山弥の概要

屋号

コンテナの側面に「弥」の文字山弥」というのは家の屋号です。当家ではいつの時代からか山弥という屋号を用い、みかん農業を営んできました。しかしながら、現在は「山初(やまはつ)」という屋号を使っています。これは先代である親父が変更したものですが、通常屋号を変更するとすべて新しい屋号に統一するものなんですが、うちの農具にしろコンテナにしろ、「」の文字がいまだ健在です。ですので、今でも「山弥」は残っており、柑橘ブランドとしての「山初(やまはつ)」があるといった感じです。

山弥の歴史

山彌山弥の歴史、というか当家の歴史としては意外と古いんですが、残念ながら当家には家系図なんて上等なものは残されていません。ただ、戒名を見て見ると一番古いもので「延宝五年」というのが残っています。何時やそれ…、って事で調べたら西暦1677年、時は江戸時代のころみたいで、その時代にはすでにあったということになります。実際に何時頃からみかん農業を営んできたのかは分かりませんが、その昔、この地区一帯にみかん農業が盛んになり始めた頃には始めていたと言い伝わっているので、おそらく延宝五年にはみかんを作っていたのではないかと推察しています。かの紀伊国屋文左衛門の船に乗って当家のみかんも江戸に渡っていたりしたのかなぁ…なんて思うと我が家の歴史にしみじみする主です(笑)、もっとも妄想の域を出ませんが…。

山弥の名前の由来

屋号の付け方っていうのにはいろいろあって特にこれと決まったものはなく、言うなれば自由です。その中で、「家長が代々襲名する名乗りを屋号にしていることもある。」とwikipediaにもあるように、うちの家はまさに代々襲名されてきました。我が家のご先祖様の名前は「弥七」です。ちなみに風車の弥七とは何の関係もございません、それにあちらは確か架空の人物やったような…。このことを知った時は正直びっくりしました。上に書いた戒名なんて、たまに俗名を書いてくれているものも弥七では誰が誰だか…