実が判明した。



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