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井出洋一郎が贈るミレー名品25選

My favorite 25 works of Millet

自画像 1841年 油彩・カンヴァス                シェルブール、トマ・アンリ美術館

1840年のサロンに肖像画が初入選したミレーは故郷にようやく錦を飾ることができ、シェルブールで若手の肖像画家として活躍を始める。内省的だが自信と野望を秘めた27歳の画家の姿がここにある。ミレーの自画像は油彩が2点、素描2点が知られるのみで、すべてが1850年以前の作になる。この作品は新婚の妻ポーリーヌの実家に妻の肖像と一緒に残してきたものだけに、表情は多少しかつめらしく、服も盛装をして公的な感が強い。パリの美術学校ではミレーは野人扱いされたが、ここではすでに繊細な感受性をもつ安定した人格の芸術家に成長している。

くつろいだポーリーヌ・オノの肖像  1843年 

油彩・カンヴァス シェルブール、トマ・アンリ美術館

ミレーの最初の結婚は1841年11月、相手は以前から肖像画のモデルを務めたシェルブールの洋服仕立店の娘ポ−リーヌ・ヴィルジニー・オノであった。彼女は1821年生まれなので20歳の花嫁となる。彼女の肖像は1836,7年作のデッサンが知られており、二人の出会いは4,5年前に遡れる。美人というよりかわいいといった感じの女性で、油絵だけでも4点描いたミレーの寵愛ぶりがほほえましい。実家の家柄もよく、農家とはいえ格式の高かったミレー家もこの結婚は大歓迎で、皆から祝福されたお似合いのカップルであったが、不幸にも花嫁は病弱で、パリに出てからの貧乏画家生活に耐えられず、1844年4月、肺結核で3年もたたずに没した。一時の幸せがはかないものであることを、この絵は示して余りある。

ポーリーヌ・オノの肖像 1841-42年頃        油彩・カンヴァス    甲府市、山梨県立美術館

この『モナ・リザ』のポーズをとった作品はパリに出るに際しシェルブールのオノ家に残してきたもので、耳がまだ未完成であり、手にしたショールが後の「華やかな手法」を予見させる柔らかな軽いタッチで描かれている。ミレーの肖像画得意の「うるんだ瞳」がここでも魅力的。

鏡の前のアントワネット・エベール 1844-45年  油彩・カンヴァス
八王子市、村内美術館

このモデルの少女は、ミレーの友人であるシェルブールの図書館員フェリックス=ビヤンネーメ・フーアルダンの妻の連れ子であり、当時6歳であった.外から帰ってきて鏡に映る自分の姿をのぞき込むあどけない表情からは、ミレーの父親にも似た優しい眼差しが感じられる。「華やかな技法」と呼ばれた時代の代表作だが、この少女像の表現の根底には、当時ミレーがパリで見ていたと思われるベラスケス作のマルガリータ王女の面影が読み取れる。不思議に明るい色調には当時のロココ・リバイバルを意識した画家のプロフェッショナルな技のさえを見ることが出来よう。

横たわる裸婦 1844-45年 油彩・カンヴァス           パリ、オルセー美術館

ミレーの1840年代の裸婦像の代表的作品。この裸婦の暖かい肌色には、ミレーのパリのアトリエの隣組で親しかった画家ディアズの影響が大きい。左右の赤いカーテンから奥の寝台を覗かせる構図もロココ風で、田舎にいたのではミレーにこの洗練味は出せない。モデルを直接写生した以上にレンブラントやベラスケス、ブーシェ、フラゴナールなどの過去の巨匠たちの裸婦を記憶によってアレンジしたものと私は見た。サンスィエの伝記によれば、パリの画廊でミレーは裸婦しか描かないと言われたのを恥じて農民画に完全に転向した、とあるが、そう言われたのは事実だとしても、バルビゾンに移って以後も裸婦は描いている。

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