ポール・ゴーガン(ゴーギャン)
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Paul Gauguin(1848−1903)
フランス   後期印象派  象徴主義

パリ、ノートル=ダム・ド・ロレット街に生まれる。
父親はジャーナリストで共和主義者。母親はペルー生まれで、社会主義者の婦人運動家で作家のフローラ・トリスタンの娘。

一歳の時、ルイ・ナポレオンのクーデターがあり、迫害を恐れてペルーへ行く。しかしその船上で父親クローヴィスが亡くなる。

1855年、7歳のときにフランスへ戻る。

17歳の時、見習水夫になり、リオデジャネイロへの旅をする。

20歳から22歳、フランス海軍に入る。

除隊後、23歳からパリ株式取引所で仕事を始める。このころから絵画に興味を持ち始める。

26歳のとき、画塾アカデミー・コラロッシに通い始める。

1879年、31歳のときに第4回印象派展に彫刻を出品。
続く第5回印象派展には絵画を出品。


1883年、株式取引所を辞め、画家に専念する。しかし極貧の生活が続く。

1888年、『説教のあとの幻影:ヤコブと天使の格闘』を描き総合主義を確立した。
同年、10月から12月、アルルのゴッホの「黄色い家」に滞在。ゴッホとのいさかいと耳切り事件後、パリへ戻る。

1889年、パリ万国博覧会でポン・タヴェン派の展覧会を開催。象徴主義のマニュフェストになる。

1891年、タヒチ行きの旅費調達のため、ドゥルオ館で絵画を売り、成功。4月にタヒチへ出発。

1892年、『マオリの古代信仰』を執筆。

1893年、パリへ戻る。

1894年、愛人のジャワ女アンナに金品を盗まれる。
翌年再びタヒチへ出発する。

1897年、49歳の時、娘アリーヌの死の知らせを受ける。
4月『我々はどこからきたか、我々は何者か、我々はどこに行くか』を製作後、自殺未遂。

1903年、憲兵への名誉棄損を訴えられる。 5月、心臓発作のため死去


≪初期(1875〜86)≫

裸婦習作(縫物をするシュザンヌ)
1880 Oil on canvas 111.4 x 79.5 cm   ニイ・カールスペルク彫刻館、 コペンハーゲン

≪第一次ブルターニュ時代≫

≪第二次ブルターニュ時代≫(1888年2月〜10月)
象徴主義的総合主義を確立

青い木
1888 Oil on canvas  92 x 73 cm  The Ordrupgaard Collection, コペンハーゲン

説教の後の幻影(ヤコブと天使の戦い)      聖書の物語へ
1888 Oil on canvas  73 x 92 cm   スコットランド国立美術館  エジンバラ

三匹の子犬
1888 Oil on canvas  88 x 62.5 cm  ニューヨーク近代美術館MoMA

豚飼いの少年 ブルターニュ
1888 Oil on canvas 74 x 93 cm  ロサンゼルス・カウンティ美術館

ブルターニュの3人の少女の輪舞 ポン・タヴァン
1888  Oil on canvas  71.4 x 92.8 cm  ワシントン・ナショナル・ギャラリー

海の景色と岩場の牛
1888 Oil on canvas 73 x 60 cm  パリ装飾美術館
自画像 (レ・ミゼラブル)
1888  45 x 55 cm   ファン・ゴッホ美術館  アムステルダム オランダ

ヒマワリを描くヴァン・ゴッホ
1888  73x92cm  ヴァン・ゴッホ美術館  アムステルダム  オランダ

≪第3次ブルターニュ時代≫

ラ・ベル・アンジェル(サトル夫人の肖像)
1889 Oil on canvas 92 x 73 cm  オルセー美術館  パリ

ヤコブ・マイアー・デ・ハーン(サーター・リザータス)
1889 Oil on wood 80 x 52 cm  ニューヨーク近代美術館
テーブルの上の本「サーター・リザータス(衣裳哲学)、「失楽園」ミルトン
ブリューデルのマリ・アンリの旅館に居た頃の絵で、マイヤ・デ・ハーンは同居のオランダ人画家。

劇画的自画像
1889  Oil on wood 79.6 x 51.7 cm   ワシントン・ナショナル・ギャラリー
頭の上の円光はイエスをなぞらえている

黄色のキリスト
1889 Oil on canvas 92.1 x 73.4 cm  オルブライト=ノックス・アート・ギャラリー バッファロー
「説教のある幻影」と並んで、「象徴主義的総合主義」の代表作

セザンヌの静物画の前のマリ・デリアン
1890 Oil on canvas 65.3 x 54.9 cm   シカゴ美術研究所

処女喪失(春の目覚め)
1890-91 Oil on canvas 90 x 130 cm  クライスラー美術館  ノーフォーク ヴァージニア州

≪第一次タヒチ時代≫ 1891年4月〜1893年6月

タヒチの女 (浜辺にて)
1891 Oil on canvas  69 x 91 cm


イア・オラナ・マリア (マリアを拝する)
1891 Oil on canvas  113.7 x 87.7 cm  メトロポリタン美術館 ニューヨーク

アハ・オエ・フェイイ(妬いてるの?)
1892 Oil on coarse canvas 68 x 92 cm   プーシキン美術館 モスクワ

タ・マテテ(市場) 別称「ベンチに座るタヒチの女たち」
1892 Oil on canvas 73 x 91.5 cm   バーゼル美術館 スイス

マナオ・トゥパパウ(死霊は見守る)
1892  73 x 92 cm  ニューヨーク近代美術館MoMA

マタモエ(孔雀のいる風景)
1892 Oil on fine canvas 115 x 86 cm  プーシキン美術館 モスクワ

パラヒ・テ・マラエ(生贄の神殿)
1892 Oil on canvas 68 x 91 cm  フィラデルフィア美術館

≪第4次ブルターニュ時代≫ 1894年
タヒチからパリに一旦戻る。

帽子をかぶった自画像
1893-94 Oil on canvas 46 x 38 cm  オルセー美術館  パリ
背景にタヒチで描いた「マナオ・トゥパパウ(死霊は見守る)」が掛っている。

≪第二次タヒチ時代≫1895年9月〜1903年5月

ネヴァモア(横たわるタヒチの女)
1897 Oil on canvas 60.5 x 116 cm  コートルド美術研究所  ロンドン

我々はどこから来たのか、我々は何か、我々はどこへ行くのか
1897 Oil on canvas 139x374.5cm   ボストン美術館
自殺未遂の直前に制作

白い馬
1898 Oil on canvas 140 x 91 cm  オルセー美術館 パリ
自殺未遂後の作品

黄色い背景の三人のタヒチ女
1899  69 x 74 cm  エルミタージュ美術館

テ・アヴェ・ノ・マリア(マリアの月)
1899  94 x 72 cm   エルミタージュ美術館
「マリアの月」はタヒチのカトリック教徒のカレンダーで5月のこと。

ポリネシアでは白は聖なる色であり、白い衣をまとっているのは、超越者であり神の境界に住む者。

路上の馬
1899  94 x 73 cm   プーシキン美術館  モスクワ

紘かけ椅子のひまわり
1901  73 x 91 cm   エルミタージュ美術館

紘かけ椅子のひまわり
1901  ビュルレコレクション  スイス

海辺の騎手たち
1902 Oil on canvas  73 x 92 cm  個人蔵

未開の物語
1902 Oil on canvas 130 x 89 cm  フォルクヴァング美術館 エッセン ドイツ
マイヤー・デ・ハーンが誘惑者の役割で、左側に描かれている。



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